069 空き地・稽古・相談
森刃星、休日の午前にメアがクァトラと鍛錬していると、唐突にクァトラが言った。
「ところで、メア。私に何か隠し事してない?」
メアは中腰で腕を上にあげた姿勢のまま、動揺を隠して答える。
「してないです」
「本当に?」
「そ、そんな大したことじゃないですよ」
「やっぱり話してないことがあるんだ」
咎めるようなクァトラの流し目を受け、メアは返答に窮した。
メアの予想が正しく、クァトラが言っているのがエナシとの勝負のことであれば、確かにメアは話していない。なにせ、メアとクァトラは師弟関係でもなんでもなく、何もかも包み隠さず話さなければいけないとは思っていないからだ。だが、それを咎められて罪悪感を感じていないかと言われると、多少は感じている。こうしてひたすらに足腰の鍛錬を行っている最中、どうでもいい雑談の種に飢えている中で、あえて話題に出さなかったのだから
話すか話さないかメアは迷った。クァトラに無駄に心配させたくはなかったが、ある日突然剣を教えていた後輩が奴隷になりました、なんて事態になったらクァトラも驚くだろう。そしてそうなったとき、信頼関係に日々がはいるのも容易に想像できる。
クァトラの若草色の眼に見つめられ、メアは白状することにした。
「実は、同じ組の奴と勝負してまして、どっちが多く星を取れるかって勝負なんですけど、負けたら一級非人指定されちゃうみたいなんですよね」
クァトラは絶句した。メアはクァトラがここまで驚いているのを見たのは初めてだった。
一息ほどの間の後、我に返ったクァトラはやや早口で問いかけた。
「奴隷ってこと? えっなんで? お金? 身売り?」
「そういう勝負なんです。それで最近魔術の訓練とか復習とかに力入れてます」
「そっかー。た、大変だね。勝てそう?」
「頑張って勝つつもりではいます」
無言。メアが横目でクァトラの方を見ると、クァトラは今まで見たことのないような表情で苦悶していた。口元を硬く結んで眉を寄せて目を強く閉じている。
言葉を選び、絞り出すように呟くクァトラ。
「ど、奴隷になったしても良いこともあるかもしれないから……」
「俺が負ける前提ですか」
「差別とかしないし、変わらず剣も教えてあげるし……」
「勝ちます! 勝ちますから!」
どこかずれたクァトラの慰めに、メアは慌てて宣言した。どうやらメアの予想以上にクァトラに心配をかけたようだった。
そうしてその日の足腰の鍛錬を終えると、水浴びに向かおうとしているメアをクァトラは呼び止めた。
「メア」
「なんですか。言っときますけど絶対勝ちますからね」
「武器格闘の星は取れてる?」
「う、まだ、取れてません」
「じゃあ、ほんの少しだけ剣の稽古つけてあげる」
そう言ってクァトラは剣を抜いた。白い鞘から美しい波紋の浮かぶ片刃の曲剣がその刀身を見せた。
メアはそれに心臓を撫でられたような気分になりながらも、喜んで自身の長把剣の柄を握る。クァトラが稽古で剣を抜くのは始めてだったからだ。いや、剣を抜くこと自体が剣士會ともめた時以来。希少も希少な機会に、メアは心躍らせた。
クァトラは両手で持った剣を正眼に構え、静かに言う。
「とりあえず、好きに斬りかかって見て。私からは打ち返さないから」
「真剣でいいですよね」
「大丈夫」
ハナやアーパイブンでさえ【超断裂空無敵盾鎧】がなければ真剣で良いとは言わない。真剣の稽古というのはそれだけ危険なものだ。だというのにクァトラの構えには恐れも力みも一切感じない。
(ま、当然だけどさ)
しかし、メアはそれを侮られているとは思わない。メアとクァトラの実力差は天と地よりも離れている自覚がある。
メアは最も慣れている大上段からの振り下ろしから入った。
新緑の刃がクァトラの脳天に迫る。クァトラは微動だにせずそれをじっと見つめる。そして、その頭を叩き割るまで残り一指となった瞬間、メアはクァトラの姿を見失った。
メアは動揺しながらも振りぬき、その剣先がクァトラの褶の裾を通り過ぎた後、ようやくクァトラの立ち位置が半歩ずれていることに気づいた。
「もう一回」
メアは再度剣を振り上げ、振り下ろす。今度はクァトラは剣を動かし、メアの剣を迎え撃つように振り上げた。
しかし、メアが予想した剣を打ち付けあう衝撃はなく、メアの剣はクァトラの剣に導かれるようにして横に逸れる。まるで舞踊で女が男の手に引かれて身を翻すかのように、するりとクァトラの体の横を通り抜けた。
「もう一回」
メアは緩む頬を押さえつけながら剣を振り上げ、振り下ろす。今度はクァトラの剣にはじき返された。まるで鐵でできた塊を打ち据えたかのような頑強な手応え。衝撃にメアは二歩、三歩とたたらを踏む。剣が折れたかと剣に目を遣るが、わざとか幸運か、剣には欠けすらできていなかった。
クァトラの声掛けを待たず、メアは剣を振りかぶる。今度はどのように返されるのだろうか。期待が抑えきれなかった。
しかし、メアが踏み込むその瞬間、クァトラの膝が僅かに沈んだ。右肩も動き、剣が揺れる。
斬られる、と思ったメアは即座に剣を引き、下がった。しかし、改めて顔を上げるとクァトラは先ほどの構えを崩しておらず、じっとメアの方を見つめている。
メアは顔を輝かせた。
「ひょっとして今の剣士會相手にやってたやつですか! 五人に囲まれたときの!」
「そう。最初に躱す時もやってたんだけど、まだメアじゃ読み取れなかったか。うーん、行けると思ったんだけど、まあおいおいね」
「すごい!」
心からの勝算を投げかけながら、メアは深く納得した。クァトラが剣士會に囲まれていた時、メアの目にはクァトラが何もしていないのに相手が剣を逸らしたように見えたが、それはただメアの技量が足りていないだけだったのだ。きっとこうして無数の牽制を見せていた。それも相手の技量に合わせて、相手が読み取れるようなものを。
だが、クァトラはとくにそれには反応せずに、またメアに構えるように促す。
「まあ今の本題はそこじゃないから。とりあえず、色々の方向から打ち込んでもらえる? で、一通りやったら今度は私が打ち込む番」
「う、受けれますかね、俺に」
「受けられる速さで打つから大丈夫。はい、構えて」
それからメアは存分に剣を振るい、また、クァトラの剣を受けた。口での助言はほぼなく、とくに難しい技術を見せてもらえるわけではなかったが、自分の身でクァトラの剣を実感できるだけで総毛立った。刃を受ける音を聞けば聴覚が、美しい剣閃を見れば視覚が、一撃の重みを受ければ触覚が、どんどんと研ぎ澄まされていくような錯覚に陥る。
攻守交えて一周り、それを三周ほど繰り返すと、雑談を交えながらの軽い打ち合いへと移る。
「勝負してる相手の子はどんな子?」
「エナシっていう北の奴です。性格が悪くて、口が悪くて、本当に反りが合わない」
「メアが合わないって言うならよっぽどだね。勝負の切っ掛けは?」
「俺が喧嘩売りました。白黒つけようと思って」
「ふーん。珍しいね。いや、珍しくもないか。意外とメアは喧嘩っ早いもんね」
「そんなことないですよ。やらなくていいならやりません」
「まあ勝負自体はいいことだよ。負けられないってなると人は本気になるからね」
それはどこか不吉だとメアは感じた。本気を出したエナシがどうなるのか、という視点で考えたことはなかったからだ。
そこで初めてメアは負けた時のことを想像し、すぐに頭からそれを振り払った。負けたときのことをいまから考えるのは無駄の極み。レオゥの助言を思い出したからだ。
「そういえば、魔闘連盟のほうはどう? あんまり剣に変化ないけど」
「色々と教えてもらってます。変化ないのは、まあ、確かに。ハナ先輩との手合わせだと、どうしても剣で打ち合うことが減りますから」
「ああ、成長してないって意味じゃなくてね。何て言うんだろう、魔術と混ざってないというか、影響が少ないというか」
瞬間、クァトラの突きがメアの右目に向かって伸び、メアは必死に首を逸らして躱した。軽いとはいえ、気を抜きにそうになった途端、それを叱る様な一撃が飛んでくる。メアは汗と共に冷や汗を流しながらクァトラの剣戟をさばいた。
「魔術が、混ざるですか?」
「メアの得意な属性は?」
「力属性重魔術です」
「ふーん? 重魔術ってなんだっけ」
「力魔術みたいなもんだと思ってもらえればいいと思います」
アーパイブンも似たような反応だったな、と思いつつ、メアは補足をする。実際、メアにはまだ重魔術と力魔術の用法の違いが分かっていなかった。
クァトラの意識がやや思考に寄ったため、仕返しとばかりに脛を狙って斬りつけるが、ひょいと半歩下がって躱される。メアはクァトラが寝ぼけていても掠らせることすらできないのではないかと思った。
「だとするとさ、遠距離攻撃は別として、剣に混ぜるなら剣を魔術で押したりすることになるでしょ? そういうのはさ、魔術を使っていないときの剣にも露骨に出るんだよね。電魔術を剣に纏わせるようなのは出にくいんだけど、剣の動き自体を補助するような使い方になると、それを前提にした剣術になるというか、技術体系自体が変わるというか。けど、メアにはまだそういうのがない。素直な剣」
言い方に引っ掛かりを覚えたメアは、恐る恐る尋ねる。
「そういう魔術前提の剣術は、よくないですか?」
「よくないか、と言われると、どうだろう。少なくとも、雷流剣術はそういう技術体系じゃない。だから、そんなことしてると邪道だって破門されちゃうかも。私としても、純粋に剣の道に進みたいならあまり混ぜるべきじゃないと思う。魔術を使えないときの動きがどうしても偏っちゃうから」
偏る、という言葉はメアにもしっくりきた。一人で試してみたとき、思ったのだ。剣を重魔術で加速させるときと、単に振るうときでは明らかに力の入れ方が違うと。そして、重魔術ありきの動きに完全に慣れてしまったとき、元々の剣の振るい方を取り戻せるかというと、取り戻せない気がしたのだ。
「でも、メアは好きにしたらいいと思うよ。べつに雷流剣術を学んでいるわけでもないし、剣の道を極めたいってわけでもないのでしょう? 自分の持っているものを全部使って強くなりたいって言うなら、魔術と切り分けるのはあまり合理的ではないと思う。というか、そういう理念で動いているのが魔闘連盟でしょ」
クァトラはメアの首筋に致命となりかねない刃を向けながら、飄々と言う。
「一つ問題があるとしたら、先達がいないことかな。教えてもらえない。誤りを正してもらえない。正解がない。メアが剣に重魔術を組み込みたいって言うなら、メアは自分なりの技術体系を、一から組み立てないといけない。それは結構、うん、大変なことだと思うな」
そう言ってクァトラは最後に一撃、メアがまったく反応できない速度で剣を振るうと、自身の剣を鞘に納めた。その一撃はメアの前髪の毛を一本だけ切り、地面に落とした。
クァトラの一撃に首を落される夢。それを思い出したメアはぞくぞくと体を震わせ、必死に腕を抑え込みながら剣を鞘に納める。
そして、今日は終わりだと身振りで示すクァトラについていきながら訊ねた。
「急にどうしたんですか? 剣の稽古、つけてくれるなんて」
「だって、キケ先生って簡単に星くれるでしょ? まだもらってないなら、それだけで不利になるし、多少は実戦的な部分も鍛えておかないとって思って。手遅れな気もしたし、付け焼刃になりかねないから迷ったけども」
メアはぎょっとしてクァトラの方を見た。簡単には星をくれない先生筆頭のキケを指してこの言葉。本当に同じ人のことを差しているのかと疑った。
「えっと、キケ先生ってこの学校に二人います?」
「へ? 一人だけだと思うけど。武器格闘とか色々教えてくれる声の大きい先生」
「あの先生、全然星くれませんよ。うちの組だと一人、学年でも三人しかもらえてないですから」
これはフッサに教えてもらった情報のため、おそらく事実なはず。そう思いながらクァトラの様子を窺うメアは、続く言葉に思わず力が抜けた。
「でも私、初日の授業で三つもらったけどなあ」
「それはクァトラ先輩ならそうですよ。自分基準にしないでください」
クァトラはメアの言葉に不思議そうに首を傾げた後、メアの肩を三度叩いてねぎらいの言葉をかけた。
「私の知り合いに奴隷になってもなんとかなった人もいるし、元気出してね……」
「だから勝ちますから。大丈夫ですから」
やはり、気遣いの方向が少しずれている。メアはそう心の中で嘆息した。




