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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
一章 学校の始まり
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020 中庭・限界・激突

 メアは躊躇うテュヒカの腕を引き、窓を乗り越えて廊下を出る。正面には旧棟が、さらに奥には講堂があり、その向こうが目的地である運動場だ。どういった経路を取るべきか。メアは素早く視線を走らせる。

 左には正門から運動場へと真っすぐ続く道。右には塀の外周沿いにやや遠回り。最短距離は旧棟の窓をぶち抜いて進むことだが、旧棟の構造がどうなっているかわからないため、行き止まりとなる可能性もある。

「こっち!」

 メアは即座に左を選んだ。確実な最短経路。テュヒカの腕を引いて走る。

 しかし、テュヒカの足取りが妙に重い。最初はファンを置いていくことに抵抗を感じているのかと思ったが、目の端から顔を確認しても振り向いている様子もない。段々とテュヒカの抵抗は大きくなり、十歩ほど進んだ辺りで、ついに立ち止まってしまった。

 メアは振り返り、テュヒカの顔を直視して気づいた。呼吸がおかしい。吸い込む割合と吐き出す割合が明らかに釣り合っていない。

 動揺が極限に達した人間に起こる一時的な錯乱。吸い過ぎだ。

「はぁー、はぁー、はぁーはぁーはぁー! かはっ、はあー! はあー! はあ――!」

 吸い過ぎが収まる気配はない。寧ろどんどんと激しくなっていく。びっしょりと滲んだ汗で髪が張り付き、腕はその呼吸を無理矢理抑えようとするかのように胸を掴む。立っているのも辛いようで、背中は丸まり膝も曲がった。

 収まるのを待つ余裕はなかった。担いで運ぶ。それが一番だと考えたメアが声をかけようとした瞬間、二人の頭上に影が差した。

 見上げたメアの目に移ったのは、巨大な蛇の尻尾。赤茶色の鱗を持つ大蛇の尾が空から降り、二人を叩き潰そうとしていた。

 災害訓練の原因となった大型の生命。二級外敵指定種、墜蛇(セゴヤ)。正門の方に近づいたのは失策。身の丈は一〇〇歩を超える巨大さ。直撃すれば圧死はさけられない。様々な思いがメアの脳内を駆け巡るが、メアの体は思考より先に動く。

 メアはテュヒカに体当たりをし、ともに尻尾の落下地点から逃れる。即座の判断が功を奏してか、メアの爪先のわずか三指の位置に尻尾は叩きつけられ、第二後者と旧棟を大きく凹ませた。

 同時に、第二教育棟から爆炎と水蒸気が噴き出る。中での戦闘もまだ継続中であり、レオゥたちが健在だろうことは朗報。だが、そんなことに気を向けている余裕はない。吹き飛ぶ瓦礫と、地面に叩きつけられた後も元気に跳ねる尻尾から避けるため、メアはテュヒカを引きずって、逆方向へと逃げる。

「立ってテュヒカ! 無理? 無理か!」

 メアは二歩分ほど離れた時点でテュヒカを抱え上げると、そのまま抱えて旧棟に対して反時計回りに走る。そして、反対側の陰に隠れ、墜蛇が飛ばす瓦礫の射線が切れたところで立ち止まった。

 いくら軽いとはいえ、このまま走るのはメアとしても厳しい。それに、吸い過ぎは放っておくと死ぬ可能性もある。だから、メアはここで処置をすることにした。

 メアはテュヒカを無理矢理立たせると、正面から向かい合い、思い切り抱きしめた。

「呼吸を俺に合わせて」

 返事はない。テュヒカの胸が激しく上下しているのが、密着しているメアにははっきりとわかった。そして、それはテュヒカにとっても同じはず。メアはそう信じながら、その呼吸を無理やり止めるように、一度ぎゅうっと体を締め付けた。

 テュヒカが苦しそうに息を吐き、吸うのを止める。その瞬間を見計らって、メアは耳元で囁く。

「吸って、吐いてー……、吸って、吐いてー……そう、俺の呼吸と一緒に、吸って、吐いてー、吸って、吐いてー……」

 メアはテュヒカの背中をさすりながら、何度も辛抱強く繰り返す。メアが昔教えてもらった方法だ。効果のほどは自分の身で確かめたことがあるため、メアは自信を持ってそれを続けた。

 すると、テュヒカの呼吸は段々と緩やかになってきた。効果あり。メアは頷き、テュヒカの体を離した。

「さあ、急ご、う……!?」

 しかし、テュヒカに声を掛けたメアは言葉に詰まった。テュヒカがぽろぽろと涙を零していたからだ。

 テュヒカは声も出さずに泣いている。必至に目元を手の甲で拭いながら、嗚咽さえも押し殺して。静かに、静かに、恐怖に震えていた。

 メアは動揺のあまり、おろおろと手を痙攣させることしかできなかった。

 魔法使いの男は、魔法という要素を除いて考えたとしても、相当の腕前の魔術師だ。さらには魔法使いでもある。そんな男になぜ追われているのか。なぜ一人なのか。家族はどうしたのか。頼れる人はいないのか。なぜしゃべらないのか。メアには何一つわからないが、それでも、テュヒカは望んでこの状況にいるわけではないと確信した。きっと、何かあって、こうなるしかなかった。独りでも、飢えても、黙って耐えて。こうして逃げていた。

 その壮絶さにメアは絶句し、そして、無性に腹が立った。

 メアは涙を拭うテュヒカの手を掴み、引っ張って走り出す。そして、振り返ることなく話しかける。

「テュヒカ。まだ俺はこの学校に来てまだ一週間くらいだけどさ、それでも、ここの人たちは凄いと思った。想像よりずっと強い同級生がいて、それよりさらに強い先生もいて、きっと、それより強い人もいるんだと思う。全然そんなの知らなかった。想像してなかった。ファンみたいに優しい人も、レオゥみたいに物知りな人もいる。俺と同い年なのに。……うん、何が言いたいかって言うとさ、つまり、テュヒカの想像よりずっと、ここの人たちは頼りになると思うんだ」

 講堂の陰から運動場が見えてきた。そこには多くの人が集まっていて、心配そうに墜蛇の方を見ている。まだ少し距離はあるが、もう声も届く距離。

「だからさ」

 しかし、そう言った直後、目の前に炎の壁が現れた。メアとテュヒカの目の前で、希望の光景が遮られた。

 メアは剣を抜いて後ろを振り返る。しかし、そこに男の姿はない。どこに? 思いついたときには、横から炎がメアとテュヒカの間に割り込もうと伸びてきた。分断する気だ。メアは踏み込み、テュヒカと同じ側に立つ。しかし、講堂の壁から出てきた男に蹴られ、引きはがされた。

 炎に背中から突っ込み、背中から地面に倒れこむメア。腹部の衝撃に目を顰めながらも、地面を転がって火を消し、即座に立ち上がる。

 顔を上げたメアの目に、首を掴まれ吊るされているテュヒカと、それを見て顔を綻ばせる男が移る。

 相手は手練れ。敵の射程。自分には勝てない相手。非力。死の可能性。

 そんな迷いを、誰かの声が吹き飛ばした。

「……たすけて」

 か細い声だった。掠れた声だった。

 テュヒカが、メアへと手を伸ばしていた。

 男の手に炎が集う。

 その瞬間、メアは剣を男に投げつけた。

 男は身をかがめ、続けざまに男に迫る鞘。男は手ではじく。

(あれの詠唱は間に合わない)

 メアは即座に判断し、素早く詠唱を済ませる。

「雪は冷たく氷は鋭い」

 男が飛ばしてきた炎球をメアは地を這うように躱し、そのまま体当たりをする。傷を与えることよりまずは引きはがすこと。メアの狙いは単純だった。

 しかし、メアの肩が男に触れたと思った瞬間、メアの体は男の体をすり抜けた。やや遅れ、宙吊りになっていたテュヒカが地面に落ちる。男は忌々しげにメアを見た。

 予想通り、すり抜けるときは対象を選べない。メアは男の情報を一つ覚えつつ、地面を転がった。

「霰玉!」

 受け身を取り、男を指さし、魔術を行使する。氷が飛ぶ。やはり男の体をすり抜ける。石を投げ、再度掴みかかる。が、今度は炎がメアの腕を焼き、メアは悲鳴をこらえて飛び退った。

 分かったところでどうにもならない。戦闘ではない。まるで、競う競技が違うかのようだ。メアは実感する。

 しかし。テュヒカが言ったのだ。たすけてと。だからメアは無駄と知りつつ、詠唱を始める。

「回廊を奔る――」

 メアは再びテュヒカの方へ腕を伸ばす男の腹に頭突きを食らわせ、ほぼ同時に膝蹴りを食らった。そのまま足に腕を巻き付ける。テュヒカに触れさせないため。少しでも自身へ意識を向けさせるため。

 今はすり抜けない。実体がある。それを実感し、同時に苛立った。だが、武器がない。古典魔術の詠唱も間に合わない。他の手段もない。メアは自分の至らなさが歯痒くて仕方なかった。

 男は自身の足にしがみつくメアを面倒くさそうに見ると、右手の炎をメアに向かって振り下ろす。その熱量はメアの命を奪うには十分で、接触すればあっという間にメアの脳が沸騰するだろうことは明らかだった。

 ああ、死ぬかも。冷静にメアは考え――。

 重く鈍い音共に男の右手が一本の矢によって吹き飛ばされる光景を見た。

「っ――!!」

 男の体がくるりと半回転し、メアの体も引きずられて振り回される。ほぼ同時にメアの両腕が男の足をすり抜け、メアは地面を転がる。苦悶の声。巻き散らされる鮮血。すり抜けで安全を確保する男。

「――ォベ流疾走旋回踵蹴りぃ――!」

 次の瞬間には風のような速度で走ってきた人影が男をすり抜け、そのまま通り過ぎて言った。

 一体何が、とメアが混乱していると、男の周囲をばちばちと音を立てる光球が包み、一瞬の間の後、雷鳴と共に迸った。その電撃は男の全身を駆け巡り、男は全身の筋肉をばらばらに暴れさせた。

 白目を剥いて膝をつく男。その男の首に青髪の女性が短槍の柄を叩きつけ、返す一撃で右足の太ももの骨をへし折った。

 気が付くと、テュヒカの前に有翼の少年が降り立ち、メアの横ではキケが拳を構え、向かいからはボワとファンが駆けてきている。そして、伸びた男をテュヒカが呆然と見ている。

 終わった。

 メアはそう実感し、そこでようやく息を着いた。

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