064 教室・挑発・開戦
正直なところ、アーパイブンに授けれらた秘策をメアは使う気はなかった。
一晩立って冷静になってみれば、それをする利点はメアにはない。ザイカと仲が良いわけでもなし、何か借りがあるわけでもない、ただ偶々同じ組になっただけの生徒だ。もし金銭の徴収や怪我などの実害が出ているならばアウェアが対処するだろうから、具体的に明確な被害が出ているわけでもないだろう。ただのじゃれ合いだと言われればそれを否定する材料もない。要するに、ザイカを虐めるエナシたちの邪魔をするというのは、ただの余計なお世話となる可能性が高い。煽ったところで乗ってくる可能性は低いとも考えているし、乗ってきたところで勝てるかはわからないし、勝てたところでメアの気持ちがすっとするだけ。
だが、そうはわかっていても、理性の通りに行動できるほどメアは大人ではなかった。
日々の授業風景やその合間の休憩時間に、それは都度メアの視界に入った。そして、一度意識し始めると余計に気が付くようになる。今までなぜ気にならなかったのかと不思議なほどに目に入る。ディーが馬鹿にするように蹴りを入れ、テツが髪を掴み、ギョウラが背中を突き飛ばす。ザイカは一瞬痛みや驚きで顔を歪め、すぐに怯えるような愛想笑いをする。そんな一連の流れが、何度も何度もメアの視界に入ってくる。
相手をするだけ無駄だ、というキュッフェの助言が、やっちまえ、というアーパイブンのがなり声にかき消されるまで、半日とかからなかった。
地理社会の授業が終わり、先生が出ていき、終業の鐘が鳴り響く中、メアは勢いよく立ち上がった。椅子が大き目の音を立てたため、一部の生徒の視線がメアに集まるが、メアは気にせずに教室の隅のエナシの方に詰め寄る。
他の生徒からは見えないようにザイカの腹に拳を入れるエナシに対し、メアは拳の距離まで近づく。そして、組内に響き渡るような声で言った。
「エナシ、勝負しないか?」
組内の雑談が止む。静寂と共に視線が自分の方に集中するのをメアは背中で感じ取った。
メアの唐突な発言に、エナシは煩わしそうに手を振った。
「しねえ。うせろ」
「逃げんの?」
「……うっぜえなあ」
逃げる、という単語に僅かに瞼を動かしつつもエナシは応じる気はなさそうだった。ただし、手は腰に佩いた剣の柄に伸びている。
メア以外の生徒であれば、剣の気配を感じて会話を諦めるだろう。しかし、一言である程度意識を向けさせることに成功したことにメアは感嘆を覚えていた。流石は傍若無人に定評のあるウォベマだ、と。ぴりぴりとした害意を感じながらも、感嘆した。
だが、まだ足りない。メアは即座に言葉を畳みかける。
「負けた方が相手の言うことをなんでもきくってのはどう? なんでも。今後一切話かけるなっていうなら話しかけないし、召使になれって言うならなるよ。俺が勝った場合の指示は簡単。花組の和を乱すような行為はするな。それだけ。どう?」
エナシは返事せず、テツとギョウラの方を振り向いて指を頭の横でくるくると回した。頭がおかしい、という仕草に、テツとギョウラは喉に骨が引っかかったような笑いを漏らす。
メアは嘲笑には一切反応せず、真剣な表情をしたままエナシの方をまっすぐ見つめる。
「逃げんの? 自信ない?」
「しねえつってんだろ付きまとうなきもいんだよ」
「逃げるんだ。内容も聞かずに。まあ内容聞いちゃえば、それに勝ち目ないから逃げるって言ってるようなもんだもんね。賢明だ。鼠のように賢い生き方だな、ディー゠エナシ」
「調子のんなよ、ルールス゠メア。相手してほしいならそれなりのもん持ってこい。お前と違って暇じゃないんだよ」
「あ、何? ちょっとはやる気出てきたんだ。じゃあ説明するよ。勝負の内容は簡単、一年時の星の点数で競おう。それだけ。やっぱり自信ない?」
メアは強引に条件を言い切る。まずは聞かせることが大事だと判断しての行動だ。組内のほぼ全員が耳をそばだてている状態なのだから、一度聞かせてしまえば一段落。あとはエナシの警戒心を矜持が潰すまで煽るのみ。
「あ、馬鹿がばれるのが怖いのか。そうやって口数少なくして自分の頭を良さそうに見せるのに必死だもんね。他の生徒と会話減らしてるのも馬鹿だと思われるのが怖いからでしょ? 頑張って見栄張ってるもんねえ。言っとくけど、わかんないときに答えるのが面倒みたいな素振りで誤魔化そうとするのあまりにもみっともないよ。先生は大人だから見逃してくれてるけどさ。そうやって自分を誇示して盲目的に褒めてくれるテツとギョウラ侍らして満足? 二人も手下ができて嬉しい? あ、ザイカもか。でもザイカにはエナシが馬鹿だってばれてると思うよ。だってほとんど関わりない俺でもわかるもん。信者の眼鏡通さないとすぐばれるって」
ディーの顔に僅かに残っていた感情が消え、目つきが鋭くなる。手下だと馬鹿にされたテツとギョウラも同様。
メアの口からするすると罵倒が出てくることに、周囲の生徒は驚いている。
「最近ほとんど殺すだの雑魚だの言わなくなった理由も俺はわかってるよ。上級生の先輩方にも同じ態度取ることができないからでしょ。そりゃ恥ずかしいよな。自分より弱そうな相手には偉そうにして、自分より強そうな相手にはぺこぺこするなんてさ。だから一貫して全員に対して興味なさそうに振る舞ってるんでしょ。入学当初はあんだけ粋がってたくせに、この学校に来て身の程知っちゃったわけだ。というか、エナシよりボワやアウェアの方が強いの、花組の皆にはばれてるから無駄だと思うよ。同い年に負けて悔ちかった? 最近組内で大人しいよねえ」
エナシは剣を抜き、メアの胸目掛けて斬りつけた。予期していたメアは自身も剣を抜いて受ける。
刃をぶつけ合いながら、メアは手でアウェアを制した。まだアウェアに出てきてもらっては困る。これは感情に任せた喧嘩ではなく、きちんと目的を持った挑発行為だ。だから見逃してくれ。メアは一瞬だけ視線をアウェアに向け、目で伝える。
「おわっと、口で言い返せないからって剣抜くんだ。俺の方が弱いから強気に出てるってこと? すげーや。そこんところは一貫してるね。ってかその行動自体が俺の言葉の肯定になってるってことわかってないのかな。わかってないか。馬鹿だもんね。違うっていうなら、受けろよ、勝負。頭でも腕でもどっちが優れてるか、堂々と比べて見せろよ」
エナシの視線に熱がこもるが、勝負、という言葉が出た瞬間に一瞬で冷えていくのが見えた。どこまでも冷静だ。メアは口では煽りながらもエナシの頭の冷静さに舌を巻く。メアの行動が全部勝負を受けさせるためのものだと、怒りに押されながらも見抜き、怒りを抑え込んだのだから。
剣を引き、何事もなかったかのように鞘に納めるエナシを見て、メアは諦めた。そして、ため息を吐きつつ、心底呆れたように吐き捨てた。
「ここまで意気地なしとはね。所詮――卑しい娼婦の息子か」
瞬間、エナシの怒りが膨れ上がった。
上段から振り下ろされる先ほどより数倍早い剣閃をメアは同様に剣で受ける。ほぼ同時に出された足払いは前足を浮かすことで透かし、目に跳んできた水魔術は重魔術を横向きにぶつけることで逸らす。
「そんなに死にてえなら殺してやるよ!」
「芸がないよなあ。一年前とやってること変わらないじゃん」
メアは涼しい顔をしてエナシの剣を受け流し、半歩距離を取る。本当はもう少し取りたいのだが、他の生徒を巻き込まない範囲だと半歩がこれが限界だった。
一方、エナシはそんなことは一切気にせず、机をメアの蹴飛ばして牽制する。メアがそれを躱すと、逃げる方向からあわせるように剣を振るう。
「これも軽いしさ。鍛錬してる?」
「殺す。絶対殺すっ!」
「ははっ、ついに意味のある言葉がしゃべれなくなっちゃったか」
メアは口では挑発を続けつつも、かなりぎりぎりだった。最初からエナシが激昂してくることを想定していなければ、最初の一撃で切り捨てられていてもおかしくはなかった。
そのまま二合、三合と切り結ぶ二人を見て、我に返ったアウェアは斧を抜いて構える。
「落ち着けっ! 二人とも、校内で武器の刃を晒すのは校則違反だ! 今すぐ武器を収めろっ!」
メアはアウェアに心の中で謝りながら、立ち位置を調整してアウェアを間に挟み込む。それを抜いてメアを切り殺そうとするエナシだったが、机の並ぶ教室でアウェアの横を抜けられるほど歩法に優れてはいなかった。
エナシはアウェアと得物をぶつけ、競り合いながらも、メアに向かって唾を飛ばす。
「逃げんな雑魚がっ! 殺してやるっ! 望み通り殺してやるよっ!」
「落ち着けエナシ!」
「べー。嫌だね。勝負なら受けるけど、決闘は受けない。どうしても決闘したいなら決闘申請書出せば?」
「メアも挑発するなっ! ああもう!」
アウェアはエナシの剣を弾き、押し返す。エナシはそれに逆らおうとしたが、膂力も得物の重さも敵わず、壁際に一度押し返される。
メアとエナシの間に入りつつも二人を視界に入れ、斧を構えたままアウェアは叫んだ。
「二人ともこのまま続けるなら先生に報告するぞ! そしたら謹慎だ。それでいいなら続けろ。ここからは本気の制圧に移る。腕の一本くらいは諦めろよ?」
アウェアの目がすっと据わったのを見て、メアは肩をすくめながら剣を鞘に納めた。エナシはすぐには怒りが収まらなかったようだが、廊下から隣の組の生徒が顔を覗かせ始めていることに気づき、舌打ちをして剣をしまった。
場が落ち着いたことに、花組の生徒たちは各々が吐息を漏らす。メアが喧嘩を吹っ掛けるのを初めて見て、また、エナシが怒り狂うのを初めてみて、同様のあまり呼吸を止めていたのだ。
メアはエナシからの視線を無視して懐から一枚の皮紙を取り出し、響板に小さな鋲で留めた。
「これは契約書。契約術がかかってる。ここに書かれた内容を履行しない場合、小さくない罰が降り注ぐ。エナシが尻尾を巻いて逃げるってならさっさと飯を食いにいきなよ。こそこそ逃げ回るのがお似合いだからさ」
花組の数人が興味深そうに視線を向けた。契約術は系統外魔術。三年生が習うものだからだ。メアがどうしてそんなものを手にしているのか、メアが言ったことは事実なのか。見定めようと観察する。
しかし、当のエナシは契約書の内容を確認しようとはしなかった。その髪を一瞥すると、殺意の籠った視線をメアに向け、いつもの静かな口調で言った。
「さっき殺すと言ったが訂正する。お前は楽には殺してやらねえ。お前が負けたらお前はこの組の奴隷にする。一級非人指定だ」
組内がざわついた。メアが勝った場合の要求に対し、エナシが勝った場合の要求はあまりにも極端な内容だったからだ。冷静に考えれば到底釣り合うものではない。
どう断るのか、という視線に対し、メアは呆れたように言った。
「受けるってんならさっさと血判を押しなよ。皮算用は報われないことが多いよ?」
承諾。そのことに、更に組内がざわついた。
エナシはアウェアを押しのけ、自分の剣で親指に傷をつけると、契約書にぐりぐと押し付けた。そして振り返ることなく教室を出ていく。その後を慌てて追うのはテツとギョウラだ。ザイカはメアとエナシを交互に見て、メアの問うような視線に気づくと、慌てて視線を逸らして教室を飛び出した。
四人が出ていき、姿が完全に見えなくなると、メアはしゃがみこんで深々と息を吐いた。
直後、影が差して視界が暗くなったため、顔を上げる。すると、アウェアとレオゥとテュヒカが腕を組んで仁王立ちしていた。




