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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
五章 星を求めて
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071 教室・対話学・聖痕

 聖痕。またの名を先天性最適動作症。ある種の病とも呪いとも取れるある症状のことを指す単語だ。

 極一部の人間に生まれつき備わり、発現した人間は特定の動作に限りほぼ最適に近い効率でそれを行ってしまう症状。それは意識的に制御できるものではなく、必ず状況に最適な動きとなる。当然、闘技という形でも現れる。不幸なのは、その動作をする上で最適な形であるというだけであり、その結果がその人間にとって最適があるかは無関係であるということ。【跳ぶ】という動作の聖痕を持った人間は驚いて飛び上がった瞬間天井に頭を打ち付けて怪我をするし、【咬む】という動作の聖痕を持った人間は鉄の食器ごとかみ砕いて消化不良を起こす。

 古来、人間が完璧であった頃の名残。ゆえに聖痕、などと名付けられてはいるが、世間的には不幸になる人間の方が多い。大抵の場合、なにかしらに被害を与えて排斥されるからだ。

 メアとレオゥは、ザイカが【払う】という動作の聖痕持ちではないかと推測を立てた。

「それゆえ、人は天に試練を与えられたのです。運命という言葉にその魂が堕する前に。――ウィドドンミョーザ八代皇帝、コツォキ゠キュオタウ゠パゼド」

 シャープが教板に書かれた詩句を第一共通語で朗々と読み上げると、ナハは満足そうに頷いた。

「いやー、素晴らしいですです。これでウィドドンミョーザで憲兵に捕縛されても大丈夫(うきうき)ですね! どんな嫌疑をかけられようとこの見事な詩を聞けば看守の涙ちょちょぎれて官吏は喝采の声を上げ(をうをう)裁判官は自らの過ちに気づくことでしょう!」

「あほらし」

 誰かがぼそっと呟いた声が教室中に響いたが、ナハ一切気にせず目元の涙を拭っている。

 鼻をかむナハにヒークが恐る恐る手を上げる。

「あのー、これ本当に対話学の授業ですか? ここ一月ほどひたすら詩歌の解説と朗読しかやってないんですけど」

「今更ですね?」

「何か理由とか説明されるのかなって思ってたのに全然されないので」

 授業の内容に文句があるわけではないし、今の内容から変えてほしいわけではないが、疑問ではある。そのため、こうした控えめな聞き方になっているのだが、ナハはそんなことはどうでもよいのか、質問された喜びを隠そうともせずに上機嫌に答える。

「幸か不幸か皆さん第一共通語がほぼ完璧な状態で入学してくるので、対話学の時間、結構余るんですです。発音、筆記、文法、完璧です(よしよし)。真面目な良い子たちですねー。なので、よりもっと実践的で有用なこと(ぐいっ)も教える時間があっちゃうわけですねこれが!」

「実践的ですか? どこが?」

「ある国に行き、その国に馴染みたい場合、何が必要だと思いますか? 言語? これは神為が伝えてくれるので必須ではありません。習慣? そんなものは住んでりゃ馴染みます。仕事? はっはっはそんなの優秀な君たちであれば引く手数多! であれば重要なのは? うーん、フレン君!」

 フレン゠ビゼは急に当てられたというのに一切動じることなく、即答する。

「教養」

「そのとおーり! 正解ですです」

 少しだけ教室内がざわついた。それは、その即答が正解であることに驚く生徒とその即答を行えたことに驚く生徒によるもの。とくに、後者は普段から真面目に授業を受けている生徒から多く発せられ、それは自分には答えられなかったかもしれない、という悔しさから発せられたものだった。

 ざわめきを無視してナハは続ける。

「で、教養とは何か? 私はこう定義します。その国の人であれば当然に知っており、骨の髄まで染みついているもの。誰もが一度は聞いたことのある寝物語、子供のときに皆が嫌っていた菓子、国から繰り返し発令される真偽不明の宣伝、体感した流行りと廃りの歴史。それらを知り、理解していることこそが教養ですです。それらを持たない者は、どれだけその国の歴史・風土・神話・情勢を学んでいたとしても必ずどこかでぼろを出します。隠しようのない異物感を出してしまいます。そして、それを感じた人の大体の反応は、違和と忌避。どうです? そんなものを周囲に感じさせている人が、馴染めていると言えますかね?」

 反応する生徒はいないが、ナハは唾を飛ばしながら言葉を続ける。

「でも、教養なんてものを手に入れるのは難しい。それこそ、その地に長年住み続け、その骨肉にその地を染み込ませなければできるものではありません。では、どうするか? どうすればその地に受け入れてもらえるか? 簡単ですです。相手に歩み寄りの姿勢を見せるのです。私はあなたたちのことをこんなにも理解しようと頑張っている。あなたたちのことを好ましく思っており、あなたたちのことを学んでいる。そう伝えることが大切です。では何を学びますか? そうです詩ですね! ただそこで暮らすだけならば学ぶ必要のない、なんの役にも立たない知識。ともすれば馬鹿にされかねない無駄なもの。そんなものまで学んでいる、という姿勢を示すのですです。その姿勢こそが肝要です」

 ナハは水筒から一口水を飲み、ふうと息を吐く。

「あっもちろん貧民街でやっても意味ありませんよ? 今のはあくまで相手に話が通じる前提です。そういうとこで追いはぎ相手に詩を詠ってもぐさーってやられます。それだけは忘れないように。自分の身は自分で守りましょう! はい、授業終わり!」

 宣言と同時に鐘が鳴り響いた。納得していない生徒もいるようだったが、ナハは気にせず軽い足取りで教室を出ていく。いつも通りの嵐のような授業だった。

 メアは紙束を纏めると、横に座っているレオゥと目を見合わせる。そして、目立たないように素早く移動してザイカを囲んだ。

 ザイカも途中で気づいて逃げようとしたが、紙束や筆記具を纏めるのに時間がかかったため間に合わず、怯えた表情で二人を見上げている。

「ザイカ」

「ひっ、なっ、なんだよっ、言っとくけど、昨日のは君たちが悪いんだからなっ! い、いくら僕だって怒ることはあるし、吹き飛ばしたのだってわざとじゃないし!」

「それはいい。寧ろ怒るだけの反骨精神が残っているのは良いことだと思う」

「それよりさ、ザイカのあれ、聖痕だよね?」

 ザイカはその単語を聞いた瞬間より一層怯えた表情になり、周囲に素早く目を走らせた。幸いなことに、エナシたちは一限目の授業をさぼっており、いない。そのことを確認すると、小声で早口に二人に告げる。

「そ、そのことは秘密に、秘密にして! おねがい! なんでも言うこと聞くから!」

 メアとレオゥは目を見合わせ、どうするかを視線で相談した。すぐに意見は一致し、レオゥが口を開く。

「じゃあ、昼休憩に教室に残っといてくれ。話がある」

 ザイカはこくこくと頷いた。その要求を聞くのにエナシたちを振り切る必要もあることすら忘れているようだった。

 そして、午前中の授業を終わらせると、メアたち三人はいつもメアが素振りをしている空き地の隅に向かった。

 人気名のない場所。どんな凄惨な虐めを受けるのか。そんな絶望した表情で固まっているザイカに呆れたようにメアが話しかける。

「別に変なことはしないよ。色々話聞きたいだけ」

「な、何を……?」

「まずは、聖痕なのかどうなのかってとこ」

 ザイカは怯えた様子を崩さず、震える声で答えた。

「聖痕、だよ。払いの聖痕。僕の右手は、適当に振るうだけでどんなものでも吹きとばせる」

「凄いね」

「かなり当たりの部類だな」

 前向きな反応を示す二人を睨むザイカだが、すぐにその目からは力をなくし、項垂れる。

「どこがだよ。こんなの要らないよ。何の役にも立たない」

「そう? エナシにばっしーんてやればいいじゃん」

「そんなのっ、できないよっ!」

「なんで? やり返されるのが怖いから?」

 ザイカは頷いた。しかし、直後にそれを否定するように首を激しく横に振るう。

「そもそも当たらないよ! 知らないの? エナシってすごく暴力が得意なんだよ。一回だけ抵抗しようとしたことあるけど、腕を捻り上げられて、地面に押し付けられて、苦しくて、痛くて」

 メアとレオゥは想像し、納得した。確かに、あんな大振りで見え見えの攻撃はメアは食らわないし、レオゥでさえ当たらないだろう。エナシであれば簡単に対応できるのも想像つくし、一撃食らってやるような甘い性格ではないのも知っている。徹底機的に心を折るため、出始めを潰したのだろう。その光景がメアの脳内にありありと浮かんだ。

 しかし、それで諦めては意味がない。メアはできるだけ優しい声色になるよう注意しつつ、ザイカの肩に手を置く。

「なら、特訓しようよ。エナシだって一発吹っ飛ばしてやればザイカを見る目が変わるかもよ?」

「そうそう。幸いなことにメアも最近はエナシと打ち合えている。武器格闘の授業でもほぼ互角だろ。教えてもらえばいけるんじゃないか?」

「いや、まだ四対六、くらいかな。けどもうちょっと頑張れば五分って言える気がする」

「ともあれ、ちゃんと訓練したら一発張るくらいできるだろ。何せ聖痕があるんだ。あてるだけでいい。どうだ?」

 ザイカは少しだけ顔を明るくして二人を見上げた。

「ほ、本当に? どんなことやるの? 絶対エナシにも当てられる必殺技を教えてくれる?」

「必殺技?」

「えーっとね、まずは体力作りからかな。で、懐に潜り込むための足腰を鍛えて、手は素手だから盾の扱いを学んで」

 メアが指を折るごとに、ザイカの顔に絶望が広がっていく。それを見てレオゥはザイカへの評価を更に一段階下げる。

「必殺技は?」

「そんなのないよ」

「でも……体力つけるのとか疲れるし、あんまりやりたくないよ。足腰って何やるの? 走らないよね? あと、盾も重いからあんまり持ちたくない……」

「そんな、疲れるのはそうだけど、慣れてくると気持ち良くなってくるよ! それに辛くてもやらなきゃ。変わらないよ」

「レ、レオゥ……そうだっ! 魔術はどうかな? 魔術なら疲れないと思うんだ。現代魔術の授業についていくのは大変だけど、僕にはひょっとしたら魔術の才能があるかもしれないだろ?」

「どうかな。魔術も疲れると思うし、聖痕が活かせないから大変だと思うけど」

「古典魔術でもいい! メア、古典魔術って覚えるの簡単なんだろ? 教えてよ! エナシをこてんぱんにできるやつ! 呪文をむにゃむにゃ唱えるだけでしょ? そうだ! それがいい! そっちの方が簡単そう!」

 ザイカは名案を思い浮かんだかのように手を何度も叩き、目を輝かせてメアとレオゥを見上げた。

 メアは苦笑いで、レオゥは無表情のまま、無言でザイカを見下ろしていた。

 レオゥが平坦な声で呟く。

「メア」

「なに?」

「俺もザイカを蹴りたくなってきた」

「落ち着こう。ちょっとだけ気持ちはわかるけど」

「ひっ、ひぃっ」

 四つん這いで逃げようとするザイカの襟首をレオゥが掴み、引き寄せて立たせる。

「わああああああ!」

 泣きながら繰り出した大振りの一撃を、手首を掴んで止めるレオゥ。払いの聖痕の効果は発動せず、その貧弱な腕の抵抗は簡単に抑え込まれる。

 ザイカはもう恥も外聞もなく、幼子のように泣き喚いた。

「なんだよなんだよ! 好き勝手言いやがって! 僕はお前たちみたいに乱暴なことが得意になりたくてここに来たわけじゃないんだ! 商人になりに来たんだ! そんな無駄なことしたいわけないだろ! 一生勝手に剣を振ってろ野蛮人ども!」

「商人になるだけなら商家で修行するだろ。なのにここに叩きこまれたってことは、その軟弱な精神を叩き直してこいってことじゃないのか? 北の出のくせに姓がないってことは、剥奪されたんじゃないのか? きちんとした人間にならないと卒業しても家を継げないんじゃないのか?」

「知ったような顔で親父みたいなこと言いやがって! ばーかばーか! 知るかばーか! うわああああん!」

「レオゥ、言い過ぎ! ほら、ザイカも泣き止んで!」

「メアは甘い。こういうのは叩いて治す」

「うわあああああ! レオゥが虐めるぅぅ! ひどいぃぃぃ! 僕だってがんばってるのにぃぃぃ!」

 人目もはばからずに泣きわめき始めるザイカ。周囲に人がいないことがせめてもの幸いだったが、この声量で叫んでいては聞きつける人も出てくるのは確実。メアはひたすらにザイカを宥め、慰める。おだて、肯定し、同情する素振りをし。そうこうしていると、あっという間に昼の休憩時間が終了した。

 メアはぐすぐすと鼻を鳴らすザイカの横に座り、レオゥは少し離れた位置で木に寄りかかり、ぼんやりと鐘を聞く。さすがにこの状態のザイカを放置していくのは気が咎めたため、メアとレオゥはこの学校に来て初めて授業をさぼることにした。

「授業、さぼっちゃったねー」

「まあ次は創作実学だからいいだろ。もう星は二つ取れてるし、残りの一つも最終試験のみで決めるって宣言してる。内容はあとでジョンに教えてもらおう」

「おー、打算的」

「計画的と言ってくれ。メアももうちょっと後先考えた方が良いぞ」

 耳の痛い忠告を聞きながらメアがザイカの方を横目で見ると、ちょうど顔を上げたザイカの真っ赤な目と目が合う。しかし、ザイカはすぐに顔を伏せて腕で隠した。

 なんと声をかけるべきかとメアが空を眺めながら思案していると、ザイカは小声でぼそぼそと喋り始めた。

「僕だって、好きであいつらと一緒にいるんじゃ、ないもん」

 メアは何かを言おうとしたレオゥを手で制し、できるだけ穏やかな声を出す。

「やっぱり、エナシ嫌い?」

「嫌いだよ。あんなやつ。人の嫌がることばっかりして。僕を家畜みたいに扱って。テツもギョウラも糞だよ。あんな奴ら、肥溜めに落ちて溺れればいいのに」

「俺もそう思う」

「だよね! あいつらさ、何もしてないのに暴力振るってくるんだよ。お昼ごはん強奪してくるし、筆記用具盗むし、課題は僕にやらせるし。しまいには、かまってやってるんだからありがたく思え、だってさ! 頭おかしいんじゃないのか。って言いたい。言えないけど」

「面と向かっては言いにくいよね。殴られるし」

「そうなんだよ。本当に野蛮人。僕の住む町なら、暴力を振るった奴はすぐに衛兵に捕まってた。エナシなんてあっという間に前科者さ。それで終わり。二度と関わらないで済む。なのに、ここでは、あの程度。何の罰則もないんだってさ。何が調停委員だ。窃盗も恐喝も見逃してるくせに」

 それはザイカがエナシたちを庇うからでは。喉まで出かかった言葉をメアは飲み込み、続行。

「じゃあ、次からはアウェアに言ってみれば? アウェアなら校則に違反してなくても、嫌がってたら止めてくれると思うよ」

「そんなことしても、もっと酷くなるだけさ。隠れてやるようになるだけ。アウェアがずっと僕を護衛してくれるならいいんだけど。または、エナシを退学にしたりとか。でも、そうじゃないなら無駄な抵抗だ。余計なお世話だよ」

「難しいねえ」

「それに、もしもエナシがいなくなったとしても。それは、それで。僕、他に、友達いないし」

「あー……」

 メアは頭を抱えそうになった。メアは他人の悩みの相談を聞いた経験がほとんどなかった。そもそも身近な同年代がいなかったからだ。そのため、そういった少年特有の悩みを聞かされても、うまく答えることができない。メアが体験したことのない悩みだというのも、経験不足に拍車をかける。

 だが、そこでついにレオゥにも限界が来たのか、レオゥはいつも通りの平坦な声音で口を出す。

「好きで一緒にいるんじゃないんじゃなかったのか?」

「そうだけど、別に好きじゃなくてもさ。仲間外れにされるよりはましな気もしないこともないんだ。たまにそう思う。はあ」

「なら別にいいが、将来困るんじゃないか? 商人にも横暴な奴や横柄な奴はいるだろうし、裏で犯罪まがいのことしている奴なんてごまんといるだろう。そんな奴らの無茶な要求も聞き続けるつもりか?」

 またザイカは泣きそうな顔になった。メアはレオゥを目で黙らせ、ザイカの肩に手を置く。

「ザイカ、やっぱりエナシに一発かまそう。不意打ちでもなんでもいいから」

「当たらないよ。鍛えたくもない。時間の無駄」

「やってみないとわからないよ。ザイカの払いの聖痕が発動するのに必要な距離はどのくらい? どのくらい腕を動かせば相手を吹っ飛ばせる?」

 ザイカは小さく右手を振り、何度か動きを確かめると、もごもごと呟く。

「……わかんないけど、手首を動かしただけでも発動したことある」

「最高! それならきっといけるって。発動の条件をしっかり調べてさ、確実に当てられる状況を想定して、背後から堂々と不意打ちしよう。拳一つ分の距離で発動するようならエナシにだって避けられないよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。その聖痕だってザイカの才能なんだから活かさなきゃ。羨ましいよな、レオゥ」

「身を守るのには向いてると思う」

「そ、そうかな……そうかも」

 なんとなくザイカが乗り気になってきたのを見て、メアは何度も頷き、レオゥは呆れたように顔をそむけた。

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