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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
六章 吹き抜ける風
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093 育舎・隠し事・吐露

 蒼斗星、四時限目の授業、生命情報・動物の授業を終え、様々な生徒から話しかけられているウルスをぼーっと眺めていると、メアは背後から肩を叩かれた。

 振り返ると、エオミが立っていた。

「ルールス君、今日これから時間ある?」

「うっ、はい。あります。人民学も国学も取ってないです」

「じゃあ、上木の八刻あたりに育舎来てもらえる?」

「用件は……」

「睡牛の毛梳き!」

「やっぱり」

 メアはがっくりと肩を落とす。声がかからずに半月経っていたため、エオミも忘れたのではないかと虫のいいことを考えていたのだが、そんな願いは当然敵わず。ついに借りを返すときがきたということだった。

 メアは救いを探したが、レオゥはこの授業を受けておらず、ウルスを誘うわけにもいかず、力なく頷くことしかできなかった。メアの気持ちを知ってか知らずか、エオミは笑顔でぶんぶんと手を振った。

「ありがとー! ほんじゃ、またあとで!」

「了解ー」

 正直なところ、メアはかなり憂鬱だった。眠気と痛みと戦いつつひたすらに単純労働を行うという仕事は、拷問のごとき苦痛を感じさせてくるからだ。エオミがあれだけ楽しそうなのが信じられないほどに、毛梳きは辛い仕事だった。

 だが、エオミを打ち据えるのは男としての矜持が許さず、逃げ道はない。

(いや、もう一人いるんだから、その人が梳く役をやってくれるかもしれない。希望を捨てるのはまだ早い。誰だろ、最後の一人)

 メアが筆記具を纏めながら立ちあがると、赤毛をふわりとなびかせながら、ウルスがメアの横に座った。

「いやはや、人気者は辛いね」

「そういう割には楽しそうだけど」

「私も最近知ったんだけどね、ちやほやされるのって案外楽しいんだよ。容姿を褒められたところで、なんて捻くれてた過去の自分には張り手を食らわしたいくらいにはね」

「ん? じゃあ辛いことなんてないんじゃないの?」

 メアが首を傾げると、ウルスはメアの顔をじっと見上げてきた。

「何言ってるんだい。この状態を維持するにはそれなりに愛想を振りまく必要がある。そうするとこうして仲の良い友人とどうでもいいおしゃべりをする時間が減ってしまう。それは辛い。これはそうした贅沢な種類の、中々悩ましい問題なんだよ。君はそう思わないかい、メア」

「ふーん、さてね」

 メアは素っ気なくそっぽを向いた。仲の良い友人、と言われたことが嬉しくて、頬が緩んでしまいそうだったからだ。

 ウルスはそんなメアの態度に気を悪くした様子もなく、勢いよく立ち上がる。

「さて、と。授業も終わったことだし、この部屋は空けることにしよう。どうする? メア。今日はもう授業終わりだろう? 前少し話に出たが、図書塔を案内してくれない?」

「あー、ごめん。今日はちょっと用事があって。来週でもいい?」

「ん。それは、仕方ない。だったらまた来週にしよっか。ちなみに、用事というのは?」

「借りを返すためにちょいと拷問を受けに行く」

「拷問!?」

「そう。そのために精神統一するから、今日はいったん寮に戻るよ。お疲れ」

 メアは苦笑いをした。ウルスはメアの方をまじまじと見るが、メアの言葉が本気か冗談か区別がつかないようで、メアが教室を去るまで絶句したままだった。

 メアが寮の自室に戻ると、レオゥが寝台で昼寝をしていた。

「良いご身分だよ本当に」

 勿論、寝ているため返事はない。

「やめてくれ……おふくろ、それは……爆発する……」

 ただ、何か悪い夢を見ているのか、寝たまま何かを呟いている。断片的に聞こえる単語を追うと、かなりまとまりのない物語ができあがりそうだ。

「……つよ、はんたい……横暴だ……でも美味しい……黄金の……魂魄」

「魂魄って食べれるの?」

 適当に相槌を打ちながら自身も寝台に寝転がるメア。一段になったから天井までが遠く、圧迫感は感じない。メアは少しだけ英気を養おうと目を閉じた。

 メアは他人に自慢できるような特技は持っていないと思っている。だが、他人に自慢するようなものではない特技であれば持っていると自認している。そのうちの一つが、明度や騒音に負けずどこでも寝れるということ。もう一つは、睡眠の時間をある程度制御できること。メアは半刻ほど寝ると決め、そのまま意識を睡眠へと傾けた。

 次にメアが目を覚ますと、部屋の明るさは寝る前と大して変わってはいなかった。寝すぎたということはないだろう、とぼんやりとした頭で考え、上半身を起こす。すると、直後に鐘が一回鳴った。メアの推測が正しければ、上木の六刻を示す鐘だ。

「完璧。なんて無駄な特技なんだ」

 メアはぼやきながら跳ねる髪を抑えつつ、寮を出て育舎へと向かった。

 育舎の正面扉の鍵は締まっている。仄灯鴨たちが逃げないように、事情を知らない生徒が逃がさないようにだ。だから、メアはいつも通り正面扉の戸を叩く。

「エオミー、来たよー」

 声が弱弱しく、覇気が感じられないのは、寝起きだからと言うだけではない。これから行う作業が憂鬱だからだ。

 だが、声のやる気のせいかは分からないが、いつもなら元気な返事とともに扉を開けてくれるエオミが姿を現さない。メアは少し早く来過ぎたのかと首を傾げるが、一目で現在時刻がわかるような時計は近くにはなかった。

 メアは少しの間佇むが、面倒になった。

「回解転々――【解錠】」

 かたん、と音を立てて鍵が外れる音がした。メアが静かに扉を開けて中に入ると、扉が開くと思っていなかったらしい仄灯鴨たちが驚いて振り返ってきた。

「残念。出してはやらないよ」

「けち」

 相手がメアだとわかるや否や、仄灯鴨は悪態をついて去っていった。これが事情を知らない生徒であれば素知らぬ顔で横をすり抜けようとしたのであろうことは想像に難くない。メアは残念だったな、と不敵に笑うと、そのまま後ろ手に鍵を閉める。

 かたかたと穴鼠が檻の中を走り回る音を聞きつつ、回鮒が時折飛ばしてくる水柱を避けつつ、メアは部屋の中を見て回る。反応がなかったこと、鍵が締まっていたことから半ば予想はついていたが、まだエオミは来ていないらしかった。

 適当に座って待つか、とメアが思った瞬間、部屋の奥から物音がした。音のした方へと歩いていくと、音は育舎の中ではなく、裏口の外から響いてきているらしいことが分かった。

 メアはとくに警戒せずにそちらへと向かい、裏口の扉を開けて顔を出す。

「エオミー?」

「え?」

 しかし、そこにいたのは全裸のウルスだった。

 メアは扉に手をかけ顔を出したままの姿勢で固まる。

 ウルスは水浴びをしていたのだろうということはすぐに分かった。横にはよく育舎の生命を洗っている井戸があり、その手には桶を持ち、全身から水が滴っているからだ。だが、それ以上にわからないことはいくつもあった。その無数の疑問がメアの脳内を渦巻いて、瞬きすら忘れて凝視してしまった。

 数瞬の後、一足早く我に返ったウルスはすぐに体を腕で隠し、メアに背を向けて蹲った。それを見てメアも慌てて顔を背ける。

 メアが動揺を抑えるために呼吸を整えようとしていると、足元を仄灯鴨がすり抜けて行こうとした。慌ててメアはそれを手で留め、裏口の扉を閉める。だが、メアはまだ動転していたため、自分は外に出てしまった。結果として、メアは全裸のウルスのすぐそばに立ってしまった。

 失敗に気づき、慌てて体を硬直させ、自分は無害な彫像だと示そうとするメア。だが、そんなことは無意味だと気付き、さらに慌て、しかし動くわけにもいかず、メアはウルスに背を向けたまま立つ。

 無言で背を向けあい、一息ほど経過したころ、ウルスが口を開いた。

「……見た?」

 メアは悩んだが、正直に答えることにした。それを隠して見ない振りをするのはあまりにも卑怯だと思ったからだ。

「見た。ごめん」

「下も?」

「うん。見えた」

 メアはウルスの年の割に豊満な胸が露になっているところをはっきりと見てしまったし、そして、その股間もはっきり見てしまった。男女問わず、公共の場では必ず隠しているまたぐら。その陰部を。

「その、あれがついてるのも、見えた」

 ウルスの方がぴくりと震えた。その気配を察し、メアは自分が決定的な一言を告げたことを悟った。

 そう、メアは見たのだ。ウルスの股間に男の象徴がぶら下がっているのを。一物。玉と竿。そう呼ばれる物体がくっ付いているのを。

「……そっかぁ」

 背後から衣擦れの音が聞こえる。ウルスが服を着ているのだろうということはすぐに分かった。メアは自分が今見たものが信じられないまま、身を固くしてただ待つ。

 少しして、ウルスがメアに声を掛けた。

「良いよ、振り返って。服着たから」

「あっ、はい。あの、じゃあ今から振り返るんで、まずそうなら言ってください。すぐに目を閉じるので」

「大丈夫だって。ちゃんと上から下まで着たから」

 罪悪感で敬語になってしまったメアはゆっくりと振り返る。すると、そこにはどこか悲しそうな顔をしたウルスが立っていた。

「メアが嫌じゃなければ、ちょっと座って話さない?」

「はい……って嫌じゃなければって? なんで?」

「なんでって、気持ち悪いでしょ。こんな奴」

 メアは沸き上がった反発を抑え、が能な限り冷静に答える。

「そんなことっ! ない、よ。気持ち悪くない」

「でも気まずそうだよ」

「そりゃだって、その、胸、見ちゃったし。わざとじゃないけど、誓ってわざとじゃないけど、俺がやったのって覗き魔じゃん。気まずいよ。普通でしょ」

「ふーん、じゃあ隣に座れる?」

 ウルスは濡れてない草地に座り、自身の横の地面をぽんぽんと叩く。メアはその態度に少し腹が立ったため、体が触れ合わないぎりぎりの距離に座った。

「近くない?」

「隣に座れって言ったのウルスじゃん」

「想定よりだいぶ近くて。全裸を覗いた女の子に密着しようとする男……」

「すみませんでした!」

 メアが慌てて距離を取ろうとすると、ウルスはその腕を掴んでくるりと自分の方へ倒した。予想していなかったメアは綺麗に重心を崩され、ウルスを地面に押し倒すような姿勢になってしまう。

 ウルスは体を離そうとするメアの腕を掴み、自身の胸へとその手を押当てさせる。

「これは本物。本物のおっぱい」

「えっわっわっ」

「で、股間についてるのも本物」

「そっちは触っても嬉しくないです」

「正直者め。メアが気にしてるのは、どっちなのかって話だよね。男なのか、女なのか。どっちだと思う?」

 メアは思考の纏まらない頭で反射的に答える。

「どちらかというと、男? 生殖器が男のだし」

「残念はずれ。実は見えなかっただろうけど膣も子宮もあるんだ。だからたぶん、両方だと思う。どっちもだよ。男であり、女。いわゆる、両性具有」

「へー、どっちも? そうなんだ。そんなことあるんだ。まあ構造的に無理はない、のかな?」

 体質か、病気か。先天的なものなのか、後天的なものなのか。メアの中で罪悪感より好奇心の方が大きくなり、メアはウルスの胸を揉んでいることも忘れて様々な疑問を整理する。

 ウルスはその態度が気に食わなかったのか、少しむっとした顔でメアの手首を握りしめる。

「本当に気持ち悪くないなら、口づけして」

「え?」

「接吻。できる? こんな男か女か定かじゃない化け物に。本当に気持ち悪くないなら、して」

「せっぷん?」

 ウルスは目を閉じ、少しだけ顎を上げて唇を突き出した。

 メアの脳内はまたしても疑問で埋め尽くされ、メアの思考は一瞬停止した。

 できるかできないかで言えば余裕でできると判断する。だが、していいのかと言われると葛藤があった。メアはウルスのことを友達だと思っている。そして、友達相手にそんな破廉恥なことをするのは良くないと思っている。また、それを抜きにしても結婚前に男女が接吻をするなど、言語道断淫らの極み。たとえ相手が男性としての機能を持っていたとしても、メアにはウルスが女の子にしか見えないのだ。

 メアも若い男。そういったことには十分に興味があるし、してみたいという欲求もある。そして、相手から誘われているという言い訳もある。そのための葛藤。勢いでしてしまっていいのか。したい。可愛い。その柔らかそうな唇に唇を押当てたい。こんな投げやりな流れでしていいのか。男らしいところを見せるべきでは。無数の言葉が脳内で殴り合い、メアの体を動かそうとする。

 最終的にはメアはゆっくりと顔を近づけた。それが正解かはわからないが、ウルスの自虐的な言葉を否定するには、接吻をするしかないと思ったからだ。

 しかし、メアとウルスの唇が触れ合う直前、ウルスの目がぱちりと開き、二人の顔の間にウルスの掌が差し込まれた。

「残念、時間切れです」

「む、もうめむま」

「そうです。好機は迅速に動かなければつかめないのです。あーあ、メアはこの超絶美少女と接吻できる機会を逃しました。全部メアのせいです」

「もれはいいんでむめもっ!?」

 メアはウルスに頭を抱え込まれ、その豊満な胸に顔をうずめた。慌てて逃げようとするが、かなりがっちりと固められているせいで簡単には抜け出せない。

「まあいいや。それよりメアにお願いがあるんだけど」

「むっむむむ~、む!」

「できれば、この体のこと秘密にしてほしいなーって。病気のせいで育舎に住んでることになってるんだよね。その方が色々と安全だろうといことで。でね、この体のことを知ってるのはほんの一部の人だけなんだ。だから、お願い。ね、メア」

「わかった! わかったから! だからはな、せ!」

「もう、ただのお礼の前払いなのに、そんなに恥ずかしがらなくても。役得、って思っておけばいいんだよ?」

 メアは顔を真っ赤にして体を離した。だが、それが嫌悪空によるものではないのはウルスにも一目でわかった。なので、ウルスはいつものように完璧な笑みを浮かべた。

 いつものウルスの調子が戻ってきたことにメアは安堵しつつ、しかし、やられっぱなしは多少の悔しさがあるため、メアは。

「言っとくけど、他のやつにこんなことすると誤解されるからやるなよ」

「誤解って? メアは何を誤解したの?」

「いいから! あのな、ウルスは普通に見た目が可愛くて――」

 直後、裏口の扉が開いてエオミが顔を出した。そして、ウルスを押し倒す格好のメアを見て、顔を赤くして無言で育舎の中に戻っていく。

「待ってエオミ! それ絶対誤解してる! エオミ!?」

「ご、ごゆっくりー。うちは耳栓してるから……」

「待って! ウルスも笑ってないで何とか言って!」

「エオミ。状況を説明すると、今さっき水浴びしてたらメアに裸を見られてね」

「事実だけどそうじゃないよね!?」

 叫ぶメアの後ろでウルスは腹を抱えて笑っている。一緒に弁解してほしいと思うメアだったが、振り向いたウルスが悪戯をする子供のように口を開こうとしているのを見て、慌てて止めた。絶対にまた余計なことを言うという直感がざわめいたのだ。

 メアがウルスの口を塞ぎ、それを見てエオミがまたきゃっと目を覆い、弁解のために口を開き、とメアはまだ混乱した頭で必死に状況を改善しようとする。だが、メアがエオミの誤解を得までには四半刻近くかかり、その間メアは汗を流して奮闘し続けるのだった。

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