029 食堂・喧嘩・調停委員
翌日、武器格闘の授業が終わり、運動場の片隅に突っ伏しているメアは、同じく突っ伏しているレオゥに話しかけた。
「レオゥ、重魔術って知ってる?」
「……知ってるけど」
「どんな魔術?」
「力を重ねる魔術」
「意味わかんない」
武器格闘の授業はいまだに体力づくりが続いている。木登りや荷運びなど種類は増えているが、いまだに武器を持たせてもらえないのは変わらない。しかも、キケは各自の体力に合わせて限界まで負荷をかけてくるため、授業終了時には例外なく全員が運動場を舐めている。
「重魔術がどうかしたか」
「俺が使ってる魔術は力魔術じゃなくって重魔術って言われたから。けどそんなの授業でも聞いたことないし、よくわかんないです。教えてレオゥ先生」
「重魔術? 本当に?」
レオゥが砂にまみれた無表情をメアの方に向けた。
「俺の手に重魔術使ってみて」
「わかった。……ほい」
重と言われてもさっばり想像ができないので、相変わらず力と念じながら魔力を練成する。そして、練成した魔力をレオゥの手に。
レオゥはその手をひらひらと動かし、僅かに頭を動かした。どうやら頷いたらしい。
「確かに重魔術だ」
「本当?」
「誰が重魔術って言ってた? こんな微弱なの普通は力魔術と判別できないぞ」
「キュッフェ様」
「メアと同部屋の奴か」
「そう。でさ。重魔術ってなに?」
「うーん。俺も理解しているわけじゃないんだ。使えないし。まあ体感するのが早いんじゃないか?」
レオゥは顔をメアとは反対側に向けると、少し離れたところでうつ伏せになっている赤髪の少女に声をかけた。
「アウェア。ちょっと手伝ってくれないか」
「どうしたタ。流石の私でもしばらくは動けんぞ」
「体力は使わない。少し魔術使ってみて欲しいだけだ。頼む」
「いいぞ」
アウェアがずりずりとレオゥの方に這ってくる。その歩みは亀の如く。特に体力のある方であるアウェアはキケからのしごきも厳しく、やはり体力を使い切っている。
「何をすればいい?」
「ちょっとメアの手に力魔術をぶつけてみてくれ。軽くでいい。いや、強い方がいいか?」
「任された」
メアは咄嗟に、レオゥの言った体感という言葉の意味を理解した。そして、黙って魔術を受けることにする。魔術の指導に関してはレオゥは妥協がないというのは、薄々感じていたことだったからだ。
メアがぷるぷると掲げた手にアウェアが魔術を放つ。すると、軽い破裂音共にメアの手が弾き飛ばされる。手には軽い痺れが残り、その衝撃をメアに感じさせた。
「今のが力属性力魔術。力を加える魔術だ。接触と衝撃が時間差なく発生し、目標を破壊することは非常に得意。音で言うなら、ぱん、とか、どん、って感じ。捻る系ならぎりって感じ。潰す系ならぐって感じ」
「ぱんって感じなのは分かった。じゃあ重魔術は?」
「自分の手に打ってみな」
メアは自分の手に使ってみた。すると、その違いがわかった。
「なんていうか、浮遊感? がある。弱弱しいだけかもしれないけど」
「それだ。力を加えるじゃなくて重ねる。音で言うなら、ぐにー、だ。力の流れは滑らかに満遍なく自然であり、抗いようなく持続する。それが重魔術だ」
非常に慣れ親しんだ感覚の、その正体にメアは思い当たった。
「これ高いところから飛び降りた時の感覚に似てるよ。ほら、まるで地面への引力がなくなったみたいに体軽くなるやつ」
「それな。地面の方向に向かって使うとまるで体重が倍になったかみたいに感じるぞ」
「わ、本当だ。手が重いー」
「おい、ルールス。私にもやってみてくれ。面白そうだ」
「うーん、ほい」
「て、手が軽い! 楽しいぞこれ」
理解。
三人が顔をうつ伏せのまま顔を突き合わせていると、鐘が四回なった。
「昼飯行くか」
「そうだね」
気付けば体力はある程度回復していた。メアとレオゥは体を起こして砂を払う。汗にまみれてはいるが耐えられないほどではなく、他の男子と同様そのまま食堂に向かうことにする。女子は大部分が水浴びに寮へ戻る。アウェアのような一部の例外を除いては。
メアとレオゥが雑談をしながら食堂に向かって歩いていると、楽しそうな顔でアウェアが話しかけてきた。
「ルールスは魔術の鍛錬は順調か?」
「うーん、順調といえば順調。授業には遅れずについて行けてるとは思う。アウェアは?」
「私もだ。力魔術は使い勝手が良い。鐵と魔術は使いようとは言うが、力魔術はいかにも戦闘向きだ。遠間での攻撃手段が得られそうで満足している」
常々気になっていることがあったので質問してみることにした。
「アウェアは、将来の目標とかあるの?」
「唐突だ。私に興味が湧いたか?」
「そうじゃないけどさ、なんか単純に強くなりたいってわけじゃなくて、アウェアは明確な目的がありそうな感じがするんだよね。ゲンヂとかエナシとかはただ強さを求めてる感じがする。将来的には傭兵とかやってそう。僕とか、あと多分ヒーカッカアーは技術を磨くのが楽しい。から強くなりたいんだ。けど、アウェアはどっちとも違うと思う。なんで戦いの技術を求めてるの?」
枯草色の瞳がメアをじっと見つめる。メアは少し恥ずかしい気分になり、つい目を逸らしてしまった。
アウェアは歩きながら斧に刃に触れると、少しの逡巡の後、ぽつりと呟いた。
「私は正義を成したいんだ」
「正義?」
「正しくて、良いことだ。正しくて悪いことは駄目だ。正しい意味がない。正しくなくて良いことも駄目だ。それは偽りの良さだ。どちらか片方を達成するのは容易い。しかし、両方を同時に成すことは難しい。だから私は正義を成したいんだ」
「へー」
思ったより抽象的な話に、メアは深く理解しないまま頷く。
「よくわかんないけど、応援するよ」
「メア、それは、あまりにも……正直すぎだろ」
「だってよくわかんないし。けど良いことみたいだから応援はするよ」
メアの正直な感想にレオゥは呆れたようにぼやいた。しかし、メアは気にせずぐっと拳を作った。応援の意を示す仕草。
アウェアはそんな二人を見て楽しそうに笑った。
「いいさ。メアの言葉は嘘じゃない。応援してくれるというなら有難く受け取っておく」
レオゥは肩を竦めた。本人が気にしていないのであればそれ以上追求する気はないようだった。
三人は食堂で粥をよそい、隅の方に座った。メアとアウェアが疲労などないかのように頬張っているのに対し、レオゥの匙の動きは鈍い。激しすぎる運動により食欲が削がれているのだ。ただ、ここで食べないと後に空腹に悩まされることはわかっているため、レオゥはなんとか胃に粥を流し込む。
レオゥがのろのろと食べ進める間に、人が段々と増えていく。食堂の混雑も少しずつ増し、空席は減っていく。雑談による喧噪。生徒の笑い声。メアもすっかり慣れた、いつも通りの昼食の食堂の風景だ。
メアとアウェアが早々に食べ終わり、食べていないのに席についているのは悪いか、と悩み始めたころ、そんな平和な喧噪は唐突に終わりを迎えた。
「ふざけないで!」
大声を出したのは、白い尻尾を制服の裾から垂らした獣人の少女。メアたちと同じ花組のイージノンシーだった。
それに対するは大柄な男子生徒。雰囲気からして上級生だろう。年長者の雰囲気。仏頂面をして腕を組んでいる。
「馬鹿にしてるの!?」
「侮辱したわけじゃない。お前にとってそれは恥なのか? 触れられることすら嫌なのか?」
「そんなわけないでしょ! 私の誇りよ!」
「ならいいだろ。うるさいな」
「よくない! ぜんっぜんよくない!」
イージノンシーの周囲が揺らめいた。怒りに震えるイージノンシーが魔術を行使したからだが、実際に風景が歪んでいるのは魔力による錯覚だけではない。力属性熱魔術。溢れ出る熱が空気を揺らしている。
「決闘よ! 決闘しなさい! そして私が勝ったら謝罪しなさい!」
「決闘は受けない。面倒だからな。謝罪もしない。理由がない」
「受けなさい! 受けろ!」
「嫌だ」
イージノンシーの怒りに呼応して熱量が増す。メア達の方まで熱が届き始め、机がちりちりと音を立てる。周囲の生徒は粛々と避難を始めている。
その怒りっぷりにメアは圧倒され、自分に向けられたものではないとわかっていても硬直してしまった。レオゥは念のために魔力を練り始め、アウェアが立ち上がった。
と、向かい合う二人の間に一人の生徒が割って入った。
「またれい、お二人」
熱に怯むことのないその生徒を見て、絡まれていた男子生徒はやや安堵した表情をした。一方、イージノンシーは気勢をそがれている。
「何よあんた」
「調停委員、サススである。争いの気配を感じたが故参上した。御免」
男は懐から硬貨のようなものを取り出し二人に見せた。
調停委員。メアはその言葉を口に出し、思い出した。自治のための三委員の内の一つ。役割は校内の治安維持。揉め事をできる限り穏便に解決するために活動する委員だ。委員となるための条件は三つ。正しきを良しとする善心。真と公を識る聡明さ。そして、暴れる生徒を制圧できるだけの武力。
エフェズズから説明はあったので、イージノンシーも相手がどういった立場なのかは知っているはずだ。それでも尚、イージノンシーは怒りのままに魔術を振るった。
「関係ない奴は――」
しかし、サススへと放たれた熱魔術はサススを傷付けることなく消えた。火傷するほどの熱風は心地よい温風となり、サススの髪を揺らしただけだった。
唖然とするイージノンシー。メアは解説を求めてレオゥへと疑問の視線を投げた。
「魔術の、魔力の塗り替えだ。冷魔術じゃない。支配権を奪ったんだ」
レオゥの驚愕の言葉をメアは半分も理解できなかったが、高等技術であろうことは察した。
「凄いこと、だよね?」
「勿論凄い。イーズが生成した魔力の属性を自分の属性で塗り替えたんだ。侵蝕力に余程差がない限りできない。ただ、できればああやって一方的に魔術を潰せる。封殺だ」
レオゥが唸る様に開設する一方、当のサススはなんでもないことのようににこやかな表情で両手を広げた。害意はない、と言わんばかりの仕草。しかし、見ようによっては挑発しているようにも見えなくはない。
「関係ないことはありません。我ら同じ学び舎にて学ぶ同志の学徒なれば」
驚きに動きを止めていたアウェアも我に返り、後ろからイージノンシーの肩に手をかけた。
「落ち着け、イーズ。一体どうした。何をそんなに怒っている」
イージノンシーはその手を払いのけようとしたが、途中で相手がアウェアだと気づきこらえた。そして、心底悔しそうに男子生徒の方を指さした。
「アウェア……あいつが。あいつが私を侮辱した。易々と誇りに触れた」
アウェアは視線を相手の男子生徒へと向ける。男子生徒は肩を竦めた。
「その尻尾をちょっと褒めただけだ。別に侮辱してもないし、触ったわけでもない」
「ちょっと? 気安いのよ! 赤の他人が私の尻尾を……よくも!」
また激昂しそうになるイージノンシーの前に手を出し、サススが声を張り上げる。
「纏めましょう。お二人、名は?」
「イージノンシーよ!」
「ペノ」
「では、ペノ君がイージノンシー君の尾を褒めた。それがイージノンシー君にとっては耐え難かった。決闘の申しこみの理由はそれでよろしいか?」
「そうよ!」
「……らしい」
メアは呆れた。獣人の特徴に初対面で触れるなど正気の沙汰ではない。褒めて喜ぶ獣人もいることはいるが、怒る獣人の方が圧倒的に多い。場合によっては殺し合いに発展する。そんなことも知らずに不貞腐れたような態度をとるペノという男子生徒の暢気さに呆れた。
サススも同様だったのか、少し強い口調でペノに注意をする。
「ペノ君。獣人に対してその色濃い部分を話題にするというのは、一般的に推奨されていることではないのである。それが見ず知らずの相手であれば尚。一年間知らずに過ごしてきて無事なのは幸運であると考えたほうが良いほどには」
「そうなのか?」
「勿論。その髪色は北の出身であるかな? 北は少ないから無理からぬが、そういうものなのである。例えるなら、親しくもない人間に許可なく家名で呼ばれるようなもの。分かるだろうか」
「なるほど」
男子生徒は深く納得したように頷き、イージノンシーに頭を下げた。
「すまなかった」
「っ、今更!」
怒りの抜けきらないイージノンシー。すかさずサススが窘める。
「イージノンシー君。君の怒りは最もであり、しかし忍耐と許容は必要である。ここは人種の坩堝。風習も慣習もあらゆるものが異なる若人が集う場。ここで己の規則と価値観を押し付けたところで、理解を示されるとは限りませぬ」
それは正論。サススの顔から笑みは消えて、真剣な表情になっている。
会話をしたことでいくら気分が落ち着いてきたのか、イージノンシーも深呼吸をし、思考を整理する。そして、目の奥に怒りをたたえたままサススに問いかけた。
「だからすべてを我慢しろと? 誇りを傷つけられて笑ってごまかせと言うの?」
「いえ、違います。理由を言うのです。怒りのわけを。それが正当な物ならばこのように謝罪が帰ってくるでしょう。そして、一度ならば許容すべきで。些細な無知は罪として罰するべきではなく、教え導くもの。違いますかな?」
これに反論するのはあまりに物分かりが悪い。しかし、この怒りを簡単に収めることもできない。葛藤するイージノンシーの背中をアウェアが軽く叩いた。
相手が阿呆だっただけだ、赦してやれ。アウェアのそんな視線が最後の一押しになったのか、イージノンシーは深くため息を吐いた。
「……そうね。その無知を許すわ。ただし、二度目は無いわ」
「では、落着ということで。御免」
そう言ってサススはふっとその場から消えた。メアはぎりぎり目で終えたが、見事な歩法だった。自身に集まる視線の向きを正しく理解し、その視線を縫うようにしてほとんどの生徒の死角に入った。闘技といっても差し支えない補法。
しかし、驚く生徒の前に、再びサススは姿を現す。
「改めて注意事項に明記しておきまする。調停委員発行の学和規稿は是非一度お目を通してくださるとありがたく」
そして、それだけ言うと、今度こそその場から去っていった。
生徒たちはすぐに食事に戻った。雑談による喧噪も戻ってくる。揉め始めた二人に特に文句を言うこともなく、何事もなかったのように。
メアとレオゥがほっと緊張から解き放たれていると、眼を爛爛と輝かせたアウェアがメアとレオゥの肩をばしばしと叩いた。
「あれだ! わかるかルールスああいうのだ!」
「え? え?」
「あれが正義だ。善く、正しい。決めた! 私は調停委員に入る!」
メアは喉が渇いたと思いながら、首を傾げる。
「うん。なんとなくわかるけど」
「調停委員は採用のための試験があるぞ。入ろうと思って入れるもんじゃない」
冷静なレオゥの言葉にもアウェアには響かず、あうぇあは両手を振り上げた。
「いいから見てろ。受かって見せる」
鼻息荒くアウェアは食堂を飛び出していった。二人が驚いたことを差し引いても泊める間もなかった。
二人は顔を見合わせる。
「どう思う?」
「教養はある。武力も十分。ただ、アウェアは結構短絡的だからな」
「そうだねー。喧嘩っ早いもんね」
そう言って二人は嘆息した。




