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ルゼンテーベ・ストルト  作者: 仁崎 真昼
六章 吹き抜ける風
100/240

100 学校・判決・予言

 聖域指定。多くの国で共通の名称で運用されている制度であり、国内の法律とは異なる独自の法率が適用される自治区域のことを指す。どんな法律が適用されるかは聖域ごとに異なるため、単なる警告程度にしか機能しないことも多いが、そこの法律を把握するまでは全力で気を付けるべきという点は共通だ。

 このレトリー総合学校は波号聖域指定を貰っている。格としては低い方だが、それでもある程度の自由は利く。独自の法律の中でとくに活用されているのは、悪意を持った侵入者への処刑権。一年前の魔法使いも、この法律により簡易裁判のみで処刑された。

 当然、これらはウルスにも適用される。

 校長への直談判はレオゥに止められた。メアが正直に話した場合、メアだけでなくキケやエシュー、さらにはキュッフェまで共犯者として罰せられる可能性があるからだ。メアが確認するとキュッフェは問題ないと言った。エシューとキケも、もしするなら止めはしないと言った。だが、そうやって優しい対応をされると、逆にメアは冷静になってしまった。

 レオゥは悔しくないのか、とメアが尋ねると、レオゥは悔しくはない、と答えた。そして、ただ悲しい、と付け加えた。そう言ったレオゥの表情が相変わらずの無表情だったので、メアは思わず笑ってしまった。

 そうだ、所詮は半月一緒にいただけの相手。あんな笑顔を振りまいていた裏では、未遂とはいえ能動的に殺人を犯していた相手。

 翌日の午後、メアはそう心の中で唱えながら、医療室の寝台に寝転んでいた。

「おい、ルールス。いい加減出てけ。これは病人用の寝台なんだよ」

「別に良いじゃないですか、エシュー先生。俺らは共犯者ですよ。仲良くしましょうよ」

「誰がお前みたいな糞餓鬼と犯罪を犯すか。私は私を殺そうとした奴の顔なんて見てないし、健康のために校内を散歩してたらたまたまあの子に見つかって木に縛られてただけの被害者だ」

「嘘つき」

「黙れ阿呆」

「物臭婆」

「馬鹿餓鬼」

「悪徳医」

「すけべ小僧」

 無意味な罵倒を繰り返し、飽きてメアは黙り込んだ。そうしていると、エシューがよく寝台に引っ込んでいた理由が良く分かった。昼間なのに薄暗い室内、仕切りで作られた密室感。柔らかな寝具、静かな室内。何も考えたくないときにはぴったりの環境だった。

 エシューがいるため他の医療委員もいない。二人きりの室内。

「そういえば、他に怪我人はいなかったんですか?」

「いない。あの子が呼んだ手下は全部クァトラ゠ハにぶつけたらしくてな、あの化け物が全部切り刻んでおしまいおしまい。くくく、引きこもりが珍しく役に立ったな」

「引きこもりって……いや、ほんとうクァトラ先輩凄いな。昨日会ったときは怪我一つなかったし。あの、念のため聞きますけど」

「私は何もしてない。あれが怪我なんてするわけないだろ。あれに怪我させたいなら特級指定種連れてこい」

「そんな水準の話なんですね。え? じゃあ先輩独国になれるのでは?」

「相性次第ではいけるかもしれんが、特級指定種は特級指定種でまた化け物だからな。まあやってみないとわからないな。そもそも機会自体もないし」

「ほー……」

 再びの静寂。窓が開いているせいか、たまに風で仕切りが揺れる。

 十息の無言の後、エシューが独り言のように呟く。

「ルールス」

「なんですかエシュー先生」

「あの子の裁判の結果は聞いたか?」

「……聞いてないです」

「薄情者め」

「ああいうのって、生徒が訊いて教えてくれるもんなんですか? なら教えてくださいよ」

「そこを確かめもしないのが薄情者だって言ってるんだ。どうした? 友達じゃなかったのか? ん?」

 相も変わらずの厭らしい言い方に、メアは枕を顔の上に載せた。仕切りがあるため顔は見られていないとはわかっていても隠していたかった。

 エシューはメアが反応しないことにつまらなそうに頭を掻く。そして、深々とため息を吐いた。

「懲役刑、で済むそうだ」

「懲役刑って、なんでしたっけ。死刑ではないってことですか」

「国家により……この場合はウィダッハだな、拘束と労働を強制される刑罰」

「非人指定と何が違うんですか、それ」

「非人指定はいうなれば罪を金に換える制度だ。懲役刑は罪を時間に換える。どちらが良いかはまちまちだが、あの子にとっては懲役刑の方がましだろう」

「なんでそんなこと言えるんですか」

「お前は質問ばかりだな。もう少し商学の勉強をしろ。非人指定は買い主により処遇が大きく左右されるし、二級以上ならよほど当たりの買い主じゃない限り一生飼い殺しだ。奴隷から抜けることなんて基本的にはできない。あの見た目であの体、まあろくな結果にはならないだろ。報復の抑制のため、関係者は買えないしな」

「そう、ですね」

「国家からある程度は安全も保証される。一応、校長に話を通して女性用の箱に入れてもらえるようにもなった。期間は十年と長いが、まあ頑張った方だろう」

 一息つくエシュー。それに対し、メアが返した言葉は、予想外な言葉だった。

「なんか、罰、軽くないですか?」

 エシューは虚を突かれたようで、目を瞬かせた。そして、意外そうにメアの方を見る。

「結果として、誰も死んでないからな」

「結果論じゃないですか。去年入り込んでた魔法使いだって、誰も殺してないのに死刑でしたよね」

「まだ餓鬼だ。そんな厳罰は必要ない」

「でも」

「なんだえらく突っかかってくるな。そんなにあの子に死んでほしかったのか?」

 そんなわけはない。それはエシューも分かっていたため、本気で聞いたわけではなかった。

 メアは少しの沈黙の後、ぽつりと呟いた。

「十年……牢屋の中ってことですよね。これから、十年」

「長いと思うか? それとも短いか? どちらにせよ、人を殺そうとした対価だと思って受け入れてほしいね。あの子はまだ十四だ。十年経っても二十四。まだ全然人生をやり直せる。きっと、あの子ならうまくやるさ」

 返事がないことを訝しんだエシューが振り返ると、仕切りが開いていた。そして、中の寝台の上にはもう誰もいない。入り口の扉も空いていることから、出ていったことはほぼ確実。足音がしなかったことにエシューは驚くが、すぐに気を取り直して寝台に寝転んだ。



 メアはその日の授業をすべてさぼって気の向くままに校内を歩き回った。そして、育舎の裏に座り込み、ただじっと顔を伏せた。

 気づけば辺りが暗くなっていた。日が沈んでいる。それに全く気付かなかったメアは、まだ少しばかり肌寒い夜風を顔に浴びながら、ぼんやりと塀を見た。

 不意に、背後で足音がした。飼育委員だろうと思い、無視する。

「メア、ここにいたの」

 だが、その声の主はクァトラだった。

 メアが顔を振りむく間もなく、クァトラがメアの横に座り込む。そして、少し気まずそうに話し始める。

「レオゥ君がね、メアがずっといないって言うから。組活動も出なくて。大丈夫かなって」

「すみません、少し考え事したくて」

「ウルスちゃんのこと?」

「……はい」

 メアは再び膝の上に組んだ腕に顔を伏せる。

「何かできなかったのかなって。そう思って、考えるんです。あの時、こうしていればよかったのか、あの時、こっちを選択していればよかったのか、って。でも、すぐにわかるんです。それはないって。多分、何も結果は変わらなかったんです。たとえ最初から全部分かっていたとしても、俺には何もできなかった。そう思うと、悔しくて、虚しくて」

「ウルスちゃんとは、話せた?」

 メアは黙って首を横に振った。それに対し、クァトラは、そう、とだけ呟いた。

 一言でもいいから話したかった。だからメアはウルスを連行する場を抑えようとした。だが、それもできなかった。メアが張っていた校門は誰も通らず、訊ねたらウルスはもう連行されたと聞かされた。故意か偶然かはメアにはわからない。ただ、メアにとっての最後の機会はもう逃した。だからメアは不貞腐れた医療室で寝ていた。

 そういったことを訥々と話すと、クァトラはただ頷いて聞いてくれた。そのことで、メアはほんの少しだけ心が軽くなった気がした。

 一通りのメアの話が終わると、クァトラは咳払いを一つして、視線を正面に向けたまま言った。

「メアは頑張ってるし、成長してるよ。ほら、前に話してくれたでしょ。去年は勝てなかった灰毛狼に勝てるようになったって。だからメアは何もできなくなんてないよ。ちょっとずつできることが増えてる途中。発展途上だよ」

 そう言われても、メアは顔を挙げられなかった。そのまま首を横に振る。

 クァトラがメアの肩に手を置く。

「メア、大事なのは気持ちだよ」

「……気持ちでなんとかなるなら楽なんですけどね」

「あ、信じてないな? じゃあ証拠を見せてあげる。メア、立って」

 顔を上げると、立ち上がったクァトラがメアに向かって手を差しのベて来ていた。メアは迷ったが、その白い手に触れたいという欲求が沸き上がり、その手を掴んでしまう。

 クァトラはぐいっとメアの腕を引いて立たせると、そのまま手を引いて食堂横の湖まで来た。メアは手を繋いで歩いているというのが少しばかり気恥ずかしがったが、周囲は既にとっぷりと暗く、誰にも見られないからと気にしないことにした。

 湖のほとりに立つと、クァトラはメアと向き合っていった。

「メア、私のつま先踏んで立って。両足ね」

「え、汚れるし、重くないですか?」

「大丈夫大丈夫。はい」

 そう言ってクァトラはメアに向かって両手を広げた。メアはおずおずとその両手を取り、クァトラのつま先を踏むような形で立つ。すると、目の前にクァトラの悪戯っぽい笑みがあり、思わず顔を逸らしてしまった。

「それでね、メア、目を閉じて。私が良いって言うまで開けちゃ駄目だから」

「え、はい。わかりました」

「それでね、私の足に合わせてメアも足を動かして。難しいかもしれないけど、一、二、一、二」

 膝を曲げるとお互いの膝がぶつかる。そのため、二人は脚を伸ばしたまま、体を左右に揺らして片足ずつ足を浮かせる。

「一、二、一、二」

「一、二、一、二」

「まだまだだよ。絶対目を開けちゃ駄目だからね」

「どこに行こうとしてるんですか、これ」

「ついてからのお楽しみ」

「はあ。そうですか」

「一、二、一、二」

「一、二、一、二。あ、そういえば先輩、一級外敵指定種二匹相手にして完勝ですか?」

「その話今する? その話するなら、終わった後私の心配してくれなかったメアの話しなきゃいけなくなるけど?」

「やっぱりいいです。すみません。あの日は疲れてたので」

「私も疲れてたんだけどなー。後輩に格好いいところ見せようとしたからなー」

「すみませんでした。けど、先輩なら大丈夫だと信じてましたから」

「ならばよろしい」

「ありがとうございます。頼りにしてます」

 少し風の音が強い。そう思ったメアは薄目を開け、ぎょっとした。

 メアが立っていたのは、地上から十数歩の高さの空中だったからだ。

「えっあっ、浮いてっ! 先輩! 空中に浮いてます!」

「あー、違う違う。メアは空中に浮いてないよ。私が空中に立ってて、メアは私の足の上に立ってるだけ。ね? 大したことないでしょ?」

「大した事あります! えっ! 落ち、落ちますっ!」

「大丈夫。私が立とうとしてる限りは落ちないよ。メアが気を付けるべきは、私の足を踏み外さないようにってとこ」

「あ、そ、そうですか? 本当ですか? じゃあ落ちないんですよね、これ」

 肩にしがみついてくるメアに、クァトラは心底楽しそうに笑った。

「メアってさ、どとのくらい息を止めてられる?」

「えっと、二息くらいですかね。肺には自信があります」

「じゃあ、頑張って限界まで息を止めてみよう。じゃ、今から落とすから」

「は?」

 メアが訊き返した瞬間、メアとクァトラは落下し始めた。まるでそこが空中であることを思い出したかのように、二人の体は眼下の湖へと落ちていく。

「うわああああああああああああああああ!!」

「息を吐いてー、吸ってー、止める!」

 メアは混乱のさなかでも、クァトラの指示に従って本能的に呼吸を止めた。

 衝撃、着水。

 二人は深く深く沈んでいく。メアは慌てて暴れようとするが、両腕はしっかりとクァトラに絡めとられていて動かせない。両足も着水の衝撃で痺れている。そのまま、深く深く、水を吸った服の重みで、沈んでいく。

 焦るメアだが、直後にクァトラが口を開いた。

大丈夫(ぼぼっ)一息経ったら(ごぼっ)引き上げるから(ぼっ)少しだけ(がぼっ)我慢してみて(ぼぼぼ)

 メアは焦るが、数脈ののち、クァトラの言葉を脳が理解し、はっと冷静さを取り戻した。確かに、メアは泳げない。だが、二息の間息を止めていられる。そして、目の前には頼もしい先輩がいる。その先輩が一息経てば引き上げてくれると言っている。であれば、焦る必要はないのではないか。そう気づいた瞬間、メアの体から強張りが抜けた。

 同時に、メアの視界が広がる。夜、真っ暗な水の中だと思っていたが、よく見ると薄く緑色に光っている。その光の正体を推測し、すぐに気づいた。碧泥だ。下水処理をしている池と同様、上水として使われるこの湖の水にも、碧泥を放っている。それが薄く発光しているのだ、とメアは気づいた。

 そうしていると、脚が水底につく。ぶよりとした感触。碧泥を踏んでしまったらしい。メアは心の中で謝罪しながら、足をずらす。そうすると、固い感触が返ってくる。いつの間にか痺れも取れている。これならクァトラに頼らなくても底を蹴って上がれるのではないか。そう思い、メアは正面に向き直った。

 すると、黒髪と金髪を逆立たせたクァトラが優しく微笑んでいた。水面から仄かに指す光と碧泥の輝きがクァトラを照らし、まるでそこだけ舞台の上のよう。あまりにも神秘的な光景にメアは言葉を失い、ただただ見蕩れた。

 少しして、クァトラに手を引かれる。メアはそれに従って底を蹴り、脚を振って水面を目指す。

 水面を突き破り、再び空気のある世界に戻ったメアは、忘れかけていた呼吸を慌てて再開した。

「ぷはっ、はー、はー、空気、空気」

 髪を頬に張り付けながら、クァトラは楽しそうに笑う。

「ね、メア。大したことないでしょ。メアは絶対泳げないーって思ってたけど、それはただの気持ちなんだよ。ちょっと工夫したら簡単にできるようになるくらいの、気持ち」

「……泳げては、ない気がしますけど」

「けど、このくらいの深さならメアはもう大丈夫でしょう? 沈んじゃうなら一度思い切り沈んで、底を蹴って水面まであがればいいんだから。それに、水面に上がろうとするとき、ちゃんと水を蹴って泳いでたよ。ね、大事なのは気持ち。わかったでしょ?」

 色々と反論したい気持ちはあった。そもそもあんなに危険なことさせないでほしいとか、やり方を考えてほしいとか、やっぱりその論理展開は無茶が過ぎるとか。だが、メアの心はさきほどまでより数段軽くなっていた。そのことは事実で、であればクァトラに文句など言えないわけで。

 メアは釈然としない思いを抱えながらも、クァトラの笑顔から目が離せなかった。

 岸に上がり、二人は春先の肌寒さに体を震わせる。

「さ、さむっ。風邪ひきますよこれ」

「もちろん手拭いの用意は……忘れてた。ごめん」

「先輩、風邪ひいたら先輩のせいですよ」

「ごめんごめん、早く寮戻ろ」

 そう言ってクァトラは走り出した。それはとても軽やかで、メアが見蕩れているうちに木立の中に消えていく。

 しかし、追いかけようとしたメアは、直後に行く手を遮るようにして目の前に現れた男を見て歯を食いしばる。

「……劫欲の神」

「よお、劫欲なる者」

 大きく息を吸って、メアは気持ちを鎮めた。言いたいことは山ほどあったが、この神が何かをしたわけではないことを理解していたからだ。この神は未来を予言しただけ。そして、メアはそれを覆せなかっただけ。

「満足かよ、予言が当たって。負け犬の顔を見に来たのか、劫欲の神」

 しかし、劫欲の神はそんなメアを見てきょとんとし、そして、すぐに笑い出した。

「ふ、くははっ、ははははは。何を言っている? まだ、予言は成されていないぞ? お前は何を勘違いしている?」

 メアの心臓がどくんと跳ねた。まさか。メアの脳裏に過る。

「……な、にを」

「これからだ。お前はこれから失うんだ。お前が今得た絆を失うのは、これからだぞ? 誰のことかわからないとは、もう言わないな?」

 男の姿がかき消える。入れ替わるようにして、木立の間からクァトラが姿を見せる。

「メア、大丈夫? どこか怪我した?」

「い、いえ。大丈夫です。……先輩こそ、どこか怪我してませんか?」

「私? してないよ、何言ってるの。さ、風邪ひく前に戻ろ?」

 そう言ってメアに向かって屈託のない笑みを浮かべるクァトラの姿は美しく。

 それを見てメアは思った。

 クァトラがこれ以上ないほど愛おしいと。その一挙一動に激しく恋焦がれていると。

 同時に、思った。

(ああ、そうか。これが縁か。まだ俺は、甘かったのか)

 神の予言を、甘く見ていたのだ、と。


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