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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
四章 購う命
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059 寮・納品・発見

 その日の晩、メアは原画と複製画を鞄に詰め、再び字陽寮のタフーの部屋を訪れた。基本契約分の複製画は既に納品していたため、追加分の複製画の納品のためだ。

 メアは階段を上って周囲を確認する。悪いことをしているわけではないが、恥ずかしいことをしているという自覚はある。できればあの部屋に入る瞬間を誰にも見られたくない。そう思っての行動だった。

 しかし、相手が寝ていたら悪いから、という理由で確実に起きているだろう時刻に向かったがゆえに、人通りが多い。便所に向かう生徒、友人の部屋を行き来しているらしい生徒、部屋の扉を開けっぱなしにして騒いでいる生徒。中々誰にも見られずに部屋まで向かうというのは難しそうだった。

(ま、まあ、知り合いに見られなければ)

 そんなメアの思考が呼び寄せてしまったのか、メアは背後から肩を叩かれた。振り返ると、楽しそうな表情をしたウォベマが立っていた。

「どうしたどうした。挙動不審だぞ、メア」

 絶対に見つかりたくない相手に見つかってしまい、メアの表情が強張る。それを見て獲物を狩る狩猟者の目つきになったウォベマはメアの全身を嘗め回すように視線を走らせる。

 メアは咄嗟に鞄を背中側に回してしまった。それを見てウォベマが猫なで声を出した。

「ほう? どうしたメア。何をそんなに警戒している? その鞄に何か見られたらまずいものでも入っているのか?」

「いえ、そんな別に」

「じゃあ見せて見ろ。ほれ、なんで見せない? 見せられないものでも入っているのか? 危険物、違うな。毒や爆発物の気配はしない。違法なもんか? 薬、呪物、危険生命……違うか。あっ、そうか。そうかそうか。助平な代物だな? あたりだ! 色本だ!」

 ウォベマの隻眼は愉快そうに三日月形に歪んだ。

 メアが逃げ出そうと走り出した瞬間、横なぎの突風に押され、メアは壁に叩きつけられた。気属性風魔術。ウォベマの魔力が膨れ上がったことから察知してはいたが、形のない風に対処することはできなかった。

 続いてウォベマの腕が伸びてくる。過去数度、組技特訓という名の一方的な蹂躙を受けたメアは袖や襟を掴まれてはいけないということをよく理解していた。そのため、腕を振り上げる形でウォベマの左手首を弾き、続いて伸びてくる右手をしゃがんで躱す。

 そのまま横に転がるようにしてすり抜けようとするが、ここは狭い廊下。ウォベマが半歩立ち位置をずらすだけで逃げ道は潰された。

 体勢を立て直すため後ろに重心を傾けるが、跳ぶ前に背中に突風を受け、よろめくように前へ押される。再びウォベマとの距離が腕を伸ばせば届く程度に。至近の距離、投げの間合い。

 ウォベマが突き出してくる右手の腕を掴む。そして、その力を利用して投げられないように手を離しつつ叩き落とす。間を置かずにウォベマの左手の掌底がメアの顔面に迫る。人差し指と中指が立っている。目潰し。メアはそれも弾こうとするが、それは釣りだった。叩き落としたはずのウォベマの右手が跳ねあがり、目つきを止めようとしたメアの左手の袖を絡めとる。

 投げられる。そう判断したメアはウォベマの指が完全に引っかかる前に魔力を起こした。力属性重魔術。まだまだ非力な魔術ではあるが、その指を滑らす方向に力を重ねることによりウォベマの動きを阻害し、腕を回して距離を取る。

 簡単には逃げられない。悟ったメアは今度は攻撃に出る。

 半歩詰めて下段の回し蹴り。ウォベマは脚を曲げて脛で受ける。続いて牽制の突き。ウォベマは鼻白んだ表情でメアの拳を包み込むようにして受けた。

 ウォベマはメアが反応する前に懐に潜り込み、襟を掴んで引き上げ、腰に乗せて投げる。鮮やかな背負い投げ。メアの技量では抵抗することもできない。

 だが、何度も何度も投げられたおかげで受け身は取れる。だからメアはわざと拳を受けさせた。

 鞄は大事に抱えつつも背中から地面に叩きつけられる直前、メアは全力で魔力を練り上げる。力属性重魔術、【重匣】。全身を強打する衝撃を和らげ、まともに投げを食らった相手では立ち直れないはずの間で腕を抜き、跳ね起きる。

 反射的に反撃を警戒するウォベマに対し、メアは振り返らずに走り出した。投げられることにより位置関係が逆転し、逃げ道ができたのだ。

 すぐさま追ってくる気配を感じたメアは、廊下に並ぶ扉を叩きながら逃走する。

「うるせぞ廊下でさ痛っ!」

「邪魔だどけっ!」

「んだてめえ! お前二年だろうが! ぶつかったらごめんなさいだろうがよぉ!」

「ちっ……!」

 幸運にも即座に出てくれた相手がウォベマとぶつかり、揉め事が始まる。メアはそれに反応せずに一目散に逃げ、階段を駆け下りて玄関から飛び出した。

 やにわに騒がしくなる字陽寮。喧嘩が始まり、それを野次馬する生徒が集まり、それを肴に酒を飲む。おそらくそう言ったことがこれから始まるのだろうとメアは予想するが、不思議とウォベマは上手くやるのだろうという確信がある。そのため、僅かばかりの良心の呵責は感じつつも、響く罵声を尻目にメアはそのまま逃走した。

 今日中に届けるのは難しそうだ。しかし、ウォベマがメアの部屋に乗り込んでくる可能性も踏まえると、持ったままも安全とは言い難い。悩んだメアはレオゥに預かってもらうことにした。

 メアは小走りにレオゥの部屋まで行くと、慌ただしく扉を何度も叩く。

「レオゥ、俺俺! 部屋入れて!」

「メアか? 入っていいぞ」

 中から許可の声が響いてきたため、メアは即座に中に体を滑り込ませた。

 部屋に入ると、椅子に座っているレオゥは指を口元に当てている。メアが慌てて口を噤み、部屋の中を見回すと、既に他の二人は寝台で寝ているようだった。

 メアは息を整えつつレオゥの横の空いている椅子に座り、鞄を抱えている腕の力を抜く。既に冬も間近なため汗はかいていないが、全身がじりじりと焼かれているように熱かった。

「なんかあったのか?」

「ちょっと、先輩と、組手を」

「こんな時間に? もう水浴びも済ませたんだろ?」

「いろいろ、あって」

「まあいいが。誰? 相手」

「ウォベマ先輩」

「じゃあこの部屋に来ちゃまずいだろ。俺も魔闘連盟の団員に数えられてるみたいだし、部屋も把握されてるぞ」

「確かに」

 レオゥの冷静な反応にメアは深く納得した。

 しかし、色絵を預けられるような相手は他にいない。色絵のことはレオゥすら話していないのだ。レオゥのように何も聞かずに預かってくれと頼み込めば預かってくれる相手は

 頭を変えるメアに対し、レオゥは寝台に再び寝転がった。

「で、何があったんだ?」

「……前に割のいい大口の仕事見つかったって話したじゃん?」

「あったな。それで揉めてんのか? 支払いの問題か?」

「それが、これなんだけど」

 そう言って鞄を開いて色絵の複製画をちらりと見せる。レオゥの表情は変わらず。

「色絵?」

「の複製。それを納品しようとしているところをウォベマ先輩に見られて、今逃げてきたとこ」

「ふーん。逃げ切ったのか。凄いな」

 思ったよりレオゥの反応が薄く、メアは拍子抜けした。というより、ほぼ無反応に等しい。顔を赤くして恥ずかしがるか、軽蔑してくるか、興味と自制が入り混じった間延びした反応を返すか、いずれかだと思っていた。だが、蓋を返してみればこのどうでも良さそうな反応。ウォベマから逃げ切ったことへの興味の方がよっぽど強そうだった。

 しかし、冷静になって思い返してみれば、メアはレオゥの無表情が崩れたところを見たことがなかった。語気が強くなることはまれにありこそすれ、そんなときでも一貫して鉄面皮。メアはレオゥの自制心を改めて再評価した。

 レオゥは興味なさそうに視線を逸らしながら言う。

「【複写】か? 裏・青空市場とはいいところに目を付けたな。どうやって売り込んだんだ?」

「そうそう。あ、でもこれは俺が売り込んだわけじゃないよ。フッサが美術研究会の団員らしくて、そこから話が行ったみたい」

「フッサはそういうところ節操がなさそうだからな。あいつなら納得だ」

 メアは鞄の口を閉じつつ、首を捻った。

「裏?」

「色絵とかあんまり影響のない呪物とか普通に売るには足りない出来損ないとか、そういった売るにはちょっと人目をはばかるものを青空市場の終了後の夜に売るんだ。それを勝手に裏・青空市場と呼んでる」

「学校非公認?」

「もちろん」

 顔を青くするメアに対しレオゥは肩をすくめた。

「別に非公認だからってアウェアに言いつけたりはしない。物を売り買いしては駄目という規則はないしな。色絵の売り買いくらいで文句言うのも変だろう。流石に売春は禁止だけどな」

「だ、だよね。よかったよかった」

「その色絵だって在学中の生徒を模してるわけでもないだろ?」

 メアは視線を逸らした。

 レオゥはすべてを察した。

「……俺は何も聞かなかった。関係ない」

「俺も何も話してない。レオゥは無関係」

 二人は頷き合い、そっと寝台の方を確認する。二人とも顔を出して仰向けに寝ていて、とても行儀が良い。顔の前で手を振ったり変顔をしても無反応。呼吸も一定。それだけを確認し、二人は額に滲んだ汗をぬぐった。

 再び鞄を抱えるメアにレオゥは首を傾げた。

「そういえば、週末の青空市場はどうするんだ? 先輩と見て回るのか?」

「とくにそういうのは決めてないけど、レオゥはどうするの?」

「俺はフッサとかと見て回る予定。メアも一緒に行くか?」

「いいね。そうしよ」

「服はどうする?」

「どうって、いつも通りのつもりだけど」

 灰色の無地の襯衣と股引。上から羽織る茶色い外套。すべて学校から無料支給の衣服だ。メアは服飾にまったくこだわりがないため常にこの格好だが、こだわらない生徒の中でもかなり極端な少数派。花組の生徒の八割以上は何かしらの手を加えている。

 レオゥは自身の顎を撫でながら何かを思案していたようだったが、その思考を表に出すことはなかった。代りに、入り口の扉に手をかけているメアに今思いついたことを言う。

「そういや、鞄はフッサに預けておけばいいんじゃないか? 美術研究会の団員なんだろ?」

「確かに! そうする。じゃ、また明日」

「おう」

 メアは足取り軽くレオゥの部屋を後にした。

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