012 教室・授業・魔術学基礎
次の日は、メアは朝から落ち着かなかった。算術の授業も史学の授業も、興味がなかったわけではないのだが、気はそぞろ。身体学基礎も身に入らず、午前の授業は気づけば終わっていた。
理由は簡単。血綬星は四時限目から魔術学基礎の授業がある。武器格闘に並んでメアが楽しみにしていた授業の一つだ。まず、魔術という言葉の響きが良い。専門性が高く習える場所が少ない。ほとんど未知の領域。様々な要素が重なって、メアは楽しみで仕方なかった。
それに、どうやら魔術学を待ち望んでいるのはメアだけでは無いようで、教室の雰囲気が浮ついている。使えない生徒は習うのが楽しみ。使える生徒は鍛えるのが楽しみ。中には冷めた目で見ている生徒もいるが、明らかに待ち望んでいる生徒の方が割合が多い。
口の端が緩んでいるメアを無表情で眺めつつ、レオゥは呟いた。
「魔術ねー、そんなに楽しみ?」
「楽しみ。レオゥは楽しみじゃない?」
「俺は……」
レオゥは言いよどんだ。目が宙を彷徨う。だが、ため息を一つ吐くと、肩を竦めた。
「才能がないことがわかっているからな。これでも結構長いこと魔術の指導は受けていたんだ。今でもそれなりに訓練は続けているが、まあ上達は全然。だからあんまり楽しみじゃない」
うぐ、とメア口をつぐんだ。余計なことを聞いたかもしれないと反省室つ、レオゥの顔を窺う。が、相変わらずの無表情。何を考えているのかはわからない。
レオゥはいつも通りの平坦な口調で言う。
「まあ、メアは楽しめ。俺も師匠が変わればなんか変わるかもしれないしな。星取れるように頑張ろうぜ」
「そうするよ」
と、教室の前方から先生らしき人物が入ってきた。一応背格好から大人であることは確からしいが、顔つきはどこか幼い。童顔の女性だ。後頭部で一つにまとめた黒髪を揺らしながらまっすぐに教卓へ向かい、手帳を置いて生徒の方を見た。
同時に遠くで鐘が鳴る。
「みんな座って座って。魔術学基礎の授業の時間です。授業始めます」
経っている生徒は素直に席に着いた。メアも居住まいを正す。
大人しく座った生徒たちに対して満足したようで、その女性は指で教卓を叩いた。そして、口を開く。
次の瞬間、先生から波動がほとばしった。魔力の生成の余波であり、魔術の前兆。しかし、生徒たちが何らかの反応をする前に一本の氷柱が一人の生徒の机に突き刺さった。
「はい、妙なことしない。いくら魔術学の授業だって、自由に魔術を使用していいわけじゃないの。わかった?」
「おっと、謝罪」
自己紹介ではゼオと名乗っていた男子生徒だ。その生徒は攻撃を受けたというのに愉快そうにうなずいた。
女性は呆れたように額に手を当て、ため息を吐いた。
「なんでこう、魔術学の授業になるとはしゃぎだす生徒がいるのかね。他の授業だと素直に受けてるっぽいのに……まあいいわ。私の名前はウォト・ミ。ミ先生と呼ぶように。皆さん一年生には魔術学基礎を、その他には力属性魔術や調整魔術について教えています。はい、何か質問は?」
一人の生徒が手を挙げた。さきほど叱られたゼオだ。
「はい、先生。机に穴が空きました。どうしたら良です可」
「もう悪さはしないように」
ミが指を鳴らすとゼオの机に刺さった氷が霧になり、手のひらを地面に向けて水兵に動かすと、めきめきと音を立てて机の穴が塞がった。はた目にもわかる魔術の行使に教室から歓声が上がる。
「他に質問は? ……ないみたいですね。じゃあ本格的に授業に入りましょう」
ミはそう言って白墨を手に取ると、生徒たちに背を向けて教板の方を向いた。
「私はこれから皆さんに魔術の基礎について教えます。ですが……そもぞせ魔術とはなんでしょうか。はい、そこの君」
ミは唐突に最前列の生徒の一人を指さした。質問に答えろと言う意味なのだろう。そう理解した生徒は慌てながらなんとか応えようとする。
「えー、魔力を使って起こす、すごい、こう、なんか。不思議な現象」
「半分正解です。魔術とは、そのまま魔力を使った術のことを差します。では魔力とは何でしょう。そこの君」
次に指された女生徒は持っていた炭筆を取り落とした。
「え、え、え。魔力は、なんでしょう。こう、ふわっとした、魂魄がばくばくすると、振り撒かれる、粒?」
「はい、正解。魂魄により生成される念質の粒子。それが魔力です」
「えっ」
答えた女生徒も他の生徒も驚いた。だが、済ました顔でミは答える。
「そんな難しい理論とかは今は考えなくても大丈夫です。学年が上がればそういう授業もありますし、私よりずっと詳しい先生がやってくださるので気になる人はそれを受けてください。というわけで、とりあえず今は簡単に覚えといてください。魂魄の振動によって魔力が生成され、魔力によって魔術を行使する。この程度の理解で十分です」
ミは第一共通語で魂魄、魔力、魔術、と書き、それを矢印でつなげた。
「では、次。この授業でやる魔術の分類についてです。うーん、魔術の分類について誰かざっくり説明できる人いますか?」
すると、すっと一人の男子生徒が挙手する。メアと違って明るい金髪に、すらりと長い手足。メアは名前を覚えていなかったが、目で尋ねるとレオゥも覚えていないようだった。
手が挙がるとは思っていなかったのか、お、とミは白墨を回す。
「実在すると広く認識されている魔術は三種類。現代魔術、古典魔術、系統外魔術」
「現代魔術の種類を挙げられるだけ挙げてみてくれる?」
「基礎魔術、自然魔術、生命魔術、時空魔術、概念魔術」
「系統外魔術は全部で何種類?」
「八種。場合によっては九種」
「正解」
ミは感心したように頷いた。メアは何を言っているのかよくわかっていないが、他の生徒も半数は理解していなさそうなため、メアは安堵する。
ミからはその後もいくつかの質問が出されたが、男子生徒は全問正解した。
ミはその生徒に名前を聞くと、手帳に何かをさらさらと書いた。
「因みに、この授業で主にやるのはどこかわかる?」
「現代魔術、特に自然魔術でしょう」
「うん、いいね。ある程度実技が出来たら星あげちゃう」
ミが何を書いたかはほとんど分からないが、最後に丸を書いたことだけはメアにも分かった。
ミは手帳を勢いよく閉じると、窓に近寄って外を見た。
メアもつられて外を見ると、運動場では生徒が剣や槍を振っている。武器格闘の授業だ。メアはそれを見て体が疼いたが、すぐに気を取り直した。今は魔術学の授業なのだから、他のことに気を取られているのはもったいない、と。
だが、心躍らせるメアとは違い、ミは眉に皺を寄せた。
「運動場は、使用中ね。うーん、ま、いいでしょ」
ミは教壇へ戻ると、生徒を見回した。
「魔術を使える人、挙手してください」
教室内の三分の一が手を上げる。メアとレオも手を挙げた。メアは意外と多いことに驚いたが、ミはそんな様子もなく頷いている。
「これから各自の魔術を軽く見せてもらうことにするので、少し机を寄せましょう。全体的に後ろに。はい、下がって下がって」
教室がざわめく。その音から興奮が伝わってくる。座学での様子見からかと思っていたら、早速の実技。それに気分が上がるのはメアにもよく理解できた。
メアも机を下げると、レオゥが青い顔をしていることに気付いた。無表情なのに、器用に顔色だけ変えている。
メアはレオゥに小声で話しかける。
「真っ青だ。大丈夫?」
「俺は大丈夫だけど、俺以外がなぁ」
「どういう意味?」
「操作がへたくそってこと。もし魔術が暴走したら頑張って避けてくれ」
「あ、うっす。頑張る」
メアは首を傾げつつ頷いた。魔術の暴走という概念が良くわからなかったからだ。
そうこうしていると、教室の前方中央にぽっかりと空間ができる。生徒はその空間を避け、教室のあちこちに立つ。
ミが窓を開けると、教室の外から土の塊が飛んできた。そしてそれは一度綺麗な球体を取ったかと思うと、すぐに人の背丈ほどのひょうたん型に変形した。高さは二歩、横幅は一歩。上下の膨らみには同心円が三つ刻まれている。
つまりは的として使えと言うことだろうか。そんなメアの推測はすぐに肯定される。
「なんでもいいから得意な魔術を使ってもらいます。言うならば品定めです。というか生徒の実力知っておかないと色々困るのよね。あ、ただしあんまり大規模な奴とか人が怪我しそうなやつは無しで。そこだけ守って――はい、君から」
「はぇっ?」
ミに指さされたのは、たまたまミの正面にいたメアだった。
教室内の視線が集まり、メアは混乱する。緊張。慣れない注目に体温が上がる。
しかし、固まってしまったメアは誰かに背中を強く叩かれた。顔を上げるとレオゥが掌をひらひらと振っている。打ち据えられた部分がひりひりと痛み、メアはそこから緊張が抜けて言っているような気がした。
「あれ、手挙げてなかったっけ?」
不思議そうに問いかけてくるミに、メアは頷いた。
「挙げました。やれます」
メアは二歩前に出る。周囲の生徒がメアから離れた。
大丈夫、とメアは心の中で念じる。やることはいつもと同じ。狼に襲われたときだって問題なく使えた。そう思い返していると、メアの体から完全に緊張が抜けた。
視界ににやにやと笑うエナシが目に入った。腹は立つが、それだけ。それで緊張が戻ってきたりはしなかった。
メアは右手の掌を的の中心に向け、魂魄を落ち着けて呟く。
「雪は冷たく氷は鋭い――【霰玉】」
掲げた手の前で釘のような形状の氷塊がゆっくりと大きくなり、拳大にまで大きくなると勢いよく飛んだ。
とん、という柔らかな音と土塊に向かって飛び、その半分ほどが土に埋まる形で突き刺さった。出来としては可もなく不可もなく。いつも通りでメアは安心した。
メアが振り向くと生徒の八割が不思議そうな顔をしていた。二割は純粋に興奮している。レオゥはなぜか頭を抱えていた。
何かやらかしてしまったのだろうか。そんなメアの疑問にミが答えた。
「一発目からこれって、まあ毎年そんなもんか。はい、皆さんこれが古典魔術です。呪文を詠唱する。それだけで励起から操作まで自動で魔術が発動できちゃうお手軽魔術ですね。ただし、古典魔術は努力で使える魔術が増えたりはしない上、詠唱する時間が必要ということで現在はあまり使用されていません。ええと、君、名前は?」
「メアです。ルールス゠メア」
「メアね。それは古典魔術で、基本的には校内での使用は推奨されていません。現在の主流は現代魔術で、この授業でも教えるのは基本的に現代魔術です。古典魔術は根気よく魔術書を読んでれば習得できますからね。なので、この授業では現代魔術を使っていきましょう。現代魔術は使える?」
つまりは、メアが使っていたのは一般的な魔術とは少し違うもので、それゆえに現代魔術を見たことのある生徒は不思議そうな顔をして、それ以外の生徒は面白がっていたわけだ。そう理解したメアは、また世間知らずを晒してしまった、と顔が熱くなった。
「い、いえ。古典魔術しか使えません」
怒られるのではないか。メアは顔を上げることができない。
しかし、ミから返ってきたのは先ほどと変わらないものだった。
「では、これから学んでいきましょう。はい、次、横の君」
「俺っすか」
レオゥが狼狽える。だが、メアは先ほどのお返しに手刀を食らわせた。すると、レオゥが親指を立ててきたため、メアもよくわからないまま親指を立てて返しておく。
レオゥは二歩前に出ると、深呼吸をし、お願いします、と元気よく声をかけた。
波動を感じた。魔力が励起される。そして魔力が渦巻き、教室内が静まり返る。
メアは腕をさすった。無意識の行動だった。
(……冷たい)
その理由はすぐに分かった。目に見えたからだ。空気中の水が凍り付いてキラキラとレオの周りで輝いている。
「寒」
誰かが呟いた。
その声を聞いたのか、不意に渦巻く魔力が止まった。冷気も散っていく。
「先生、ちょっと、無理です。操作するとこまで行けません」
「操作が苦手なの?」
「細かい操作が苦手で、特に狭いとことか、屋内は」
「うーん、なるほど。まあ頑張りましょう。皆さん、これが現代魔術系統自然魔術分類、力属性冷魔術。熱魔術の一分類ですね。では次」
レオゥも何か言われるか身構えていたが、特に何も言わなかった。そして、ミは次々と生徒を指定し、指定された生徒は魔術を披露したりしなかったりと、淡々と授業が進んでいった。
ある生徒は的に火をぶち当てて教室の床を焦がし、ある生徒は土でできた的自体を変形させて像を作った。また、電魔術をわざと他の生徒に当てようとしたり、水魔術を制御できずにばら撒いたり、しまいにはただミとにらみ合っているようにしか見えない生徒もいた。皆好き勝手している。
メアは視界が通るように濡れた前髪を横によけ、同じく濡れ鼠となっているレオゥと顔を合わせた。
「掃除大変だな」
「汚した人にやってもらえばいいでしょ」
緊張から解放された二人はくっくと笑った。
ミが最後の生徒を指名する。
「次、君」
「あ、俺魔術は使えないっす」
「少しも?」
「男は拳で」
「……まあ気持ちはわかるけど、授業はまじめに受けなさい。じゃないと星あげられないから」
男子生徒の元気のいい返事を聞いて、ミは手についた白墨の粉を払うと、片手をゆっくりと持ち上げた。
その動きに呼応するように散らばった土が持ち上がり、一か所にまとまる。そして、そのまま窓から外へ。散らばった水も一緒にだ。さすがに床の焦げ目は戻っていないが、掃除を心配する必要はなさそうだった。
やっていることは地味だが、凄いことなのではないかとメアは思った。土も砂も泥も、細かな破片などもすべてまとまって操られている。
ミは一度すべての席をもとに戻させ、着席させる。そして再び白墨を手に取った。
「なるほど。皆さんの術佳見せていただきました。中には既に一人前の魔術師と呼んで差し支えない生徒もいますが、それはそれ。大体の生徒はまだまだ初心者です。ということで説明に戻ります」
そう言ってミは次々に教板に文字を書き加えていく。そこには生徒の魔術を見ながら書かれていた様々な単語が並んでいたが、それに対して補足や繋がりを書き加えて言っているのだ。
そこでメアは思い出す。今は魔術についての説明の途中だったと。
「どうでしょうか。詳しい流れや原理はともかく、分類は分かったのではないでしょうか。と言っても単純ですね。現代魔術の中に自然魔術があり、そこから更に四つに分類されます。大体の皆さんがここに属する魔術を使用してましたね」
かかっ、と白墨で円を描く。その中には数多くの単語が含まれているが、メアが魔術を行使した時に書かれた古典魔術という文字は含まれていない。
「中には生命魔術分類の陰属性魔術、魂魄に対して干渉を行う魔術を使用していた生徒もいました。この魔術を使う気はなくとも防御手段は持っていて損はありません。そのうち授業でも教えることになります。また、毒魔術を使用している生徒もいました。これは調整魔術という特殊な魔術です。三年次の授業にありますので、気になる方は先輩に話を聞いてみたりするのもいいかもしれません」
メアは紙束を取り出して急いで教板の字を書きとる。その行為に触発されたのかあちこちでがさがさと音が鳴るが、ミはそれを微笑ましそうに眺めていた。
その後も魔術の分類に関する説明が滔々と続き、やがて鐘が鳴った。
「とりあえず四限の授業はこれで終わります。休憩を挟んだら実戦に入るので、僅かな時間ですがしっかりと休憩を取っておいてください」




