028 寮・神・神話
力、力、力。
メアは魔力を励起し、精錬し、手元の布切れに力を加える。
ふわふわと布切れは浮き、ややあってまた手の平に落ちる。
再び魔力を励起。先ほどより少し長く精練。手元の布切れに力を加える。
ゆらゆらと先ほどより少し高くまで浮き上がる。しかし、勢いはあまり変わらない。
思わずメアの頬が緩む。今行っていることは非常に些細なことで、魔術と呼ぶには恥ずかしいほどひ弱で、自分で貧弱だと自覚している古典魔術よりもはるかに弱弱しい。しかし、それでも自分で操作しているという実感はある。そして、ゆっくりだが着実に、行使するごとに慣れていっているという実感もある。
まだ明確に浮かすことができるのはこの羽毛のような布切れのみ。不安定で細い蝋燭倒すのが精いっぱい。
だが、成長は感じる。
「ふふふ」
「なに一人で笑ってんのさ。気持ち悪いな」
ヘクセに文句を言われ、メアは慌てて口を噤んだ。そして、ヴァーウォーカにも見られていることに気付き、咳ばらいをして無駄話を持ち掛けた。
「そういえばさ、二人は魔術学基礎の授業ではどの段階まで進んだ? 花組は今日魔力の励起から精練に移ったんだ」
「俺んとこは多分明日。ヘクセのとこが昨日魔力の精練に進んだみたいで、メアんとこもそうなら、まあうちんとこも同じ週の内に進むんじゃないかなって。だからキュッフェ様は明後日なんじゃないか?」
「そっか。ヘクセは魔力練れた?」
メアとしては純粋な疑問だったのだが、ヘクセはその言い方が気に入らないようだった。不機嫌そうにメアの方を睨む。
「当り前さ。あんなの誰でもできる。なのに御大層に魔術師なんて名乗ったりして、お前らにはできないだろうなんて見下した態度を取ってさ、本当に見識が狭いよ。魔術師ってやつらは」
「……なんか嫌なことあったか? 先生に怒られたか?」
「あ、わかった。火傷したんだ。俺もしたよー。まだひりひりする」
「違うっ。そんな馬鹿らしいことで一々へそ曲げたりするわけないだろ! ヴァーウォーカみたいにしょっちゅう校則の抜け道を探して怒られたりはしてないんだ。というかメアは怪我したなら医療室に行きなよ。折角優秀な医者がいるんだから」
ヘクセは勢いのまま早口でまくし立て、メアたちが驚いた顔をしているのに気づいて少し冷静になったようだった。気まずそうな顔をして、小声で呟く。
「……ただ、ちょっと使いたい属性じゃなかったというか、まあ、そんな感じ」
言い捨てて机に向かおうとするヘクセに。メア好奇心に任せて問いかける。
「適性、なんだった?」
「風魔術。正直使い道がない」
「そう? 空飛べたりして便利じゃない?」
「君さぁ、本当に授業受けてる? 空を飛ぶなんて風魔術の専売特許でもなんでもないんだよ。火魔術の反動、力魔術、気魔術。玉属性魔術なら浮かせてそれに乗れば空を飛べるし、そもそも自身の魔力を掌握できてれば何もなくても空を飛べる。風魔術の利点なんて燃費の良さと影響規模くらいでさ、そんなのは戦場に立つ死にたがりしか活かせない特性だよ。あーあ、メアは力魔術かい? いいなぁ」
言われて、メアは考えてみる。岩を動かして岩に乗る。力魔術で自身を吹きとばす。どちらも確かに空を自由に移動できるだろう。そうして考えると風魔術の利点は無いのかもしれれないと納得できた。
ヘクセに羨むような言葉に疑問に思ったヴァーウォーカ訊く。
「じゃあヘクセは何が使いたかったんだよ」
「それは勿論火魔術だね。一番便利。炊事洗濯は勿論のこと、夜に油を気にせずに読み書きができるなんて素敵だと思わない? そういう意味では光魔術でもいい。後は家事に便利な水魔術、雑事に効く力魔術、怪我を治せる陽属性魔術、空魔術なんかも便利でいいとはとは思うけど、そこら辺は狭き門だし、修得も大変だし、やっぱり火魔術だよ」
「そっか。なるほど。あ、先生はある程度なら適性がなくても使えるようになるって言ってたよ。想起法を丁寧に続ければつかえるようになるって」
「知ってるよ」
冷たい反応。が、一月の共同生活で慣れたメアは一々腹を立てたりしない。
メアがむっとした様子もなく再び布を浮かせ始めたのを見て、ヘクセはヴァーウォーカの方へ矛先を変えた。
「というかヴァーウォーカぶつぶつうるさい。毎晩毎晩この時間になると独り言言い始めるの止めて」
ヴァーウォーカは胸の前で組んでいた腕を解くと、君が悪いほど優しい笑みを浮かべた。。
「独り言じゃない。聖句さ」
「変わらないよ。実在しない神様に向かってさ」
「ウレ様は存在するよ。天高くから俺らを見守ってくれてるんだ」
「ばっからしい。神話学の授業で何を聞いていたんだ。ウレ教は人造宗教って言ってただろ」
「ヘクセこそ真面目に授業聞いてたのか? 授業の最初に先生は言ってただろ? これから話すのは現在主流となっている学説であって、事実を話すわけではないって。そもそも六神神話体系の神々だって実在の証明はされてないだろ? なんてったって主神の別称が去りし神だもんな?」
二人の間に火花が飛び散る。メアは慌てて仲裁に入った。
「う、ウレ様ってどんな神様だっけ? 俺一応授業聞いてたけど忘れちゃったなー」
「お、興味があるか? 大丈夫だぞ、メア。ウレ様は寛容な神様だから、改宗はいつでも認めてくれる」
「メア! 何言ってるんだ。君は西から来たということはリェハ教徒だろう? 今更そんな怪しい神なんかに祈らなくてもいいだろう!」
「え、まあそうだけど」
「おいおい、ヘクセ。誰が何を信じようが自由だろう? それにヘクセはギェセバク教徒で、メアとは関係ないじゃないか」
「ギェセバクもリェハも六神神話体系だ。恐らく同じ神を信仰していたのが時代の流れによって分岐していったんであろうことは様々な共通点からも分かっている。無関係じゃない」
「へー、随分柔軟で便利な考え方をするんだな。ギェセバク教徒は」
メアは落ち着いてくれと願うが、ヴァーウォーカはともかく、一度火が付いたヘクセは収まらないようだった。
「これだからウレ教は気に入らないんだ。一々腹が立つ言い方しちゃってさ。あちこちの国で禁教に指定されてる理由が分かるよ」
「えー、最初にいちゃもつけてきたのはヘクセじゃん。風評被害っていうんだぜ、それ」
「禁教にされてるのは事実だろ。思想が過激で」
「人間が特別だっていうのが過激ってのはおかしいよなぁ。人間が特別な存在だってのは分かり切ってることなのに」
「思い上がりだ」
「思い上がりじゃないって。事実だって。人間には【血徴】がないのはなんでだ? 亜人や亜人間でさえあるというのに、人間は何も持ってない。これは特別だろ?」
「っ、それは……」
即座の反論ができず、ヘクセが怯む。
血徴という言葉はメアもよく聞いていたので知っている。それは各生命が種ごとに持つ固有の特徴のこと。魔術的な能力を指す場合や、単純に身体的特徴を指す場合、性質や習慣などを指すなど、種類は様々だが、いずれもその種を種たらしめ、分類するときの絶対的な基準となっている。
基本的にすべての種族が所持している血徴だが、人間はそれを持たない。他の種ができず、人間のみができることがない。だから、人間は欠けた種族だという学者もいる。
「けれど、人間には魔術や闘技、その他諸々の技術がある。だから、人間の血徴は〈空白〉だっていう説もある。何もないところから独自の技術を発展させていくんだ」
「特徴がないことが特徴って? 物は言いようだよなぁ」
ヴァーウォーカは感心したように頷き、寝台に倒れこんだ。
ここでひと段落か。そうメアが安堵したのも束の間、あとに引けなくなったのか、ヘクセが追撃をかける。
「そもそも、去りし神は実在したと考えるのはきちんとした根拠がある。君だって巡界神の、いや、眷神の実在を疑う訳じゃないだろ」
「あ、そっちの話に戻るのか。良いけど」
「いいなら答えなよ」
「眷神の実在は疑わないさ。実在するんだから」
「なら、眷神は巡界神の存在に名言しているし、巡界神の更に上位、去りし神のことについて言及していることだって知っているでしょ。だから実在を信じるには十分だ。ウレ教とは違う」
「そんな根拠で去りし神は存在するって? 安直過ぎるんじゃないか、ヘクセ。伝聞の伝聞が実在の証明になるなら、ウレ様だって実在の証明になるんじゃないか?」
「情報の元を考えろよ。どっかのおっさんが言った言葉と、実際に超常の存在としてそこに居る神の言葉と、どっちを信用するんだって話さ」
「お前なぁ……」
ヴァーウォーカはあきれ顔だった。こうしたやり取りでヴァーウォーカが怒ったことはないが、こうして呆れているのはたまに見る。そうした時は大抵ヘクセが言い過ぎている場合が多い。メアはそのことを把握していたため、諦めて寝台に寝転がった。
「厳格なウレ教徒にそんなこと言ったら命が危ないぞ。良くて決闘、酷いと闇討ちだ」
「そ、そこが野蛮だって言っているんだ」
反省の言葉こそ見せないが、ヘクセも言い過ぎたと思ったのか、強引に話を切り上げる。
「とにかく! 夜は少しは静かにしてくれ。僕が君の下で勉強して、考えごとをして、寝ていることをわすれないでくれ」
「はいはい。まったくこの部屋の住人は気難しいなぁ。な、メア」
「うん」
そこはメアも全くもって同感だった。
鐘が鳴る。六回。つまりは夕食の時間だ。
「俺飯食ってくるよ。ヘクセも行くか?」
「べ、別に君と一緒に行くわけじゃない。空腹だから行くんだ」
メアは考えるが、もう少し魔術の練習をしていたかった。
「俺はもう少ししてから行くよ」
「わかった。じゃ」
ヴァーウォーカはからからと笑いつつ、ヘクセはむっつりとした表情で部屋を出ていった。
暫くメアは一人で魔力の励起と精練を繰り返す。魔力の励起自体は一月の反復練習で問題なく行えるようになった。しかし、精練は中々難しい。励起した魔力は一定時間で元の状態へと遷移し、操作をすることができなくなる。そのため、素早く収集し、ぐるぐるとかき混ぜて精錬を行わなければならない。しかし、魔力というのは土とも水とも空気とも違う、なんとも妙な挙動をするため、思うように操ることができないのだ。
力、力、力。
布切れが持ち上がる。今までで最大の魔力を練成したつもりだが、結局一指ほどしか持ち上がらなかった。
「うーん、難しい」
一回鐘が鳴る。気付けば半刻も経過していたようだ。まだヴァーウォーカとヘクセは帰って来ていない。メアの腹が鳴り、そこで初めて空腹に気づく。
食事に行くために寝台を降り、そこでメアはキュッフェがまだ寝ていることに気付いた。
キュッフェが寝台で寝ているのはいつものことだが、普段は鐘が鳴ると共に食堂に向かう。しかし、今日は食堂に向かう様子を見ていない。寝ているのを起こすと怒られる。しかし、寝ていて食事をとれないというのも可哀そうだ。
メアは迷ったが、とりあえず起こしてみることにした。
「キュッフェ様ー、キュッフェ様ー」
恐る恐る声をかけると、ややあって掛け布団がもぞもぞと蠢き、不機嫌そうなキュッフェがメアの方を睨んだ。
「死にたいか?」
「いやいや、死にたくないです」
「じゃあなぜ安眠の邪魔をする」
怯えつつもここで退いては怖い思いをした意味がない。竜を突いたなら殺すべき。メアは慎重に言葉を選びつつ、用件を伝える。
「その、晩ごはん、そろそろ時間が終わるけど、キュッフェ様は食べたのかなーって……」
眉間のしわが深くなる。メアは早くも後悔した。
しかし、帰ってきた言葉は予想外な物だった。
「時間は?」
「下聿の六刻です」
「そうか。ご苦労」
そう言ってキュッフェは寝台からだるそうに這い出てきた。
「俺様のために働こうというのは良い心がけだ。褒めてやる」
「は、はあ。ありがとうございます?」
「これからも食事の時間に寝ていたら起こせ。分かったな下僕」
「げ、下僕?」
「不満か」
メアは言葉を飲みこむ。しかし、表情には出てしまっていたのか、キュッフェは不機嫌そうに頷いた。
「そうか。そうだな。まあ多少は褒美が必要か。なら一ついいことを教えてやろう」
「いいこと?」
「下僕の使っている魔術は力魔術じゃない。重魔術だ」
キュッフェはそう言ってすたすたと部屋を出ていった。
入れ違うように部屋に入って来たヴァーウォーカとヘクセが濡れた髪を手拭で吹きながらメアに話しかける。
「なんかキュッフェ様機嫌良くなかった? すれ違っただけだからよくわからなかったけど」
「僕にもそう見えたよ」
メアはそれには答えずに、キュッフェの言葉の意味を考えていた。
(重魔術って、なんだ)




