042 運動場・休み明け・武器格闘
竜の月になった。
メアの夏季休暇は驚くほどあっけなく終わった。
二週間、学校の敷地の隅っこで朝から晩まで剣を振った。たまに通りかかった人にぎょっとした顔をされることもあったが、すぐに納得に変わり何も言うことなく通り過ぎて行ったため、何も起きなかった。たまにクァトラがふらりと訪れることもあったが、特に助言をしたりもせずに帰って行った。メアはひたすらに剣を振っただけだった。
何かが閃いたりもせず、何かを感じ取ったりもせず、なんとなく腕と肩と背中周りの筋肉が少しついた気がするくらいで、結局、石は斬れなかった。
しかし、メアにそれを落ち込んでいる暇はなかった。石斬りに期限を特に設けられていないことに今更ながら気づいたということもあったが、何より、休み明けの授業が忙しかったのだ。
気ままに寝て、起きて、剣を振って、を繰り返して空っぽになったメアの頭を破裂させようとするかのごとく、授業の密度が濃くなっていく。
「ですからこの動脈が切れてしまうと非常に危険なわけですね。まずは血を止めましょう。でなければすぐに死んでしまいます。圧迫するのはこの三点です。できれば布等で固く締めるのがよいですが、手が空いているなら手で押さえるのも許容範囲内です」
「これが所謂魂魄痙攣でーす。近くに霊晶がある場合は魂魄を傷付けてしまう可能性が在るので遠ざけまっしょい。魂魄痙攣中は微小な波動が繰り返し巻き散らされたりー、多くは魔力ではなく瘴気を生みまーす。放置しても良いのですが、が、が、、これが固化して魂魄に付着すると呪いと化すこともありまーす。魔力で上書きするのが安牌でーす」
「戦代後期、本格的な大戦の引き金となったのはこれ。竜の系譜による空王の襲撃です。これ。重要です。なんといってもあらゆる追跡者の間で意見が一致してますから。憶えといて損はないです。得もないかもしれませんが。一万と四千と二百、諸説ありますが、大体五桁を超える竜の襲撃で、空王は死にます。因みにこの竜は全て堕蛇級以上だそうですよ。恐ろしいですよね」
「そうですです。そのため作者不詳の書籍にヒソベと記名すことが流行し、本来のヒソベによる著作を埋め、分からなくなってしまいました。うーむ、残念ですね。現在の学説では、ヒソベの原本と目されるものは三つの流れがあり、似た系統、筆跡、文体ごとに分類し、古典魔術史群、美食礼賛群、空想小説群があります。今朗読してもらったのは美食礼賛群に属しますです。因みに私は空想小説群原本派です」
「何度も言うが物質学は世界がどうあるかを学ぶ学問ではなく世界がどうあるかをどう観測すれば正確に測定できるかを学ぶ学問であるからにして現在これはこうであるという性質を丸暗記したところでその性質が転変により数年後数十年後には丸っきり変わっている可能性が在る限り無意味である。ごちゃごちゃ言わずに計り量り測るのだ。愚直に手を動かして記録しろ今この瞬間この世界がどのようにあるかを」
「獣の系譜の内臓器官はこのように大差ないんだよね。血流の循環、食物の消化、呼吸。これらをこなすための臓器はおおよそが持っているよ。ただ、臥獣は副足を持つので肋骨周辺の骨格構造が異なるし、毒を持つ種族はいわゆる毒袋という器官を持ったりとか、まあ追加の器官はそれぞれだね。ちな、毒袋の標本がこれ。どう? 結構いい色してない? 見える? 眼を逸らさないで見ろ貴重だよ」
メアの興味をそそる授業はとても多かった。だが、いかんせん数と種類が多すぎる。メアは情報の洪水で溺れてしまいそうだった。
そして、もう一つ。
武器格闘の授業で剣術の指南が始まった。
矮躯族の小柄な少女。クィンが涙目で木剣を構える。
「せ、先生ぇ、いきなりなんて無理ですよぉ」
「甘えるな! 目の前にいるのは自分の命を狙っている敵だと思え! そうなったとしてもお前は剣を構えず震えるだけなのか!」
「もしそうなったら、こ、こうしますぅ」
クィンの姿が空気に溶けるように消えた。矮躯族の血徴、【隠身】だ。逃げるんだろうな、と花組の生徒は苦笑した。
しかし、キケはにやりと笑う。
「いいぞ! そうだ! やれ! 今なら相手は見えないぞ! 後ろから斬れ!」
「ふ、ふえぇ!? なんでそうなるんですかぁ!」
「血徴も個人の能力! 魔術以外なら好きに使え! さあやれ!」
「できませんよぅー」
「喚くな! やれ! やらないと死ぬぞ!」
泣きそうになっているであろうクィンから背中をぺちぺちと叩かれるアウェアを横目に、メアも木剣を握った。
実戦形式が一番だというキケの一言から始まった授業は、驚くほどのんびりとはじめられた。二人組を作って打ち込みから始めろという指示以外は何もなし。準備運動も、素振りもなし。メアは適当過ぎないかと呆れたが、慣れることから始めて徐々に専門的なことを教えてもらえる可能性もあるため、とりあえずは従う。
メアは誰と組むか迷った。素手と大斧以外にも様々な武器を扱えるらしいアウェアに相手を頼もうと考えていたが、流れでクィンと組んでしまっている。フッサには何故か断られてしまったし、ボワは剣が苦手らしい。他に花組で剣をある程度使えそうな、と顔を思い出そうとすると、真っ先にエナシの顔が思い浮かんでしまった。
エナシの方をちらりと伺うと、ギョウラと既に組んでいた。メアはなんとなくほっとしつつも、本格的に頭を悩ませた。
いつものようにレオゥに頼んでもいいが、レオゥは運動はあまり得意ではないようだった。それではせっかくの剣の授業であるというのに意味がない。
そんなメアの背を、一人の生徒が叩いた。
「め、めめめめああああ?」
「ラエマユテ」
それは蛸の頭を持つ獣人、ラエマユテだった。顔からは分かりにくいが男である。声帯が人とは少し違うせいか上手くしゃべれないらしいが、それを克服するために神為を乗せずにしゃべっているという努力家である。その努力は間違った方向を向いているかもしれないが、メアは嫌いではなかった。
ラエマユテは手に長めの剣を握っていた。それをぶんぶんと振っている。
「やろろろろろおおお」
「あ、組む? いいよ」
よく見てみればラエマユテは結構いい体格をしている。メアより一回りは大きい体に、がっしりとした腕。木剣とはいえメアの剣より五割ほどは大きそうな剣を軽々と振り回している当たり、メアより強い可能性もある。
あちこちでかんかんと木を打ち合う音や喊声を聞きつつ、メアとラエマユテは三歩の間合で向き合った。
ラエマユテは大上段に剣を構え、鋭い踏み込みとともにメアに振り下ろす。
メアはそれを避けずに受ける。
重い一撃だった。上背と腕力に任せた振り下ろし。メアの手に衝撃が走り、慌ててメアは剣を握りなおす。
メアは気合を入れなおし、横薙ぎに切り払う。ラエマユテはそれを受け、はじき返す。
単純な打ち合いを五合ほど繰り返した。メアの想像通りラエマユテはかなりの力があり、剣の扱いも多少は慣れているようだった。しかし、同時に、ラエマユテの動きはどこか鈍いように感じた。剣の打ち込みの鋭さも受ける時の反応も、やや物足りなく感じる。
メアの直感は間違っていなかったのか、打ち合うごとにラエマユテの対応は余裕をなくしていく。
ラエマユテは側頭部への一撃をぎりぎり防ぐが、慌てて放った反撃は踏み込んだメアの頭上を素通りする。メアの突きがラエマユテの脇を掠め、ラエマユテはたたらを踏む。そして、一歩退いたラエマユテとの距離を素早く詰めたメアの薙ぎ払いがラエマユテの肩を打った。
剣を取り落としたラエマユテを見て、メアはふぅっと息を吐いた。
「つ、つつよ、つよよい。めああ」
「そうかな? そうかもね」
強いなどと言われてメアは首を傾げるが、一本取った相手の目の前で過剰に卑下するのも良くないと思いなおし、メアは曖昧に頷いた。考えてみれば、模擬戦を含めてもこの学校に来て以来の初勝利。誉め言葉として素直に受け取っておくことにした。
ラエマユテは打たれた形をぐるぐると回す。動きを見る限り骨に異常は無さそうだ。メアが肩を見てみると赤く腫れてはいたが、そう深刻な怪我でもなさそうだった。
「もう一回やる?」
「ややるる」
メアとラエマユテは剣を構えた。
そうこうして数仕合行い、ラエマユテの体にもう少し痣が増えたころ、キケが号令をかけて生徒を集めた。
「それぞれの実力は十分にわかった。俺の指示通りに二人組を組め」
そうして、メアが組まされた相手は、エナシだった。
メアが嫌そうな顔でエナシの方を見ると、エナシも嫌そうな顔でメアを見ていた。それに加えてエナシの眼は怒りに燃えていた。少し考えればメアにも理由は分かる。メアと同程度の実力だとキケに判断されたことがエナシにとって屈辱なのだ。
エナシはキケに対して噛みつこうと口を開きかけたが、忌々し気に口を閉じるとメアに向き直った。その目は口より饒舌に語っていた。気晴らしにお前を叩きのめすことにする、と。
メアは深呼吸をし、口角を上げた。負けるかもしれないが、だからと言って怯える様子を見せるのも気に食わない。とりあえず余裕を見せておいてエナシを苛立たせてみる。
「構えろ、雑魚」
エナシは以前のように片手で木剣を構えた。足元を警戒しているのか下段の構え。もう片方の手には何も握っていない。
メアは訝しげに思うが、今回の授業は魔術禁止である以上、空いた手で何かをしてくるということは無いだろうと判断した。メアも木剣を両手に握り正面に構える。
エナシが舌打ちと共にメアに打ちかかった。メアもそれを受け止める。つばぜり合いになると瞬時に判断したメアは両腕に力を込めたが、空いているエナシの左手が動いたのを見て即座に退く。
再びの舌打ち。メアの予感は当たっていたようだった。至近距離ではあの手が何かをしてくるらしい。忌々し気なエナシの表情がそれを物語っている。
どうするか、と考え、すぐにメアは判断する。ならば片手では受けられない一撃を食らわせれば良い。膠着状態を作れないようにすればいいのだ。そうすれば片手が開いているという利点を生かすことはできない。
メアは呼吸を整え、一息に飛び込んだ。
「っおぁ!」
石を斬る。その一心に振り続けてきた上段からの唐竹。メアは気合と共に木剣を振り下ろす。
エナシはその一撃を涼し気な顔で受けた。
鈍く重い音。受けとめられた、とメアは歯噛みするが、しかし、次の行動は早かった。
そのままエナシに体当たりをして突き放し、右薙ぎ。防がれても間髪を入れずに袈裟斬り。逆袈裟。メアは防御を考えずに木剣を振り続ける。
打ち合うこと数合。メアは剣を振り下ろしながら不思議に思った。エナシの反撃があまりに少ないのだ。しかも、メアの斬撃の合間を縫って反撃を繰り出してくるが、以前に比べて勢いがないようにも感じられる。真剣ではないせいだろうか。本気ではないせいだろうか。しかし、エナシの表情を見る限りそうにも感じられない。相変わらず怒りに満ちた視線でメアの方を睨んでいるのだ。
とはいえ、メアの斬撃が全て受けきられているのも事実。メアは足元への攻撃や牽制を織り交ぜなんとか一撃入れようとするが、有効な斬撃は一度も通らない。
息が乱れてきたメアが一度距離を取ると、エナシはそれを待っていたかのように両手で剣を構えた。
「面倒くせぇ」
気迫のこもった振り下ろし。来る、と構えたメアの両手に凄まじい衝撃が襲い掛かり、メアの木剣が半ばから砕けた。
メアは唖然とするが、その間にも体は勝手に動き、エナシとの距離を詰める。木剣が折れて得物の長さでは圧倒的に負けてしまった以上、その差を埋めるために間合いを詰めるしかない、と判断したのだ。
しかし、すぐにメアは気づいた。エナシの木剣も半ばから折れている。じゃあ殴り合い、と考え、しかし、これが剣術の授業であることを思い出したメアは、そこで動きを止めてしまった。
中途半端に剣を振るい、剣の根元同士で打ち合ったまま固まってしまったメアは、次の瞬間にはエナシに腕を掴まれて地面を転がされていた。
「ぐぁぇっ」
背中を打ち付け呼吸が止まったメアは、ぐるぐる回る空を眺めて呼吸を整える。
数瞬後、慌てて立ち上がったメアの眼には、予想とは反して手首を曲げ伸ばししながら歩き去るエナシの背中が映った。
追撃されなかったのは意外だったが、メアが負けたことには間違いない。まるでメアなど初めから相手にしていなかったかのように歩き去るエナシに対し、メアはぎりぎりと歯を噛み締めた。




