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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
六章 吹き抜ける風
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097 学校・歴史・亜人間

 メアが図書塔を出ると、クァトラが心配そうに話しかけてきた。

「大丈夫? メア。さっきから顔色悪いけど」

「大丈夫です。すみません、ちょっと考えごとしてて。それで、すみません」

「そう?」

 クァトラの顔が近づいてきたかと思うと、メアの前髪もクァトラの前髪もクァトラの手により持ち上げられる。しゅて、避ける間もなく額と額が接触する。メアの目の前には真剣な表情で目を閉じるクァトラの顔があり、メアの思考は停止した。

 数脈ののち、クァトラは手と額をぱっと離し、首を傾げた。

「熱はなさそう。風邪の引き始めかな。体調悪いならもう寮に戻って休んでいいよ。顔も赤いし」

「あ……そ、そうですね。そうします。すみません、先に休ませてもらいます」

「ごめんね、体調気づかなくて。無理やり引っ張ってきちゃって」

「いえ、こちらも言うべきでした。すみません」

 実際のところ、まったく体調は悪くなかったが、メアはその言葉を利用することにした。少し、話したい相手がいるからだ。

 立ち去ろうとするメアに、クァトラが呼びかける。

「メア!」

「なんですか?」

「その、辛かったら、言ってね。嫌だったりとかも。言って。私はあんまり気が利かないかもしれないから、言葉にしてくれた方が、私は嬉しい。私は別に、メアの師匠じゃないけど、メアの先輩だから。……頼ってくれてもいいんだよ」

 自信なさそうに自身の髪を撫でつけるクァトラは、そう言って視線を地面に逸らした。

 その姿が妙にクァトラらしいと思ったメアは、思わず笑いそうになりながら一礼した。

「了解しました。それじゃ失礼します」

 そう言ってメアはその場を去った。

 向かう先は寮ではなく、キケの居室だ。とにかくウィドドンミョーザについて詳しそうな人から話を聞きたい。メアはその一心で第一教育棟の三階の端、キケの居室に向かう。

 五時限目までは一年生の授業をしているが、六時限目はキケが担当する授業はないはず。メアは脳内で時間割を思い出しながら、キケの居室の扉を叩いた。

 返事はない。不在か、校内の巡回か。メアが引き返すか迷っていると、中から話し声が聞こえた。

 もう一度扉を叩くべきだ。メアはそう思ったし、普段のメアであればそうした。だが、聞き耳を立てろという本能に従い、メアは扉に耳をつけた。

「なぜ……嘘を……た?」

「……お前に……いね。……黙っていたということは……だろう」

「俺は確証がなかったんだ! お前……な。……顔……。どうせ……したんだ……。それなのに……。なぜだ」

「……なぜ……。そんなこと……、……ことを考え……。お前も……作戦……したんだ。それこそ、……狙われ……理解したうえ……。どうする……?」

「簡単……。釣って、……、ウィダッハ……引き渡す。それで……」

 二人での会話。ただし内容は途切れ途切れでうまく聞こえない。しかし、メアにとって気になるのはその内容ではなく、話している人物だ。メアはその両方の声に聞き覚えがあった。

「回解転々――【解錠】」

 かちゃりと小さく音を立てて扉が開く。メアは堂々と扉を開け、その中に入った。

「捕まえたら死刑だぞ。それでもやるのか」

「他の生徒まで巻き込んだら困る。やるしかない。他に何か手はあるというのか? 無関係なお前だって襲ったんだぞ」

「私が無関係なわけないだろ。口封じだよ。で、お前は? 生徒を言い訳にしてあの子を殺すわけだ。一八年前と同じように」

「それしかないだろう! じゃあ一体どうしたいんだお前は! どうしたらお前は満足なんだ!」

「お前と同じだよ。迷っている。可能なら逃がしてやりたいが」

「逃げるわけないだろう。それなら、最初からこの学校に――」

 室内で会話していた二人は、そこで初めてメアが部屋の中に入ってきていたことに気づいた。そして、一人は狼狽と憤怒を、一人は嫌悪と諦念を示した。

 前者はこの部屋の主、キケ。

 そして後者は、死んだとされていたエシューだった。

 寝台に寝転がるエシューの姿は酷いものだった。その姿を見たメアが一瞬誰かわからないほど、ぼろぼろの姿だった。喉、肩、手首、胸、腹、太もも、膝と体中に血のにじむ包帯を撒き、肌が露出しているのは目と口元の一部だけ。隙間からは痛々しい傷跡とそれを乱雑に縫い留めた後が垣間見え、もし包帯の下がすべてそうだとしたら、死んでいないことがおかしいほどの重傷を負っている。

 キケが見たこともないような動揺した表情でメアの方を見る。

「ルールス、どうやって……いや、いい。とりあえず扉を閉めろ」

 メアはキケの指示に従い扉を閉めた。鍵も掛け直す。そして、無言で説明を求める。

 対するキケは自身の迂闊さに首を振った。いくら会話で昂っていたからと言って、扉の前の生徒どころか部屋に入ってきた生徒に気づかないなど平和呆けにもほどがある。エシューを見られるならまだしも、聞かれてはいけない会話を聞かれてしまった。そのことは激しく反省すべきことだった。

 しかし、そんな後悔も無意味だと言わんばかりに、メアは核心から入る。

「今のはウルスのことですか」

 疑問ではなく断定。キケ寝台に体を投げ出すエシューに視線を飛ばすが、エシューは肩を竦めるだけだった。誤魔化すことはできない、と悟ったのだ。

 だが、情報の開示は慎重に行く必要はある。キケはそれを念頭に置き、慎重に言葉を選んだ。

「まず、謝罪しろルールス。勝手に人の部屋に入るな」

「それはすみません」

「盗み聞きも良くない。お前が俺の居室に勝手に侵入し、盗み聞きをしたというなら、校則に従い罰さなければならない。慎重に答えろ。お前は何か聞いたか?」

「……聞いてません」

 メアは歯噛みしながら答えた。どういう名目だろうと、今、謹慎を食らって隔離されるのはまずいからだ。だからここは素直に従う。

 それに、突破口がないわけではない。

「勝手に入ったことは謝ります。鍵は開いていましたし、扉を叩いても返事がなかったもので。で、先生、なんでエシュー先生が生きているんですか? 生徒を騙したんですか?」

 強引にその質問を潰すことは可能だ。だが、メアに対してそれは逆効果だとキケは思った。そのため、一部の事実を見せる。

「殺人犯を騙すためだ。実際、エシューは常人なら死んでいて当然な傷を負った。いや、実際死んでいたな。それを無理やり医療の腕で生き返っただけだからな。エシューは死んだと情報を流しておけば、犯人は安心するはずだ。犯人は自分だとまだばれていない、とな」

「で、誰なんですか? 分かっているならさっさと捕まえたらいいじゃないですか」

「エシュー、どうだ?」

「さてね。暗がりで襲われたから、顔は見てないな。ふんわりとした特徴は言えるけど、それだけだ。もちろん、その特徴はお前には教えない。勝手に突っかけられちゃたまらないからな」

「ということだ。納得したな?」

 納得しろ、と目が訴えてきている。いや、それは訴えなどではなく脅しだ。

 だが、メアは怯まなかった。暴れそうになる鼓動を必死に抑え、睨み返す。

「ウィドドンミョーザと涜闕族の間で何があったんですか?」

 メアとしてはまだ確信を持っておらず、これはただ鎌をかけただけだった。だが、キケは露骨に狼狽し、エシューはそれを見てため息を吐いた。その反応にメアもまた戸惑い、それを見てキケは自分が嵌められたことに気づいたが、時すでに遅し。メアの中の疑念は確信となってしまった。

 どう黙らせるか。キケの思考がそちらに舵を切ったのを悟り、エシューはキケの肩に手を置いた。

「やめておけ、ウィッカーミョズ。諦めろ。そこまで調べているということは、あの子から聞いたか、あの子の体を見たか、既に引き込まれてるかだ。どれだ? ルールス」

「体を、見ました」

「このすけべめ。覗いたか? ん? 仲良くしてたもんなあ?」

「ちがっ、そんなんじゃないです! 事故です。たまたま見てしまって、気になって。調べたら、ウィドドンミョーザのことが出てきて」

「無駄に勘が鋭い餓鬼は嫌いだね。そう思わないか? ウィッカーミョズ」

「ここではキケと呼べ、エシュー」

 キケはエシューの手を振り払うと、メアの前に仁王立ちした。そして、その太い腕を威圧するように胸の前で組み、メアを見下ろす。

「ルールス、お前にはいくつか言っておかなければいけないことがある。まず、一つ目。エシューが生きていることは誰にも言うな。これを守れなければ、お前は学校の治安を乱すものとして退学処分とする。二つ目、犯人を捜すな。これは大人の仕事だ。調停委員もじきに任を解く。生徒にできることはない。そして、三つ目。残念だが、お前の質問には応えられない。歴史書に書かれていること以外は機密事項だ。知りたいなら、授業で史学の先生に訊くんだな」

 一つ目はともかく、二つ目も三つ目もメアには納得いかなかった。とくに、三つ目。キケは史学の先生は知らないということを確信したうえで、無駄だろうが聞いてみろと言っていることが分かったからだ。

 要するに、黙って見ていろと、そう言っている。はっきりと。メアにもわかる様に。

 メアは拳を握りしめ、キケを睨みつけると、踵を返した。

「理解したか? ルールス」

「理解しましたよ、キケ先生。失礼します」

 メアはそう言って扉を開け、乱暴に閉めた。

 当然、メアは諦める気はなかった。それをわかっていたキケとエシューは大きなため息を吐いた。




 メアは寮の扉を叩いた。

「キュッフェ様、いる?」

「……下僕か。入れ」

 すると驚くことに返事が来た。てっきり寝ていると思っていたメアは動揺したが、扉に手を掛けて中に入る。

 中に入ると、椅子にふんぞり返っているキュッフェがもう一つの椅子を軽く蹴った。それに座れという意図だとくみ取ったメアがその椅子に座ると、キュッフェは気だるそうに口を開く。

「ウルス゠サドパッネのことに関してか」

 メアは目を見開いた。あまりにも話が早すぎる。

「なんで、そのことだって。なんなの? ウィドドンミョーザの人にとっては当たり前なの?」

「恩知らずの下僕がわざわざ俺のところに頭を下げに来たんだ。これくらいしか原因が思いつかない。あと、別に常識ではない。俺様は特別だ」

「そうですか。で、どうなんですか?」

「まあエシューが死んだのは自業自得だな。次はキケ辺りが狙われるんじゃないか? というかそっちが本命か」

 訊きたいことはそうではないとか、先生を呼び捨てであることだとか、そんなことはどうでもよくなるくらい衝撃的な言葉だった。メアは頭がくらくらしてきたので、額に手を当てつつ、また鎌をかけてみる。

「その次はキュッフェ様じゃないの?」

「その可能性もなくはないが、そうなったら返り討ちにして終わりだ。下僕には悪いが命を狙ってきている相手に手加減はしないぞ」

「いったい、二〇〇年前に、何したんだよ、ウィドドンミョーザ。何があったんだよ、ウルス……」

 メアの呟きに、キュッフェはため息を吐いた。そして、窓の方を向いて呟く。

「ああ、なんだ。まだ本人に事情を聴いたわけじゃないのか」

「こんなの聞けないよ。だって、今日の朝までは、ウルスがそんなこと、するわけないって、思ってたのに」

 そして、まだ本心ではメアは信じてなかった。ウルスがエシューを殺そうとし、キケを殺そうとしていることなど。メアは信じたくなかった。

 背中を丸めるメアの態度が気に入らないのか、キュッフェは額に皺を寄せ、立ち上がる。そして、寝台に体を投げ出すと、掛布団を頭で被って言った。

「いいか、下僕。これからいうのは独り言だ。お前は勝手に盗み聞きした。わかったな?」

「それって」

「うるさい。ただの寝言だ。いいから黙って盗み聞きしろ」

 独り言なのか寝言なのか。メアはぼんやりとそう思いつつ、黙ってキュッフェの言葉を待った。

 キュッフェにしてはやや長い間の後、キュッフェは淡々と語り始めた。

「最近は意図的に隠しているし対外的には公言していないため知らないかもしれないが、ウィドドンミョーザは純人間主義国だ。最近は穏やかにはなってきているとはいえ、基本的には獣人も亜人間も差別している。一般市民の層ではあまり実感はないかもしれないが、差別意識は根強く、国の中枢には人間以外はいない。まあこの辺りは調べてきているな。飛ばそう。

「で、涜闕族についてだが、公的には約二〇〇年前の戦争で滅ぼしたことになっている。世間的にも同じだろう。特徴的な見た目をしているため、雑学や生命学に詳しい奴なら見ただけでもわかるかもしれないが、まあ生き残りがいたのか、とか、先祖返りか、くらいの感想ではないかと思う。それが一般的な知識だ。

「だが、ウィドドンミョーザの特定の層、軍部やある程度以上の格の貴族であれば話が違ってくる。なぜなら、ウィドドンミョーザは涜闕族と一八年前にも戦争をしているからだ。正確には戦争と言うよりは防衛戦、小規模な暗殺軍がウィドドンミョーザの中枢へ攻め込んだ、という方が実態に沿っているが、とにかく、最近も少なくない血が流れている。ウィドドンミョーザと涜闕族の関係は二〇〇年以上も昔の話、と括れるようなものではないわけだ。

「ではなぜこれが世間に知られていないのか。理由は二つだ。まず、武力を誇る軍事的国家であるウィドドンミョーザがこの戦争を公表するには、あまりに被害が大きすぎたからだ。攻め込んできた涜闕族は十数名なのに対し、ウィドドンミョーザの兵は三〇〇人規模で死んでいる。それに、王族にも数人死傷者が出た。こんなの公表できるわけがないというのが一つ目の理由。二つ目の理由は、攻め込んできた涜闕族が全員子供だったからだ。一二、一三の見た目の子供を、首謀者の一人を残して殲滅した。昔であれば亜人の殲滅、の一言で済んだことだし、その戦力と被害を考えればやむないことではあるが、相手が子供だという点、これが過去の悪行に対する復讐だという点で、公表した場合は国際的に色々と面倒なことになりかねなかった。過去の悪事をほじくり返されたくないウィドドンミョーザは、だからこれを丸ごとなかったことにした。その方が圧倒的に処理が楽だからだ。

「このとき、涜闕族の撃退で大きく手柄を立てたのが、当時はウィドドンミョーザの軍部に所属していたキケだ。確か、八人だったかな。涜闕族を仕留めていたはずだ。そして、首謀者を捉えたのもキケ。キケが食い止めなければ王族の殲滅も成し遂げていたのではないかと考えると、涜闕族に恨まれるには十分なんじゃないか?」

 メアは肺から息を振り絞った。その声は震えていた。

「じゃあ、ウルスは」

「おそらく捉えられた首謀者の娘だろう。いや、息子か? どちらでもいいか。ただ少なくとも【継承】はしているだろうな。ちなみに首謀者は捉えられた後色々と実験されていたらしいから、エシューはその関係だろう。研究の内容は知らないが、殺されるくらい恨まれてるんだから、非道なことをしていたのだろうな。二年前のケウパの大火で実験体が色々と逃げ出したと聞いていたから、ウルスもそのとき逃げたんだろう」

 再び黙り込んだメアをよそに、眠たそうにキュッフェは呟く。

「まったく、難儀な連中だ。自分が満足するために恨みまで子供に預けようとは。忘れればよいというのに。折角人には忘却という能力がついているというのに。二〇〇年も昔のことを、延々と、延々と。まったくもって、理解しがたい」

 日が沈み始めている。少しずつ茜色に染まっていく光が、窓から二人の姿を照らす。

 黙り込んでしまったメアに対し、キュッフェは気休めだとわかり切っている台詞を吐く。

「ああ、もちろん今のはただの推測だ。状況から推理しただけだ。早まるなよ、下僕」

 それを聞き流すメアの脳内で、神の予言がよみがえる。

 お前は、これから大切な絆を得て、それを失う。

 メアは膝に肘をつき、自分の足元をじっと見つめながら、無言になったキュッフェに問いかける。

「キュッフェ様は、自分の大事な人が殺されたら、どうする?」

 キュッフェは即答した。

「寝て、忘れる。それが高貴なる者の務めだからな」

 メアは小さな声で礼を言い、キュッフェの部屋を出た。キュッフェはそれに反応せず、少しして一人になった部屋で寝息を立て始めた。

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