036 寮・相談・人神
メアは夕雲寮の自室で現代魔術のいつも通り訓練をす。上達は実感している。最近は筆箱も浮かせられるくらいには魔術の強度が向上してきているのだ。できることが増えて楽しくないわけがない。しかし、今日は身が入らない。
その理由は明確で、昼間の一件が原因だった。
溜息を吐くメアに、面倒くさそうにヘクセが呟いた。
「メア。君また逃げ遅れたんだって?」
メアは思わず筆箱を取り落としてしまった。
「ななななんで知ってるの?」
「間抜けは噂になりやすいんだよ。で、何があったのさ」
「まぬけかぁ……。ん、何がって?」
「なんかあったんでしょ。さっきから溜息多すぎてうざい。聞いて欲しいことがあるなら聞くだけ聞いてやるから言いなよ」
それはメアに取って意外な言葉だった。気難しいヘクセからメアを気遣うような言葉が出るとは思ってもいなかったのだ。明日は雪でも振るのだろうか、と思いつつも、ヘクセがそんな気分になるほど溜息が多かったのだろうか、とメアは自省する。
ヘクセは本を閉じ、メアの方へ体を向ける。そして、顎をしゃくって促した。
メアは少し迷ったが、話を聞いてもらうことにした。なので、寝台から降りて自身の席に座った。
「実は今日、凄い強い先輩に遭って」
「いるだろうね。この学校はそんな奴ばっかりだし」
「命を助けてもらったんだ」
「そんなに危なかったのか。まあ逃げ出したのは砲兜だったらしいしね。メアが遭ったら即死か」
「で、つい弟子にしてくれってお願いしちゃって」
「断られたと」
ぐむ、とメアは言葉に詰まる。
「いや、断られたわけじゃなくて、とりあえず話は後でって言われて、そのままどっか行っちゃって。その後も会えなくて」
「それ断られたでしょ」
「……やっぱり?」
「うん」
メアは椅子に背を預けて天を仰いだ。薄々感づいていたことではあったが、他人にはっきりと言われるとずっしりと心が重くなる。
何か慰めの言葉でもくれるのかとちらりとヘクセを見ると、ヘクセはもう自分の役目は終わったとばかりに本を開いている。そして、メアの視線に気づくと露骨に面倒くさそうな顔をした。
「まだ何か用?」
「……はぁ」
「ああもう! 意外と面倒な奴なんだな君は! わかった! 聞いてやるから!」
亡者みたいな目つきしやがって、とヘクセは吐き捨てた。その言葉でメアは地味に傷ついたのだが、ヘクセは気づいてないようだった。
ヘクセは机に肘をつき顎を手に乗せた。
「で、なんて先輩?」
「え?」
「名前だよ名前。なんて先輩に助けてもらったの? 三年生? 四年生?」
メアは黙ったまま目を逸らした。
ヘクセは察した。
「命の恩人の名前も聞かなかったのか」
「聞きそびれたんだよ」
「同じことさ。そんなんじゃ改めてお礼さえ言えない……ああ、それで凹んでたのか。まったく、義理堅いのかそうでないのかよくわからないね」
察しよく哀れみの視線を向けてくるヘクセ。メアはその視線を素直に受け止めながら、机に上半身を投げ出した。
ヘクセは淡々と義務的に慰めの言葉を贈る。
「狭い学園だしどうせすぐ見つかるよ。その時はちゃんと名前を聞きなよ。お礼を言うのも忘れるなよ」
「はい。そうします」
メアは机に突っ伏したまま、頭をもぞもぞと動かして首肯した。そして、お礼の品の一つでも懐に忍ばせとかないといけないと決意を新たにした。
しかし、無自覚にもヘクセは追撃をかける。
「まあ、四年生だったら学校にいないことも多いし会えないかもしれないけどね」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。学校を出た後のことを考えてるから校外活動が多い。というか、就職の下調べと言うか、体験就業というか。メアのとこの団体には四年生いないの?」
「いない……と思う」
言われてメアは記憶を探る。魔闘連盟の団員は三人だと認識しているが、そう明言されたことはあっただろうかと。ヘクセの口振りからして四年生はいても顔を見せる暇がない可能性はある。団長のハナは三年生だが、それが四年生がいないことの証拠にはならない。
「けど、そっかぁ。四年生だと会えないかもしれないのか」
もしそうだとすると、と思いメアは首を振った。確かに大人っぽく見えはしたが、一七歳かと言われるともう少し年若かった気もした。なので、希望を捨てずに探す方針は変えない。
「どんな先輩だった? 見た目が特徴的なら気に掛ける程度には覚えておいてあげるよ」
ヘクセのそれはメアにとって有難い申し出だった。そのため、メアは嬉々として特徴を語る。
「黒い長髪の先輩で、服も全体的に黒っぽかった。靴下まで真っ黒。ただ剣は白かった。鞘も刀身も。背は俺と同じか少し高いくらい」
「ふーん、典型的な南の人って感じだね」
「あ、でも目の色は若草色だった。肌もすっごい白かったし、西の血が混じってるのかも」
「驚くことじゃないな。はみ出し者が多い場所だから」
「そんな感じのすらっとした女の人だった」
「女性!?」
予想外だったのか素っ頓狂な声を上げるヘクセは、メアの背後の寝台が蠢いたのを見て慌てて口を閉じた。まだ日が沈み切っていないなんて言い訳をキュッフェは聞いてくれない。キュッフェが寝ている間は静かにしていなければいけないというのがこの部屋の不文律だ。
気を取り直して、ヘクセは声の音量を下げる。片手で覆いをしてメアに向けるその声はほとんど囁き声だ。
「剣が得意な女の先輩なんて簡単に絞り込めるでしょ。それに砲兜を剣で真っ二つなんて一〇もいないよ。魔術は使ってなかったの?」
「使ってなかったと思う。多分」
「じゃあすぐ見つかるよ。はい。話終わり。お疲れ」
ひらひらと手を振って話を切り上げた。メアも再び寝台に上り、横になる。
目を閉じ深呼吸をすると、メアはもう一度お願いしてみる気になった。今度会ったときにはちゃんと弟子入りを頼み込む。駄目だと言われたらそれから考える。
しかし、少し早いがそのまま寝ることを考え始めたメアに対し、ヘクセが再び口を開いた。
「そうだ、メア。君が以前言っていた人物、人物って言うのもおかしいけど、ともかくそれについて気になる描写があったんだ」
「人物? なんの話?」
「君が以前話してた不審者の話。片方は魔法使いの侵入者だったけど、もう片方はよくわかってなかったでしょ。ほら、春の! 入学したばっかの時の」
メアは言われて記憶を探り、思い出した。確かにそんな話はあった。テュヒカを狙っていた魔法使いの男と、金と黒の男。何がしたいのかよくわからない、酔っぱらいのような話し方をする、謎の男。
後者に関しては何も解決していなかった。どころか先生に相談することすらしていなかった。メアは存在自体をすっかり完全に忘れていた。
「あれか、わかったの?」
「予想だけどね。人神っていうらしい」
それはメアは聞いたことのない単語だった。しかし、神という意味が込められているのが気になる。
「人神? それは、雷剣神とか堕愛神みたいな?」
「違う。雷剣神も堕愛神も神に昇華しただけのただの人間だ。眷神は巡界神の配下ではあるが、その性質は巡界神と同様、去りし神に連なるもの。……世界学の授業はちゃんと受けてる?」
メアは即答ができなかった。世界学の授業としては史学基礎と地理社会があり、地理社会はそれなりに楽しく受けているのだが、史学基礎の方はあまり楽しめていない。そして、神に関する授業は史学基礎の授業に含まれていた。
「だ、大丈夫。ぎりぎり。去りし神が巡界神を作って、巡界神が眷神を任命するって認識であってるよね?」
「厳密には違うけど、まあそれでいいよ。で、人神ってのはそれとはまったく別系統の神だ。亜神と同様にね。……その顔、理解してないな。どうしようか。神の定義から話をしなきゃいけないのか」
「いや、いい、いい。要するに人神は変な神様ってことでしょ」
「そうだね。というか現状それ以上のことは分かってない。あまりに資料が少なすぎて全然名前が出てこないんだ。わかったのは生まれたのがここ千年くらいってことと、戦代と現代の境くらいらしいってことと、全部で四柱ってこと。後は名前くらいか」
「ふーん」
意外と分かっている方なのではないかとメアは思った。そもそもメアにとって神はあまり身近な存在ではない。冠婚葬祭時に祈る相手。気まぐれに施しと罰を与える強大な力。その程度の認識だ。眷神が身近な地域に生れればもう少し違ったのだろうが、メアの住む地域には眷神の恩恵は皆無に等しかった。
しかし、あまり気乗りしていないメアとは異なり、ヘクセは鼻を膨らませて興奮気味に語る。。
「幸いなことに人神はとてもわかりやすい。言動や在り方でどの神かは簡単に判断ができる。メアが遭った神のその名は、劫欲の神。その神で間違いない」
どうだ、と言わんばかりにヘクセは両手を広げた。そして、すぐに興奮しすぎたと気づいたのか、両手を下ろした。
「劫欲、か」
「そう。劫欲。欲張り者の前に現れ、その人の最も求めるものを与え、二番目に大事なものを奪っていくらしい」
「そう言えばそんなこと言ってた気もする。もうよく覚えてないけど」
「よっ、欲張り者」
「そこは否定したい。それ悪口だよね」
「さあ?」
楽しそうにヘクセはメアへおちょくるような笑みを向ける。メアはあまり気にせず目を明け、また、閉じる。
メアは劫欲の神に出会った時のことを思い出そうとして、気づいた。
「あ」
「どうかした?」
「そう言えば、あの時――」
出会ったのは三人だった。もう一人、空からメアの目の前に降りてきた少女がいた。剣の握りに関して助言をして去っていった少女がいた。それは紛れもなくメアを助けてくれた女生徒だった。
メアは自身の記憶力のなさに絶望しそうになりながらも、また会えるのではないかとい希望が湧いてきた。意図せずに二度も会えたのだから、探せばもっと簡単に会えるだろう。そう思ったのだ。
メアは満足そうに頷き、寝るために全身の力を抜くのだった。




