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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
四章 購う命
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060 医療室・治療・依頼

「エシュー先生! 治してください!」

「またか、ルールス。前言った通り、人にものを頼みたいなら払うもん払え」

「もちろんです」

 メアは夜燕の入った籠をエシューの目の前に置くと、懐から巾着を取り出してエシューの目の前に突き付けた。

 エシューは面倒くさそうにその巾着を受け取ると、中身を机に撒いて確認する。

「……足りんな」

「えっ、ちゃんと数えたんで五〇〇〇〇ルティあるはずですけど」

「五〇〇〇〇じゃ足りん。治してほしいならこの一〇倍は出せ」

「そんな、前と言ってることが違うじゃないですかっ」

「そんな話したか? 忘れたな」

 素知らぬ顔ですっとぼけると、中身を巾着に戻し、メアに向かって投げ返すエシュー。憤慨するメアを無視して寝台に体を投げ、仕切り布を引いて対話を断った。

 メアは更に文句を続けようとしたが、その場にいた他の医療委員に宥められ、病人が寝ているからという理由で医療室を追い出された。

 憤懣やるかたなしといった様相のメアに、入り口で待機していたレオゥが話しかける。

「やっぱり駄目だったか?」

「なにあの先生! 本当にふざけてる! 一度言った言葉を翻すなんて!」

「なんで駄目だって? 時間が経ちすぎてるとか?」

「足りないって、五〇〇〇〇〇ルティ払えってさ! 一〇倍だよ一〇倍! 足元見てきやがって」

「そうきたか」

 レオゥも呆れたように自身の額に手を当ててため息を吐いた。相変わらず無表情だが、所作から呆れがにじみ出ている。

「あの手の人間はなー、その場その場を適当に流せればいいって考えの人が本当に多くてな。難癖つけて断ろうとしてくるとは思っていたが、そうくるか。いや、とすると最初の断わり文句もわざとか。ぎりぎり達成できそうな線を引いて、それに時間を取らせて長引かせて、達成できたらさらに線をずらして。戦略家だ」

「感心しないでよもう。はあ、どうしようか。どっかに訴えたら勝てないかな」

「無理だろうな。ただの口約束だし、相手はとぼけてる。それに前も言ったが、報酬としては向こうの要求は正当だ。学校側に訴え出たところで無駄だろう。調停委員はあくまで生徒間の揉め事しか解決してくれないし」

「悪魔め。金の亡者めー!」

「どちらかというとものぐさ人間っぽいけどな。怠惰」

 メアは肩をいからせながらレオゥに鋭い視線を飛ばす。

「レオゥ、なんか良い案ない?」

「どっちの?」

「どっちって」

「金を稼ぐ方かエシュー先生に無理強いする方。正当な方か強引な方」

「強引な方! どうせお金稼いだってまたああだこうだ言って断ってくるんだから。はて、そんな約束したかな? なんで私がお前の仕事なんて請けなきゃならん。面倒だね。断る」

「言いそうだ」

 レオゥは頭を捻るが、あまり良い方法は思いつかなかった。

「手っ取り早いのは脅迫だが、まあ無理だな」

「勝てない?」

「寝込みを襲えば勝てるだろうが、勝ったところで無駄だ。治させるときに夜燕に触れさせるだろ? その瞬間俺たちは夜燕を人質に取られる。治癒の魔術、陽属性の生命魔術がどういった類のものかは授業で受けた通り。本質は術者による肉体の操作だ。治せるってのは壊せるってこと」

 レオゥは自分の腕に拳をそっと当て、ぱっと勢いよく掌を広げる。ばーん。それを見たメアは、エシューの手が夜燕に触れた瞬間に夜燕が無数の肉片になって飛び散るさまを幻視した。

「それに治してもらったところで次は俺たちの番だ。良くて停学悪くて退学。まあ先生を脅していうことを聞かせようとする生徒なんて後者一択だな。そこまでする気はないだろ?」

「ない、けど」

「だから脅迫ってのはなし。先生の弱みを握るか、もっと上の人から言ってもらうか」

 メアは上の人、という言葉に校長と副校長の顔を思い浮かべるが、あまり頼りになりそうにないと思った。校長は忙しそうで捕まえること自体が大変そうだし、副校長はそういった荒事に向いているように見えない。眼力で言うならエシューの方が数十倍はある。

 レオゥの方を見ると、レオゥも首を横に振っていた。

「そっちは最終手段だな。あとは、なんか弱みを見つけられればいいんだが」

「エシュー先生の経歴に詳しい人とかいないかな」

「片っ端から当たってみるのもいいが、いなさそうだよな。あの先生、他の先生と話してるの見たことねーもん」

「とりあえず、医療委員かな。うちの組って誰だっけ」

「シャープ。去年からの新任らしいし、上級生も大して変わらないか。とりあえずシャープに話聞くか?」

 メアは頷き、急ぎ足で花組の教室に戻った。

 一限目の酪農実学の授業まではまだ少し時間があるからか、教室内の人影はまばらだ。メアは紐を使った手遊びをしているファンとテュヒカや金属製の何かを組み叩ているジョンに挨拶をしながら適当な席に荷物を置き、教室を見回してシャープを探す。

 青みが勝った黒髪の少女、シャープはすぐに見つかったため、メアはレオゥと一緒にシャープの方へ声を掛けた。

「シャープ、ちょっといい?」

「えっあっえっ、な、何かな」

「エシュー先生について聞きたいんだけど」

 突然声を掛けられ動揺していたシャープはエシューという単語を聞いて更に動揺する。どうやら、あまり良い印象を抱いてはいないようだということはメアにもすぐにわかった。

 シャープは落ち着くために深呼吸を一度すると、メアに横の席の椅子を差し出してきた。メアとレオゥは座る。

「えっと、エシュー先生について、何が知りたいの? 夜燕の件に関係する話、だよね」

「シャープも知ってるの?」

「医療委員の間では結構話題になってたから」

「そう。じゃあ話が早い。エシュー先生に治療させるために弱みを握りたいんだよね。何か良いの知らない?」

 メアの過激な発言にシャープは目を白黒させ、レオゥの方へ苦笑いを投げかけた。レオゥが無表情のまま頷いたため、シャープの表情はさらに渋いものとなった、

 シャープは視線を虚空に漂わせると、申し訳なさそうな顔で背中を丸め、二人に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい、そういった話は詳しくなくて……」

「いやいや、別に知らないならいいんだ。もし知ってれば、くらいのつもりでいたから」

「やっぱり経歴は謎か?」

「どこか北の方の国で軍医をやってたらしいことは効いたことあるんだけど、それ以上の話は何も。ほら、あの先生って多分子供が嫌いでしょ? 雑談どころかそもそも会話自体なくて、あんまり」

「かー、業突く張り怠けばばあめ。子供が嫌いならなんで学校に来たんだ」

「なんでだろうな。この学校はある種治外法権的なところあるし、案外戦争犯罪犯して逃げてきてたりな」

「レオゥ先生、シャープ先生、お二人の診断的にはエシュー先生はどこの国の人ですか?」

「知らん。ウィドドンミョーザかユキセメかヘスベヘカ。またはその間の小国のどっか」

「まあそれ以上は絞れないよね。北の方はあんまり詳しくないし」

「範囲広すぎ!」

 メアは背もたれに体を預けて全身の力を抜いた。

「どうしようか、とりあえず校長探しに行く?」

「そうだな。それが初手か。最後の手でもありそうだけど」

「校長先生? 校長先生は再来週までいないよ?」

「詰んだ」

「とことん間が悪いよな、メアは」

 さらにもたれかかってきたメアを押し返しながらレオゥは呟いた。

 そのまま授業が始まるまでエシューの陰口大会となったが、腕は確かだという点はメアも自身の体で実感しているため燃え上がり切らず、なんとも不完全燃焼な形で授業開始の鐘を聞いた。

 手詰まりを感じつつ、副校長に話を持っていくしかないか、とメアとレオゥが諦めかけていた時、思わぬ方向から救いの手が差し伸べられた。

 メアとレオゥが食堂で食事をしていると、クァトラとリーメスが現れた。

「二人とも、暗い顔してるね。レオゥ゠タくんだっけ。横いいかな」

「どうぞ、【殲雷】殿。お噂はかねがね。メアがいつもご迷惑おかけしています」

 クァトラの動作が一瞬固まった。それを見て慌ててメアはレオゥに耳打ちする。

「【殲雷】って呼ばれるのは先輩嫌いっぽい」

「そうなのか? 範師襲名時に高らかに名乗ったと聞いたことがあるんだが」

「えっ」

 メアがクァトラの方に視線を向けると、クァトラは頬をやや赤らめながら咳ばらいをし、にやにやとしているリーメスを小突きながら席に座った。

「その話はともかく、どう調子は。ひょっとして、その籠が夜燕ちゃん?」

「えっ、見して見して」

 二人はメアの足元に置かれた籠の布をめくり、黄色い歓声を上げる。メアの目には怯えと警戒を露にした夜燕がいるようにしか見えないのだが、二人は可愛い可愛いと誉めそやしている。その感性の違いに戸惑うばかりだが、戸惑っているのはレオゥも同様だということに気づき、平静を取り戻す。

 目を輝かせたクァトラが顔を上げる。

「もう名前はつけた?」

「名前とかはつけないです。飼うわけでもないですし」

「そっかそっか。翼治したら放すんだっけ。どうなの? そっちの調子は」

「そっちは、ちょっと。うまくいきそうだったんですけど、エシュー先生の嘘つきがぁ」

 きょとんとしているクァトラとリーメスにレオゥは手短に状況を説明した。すると、二人は深く納得したように頷いた。

「あの先生ならやりかねない」

「本当に惰性で生きてる感じだよね。あれだけの技術持っててなんでだろうね」

 どうやら二年生の間でも評判は変わらないらしかった。腕はいいが怠惰。平気で嘘を吐くし可能なら手を抜く。そして、制御できるのは校長のみ。

「校長が戻ってくるの待ってたら完全に冬になってしまいますよ」

「うーん、確かにね」

「お二人は何か弱み知らないですか? エシュー先生の」

 クァトラは首を振って否定を示した。リーメスは少し悩んだ末、クァトラの肩を叩いた。

「弱みは知ってるけど、そこを突くにはクァトラの協力がいるかも」

「知ってるんですか?」

「知ってるというか、皆さんご存じの通りというか。ま、ま、クァトラ、ちょっと耳貸して」

「なに? ひゃうっ! リーメス!」

「冗談冗談! 息を吹きかけただけじゃん。やめて、ぐりぐりしないで。ごめんって!」

 じゃれる二人を尻目に、レオゥは目でメアに問いかけた。それに対し、メアは半信半疑ながらも頷いた。会話の回数こそ少ないが、メアはリーメスのことをそれなりに信用していた。そんなリーメスがやれるというなら、本当にやれるのだろう、とメアは判断した。

 食事を済ませた四人は、夜燕の籠を抱えて再び医療室へと向かった。

 勢いよく扉をあけ放ったメアを見てエシューは露骨に嫌そうな顔をした。

「エシュー先生! 約束通り五〇〇〇〇で治してください!」

「約束ぅ? した覚えはないな。何か証拠はあるのか? 契約術で契約したか? ないなら帰って泣いてろ。世の中甘くないんだよ糞がきが」

 メアは怒りを抑えつつ、すっと横にずれた。その背後からクァトラが一歩前に進み出て、にっこりと笑った。

「エシュー先生、私、口約束だとしても約束って大事だと思うんです」

「クァトラ゠ハか。どうしたどうしたお前はここと一番縁がない人間だろ。そのがきに何を吹き込まれたか知らんが、健康なら帰れ」

「帰ってもいいですけど、おそらく私とは会話していた方が先生にとって得ですよ?」

 クァトラはエシューの放つ嫌悪に一切怯むことなく淡々と告げる。

「エシュー先生、まだ来年もこの学校にいますよね。だとすると大変ですね。私、来年は三年生なんですよ」

「だったらなんだ」

「なんだ? わからないんですか? 三年生ってことは、三年次組対抗戦に出るってことですよ? 毎年毎年何人も何人も怪我人が出て医療委員が何人も過労で倒れて医療の先生が辞めたくなるあの行事です。あれに、私が、出るんです」

 さっとエシューの顔が青ざめる。それは完全に思考から除外していたもの。全く気にしていなかった脅威。目の前の猛獣が完全に飼いならされていると、人に慣れて危害は加えないと信じ切っていた時に、人の腕より太い骨をかみ砕かれたかのような恐怖を、エシューは感じていた。

「待て。待て待て。だからなんだ? お前のことだからうまくやれるだろ? ついこの前剣士會と揉めたときだってかすり傷だけでうまく場を収めたじゃないか。な?」

「エシュー先生。私、別に人を傷つけるのが嫌いなわけでも、斬るのが嫌いなわけでもないんです。ただそうしなくても済むからそうしているだけで」

「なら今回もうそうしよう。そうしなくてもお前なら纏めて剣を叩き落すことなんて簡単だろう。わざわざ痛い思いをさせる必要はないだろ?」

「私、最近体力が有り余ってて」

「運動場でも走ってろ」

「後輩に頼れるところ見せてもいいかなって」

「そんな必要はない。お前はいつでも頼りになる格好良い先輩だ。もっと自信を持て」

「どうでしょう。私一人で他の三組七十余名、全員分の両腕を切り落としてみるというのは。少しは格好がつきますかね?」

「話を聞け! お前がそんなことをする必要ないだろ!!」

 できるかどうかという話は二人ともしない。目の前の少女がやる気になったらやれることはどちらも理解している。

「落ち着けぇ……落ち着け馬鹿。死人が出るぞ」

「やだなぁ。死にませんよ。先生なら治せますって。とっても疲れるかもしれないですけど、先生なら治せます。それくらい私でもわかります。先生だって死ぬ気で頑張ればなんとかなるってのはわかるでしょう?」

「買い被りだよ。こんな年寄りに何をやらせろうとしているんだ? 虐待だ。もっと老人に優しくするべきだ」

「あ、そうだ、来年は個人戦闘祭や武道大会に出てみるのもいいですね。もちろん優勝を目指します。本気で戦います。武器に制限をかけても無意味ですよ。私は木刀でだって腕を切り落とせますから」

 エシューの全身ににじみ出る脂汗。止まらない悪寒。やるかどうかではなく、やれるかどうかという点において、クァトラならばやれるとエシューの直感が警報を鳴らしていた。これが脅しかどうかなどどうでもよくなるほどに、本能が危機を感じ取っていた。

「エシュー先生、大丈夫ですよ。多分、そんなことはしません。誠実で実直で真面目で生徒との約束を守る先生に苦労をかけさせるわけにはいきませんから。私がこの一年大人しくしていたように、またのんびりと学校生活を謳歌させていただきます。ね、約束さえ守っていただけるのであれば、来年も私は今年のように過ごすことでしょう。どうです、先生? その方が先生も嬉しいのでは?」

 クァトラはにこにこと笑みをこぼさずにエシューの回答を待った。

 長い沈黙。

 エシューは頭の中にいる虫を掻き出すかのように頭に爪を立て、汚泥を飲みこむかのような表情で、低く唸る様に言った。

「……言っておくが、約束を守るだけだぞ。今回だけだ」

「もちろん、無理は言いません。最初からそう言う約束だったというなら、守った方が良いのでは、と私は思っているだけです」

「はあああ! あー、小細工などするんじゃなかった。おい! ルールス! さっさと金を出せ! 初回だけまけてやる。五〇〇〇〇で治してやるっ!」

「はい。ありがとうございます」

 巾着と籠を差し出す。うまくいくかは五分五分だと思っていたが、クァトラの名演技がうまくはまった、とメアはほっと安堵の吐息を吐きながら全身から力を抜いた。

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