002 学校・入学・式
しばらくして馬車が森を抜けると、いくつもの建物が見えてきた。遠目にも巨大だと分かるその建物は、メアがこれから学ぶことになる学校の校舎だ。
「あれが、レトリー総合学校」
「そう、お前さんらが暮らす場所だ。でっけーだろ」
「ですね……」
呆然とするメアの声を聞き、男はやはり豪快に笑う。どうやらこういった反応は慣れているらしい。
「あれは第二教育棟だな、新入生には暫く関係ないだろう。左側のが第一教育棟で、奥のでかいのが講堂。遠くに見えるのが寮。あっちに小さく見える石造りの塔は図書塔だ。他にも色々あるが、ここからじゃ見えないな」
男は目に見える建物を一つ一つ指で示し、説明をしてくれる。学校の敷地を示しているであろう高い塀に近づくごとに、その敷地の広さ、建物の大きさといった規模の大きさが理解できてくる。がたがたと馬車に揺られながら、メアはほー、やへー、といった間抜けな歓声を上げた。
「あれは……なんというか、大きいですね。しっかりとした木製の建物だし」
「無理して感想言わなくてもいいぞ。どうせすぐに慣れる」
「そう、なんですかね。あれ何階建てですか。一、二、三、四……階建てかぁ」
「あっちの三階建てのは卒業生が建てたらしいぞ。なんでも有名な大工になったらしくてな、お礼として建てたそうだ。いやあ豪気豪気」
「へぇ!」
高さ二歩(約二メートル)ほどの高さの塀に沿って小道を走っていると、重厚な金属製の門が見えてきた。それと共に馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて、開きっぱなしの門の前に止まる。
巨大な両開きの金属製の門だ。開閉には成人男性が三人くらいは必要だろう。その肉厚は明らかに外敵への警戒を示していて、普段はがっちりと閉じられて生徒を守っているのだろうが、今は完全に開け放たれていて、学校の中がよく見えている。
「正門前駅に到着でーすってな。ほい、降りた降りた。時間そろそろ危ないだろ」
「あ、はい」
メアは慌てて荷台から降りる。正確な時間はわからないが、正午に新入生のための行事が始まる予定だったはずだ。太陽の高さを見ると、もう始まっていてもおかしくないように感じる。
馬車から降りて荷台の荷を確認している男に、メアは深々と頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました。あの、少ないですけど」
メアが差し出した小袋に男は目を吊り上げる。
「餓鬼が馬鹿なことしてんじゃねえ! そういうのは自分で金を稼いで空にしろ! ここの学校に入るために親御さんから金出してもらってんだろ? ならそれは大事に取っておいて、さっさと立派になって親御さんを楽にさせてやるんだよ!」
「でも」
「でももへちまもねえ。こんだけ荷物運んでんだ。お前らなんてついでだついで。ほら、さっさと行きな」
しっしとメアに向けて手を振ると、男は鼻息荒く馬車に乗って去っていった。
メアは、親切な人って多いなあ、と頬をほころばせながら、その背中にもう一度礼をした。
そんなメアの背中を細い何かがつつく。
「うひゃ」
振り返ると、白髪の女の子が学校の中を指さしている。
「……あ、時間か。急がなきゃ」
何もしゃべろうとしない女の子に呆れながらも、その素振りの意味を正確に把握したメアは、急いで敷地内に踏み込む。そして、きょろきょろとあたりを見回すと、長机についてこちらに手招きをしている少女と目が合った。
少女の年齢はメアとさほど変わらないように見える。多少大人びて見えるが、生徒であることは間違いないように見える。特徴的なのは背中で一本にまとめた金髪の混じった長い黒髪。腰には細い曲剣を佩いている。
「こんにちは。新入生かな?」
「はい。遅刻してすみません。ちょっと船が……」
「あーうん。なんとなく話は聞いてるから、とりあえず入学許可証出してもらえるかな? そろそろ入学式が始まっちゃうから急がないと」
少女がちらりと遠くを見た。
メアは慌てて鞄を探り、拳大の木片を取り出し、それを手渡す。少女はそれを受け取ると手元の金属片と重ね合わせた。
「認証。えーっと、君の名前を教えてもらえるかな」
「ルールス゠メアと言います。ルールスが姓で、メアが名です」
「ルールス、メアっと。はい。はい。うん大丈夫。じゃあ、この紙持ってあっちの建物に行くと入学式始まるから、それが終わったら紙に書かれている教室に行ってね。あ、教室っていうのは授業を……授業っていうのは、うーん、勉強をするところで。とりあえず行ってみて! 時間ないから!」
「わかりました」
渡された皮紙を握りしめたまま、少女の勢いに押されてメアは歩き出す。ちらりと振り返ると白髪の少女と受付の少女が何やら話し合っているようだが、それを気にしている時間はなさそうだった。自分には関係のないことだ、とメアは切り替え、講堂と呼ばれていた建物へと向かった。
辺りをざっと眺めてみると、建物はそれほど多くない。先ほど紹介してもらったもののほかには二、三個しかない。遠くの方には平らな運動場のような場所や、湖、小さな池が見える。ぐるりと学校を囲む塀は見えている範囲内に途切れている場所はなく、出入り口は正門一つなのかもしれない、と予想した。
講堂が近づいてくると、少しずつ内部のざわめきが聞こえてくる。中には百人以上の人がいるようだ。
(うわ……緊張してきた)
メアの心臓が急に鼓動を響かせ始めた。それと共に高揚感とも緊張感とも言えない不思議な感覚がメアを包む。僅かに呼吸が浅くなり、手が少しだけ震える。それらは、これから何かが起こるという、確かな予感をメアに持たせた。
扉に近づく。さらに音は鮮明に聞こえ、一〇〇人どころじゃない数の人間が中にいることがわかる。
メアの手により、ぎっ、と音を立てて扉が押し開かれた。
すさまじい数の人がいた。メアの住んでいた村の人口よりずっと多い。五〇〇人はいるのではないか、とメアは目算する。その人々がみな好き勝手にしゃべっているため、襲い来るのは音の波だ。これだけの人数が屋内にいると、それだけで熱もあふれかえっている。
入口近くに立っていた老人が、メアに気付いて話しかけてくる。
「おや、新入生かね。危ないところだったね、もう始まる」
「はい、すみません」
続けて、新入生のいるべき場所を聞こうとするメアの耳に、重苦しい鐘の音が飛び込んできた。
鈍く重い音が講堂内に鳴り響く。すると、今まで好き勝手におしゃべりをしていた人々が全員口を閉じた。天井や壁際に灯されていた明かりが落ちる。窓掛が一斉に閉じ、行動内は静寂と暗闇に包まれる。
メアが戸惑っていると、入口と向かい合っている壁が急に明るくなった。どうやら一段高くなっていて、舞台のようになっているらしい。そこにはメアよりいくらか年上に見える少年が立っていて、真剣な表情で生徒たちを見下ろしていた。
静まり返った講堂内の隅まで響くような凛とした声で、その少年は言った。
「これより、レトリー総合学校第四七期生の、入学式を始めます。では、最初に、校長からの挨拶です」
拍手が湧く。つられてメアも握手する。
こつこつと硬質な靴音共に五十代の男性が壇上に上がった。折り目のついた下袴(足を片方ずつ包む形の下衣をさす)と簡素ながら皺のない長袖の襯衣(上半身に纏う縫製された衣服をさす)を身にまとっており、ごく普通の学者のような服装をしている。皺の刻まれた顔には貫禄を感じるが、髭は短く切りそろえられ、髪もすっきりとした短髪。外見は普通の中年男性に見える。宣言の通り、おそらく校長なのだろうが、メアの想像よりは遥かに普通の男性だった。
その男は咳ばらいを一つすると、声を張っている様子もないのに、異常に大きな声で話し始めた。
「新入生のみなさん、レトリー総合学校へようこそ。我々はあなたたちを歓迎いたします。みなさんは、様々な目的でここに来たでしょう。知識を得たい。強くなりたい。何かを作りたい。みな、ばらばらでしょう。ですが、それらには一つ共通点があります。学ぶという行為が必要であるという点です。この学校には、そのために必要な先生がいます、先輩がいます、同級生がいます。施設があります、道具があります、書籍があります。是非、様々なことを学び、四年間の楽しい学校生活を過ごしてください。あまり長くなっても退屈でしょうし、これで挨拶を終わります」
一礼。拍手がわく。いいぞー、と声援も上がっている。
メアの想定より遥かに簡素な挨拶が終わると、校長は壇上から降りていった。
続いて、壇上に立つ少年が宣言する。
「では、次は副校長からのあいさつです」
黒い袖なしの襯衣と褶(下半身を覆う筒状の衣服をさす)を着た女性が、しずしずと壇上に上がった。年齢は三十代から四十代だろうが、その年齢を考慮したうえでなお言葉を失うほどの美女だった。泉の女神のような見た目をしている、とメアはぼんやりと思った。
女性は、にこりと微笑むと、透き通った声で一言だけ口にした。
「みなさん、喧嘩は素手でやりましょうね」
そう言ってまたにこりと微笑んだ。
副校長が壇上から降りてゆく。歓声が上がり、ぴーぴーと指笛が吹き鳴らされる。今のが挨拶だったのだろうか、とメアが気づいたころには、副校長の姿は既に見えなくなっていた。
壇上の少年はきびきびと話し始める。
「これで入学式を終わります。一年生は事前に指示された教室に移動してください。二年生以上も一度授業に戻ること。勧誘とかは上幽の七刻以降になりますので、抜け駆け等はしないように! 解散!」
そう言って、ぺこりと一礼をした。
どこか張っていた空気が緩むのをメアは感じた。直後、喧騒が戻ってくる。生徒たちが一斉に入り口に向けて歩いてくる。当然入り口近くにいるメアは押し出され、まぶしい太陽のもとへと出たのだった。
展開の速さについて行けていないメアは、しばし講堂の入り口の脇で立ちすくむ。だが、他の生徒たちはみな行先がはっきりしているようで、第二教育棟と呼ばれていた建物に入っていく。まだ荷物を背負いっぱなしのメアを見てじろじろと眺めてくる生徒もいたが、すぐに視線を戻して歩き去っていく。
それらを眺めるメアは、大多数の生徒たちが同じ外套を着ていることに気付く。そして、一部の生徒は外套を身に着けてなく、それらの生徒はどことなく幼いことも。
(あー、あれかな。噂に聞いてた、制服って奴なのかな。……高いんだろうか。あんまり高くないといいなあ)
そこではっと我に返ったメアは、握りしめていた樹紙を開いてみてみる。するとそこには、黒い炭で描かれたこの学校の地図と、一つの建物の拡大図があり、その図の中には星で印をつけてある部屋がある。
「花組? まあここに行けってことだよね。おそらく」
メアはその樹紙を丁寧に折りたたむと、衣嚢に大事にしまって歩き出した。