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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
三章 雷の如く
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033 教室・身体学基礎・闘技

 身体学基礎の授業担当であるイドハが、柔和な笑みを浮かべたまま腕を教卓に置いた。

 自身の腕ではない。肩口からすっぱりと落とされた何かの腕だ。一見人間の腕に見えるそれに、花組生徒たちは息を呑んだ。

 しかし、メアはすぐに気づいた。それは人間の腕にしてはやや小ぶりである。子供の腕にしてはがっちりとして見えるし、爪が異様に鋭い。皮膚の質感もやや堅そうに見える。要するに、人間のものではない。

「これは蝋蛮(ケイウェルタ)の腕です。人間のでありませんので、そう青い顔をせず落ち着いてください。吐くと朝食がもったいないですよ。深呼吸しましょう、シヌタさん」

「は、はい」

「防腐処理もしてありますので、臭わないでしょう。問題ないですよね、ヒーカッカアー君」

「あー、はい。ってか香水か何か使ってます? やたら甘い匂いがしますけど」

「流石。その通りです。こちら虫除けの香を焚いた部屋で保管しているので染みついているのです。一番鼻の良いヒーカッカアー君でも問題ないなら他の人も気にならないでしょう。ということで、本題に入ります」

 イドハは蝋蛮の腕から針を抜いた。そして、つるりとその皮を剥く。

「身体学基礎。本日重点を置くのは腕の構造です。ただ、人間の腕を用意するのは色々と問題があるので、物理的な構造がほぼ同一である蝋蛮の腕を使います。皆さん、まずはこれを模写してみましょう」

 皮膚の下には鮮やかに彩色された筋肉と骨があった。筋肉を見やすくするためか脂肪などは取り除かれているらしい。手慣れている様子から見ても、そうした教材らしい。

 醜怪なそれに顔色を悪くしているレティが手を挙げた。

「先生、これ生命学の授業じゃないんですよ?」

「その通り。身体学基礎の授業です。身体の構造、構成、機能、働きを知り、体を動かす助けとする。そうした目的を持った授業です」

「じゃあなんでこんな解剖みたいな」

「そうした方がよく知ることができるからです。レティさん。あなたは自身の肘が何方向に動くか知っていますか?」

 レティは自身の腕をくいくいと動かし、自信満々に言った。

「四方向です!」

「では、こちらの腕で試してみてください」

 イドハはレティに蝋蛮の腕を差し出した。レティは若干嫌そうな顔をしつつも、それを受け取る。

「まず、こう、内側に曲げる方向に一、外側に伸ばす方向に二、で、横に……あれ?」

 コキ、という音共に蝋蛮の腕がぐにゃりと。

 不思議そうな顔をして腕をくねくねと曲げ伸ばしするレティの肩をアウェアが叩いた。

「人の腕はそちらには曲がらない」

「えーでも、ほら、私の腕はこう動くよ。こう!」

 レティは片腕を前に伸ばし、力こぶを作るように肘を曲げると、その状態から腕を左右に倒して見せた。顔の前で掌をぶんぶんと揺らす、何かを否定しているかのような動作だ。 

 ほかの生徒も釣られて同じ動作をする。そして、不思議そうな顔をする生徒や。

 イドハが手を叩いた。

「どうですか? レティさんの意見に賛同できる方は挙手してください」

 四人ほどが手を挙げる。イドハは満足そうに微笑む。

「では、賛同できないという、フレン君。君はどう思いますか?」

「これは肩の動きでしょう。肘じゃなくて肩が回転している」

 退屈そうに答えるフレン。レティはぴんと来ないのか首を傾げた。

「はい、その通りです。方向、厳密には軸ですが、肘の動き一つとっても実は普段はあまり意識していないことが分かると思います。肩は三軸。肘は二軸。手首も二軸。指は、沢山。そんな正しい認識を実物を見ることによって行ってもらうことが今回の目的です」

 メアは目をあまり理解できないながらも頷いた。要するに身近すぎるゆえにあやふやな知識を正す。それが目的だと理解した。

「と言っても、そこまで厳密に考えなければいけないわけではありません。私たちは普段、動作に意識を伴わせることがあまりありません。目の前の匙を取る時、肩を回転させ、肘を伸ばし、指を開いて、握りこむ。そんな風に一々考えたりはしませんよね? 私たちは経験的に知っているからです。体が覚えているからです。未知の動きをする時だって、意識して各関節を一つずつ制御するわけではありませんよね。なんとなくでできるはずです。なんとなく。なんとなくです。言語化は魂魄の領域です。肉体の操作はなんとなくでいいのです。ですが、稀になんとなくでは何度やってもうまくいかない。そんなときがあります。そんなとき、この知識が閃きの一助になれば。あくまでその程度の授業です」

 そんな言葉に明らかにほっとした生徒が数名。堅苦しい勉強を苦手とする生徒たちだ。武闘学に大分類されるこの授業でまでそうした理論を学びたくない生徒たちだ。

 しかし、イドハは付け加えた。その一言は余分だった。

「そうした積み重ねにより、動作が闘技へと至るわけですので」

 メアは挙手した。手を高々と掲げた。好機だと思ったからだ。今まで散々聞かされてきた闘技という単語。実際にそれを目にしたこともある闘技。謎の技術闘技。謎の単語闘技。誰に聞いてもあやふやにごまかされ、まるで言葉にしてはいけないかのように振れられないそれを、今教師が授業の時間に口にしたのだ。ここで聞かなければいつ聞く。そう言わんばかりにメアは手を挙げた。

 そのメアの表情にイドハも失敗したと思ったのか、やや躊躇った。しかし、質問を聞く前から断わるのも違うと思ったのか、最終的にはメアに発言を許可した。

「どうぞ」

「先生、闘技ってなんですか?」

 途端、しん、と静まり返る教室。

 注目がメアとイドハに集まる。

 周囲から微かに声が響く。やりやがった。聞いちゃうんだ。そんな声だ。メアは慌てて視線を漂わせるが、どこか非難めいたものもある気がした。後悔したが、後の祭り。

 しかし、一方で、メアと同様気になっていた生徒もいるようで、そうした生徒は期待の視線を向けてきている。

 イドハは空咳を一つ吐いた。

「ルールス君。闘技を目にしたことがありますか?」

「はい。あります」

「では、君は何故それを闘技だと思いましたか?」

「え?」

「闘技を目にしたことがあるということは、闘技が何なのか知っていなければ言えないはずです。君は先ほど見たことがあるといいましたよね? 何故それを闘技だと思ったのですか?」

「それは、明らかに変な動きだったので」

 メアの曖昧な答えにイドハは納得していないようだった。じっとメアを見つめて言葉の続きを待った。

 戸惑いつつも、メアはそのときのことを思い出し、ゆっくりと言葉にする。

「えと、一番最近だと、弩でした。一発しか矢を装填できない弩で、一瞬で矢を七発も放ったんです。片手で装填するような動作はしていたようにも思えますが、目で追えない速度で、狙いながら打ちながらだったし、ありえない、と、そう、ありえない動きだったんです。だから闘技だと思いました」

 その言葉は案外するりとメアの腑に落ちた。

 同時に、次々と思い出す。それ以降にも何度もあり得ない動きを目にしていると。

 空を歩く少女は、それを闘技だと言っていた。魔闘連盟のハナには目線だけで意識を奪われた。メアとテュヒカの命を救った矢は音より速く大砲より剛かった。キケが臥獣を吹き飛ばした蹴りもそうだろう。全部闘技だ。ありえないような動きと、その結果を目にしてきた。

 が、同時にメアは分からなくなった。では、どこからがあり得ないのか。メアは頑張っても五、六歩ほどしか跳べないが、ボワは簡単に十数歩も跳躍して見せる。それは闘技か? メアの剣では狼の毛皮も切れなかったが、世の中には鉄だって切れる達人がいるという。それは闘技なのか?

 そんなメアの葛藤を見抜いたのか、イドハは優しく微笑んだ。

「はい。それが闘技です。そして、それは闘技ではありません」

 ぱんぱんぱん、とイドハが三回手を叩いた。

「闘技とは、言葉にするならば、ありえない動作のことです。しかし、闘技と動作に本質的に違いはありません。動作は洗練されればされるほど、速く、滑らかで、徐かなものとなり、その結果は激しく、強く、傍から見るとあり得ないようなものとなります。ですが、それがあり得ないものかどうかは、それを見る人の感覚によって変わるでしょう。だから、これは闘技か? と問われた際に、それが闘技であると断言する人はほぼいません」

 ぱんぱんぱん、とイドハが再び手を叩いた。その拍手の間隔は先ほどよりやや短い。

 メアは頷く。

「そして、それは武術に身を捧げる物ほど顕著です。自身のこれは闘技と言えるのか? 万人にそうだと肯定されるほどの物なのか? それは永遠の命題です。そして、答えは決して出ないでしょう。何故なら闘技に果てはなく、闘技に終点はないからです。それを極めようとすればするほど感じるはずです。これは違う。まだまだこんなものではない。きっと、まだ、先がある、と。ある意味、究極の自己満足です。しかし、皆それに囚われています」

 ぱぱぱ。乾いた音が響く。イドハが手を叩く間隔はどんどん短くなる。

「一方で、多くの武芸者はこうも感じてもいます。これはきっと闘技に呼ぶにふさわしい技術だ。私の研鑽はこうして実を結んでいる。そうした自負と、自信。成長するにつれ、それは自身を支える柱となり、自分自身を形作っていきます。そのため、自身の技をただの動作と呼ぶのは難しい。そんな生易しいものではないと思いたいからです。しかし、闘技と呼ぶべきものか? 不可能の極致であると、あり得ない動作であると呼ぶのか? いや、自身ができているのだから不可能ではない。つまり闘技ではない。だとすると動作か? いや。いや。いや。こうした矛盾が延々と循環するのですよ」

 いつしか、イドハが手を叩く度は目にもとまらぬものとなっていた。いや、傍から見るとただ単に手を叩いているだけのように見える。ぱん、と。しかし、教室にいる誰もが確信していた。イドハは三回ずつ手を叩いているのだと。

「そう、矛盾です。あり得ない動作でなければ闘技と呼べません。しかし、それを行えているのですから闘技とは呼べません。言葉遊びのようですが、中々にこれがやっかいな問題で。それゆえに、いつしか、こんな言葉が生まれました。言葉に囚われ心技失う。そんな七面倒くさいことを考えていると闘技の神髄を掴めないぞ! 心を無にしててがんばれ、という意味合いです。こうした矛盾を考えないようにする言い訳に使われました。そして、それがいつからか常識となっています」

 ぱん、という破裂音が教室こだまする。しかし、メアの目にはイドハの動きは捉えられず、手を動かしてるようには見えなかった。メアは言葉を失った。

「同時に、闘技とは何か、という問いには答えるべからず。そんな風潮が生まれ、あっという間に浸透しました。武術の世界では、特にね」

 ひときわ大きく破裂音が響く。いや、それはもう音と形容するよりは衝撃と表現した方が正しい。机が、椅子が、窓が、扉がびりびりと震え、数人の生徒が椅子から転げ落ちた。

 教室内を沈黙が支配した。

「はい、というわけで。模写始めましょうか。これからしばらくはこの形式で進めます。今日は腕ですが、手、肩、首、胴、股間、足、諸々やりますので、楽しみにしてください」

 イドハとても早口に言い切った。その笑みは有無を言わせない迫力があった。

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