017 教室・魔法・議論
その日の授業をメアは気もそぞろに受けることとなった。正体のわからない男のこと。得体のしれないテュヒカのこと。そのせいで器質学の授業も史学基礎の授業も集中できなかった。
そしてそれは他の生徒も同様だったようだった。教室の空気はどこか浮ついたもので、そこかしこで散発的に始まる囁き声による会話がそれを物語っていた。
四時限目の授業も終わりが近くなり、生徒たちの集中力が限界を迎えたあたりで、ウィヒマーと名乗った史学基礎の先生が手を叩いて生徒たちの意識を自身へ向けさせた。そして、非常に強いくせ毛が鳥の巣のようになった頭を振りつつ言った。
「初日ですから、早いですけど、そろそろ終わっときますかねー。……っと、そうでした。校長からの指示を忘れてましたよー。皆さん、ここらで一つ、魔法の話をしておきましょう」
魔法。メアはその単語を何度か聞いたことがあったが、それが何なのかは良く知らなかった。この前のレオゥとの会話で出たときも、聞こうと思って機を逸していた。そのため、興味津々に意識をウィヒマーへと向ける。
同じような反応が多かったのか、ウィヒマーは満足そうにまた首を振ると、指を一本立てた。
「皆さん、魔法とは何かわかりますか? 魔の法ですー。正確には、魔の世界の法則のことです。では、魔の世界とはどこのことを指すのでしょうか。まあ今日の授業を真面目に受けてくれていた方ならわかるでしょー。この世界を除く全ての世界を指します」
ウィヒマーは授業最初の自己紹介の際、専攻は異世界学だと言っていた。メアはそんなものがあるとは俄かには信じがたかったが、そこを含めて研究するのが自分なのだと語っていた。それに大して特に疑義が飛ばなかった当たり、異世界なんてものの存在は案外常識なのかもしれない、とメアは衝撃を受けた。
「察しの言い方は分かるでしょうが、魔法は世界の数だけ種類があります。現在名前が付けられているのは六種類。少なくとも六種類は異世界が確認されているということですね。六。うん。いい数字です。世界には様々な神話が出てきますが、どの神話も主神は大抵が六柱。時間は六で分割されていますし、大陸は六つ、大星も六つ。おまけに授業も六分類ー。最後のは冗談にしても、なにか特別なものを感じてしまいますね」
上段のつもりだったのか、生徒の様子をじっと窺うウィヒマー。しかし、生徒からの反応はない。
「おっと、話がそれてしまいました。話をもとに戻しまして、そもそも、なんでこんな話をしたかと言いますと、まあ単純に知っていておいてほしかったからですー」
ウィヒマーはそこで一息つくと、続く言葉に力を込めた。
「侵入者の痕跡が発見されました。しかも、此度の侵入者、【魔法使い】である可能性が非常に高いのです。恐らくは、第二の魔法もとい可能性の魔法、又の名を声の魔法。その魔法使いのようなのですー」
途端に、教室がざわついた。それはテュヒカが魔族だとエナシが叫んだときと同等、いや、それ以上のどよめき。今回の相手はテュヒカとは違い侵入者。招かれざる客だ。であれば、害意を持っている可能性が高いと考えるのが自然。そう考えた生徒が警戒を露にしている。
恐る恐る一人の女生徒が手を挙げた。
「あの、それって。私たちにどうにかしろということですか?」
「戦えと言っているわけではありません。魔法の最大の特徴は、異質さにありますー。常識で考えてはいけません。知っていたからと言って理解できるとも限らないでしょう。ですが、心構えはできます。何も知らないより、何もわからないより、恐らくはずっとましになります。だから史学の教師である私がこんな話をしていますー」
ウィヒマーは教卓横の椅子に座った。そして、脚と手を組んで不敵に笑う。
「彼らの鍵は声です。とは言っても古典魔術のように呪文を詠唱するわけではないようです。声に力がこもる、とでも言うのでしょうか。ともかく、言葉が重要な要素であることは間違いないようです。また、詳しくはわかりませんが、彼らの魔法の行使は魔力を必要としません。長期戦は不利でしょう。物量や出力で圧し勝つというのも、上手くいかないことが多いようです。ある戦士は魔法使いとの闘いを“競う種目が異なる”と称しました。どうですか? 何か感じましたか? 少しでもこれらの情報が役に立つことを祈りますー」
そう言って、両手をぱっと開いた。まるで、これでおしまい、だとでも言わんばかりに。
「あの、これだけじゃ何も」
「それなりに有効だとされることが、逃走です。勿論、足の速い魔法使いだという可能性も考えられますが、まあその時はその時。叶わない相手からは逃げるのが一番ですー」
もし遭ったら私も逃げます。恥も外聞もなくそう補足したウィヒマーに対して小さく笑い声が湧いた。ウィヒマーの表情からして、本気で生徒を置いて逃げそうだったからだ。
続く挙手。ウィヒマーは顎で発言を促す。
「あのぅ、その、侵入者。魔法使いですか、って言うのは、世界的にも凄く数が少ないと聞きます。なんでそんな人が、えーっと、目的は……?」
質問をした生徒の視線がちらりテュヒカに向いた。
他の組ならばまだしも、花組の生徒はその魔法使いの目的が何かを知っているため、ごまかす理由はない。それを理解したうえで、ウィヒマーはしゃあしゃあととぼけた。
「わかりません。ですが、安心してください。ここにいる先生は皆非常に頼りになる方ですー。何かあったら先生に報告してください。他の生徒が困っていたら助けてあげてください。現在はそれくらいしか言えませんねー」
不満を言おうとした生徒も口を噤んだ。あまり激しい発言をすると、テュヒカをつるし上げることになりかねないからだ。
しかし、そんな空気を切り裂くように、エナシが声を上げた。
「言えばいいじゃねーか。そいつが原因だってよ」
そう言って指さすのはテュヒカだ。テュヒカは俯いたままびくりと肩を震わせた。
「今朝のでわかったんだろ。なら目的は一つだ。隠す意味ねーだろ」
それに同調するように声を上げるのは、アウェアだ。
「同感だ。守るべき対象が分かっているならば周知するべきだ。特に、同じ組の生徒には知らせておいた方がいい。一番近くに居るのは私たちである以上、率直に言って気に掛けるように指示するか、それをしないならば安全な場所に保護すべきだ。まさか、知らせたからといって自分の身の安全の為に同輩を排斥するような小心者はおるまい」
そう言ってアウェアはエナシを睨んだ。最初はエナシに同調するのかと意外に思ったメアだったが、しっかりと話を誘導して先手を打つ手際の良さに感心した。
エナシは苛立たしそうにアウェアを睨み返す。
「当然だ。なんなら俺がその侵入者やらを殺してやろうか?」
「それはそれは頼もしい」
「簡単だぜ? そいつを運動場の真ん中にでも吊るしとけばいい。寄ってくる、殺す。今日中には終わるな」
「実に短慮だ。相手の手の内も知らないうちから成功を信じ切っている。相手がどうやってテュヒカを狙うかもうわかっているというのか? どうやって守るつもりだ?」
一切引かず、互いに目を逸らさないアウェアとエナシ。二人から発せられる刺々しい空気が教室を伝播し、覆っていく。
しかし、その空気を破ったのは全然別の生徒だった。
「じ、実際、エナシくんの言うことは、わ、悪くないと思、う。だって、相手はいつ、どこから襲ってくるかわからないん、だ。なら、おびき寄せるって言うのも」
その生徒はよくエナシとつるんでいる生徒だった。エナシの味方をするための援護射撃。想定外だったのかアウェアは眉を顰めた。
だが、エナシが勝ち誇ることもできなかった。なぜなら、その発言を境に侃々諤々と議論が始まったからだ。
「えー、でも、運動場は危なくない? だってスカスカだよ? 狙撃のやり放題じゃん。ずぅーっと見張ってるってわけにもいかないしさ」
「教室だって変わらないさ。なんなら窓に一切ない地下室でもさ。魔法使いって言うのが本当で、今朝のがそうだとしたら、相手は壁をすり抜けてくるんだ。守られているという虚構安心はかえって危険だ」
「視界は切れるよ。こちらが何をしているか相手に知られない。相手を慎重にされることができるかも」
「慎重にさせちゃダメだろ。やっぱり隙を作って罠に嵌めたほうが」
「すり抜けることができて透視はできないって考える根拠は? この中に魔法に詳しい人はいる?」
「そもそも本当にテュヒカが狙われてんのかっていう」
「先生たちの対策とか、知りたいです。一番こういった戦闘が得意な先生はどなたですか?」
まるでこういったことは慣れているとでも言わんばかりにしゃべりだす同級生に、目を白黒させるメア。救いを求めるようにレオゥの方を向くと、レオゥは腕を組んで椅子の背に体重をかけていた。
「レオゥ……」
「何故俺を見るんだ。俺は魔法は全然知らないぞ」
「なんとなく、知ってそうだなって」
レオゥは表情を変えずにため息を吐いた。
「……魔法ってのは、異世界の法だ。理解するってことは、この世界からはじき出されるようなもんだ。だから知らないようにしてる。だから知らない」
「へー。やっぱり詳しいじゃん」
「常識だ」
レオゥが否定した直後、鐘が響いた。四時限目終了の合図だ。
ウィヒマーは、そういうことで、と言って教室を出ていく。しかし、生徒たちの議論は止まらず、しばらくの間、教室は変わらずに喧噪に包まれていた。
メアとレオゥは自主活動団体を見に行くか相談したが、今日はやめておくことにした。不審者がうろついている校内を探索したくはなかったからだ。
代わりに、メアは気配を消そうとするかのように微動だにしないテュヒカに話かける。
「テュヒカはどうしたい?」
驚いて顔を上げるテュヒカ。
「さっさと返り討ちにして終わらせたいか、ことが終わるまでどこかに隠れてたいか。どっちがいい? 前者? それとも後者?」
前者と言ったときに右手を上げ、後者と言ったときに左手を上げる。メアはそうすることによりテュヒカの返事を期待した。しゃべられなくとも、意図が通じさえすれば、右手か左手を示してくれるはず、と思ったのだ。
すると、テュヒカはおずおずとメアの左手を握った。
メアは思わずぱっと手を引く。触られると思っていなかったからだ。女の子と触れ合ったことがほぼなかったからだ。その指の細さと柔らかさにびっくりしたからだ。
だが、テュヒカはその理由がわからなかったようだった。どこか悲しそうな表情をして、伸ばした手を自身の胸元へと戻した。
メアは動揺に爆発しそうになる心臓を抑えながら、慌てて言葉を重ねる。
「あっ、今のは違う。ただちょっとびっくりしただけ。テュヒカが嫌いとか、魔族が嫌いとかじゃなくてね。違うから」
背後でレオゥがため息を吐いているのを聞きながら、メアは必死に弁解するが、テュヒカはまた顔を伏せてしまい、以降はメアの言葉には反応しなかった。テュヒカの背後に額に青筋を立てたファンが居るのに気づいたメアはさらに謝罪を重ねたが、効果はなかった。




