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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
四章 購う命
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053 医療室・怪我・夜燕

 その日の授業が終わり、レオゥと一緒に寮へと入る途中、メアは立ち止まった。

「どうした?」

「いや、ね。朝から気になってて……」

 そう言ってメアは寮の外壁を伝うようにして視線を走らせる。すると、メアの予想通りに壁に小さな染みがあった。その小さな黒い染みはメアの勘違いでなければ血だ。

 そのまま視線を落とし、付近の草むらを手でかき分ける。

「あ、ほら」

「ん? 夜燕(キャスノー)か。怪我してるな」

 草むらの下にはぐったりと伏せる黒い鳥、夜燕がいた。腹部の羽毛は血で固まっており、片翼が何度も折れ曲がっている。死んでいるのかと思うほどの重傷だが、微かに呼吸をしているのは見て取れた。

 メアは急いで夜燕を抱えようとしたが、その重さに持ち上げることができなかった。同じサイズの鉄塊の何倍もの重さ。驚きにメアは転びそうになった。

 動揺するメアに、レオゥが後ろから声を掛ける。

「夜燕の血徴、【天落】だ。重魔術みたいなもん。普段は自分を軽くして飛んでんだけど、外敵から身を守るために自分を重くすることもある」

「ああ、夜燕って滑る様に飛ぶなーって思ってたんだけど、血徴のおかげだったんだ。ん? ってことは」

 メアは重魔術を夜燕にかけ、軽くしようとする。出力は夜燕に敵わないが、多少でも軽くなればと思ってのことだ。

 しかし、メアの予想に反し、夜燕はふっと綿よりも軽くなると、そのままふわりと飛んで逃げようとした。翼が折れている状態では危険だ、とメアは慌てて手で包み込み、そのまま胸へと抱える。

「ごめんごめん、変なことしてごめんね。別に君をどうこうしようってわけじゃないんだ。落ち着いて。心配しなくても食べないよ。痩せててまずそうだからね」

「そんなの信じる鳥はいないだろ」

「意思表示は大事」

 夜燕はメアの声掛けには答えずしばらく暴れていたが、やがて力尽きたように大人しくなった。メアはそっと手を少しだけ開き、夜燕の様子を確認する。

「……ひどい怪我。お腹の怪我とかどうしたんだろ」

 レオゥもメアの横から覗き込む。

「おいおい、腹の怪我傷口から緋蛆湧いてるぞ。もう駄目なんじゃないかそいつ」

「本当だ、どうしようレオゥ」

「どうしようもないと思う。とりあえず緋蛆は取ってやった方が良いとは思うが、結構肉の奥まで食い込んでそうでな……。傷口が壊死していないのは緋蛆が食ってくれてるからか? うーん、面白いな」

「面白がってる場合じゃないよ。えっと、あっ、そうだ」

 メアは再度逃げられないようにしっかりと手で覆うと、魂魄を落ち着かせる。

「お前の面は見たくねぇ――【洗顔】」

「ん? それ洗顔じゃ? あっそうか、イテシーレってそっちか」

 呟くレオゥを無視し、メアは少しだけ小指側に隙間を作り、夜燕から剥がれ落ちた緋蛆を地面に落とす。メアの目論見通り、洗顔は夜燕を綺麗にしてくれたようだった。

 しかし、傷口が塞がったわけではない。体力の消耗も激しそうだし、放っておいて状況が好転することがないだろうことは明白だった。

「医療室連れて行こう」

「んー、まあそれはいいが。あの先生が対応してくれるかな」

 レオゥとメアは夜燕を抱えたまま走り出す。

 しかし、冷徹とも思えるレオゥの懸念は、メアの願いに反して的中してしまった。

 メアが勢いよく医療室の扉を開けると、気だるげな雰囲気を発する五十代の女性が嫌そうな顔をして振り返った。医療室の主であり、生徒の治療を担当する先生、エシューだ。

 エシューはメアを視認すると、思いっきり顔を歪めて言う。

「帰れ」

「なんでですかエシュー先生! 酷い!」

「おい、ルールスぅ、お前なんか勘違いしてんじゃないだろうな? 私の仕事は怪我した生徒の治療だ。そこら辺の野良が死のうが知るか。私はお前の召使じゃねえんだぞ」

「で、でも、可哀そうだと思わないんですか? こんなに酷い怪我してるのに見過ごすんですか?」

「思わないね。そんな鳥一匹、なんの興味ない。ほら、わかったら消えな」

 取り付く島もないとはまさにこのこと。エシューの口調には嫌悪感が籠っている。そのあまりの迫力に、メアはむっとしながらも睨みつけることしかできない。

 にらみ合う二人に割って入ったのはレオゥだ。

「そうは言っても先生、夜燕は三級友好指定種ですよ。死にかけているのを見過ごすのは問題なのでは?」

「……てめえ、私に喧嘩売るとはいい度胸してるな、タ。お前が怪我したときに適当に治してやることも可能なんだぞ、おい」

「俺はメアと違って怪我するようなことはしないので別にいいですよ。それより、話を逸らしたということはやっぱり問題なんですね、友好指定種を見殺しにするのは」

「人聞きがわりい言い方はやめろ。別に見殺しになんかしない。お前らが拾ったんだからお前らが面倒見ろ。そう言ってるだけだ」

「つまり見殺しじゃないですか。ごまかすのはやめてください」

 エシューはレオゥのことを忌々し気に睨みつけると、何度も何度も舌打ちをした。お前が生徒じゃなかったら殴りつけている。まるでそう言わんばかりのいら立ちようだ。

 一度メアたちに背を向けて無視する体勢となったエシューだが、数瞬の後に椅子を蹴りながら立ちあがり、メアの手の中で寝る夜燕を鷲掴みにした後、すぐに手を離してメアの額に裏拳を食らわせた。

「いった! 何するんですか」

「うるさい。そいつの命は救ってやった。見殺しにはしてない。わかったらとっとと失せろ」

「本当ですか! 確かにお腹の傷が塞がって……って翼は折れたままなんですけど」

「知るか。私は見殺しにはしてない。それが事実だ。ほら、失せろ」

 手をかざした瞬間、手に魔力が集中するのは分かった。しかし、その魔術の機序はメアにもレオゥにも一切わからず、一瞬で怪我が完治している。ついこの前も治療してもらったメアは驚きは小さかったが、初見のレオゥは目を見開いた。異常な腕前だ。

 しかし、同時に疑問も浮かんでくる。どうしてこれほどの腕前の人間がこの学校にいるのか。態度を見る限り、教育などという高尚な理由のためとは思えない。しかし、金目的であれば適当な国の軍医にでもなった方がはるかに稼げるはず。貴族のお抱えにだってなれるだろう。

 警戒するレオゥとは対照的に、メアは無邪気に賞賛の視線を向ける。

「いいじゃないですかけち! 先生凄いんだからちょちょいで治してくださいよ!」

「お前なぁ。まあいいわかった。五〇〇〇〇な」

「五〇〇〇〇?」

「五〇〇〇〇ルティで治してやる。私に仕事を依頼したいんだろ? だったら金を払え」

「たっ、高くないですか?」

「はあ? だったら他の奴に頼め」

 そう言うと、エシューは病人用の寝台に身を投げ、仕切り布をかけた。もうそれ以上交渉は受けないという意思表示だった。

 言い返そうとするメアはレオゥに肩を引かれ、一時撤退するのだった。

 医療室から寮に戻る最中、メアはぶつぶつと文句を言う。

「エシュー先生、冷たいよな。あんな腕を持ってるのに、怪我してる生き物を放置するなんて」

「先生の言い分も分からなくはないぞ。実際学校には生徒の治療をする契約で雇われてるんだろうしな。仕事は仕事。切り分けは大事だ」

「でも、五〇〇〇〇は高くない? 食事一〇〇回分だよ?」

「高いか高くないかで言えば、高くないな。片足を失った人が片足を生やそうとしたらその一〇〇倍はかかる。あの先生の口ぶりからしてやるとなったら完璧に治してくれるだろうし、まあ妥当、というよりやや安めの料金設定だな」

「でも!」

「そもそもメアはなんでそんなに必死なんだ? 夜燕、好きなのか? 俺だって嫌いじゃないけど、そこまで必死になって助けようとは思わない」

 メアは不満そうに口を尖らせ、押し黙る。しかし、レオゥが目を逸らさずに促すと、とつとつと話し始めた。

「俺んち、田舎でさ。娯楽っぽいことは何もないんだ」

「前言ってたな」

「でさ、暇だから、近くの禁域にこっそり忍び込んでたりしたんだよね」

「馬鹿なのか?」

「で、当然そんなことしてると死にかけるわけ。慎重にはやってても。でかい生命に見つかったりとか、崩落に巻き込まれて動けなくなったりとか。そんときに何度か夜燕に助けられたことがあるんだ」

「なるほど」

「でも、その子たちには直接お礼はできなかったから、代わりに夜燕を見たらできるだけ助けようと思ってる。それだけ」

 単純な理由だったが、レオゥは深く納得した。メアがそういった義理堅いところがあるのは何となく理解していたし、それなりにお人よしなところがあるところも理解していた。そんなメアに明確な理由が合わされば、こうした行動を取ることも納得がいく。

 レオゥは短く息を吐き、背伸びをした。きちんとした理由があるのであれば止める理由もない。

「じゃあどうするんだ? 金はあるのか?」

「……ない」

「全く持ち込んでないのか? 衣食住は入学金に含まれてるけど、筆記具とか色々な小物が必要になるだろうし、多少は持ってくるように通知されてたと思うが」

「全くじゃないけど、使用は学業に必要な場合のみ、って母さんと約束してるから」

「うん、約束は大事だ。じゃあ諦めるか」

「いや、諦めない」

 メアは首を振った。

「道は二つ。一つは、医療委員とかにお願いして、治してもらえないか頼む。もう一つは、稼ぐ!」

「あては?」

「ない!」

 メアは力強く宣言し、レオゥは無表情のまま肩をすくめた。

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