098 寮・対話・真実
メアが寮を出ると、寮の入り口に所在なさげに立っていたウルスがぱっと顔を明るくした。
「メア! いたいた。ちょっとメアにお願いがあってー、今日も泊めてほしいんだけど……」
しかし、メアの表情が強張っているのを見て、口を噤んだ。薄茶色の目がじっとメアの表情を窺ってきている。
メアには何が真実化は分からなかった。誰の言葉を信じればいいのかも。だが、メアはウルスのことを信じたかった。だから、まっすぐにウルスを見つめて訊いた。
「ウルス。ウルスは、涜闕族なの?」
「そうだよ。よく知ってるね。調べた?」
ウルスは少し恥ずかしそうな顔で即答した。
「じゃあ、ウルスはウィドドンミョーザを恨んでる?」
「なんで? 涜闕族が二〇〇年前に戦争で負けたから? そんな昔のこと気にしてないよ」
きょとんとした顔。メアはそれが本心だと思った。
「じゃあ、ウルスは、エシュー先生を殺してない?」
「殺してないよ。何それ」
そう言ってウルスは寂しそうに笑った。
メアはその言葉が――嘘だと思った。
メアは人の心が読めるなどと驕ったことはない。寧ろ、いつもよくわからずに困惑している。だが、今回は違った。メアはウルスの言葉に載った神為がどこか虚ろに感じた。ウルスの寂しそうな表情に強烈な決別を感じた。ウルスからは疑われたことに対する怒りが微塵も感じられず、ただ別れの悲しみだけが感じられた。
泣きそうな顔でメアが近寄ってくるのを見て、ウルスは少しだけ体を強張らせた。だが、メアが自身の両肩を力なく掴んでくるのを避けることはしなかった。
「ウルス」
メアは千々に乱れる頭からではなく、心からの言葉を発した。
「今すぐ、逃げて」
「……なんで?」
「ウルスに生きていてほしいから。復讐なのか全然別の何かなのかはわからないけど、そんなものよりウルスに生きていてほしいから。逃げて。お願い、ウルス」
ウルスは優しく微笑んだ。
「変なことを言うね、メアは。メアは私がエシューって人を殺したと思ってるんだ? なのに逃げてほしいって? 悪い奴だ。仮にメアが考えてることが事実だとしたら、メアも共犯者だってことだよ?」
「そんなことどうでもいい! ウルス、お願いだから、逃げてほしい。お願いだから」
「やれやれ、困ったね。友達思いなのは良いことだけど、言ってることが無茶苦茶だよ、メア。一度レオゥに相談して話を整理したほうがいいんじゃない?」
そう言って、ウルスはメアの体を優しく押し返した。
メアにはわからなくなった。ウルスの反応は穏やか。いつも通りだ。メアの勘違いかもしれない。そう思うほどに穏やかだ。だから、メアは確かめる。
「じゃあ、本当にやってない? 俺の勘違い?」
「そうだよ。まあ帝国とは因縁がある一族だからね、早合点しちゃうのもしょうがないけど、違うよ。やってない」
「もう既にウルスが犯人だと学校側にばれてて、泳がされてるだけって言っても同じ?」
「わお。それは優秀だね。でも誤解だよ。冤罪。話せばわかる」
それが、自身の身を破滅させるとわかっていても。
「エシュー先生が――」
まだ生きてるって言っても?
だが、メアがその言葉は言い切ることはなかった。寮の脇の木立から出てきた一人の女性に遮られたからだ。
「そこまでだ、ルールス。お前がそこまですることはない」
出てきたのは、相変わらず包帯をいたるところに撒いたままのエシューだった。
それを見たウルスの反応は劇的だった。衝撃、疑惑、思索、恐怖、理解、絶望。息を詰まらせ、目の前の現実を咀嚼するために全身の動きを止める。まるで死者が蘇ったのを目撃したかのように。間違っても、知らない相手を見たときの反応ではない。
メアは全身から力が抜けた。視界に砂煙が舞い、耳には意味の内雑音が響き、足の感覚がなくなった。立っているのがやっとだ。立っているのかすら怪しい。
そんなメアを一瞥すると、エシューはいつものように気怠そうな態度で木に寄りかかる。
「サドパッネ。言っておくが幻覚ではないぞ。だいぶ血は足りないがこのとおりぴんぴんしてる。悪いね」
ウルスは痛みに耐えるように目を固く閉じ、深く深く息を吐く。そして、再び目を見開いたときには、その表情には凍てつくような笑みが張り付いていた。
「そう。本当に泳がせてたってこと」
「ああ、その言い方には語弊がある。安心して良い。学校側はまだ下手人がお前だとは知らない。知ってるのは俺とキケとそこの餓鬼だけだ」
「へえ? なぜ? 裏で手を回しているのがどこか知りたいから?」
「ビーマだろ。そんなことは調べないでもわかる。だからそんなことが目的じゃない」
「ふう。貴女に見つかったのが運の尽きってこと。ちゃんと殺しきったと思ったんだけどな」
エシューは自嘲気味に笑った。
「この学校の先生として二つ間違いを指摘してやる。一つ、殺しきりたいなら脳か魂魄を確実に破壊しろ。脳以外の部位であればそこそこ優秀な医療士であれば簡単に修復できるし、その技術で延命措置を図るなんてして当然。肺をずたずたにして心臓を抉り出して首を切ったって、血流を操れれば一刻は生きていられる。二つ、私に見つかったことが失敗だというのは間違いだ。キケは最初の授業のときからお前に気づいていたぞ?」
再びウルスの動きが止まる。そして、次の瞬間には目を吊り上げて怒鳴った。
「そん……な馬鹿なっ! 出まかせを言うな! なら、なぜっ……!」
「そう叫ぶな傷に沁みる。お前は自分が親にどれだけ似てるか自覚がないのか? それだけ似てて気づかないわけないだろ」
「なぜだっ! ならなぜそのときに対応しなかった!」
「お前がこの学校の生徒だからだ。それ以上の理由はない」
ウルスは風のようにエシューへと踏み込み、襟首を掴んで気に叩きつける。そして、その首に剣の鋒を食い込ませ、叫んだ。
「我々がどれだけお前らを憎んでいるかなど、理解しているはずだろう! それともなんだ! 放っておいても問題ない程度の脅威だとでも言うのか!?」
「そうだ。キケに取ってみればお前はその程度の脅威だ。私には違うがね。そう刃物を付きつけないでくれ。手も離してくれ。痛いんだよお前に斬られた傷が」
「……ならばっ! その思い上りがお前らの失敗だったと! 思い知らせてっ」
「ウルス!」
メアはウルスの腕を掴んだ。ようやく体が動くようになったからだ。そして必死に目で訴える。それ以上はやめろと。やめてくれと、必死に訴える。
振り返ったウルスがメアを見る目は困惑で満ちていた。まるでこの世のすべてが理解できないかのように。森の中で迷子になって蹲っている子供のように。途方に暮れているように見えた。
二つ咳をし、苦しそうにエシューが呟く。
「そういえば、私の死後もお前を泳がせていた理由を知りたがっていたな。癪だが、そこの餓鬼と同じだよ」
エシューはウルスの目を見て言った。その表情にいつもの嘲笑はなく、子を想う親のような真摯な眼差しだった。
「引き返せ。ウルス゠サドパッネ。今ならまだ引き返せる。俺は死んでいないし、生徒への被害も出ていない。今ならまだ間に合う。逃げろ。この学校から逃げるというのであれば追わない。手配もかけることはない。追跡者がお前を特定する前に、さっさと出ていけ」
「っ、お前らの! お前らがそれを言うか! お前らの罪を、復讐を! この焦がれるほどの恨みを捨て! 生きろと!」
「そうだ。そう言っている。忘れろ。すべてを忘れて、適当な伴侶でも捕まえて家庭を築け。子を産んで幸せに暮らせ。お前は見た目が良いんだから付いてることなんて気にしない物好きも多いだろう。そこの糞餓鬼とかはどうだ? 超がつくほどの馬鹿だが、それだけに扱いは楽だぞ?」
ウルスは再度エシューを木に叩きつけて黙らせる。そして、震える手で剣を首に突き付けたまま、何度も何度も浅く荒い息をする。
メアとウルスの目が合った。ウルスは歯を食いしばって口角を上げ、眉を寄せて目を閉じ、眦を吊り上げて虚空を睨み、泣くのをこらえるように鼻で息をした。次々と変化する表情がその混沌とした心情を垣間見せていた。
ウルスは最後に泣きそうな表情で笑うと、メアが抑える腕に力を込めた。
「メア。メアはさ、二〇〇年分の記憶持ってる? 持ってないよね。普通の男の子だもんね。二〇〇年分の恨みってさ、凄くどろどろしてるの。一度触れたら一生こびりついて離れないくらい。苦くて、臭くて、最悪な気分。それでね、そんな最悪な気分も次第に恨みになっていくの。なんでこんものをって。なんで私がって。そうやってどんどん膨れ上がっていって。何かが、破裂しそうなほどに、膨らんで。最悪な気分は、積み重なっていって」
メアはウルスの言葉の一端すら想像できず、絶句した。何かを言わなければいけない。そうわかっているのに、口からは言葉が出ず、掠れた吐息だけが漏れる。
そんなメアをウルスは優しく見つめる、次の瞬間には別人のように怒りに包まれた表情でエシューを睨んだ。
「いまさらっ……!」
「ウルス! やめろ!」
再びウルスの腕に力が入る。拮抗は一瞬。すぐにメアの抑えは解かれ、エシューの首が斬り裂かれる。そんな未来を予見し、メアは叫び、エシューは諦めたように笑う。
だが、そんな三人に背後から声がかかった。
「メア? と、ウルスちゃん? どうしたの?」
ウルスは本能的にメアを蹴り飛ばし、エシューを羽交い絞めにして盾にし、振り返る。そこには困惑した表情のクァトラが立っている。
「と、その包帯だらけの人はエシュー先生? あれ、生きてたんですか?」
クァトラは明らかに人質になっているエシューを見て、状況はわからずとも剣の柄に手を掛けた。瞬間、ウルスの肌が粟立ち、敗北を予感する。
ウルスが叫ぶ。
「待て! 剣を抜くな! 抜いた瞬間この男を殺す!」
「ええ? メア、これどういう状況? 何かのお芝居?」
「ちがっ、げほっ、違うんです。クァトラ先輩、少しだけっ、少しだけ待ってください」
「そう。まあいいけど」
首を傾げるクァトラ。柄から手を離しはしたが、ウルスが感じる威圧感はまったく減じることはない。少しでも気を抜いたらその瞬間に腕を斬り飛ばされる。あと一歩近づかれたら反応することもできずに死ぬ。ウルスの本能が鳴らす警鐘は、ウルスに呼吸することさえ躊躇わせていた。
恐怖と混乱、怒りと困惑。激しく渦巻く混然とした感情に耐えられず、ウルスは思わず笑いを漏らした。
「ふ、ふふ、本当に、上手く行かないことばかりだ! なんという場所だ! 何一つうまく行かない! そう思わないか、メア!」
そして、ウルスは自身の耳飾りを指で弾いた。何かが壊れる音がし、強烈な波動が学校全体へ伝播していく。
「一つ忠告しておく。我々を追うな、【殲雷】」
「その呼び方やめてほしい」
「追えばこの男を殺す。それに、君の大事な弟子が死ぬぞ?」
「メアは弟子じゃないんだけど」
クァトラは少しむっとした表情で僅かに重心を下げた。
だが、直後に号砲のような咆哮が学校中のいたるところから響いてきた。それは一つや二つではなぐ、少なくとも数十、下手すれば三桁の獣の叫び。その気配を察知したクァトラは眉を顰め、耳を澄ます。
メアが周囲を見回していると、メアたちの目の前にもそれは出現した。地面に浮かび上がった複雑な幾何学紋様から二匹の生命が姿を表す。
一匹は、直径七歩、長さ五〇歩を超える巨大な粘体。体色は毒々しい藍色で、それが触れる樹木や地面も一瞬でその色に染まって朽ちていく。捕食器官と思われる胴体前方下部に見える裂け目からは触手のような太い肉鞭が垂れ下がっており、唾液のような液体がしゅうしゅうと音を立てて気化していた。柔甲族頭核種、藍疹蚯蚓。
一匹は、六方向に伸びた歪な円錐を伸び縮みさせる黄金色の物体。本体の大きさは五歩ほどだが、かくかくと絶えず変形しているため正確な大きさはわからない。同時に、光沢を放つ表面には傷一つなく、それが非常に硬いことを推測させる。本体の周囲に無数に浮かぶ同色同質の多面体は、不規則な軌道でくるくると回っている。精霊族硬玉種、劃金霊。
ともに一級外敵指定種。
クァトラは迷わずに剣を抜き、メアを下がらせた。エシューの命を気にしている状態ではないからだ。
「召喚術、というよりは、陣術での転移、かな。ウルスちゃん、こんなものを学校中に?」
「まさか。流石にこれほどの手駒はこの二体だけ。踏破者の相手には少々物足りないかもしれないが、弟子を守りつつ相手してやってほしい」
そう言って、ウルスはエシューを抱えて繁みの中に姿を消した。
「ウルス! まっ――」
目の前の生命が雄たけびを上げ、メアの声はかき消された。




