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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
三章 雷の如く
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050 格技館・決闘・殲雷

 メアが声の主の方を見ると、その声の主は腰に佩いた剣に手をかけていた。

 長いまつ毛の下から除く若草色の眼が周囲を見回す。

「本当に、くだらない」

 すらりと細身の片刃が鞘から抜かれる。その輝きは鋭く、薄暗い格技館の中であっても存在感を放っている。

 しゃりん、という軽やかな音ともに場の空気が凍り付いた気がした。その空気はメアには覚えがあった。最も近いのは、忍び込んだ禁域で巨大な獣の痕跡を見つめてしまったときの感覚。または、食われた獣の新鮮な死骸が転がっていることに気づいてしまったときの感覚。または、重くおどろおどろしい獣の咆哮が響いてきたときの感覚。先ほどまでのどこか緩んだ空気が一瞬で引き締まり、ここが生死を左右する戦場なのだと錯覚するほどの緊張感が周囲を包む。

 クァトラは剣を抜いた腕をだらりと垂らしたまま、ゆっくりとメアの方に歩み寄る。間に立っていた生徒は横をすり抜けるクァトラを棒立ちのまま見送る。

「メア君、その魔術を解きなさい」

「く、クァトラせんぱ」

「解きなさい」

 気圧され、メアは【爛血】を解いた。途端に、全身に重しを乗せられたような疲労が爪の先まで充満する。メアは立ってられず、地面に膝をついた。

 そのまま地面に倒れこみそうになるメアの体をクァトラは剣を持っていない手で受け止め、地面にそっと寝かせる。

「この魔術、体に悪そうね」

「えっと、あの、はい」

「筋肉だけじゃなくて腱にすごく負荷がかかってる。心音も変だし、脈にもちょっと乱れがある。筋肉だけじゃなくて内臓も傷ついてそうね。翌日とか、まともに動けないでしょう」

「視力もちょっと落ちます」

 呆れた顔でクァトラはメアを睨んだ。

「なんでそんなの使ってるの」

「それは、あの人たちが気に食わなくて」

「どこが?」

「それは、大勢で一人を囲んでるところとか、人を勝手に人質にしようとしたところとか」

 クァトラはその理由を否定しようとしたが、否定できずに視線を彷徨わせる。

「……まあ、確かにそれは気に食わないかもしれないけど、それでも、そんなに簡単に捨て身になっちゃ駄目よ。捨て身っていうのはね、その人に重みがあるからこそ効果があるの。自分を大切にしていない人に重さなんてあるわけないじゃない。そういうのは、本当に大事な時まで取っておかないと駄目」

 反論できず、メアは口を閉じる。事実、メアの捨て身は本気で剣を志している人々からすれば鼻で笑われる程度のものだった。今の自分はその程度の存在なのだという厳しい指摘も、受け入れざるを得ない。

 クァトラは衣嚢から取り出した小さな手拭いでメアの眼からこぼれた血を丁寧に拭う。

「ごめんね、こんなことさせたのは、私のせいなのに、こんなお説教みたいなことしちゃって」

「ち、違います、クァトラ先輩のせいなんかじゃなくて、本当に、俺が気に食わなかっただけで。これも俺が勝手にやってるだけで」

 メアの否定の言葉はクァトラには無意味だったようで、クァトラは目を閉じて首を横に振った。なぜなら、事実、メアがこうして戦っているのはクァトラが多大な原因の一つだからだ。それはメアが口でどう否定しようと否定しきれない事実だ。

 しかし、クァトラはその顔に自責の念を浮かべながらも、どこか晴れ晴れとした顔でメアの頭をぽんと優しく叩いた。

「でも、ありがと。君のおかげで勇気出た」

 そう言ってクァトラは立ち上がる。その手には剣を握っている。

 剣士會の生徒は二人の様子をただ見つめていた。それは、何か思惑があってのことではない。金縛りにあったかのように体が動かないがために、ただそれを見つめていた。

 表情のないクァトラが剣を構え、ぴたりと動きを止める。

「あなたたち、私と、手合わせをしたいのだったっけ。面倒だけれど、受けることにするわ。ただし、私が勝ったら二度と関わらないで。それを守れるというのなら」

 そして、静まり返った格技館であればようやく聞こえる程度の声量で、呟く。

「構えなさい」

 同時に発せられる殺気のような何か。それは静かに構えるクァトラが発したもので、それを浴びせられた生徒たちはそこでようやく体が動くようになった。

 メアはずっと不思議だった。なぜああも強い男たちが、クァトラを前にすると獣のように獰猛に威嚇するのか。目に闘志を浮かべ、口からは呪詛を吐き、クァトラを取り囲むのか。クァトラは話の通じない人間ではない。きっと一人で会いに行き普通に話しかければ応えてくれたはずだ。なのになぜそれをしないのか。臆面もなく罵倒し、徒党を組んで追い掛け回すのか。

 その疑問が今、氷のように解けた。

 なぜクァトラにあんなに攻撃的なのか。

 敵だから? 憎いから? 倒すべき相手だから? 

(違う)

 クァトラが怖いからだ。

 そうして自身を奮い立たせなければ戦おうとすら思えないほどに、圧倒的な強者だからだ。

「うおおおおお!」

 近場にいた三人が悲鳴のような気合の声を上げ、クァトラに斬りかかる。

 しかし、次の瞬間にはクァトラは三人の横をすり抜け、剣を振りぬいた姿勢でその背後に立っていた。

 唖然とした表情で、剣を振り下ろす前の姿勢で固まる三人。その三人の手首と喉を一周する一筋の線が浮かび、血が滲んでくる。

 一人が剣を取り落とし、その首に触れると、その滲んだ血は簡単に拭い取られた。どうやら皮膚の薄皮一枚を斬られただけらしい。自身の首がまだ胴体とつながっていることを確認した生徒は、安心したように引きつった笑いを漏らし、膝をついた。

 クァトラが右に目を向けると、三人。左に目を向けると、二人。左右から同時に剣を振ってきていた。その剣が今にも振り下ろされようという瞬間にもクァトラは微動だにせず、すぅ、と静かに呼吸をする。

 斬られる、とメアは目を見開いたが、その想像は現実にならず、五本の剣は空を切った。それらが振り下ろされる間にクァトラが行ったのは、剣を水平に構えつつくるりと回っただけ。剣を打ち合ったわけでもなく、どころか牽制した様子すらなく。なのに、剣は一本もクァトラの髪すら揺らさず、見当違いの箇所に振り下ろされている。

 まるで幻でも見たかのように呆然とする五人の喉と手首から、つうっと血が流れる。そのとき初めて五人は自身が斬られていることを知った。

 クァトラが静かな足取りで団長の方へと進むと、残りの五人が剣を構え、その進路に立ちふさがる。

 意外そうな顔で足を止めるクァトラ。その視線の先は団長に向いている。

「構えないの?」

「そいつらも戦りたいみたいだからな」

「いや、だから構えないのかって、聞いているのだけれど」

 お前たちの構えは構えにすらなっていない。そう侮辱されているのだと激昂しそうになった五人は、ぴりっとした痛みが喉からすることに気づいた。その痛みは、手首からも響いてくる。小さな切り傷に、汗が染みるときのような些細な痛み。

 もう斬られているのだ。

 五人の全身から汗が噴き出した。動きが目で追えないだとか、そういう段階の話ではない。どうやって斬られた? 五人同時に? 斬る動きどころか、その挙動の初めの初めすら感じ取れなかった? いつ斬られた? 間合いに入ってすらいないはずだったのに? そんな馬鹿なことがあるわけがない。そんなことできるのは。

「人間業じゃねえな、おい」

 団長は不敵に笑った。

「だけど、俺にはそんな優しい真似はやめてくれよ? 女の細腕じゃ俺の首を切り落とすのは大変かもしれないが、そうやって剣で肌を撫でるだけで勝ち誇られちゃたまらない」

「ああ、そう。優しくする必要はないのね。そこまで大きい口を叩くなら、ちゃんと自分で踏みとどまりなさい」

 クァトラが改めて剣を構える。構えは正眼。その姿勢には一切の力みがないように見える。

 會長も剣を構えた。剣を大きく振り上げた大上段。その全身には今にも爆発しそうなほどの力が込められているように見える。

「山河流・安鋼断。ムーンショック゠コフコ」

「雷流剣術・踏破範師。クァトラ゠ハ」

 厳かな名乗り。

 僅かな静寂。

「はあっ!」

 気合の声と共に団長の姿が消え、クァトラのいた場所に剣が振り下ろされる――その直前の体勢で固まっていた。

 その喉元にはクァトラの剣が添えられており、そのまま踏み込み、剣を振り下ろしていた場合、団長の首は刎ね飛ばされていたことを示していた。

「思ったより、冷静ね」

「……この、化け物め」

「なんとでも。負けを認める?」

「完敗だ完敗! お前、以前団長とやったときは手加減してやがっただろ!」

「さあ」

 団長は全身から汗を流しながら、剣を取り落とした。その手首にはきっちりと一本の切り傷が刻まれていた。もちろん、その剣筋はまったく終えず、いつどのように斬られたかもわかっていない。紛うことなき完敗だ。

 クァトラはゆっくりと撫でるようにその剣を引き、その首にも一筋の疵をつけると、軽く振って鞘に納める。

「それじゃあ、約束通りに。もし絡んできたら剣を折ります。それでも絡んできたら利き腕を断ちます。それでも絡んでくるなら首を刎ねます。メア君、行きましょう」

 そう言ってメアをひょいと背負ったクァトラは、堂々とした足取りで格技館を出ていくのだった。


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>範師 師範じゃなくて範師なのか...?
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