『蒼竜ノ人形』記念掌編
ブルー・アルカディア。
新たな地で人との共生を求めた竜と、そして手を差し伸べた人間たちの織りなす人工島。人と竜、科学と非化学が混じり暮らす、歪で豊かな都市。
七峰蒼汰は、そこで蒼き竜――レシュノルティア・ブルーと契約を交わし、悪しき黒竜を討伐する特課に所属することになった。
――そうして訓練に汗を流す日々が始まった、その五日目のこと。
筋肉痛なのか打撲なのか疲労なのか、感覚からして鈍くなってもう何も分からないただただ重い体を引きずって登校した蒼汰の前に、ぴらっと一枚のチラシが差し出された。
「……何これ、美海」
「夏祭り、なのかしらこれ。今日の夜に花火大会があるっていうお知らせなんだけど」
差し出した本人もまだよく分かっていないらしく、スポーティな彼女――葉月美海もうーんと唸りながら首をひねっていた。
とは言え、それも仕方のないことだ。
まだ六月の下旬だ。時期も早いし、何より梅雨ということで気候も安定していない。こんなタイミングで花火大会で開かれることは、この閉鎖された島であっても珍しいことだ。
「何でも、今年の八月の花火大会は先端技術のお披露目にしたいんだってよ。その為の専用工場も建てて試作してるらしい」
二人にそんな情報をもたらしたのは日向光輝だった。相変わらずの端麗な容姿にきらきらと空気が輝いているように見える。
「あぁ、なるほど。その八月の花火大会は外部に向けても開くんだ?」
「そういうこと。だからその前に、一回リハーサル気味に打ち上げたいんじゃないか、ってさ。ついでの祭で経済効果も見込めるし」
察した蒼汰に光輝はうんうんと頷いている。
技術漏洩を防ぐため、この人工島の内外は人の出入りや通信に徹底した規制や検閲が入る。それを承諾しているものだけがこの島で暮らせるのだ。だがそれでも、そうして先端技術を開発していった結果を披露する機会は必要だ。その中の一つが、八月の花火大会なのだろう。
それに失敗するということは、この島の表向き――裏側は竜に関すること柄全般だ――の存在意義に関わる。だからこそ本番に近い状況で丁寧にリハーサルを行うのだろう。それがこの少し時季外れの花火大会だ。
「――それで、この花火大会がどうしたの?」
「いや、一緒にどうかなって」
「ここ最近、お前疲れてるみたいだしな。息抜きにどうだ?」
「いいね。――って言いたいんだけど、今日もバイトがさ……」
「休めばいいじゃん、とは思うけど、そうはいかないわな。まぁ花火自体は結構遅くなってからみたいだし、終わるくらいまでは待つよ」
「別に夕方からずっと引っ張り回したいわけじゃないし」
「ありがとう。――その、奏も誘っていいかな?」
奏――夏凪奏は、蒼汰の同居人だ。三年前の大災厄で、奏と蒼汰は家族を失った。そんな二人は身を寄せ合って暮らす道を選んだのだ。血縁関係など何もないが、それでも今では家族同然の仲だ。
ただ、彼女はその災厄をきっかけに他人に心を鎖してしまっている。蒼汰にだけは笑顔を向けてくれるが、最近紹介したばかりの美海や光輝にはまだどうしてもぎこちない。せっかくの祭で空気を悪くしてしまうかもと、そう思った。
――けれど。
「当たり前でしょ」
「ってか、初めからそのつもりだし」
それは笑い飛ばされてしまうほどの杞憂だったらしい。
その優しさがいつか奏の心を溶かしてくれればいいなと、心の底からそう思った。
「――そういう訳で、花火大会に行かない?」
昼休みの屋上だった。
真夏の日差しが気にならないほど涼しい風の吹くその場所は、蒼汰、奏、美海、光輝の四人の貸し切り状態だった。そこで弁当を広げながら、美海たちの前で蒼汰は奏に問いかけた。
彼女のトレードマークでもあるブラウンのサイドテールが風になびき、まるで困ったように揺れている。
「それは、蒼汰くんも一緒に?」
「もちろん」
「だって、この前急に置いていかれたし」
「うっ……」
奏の人見知りは大災厄に由来する、根の深いものだ。それを理解していながら、それでも特課に入った自分では奏の傍にずっと居られないと思い、最近になって美海と光輝に紹介した。
それ自体は悪くないと自分でも思っている。必要なことでもあるし、何より、奏にその傷を乗り越えてもらいたかったから。
だがそれでも、会ったその日に美海と光輝と奏を三人きりにして自分は姿をくらます、というのはやり過ぎだった。特課での呼び出しがあったから仕方がないとは言え、今もこうして奏にはチクチクと嫌味を言われてしまう始末だ。
「まぁ傍から見ててもあれはひどかったよなぁ」
「そうね、私が奏さんの立場だったら普通に殴ってると思う」
「もう少し助け船出してくれてもよくない……?」
自分をあっさりと見捨てて奏の味方をする光輝たちに、蒼汰は若干涙目になりながら恨みがましく呟く。
「だって悪いのは蒼汰だし。ですよね?」
「うん」
美海の言葉に、奏は逡巡なく同意する。最初は遠慮がちで話を振られると動揺したりもしていたが、今日に限ってはもう気分的にも美海は味方らしい。
それをどこか寂しく「……ごめんってば」と少し唇を尖らせ謝りながらも、少しだけ嬉しく思えた。
*
「――今日は花火大会だから、訓練は中止にするよ」
放課後、特課の訓練のためにブルー・アルカディアの中心に位置するランドマークでもある高層ビル、《セントラル・ブルー》の一区画を訪れた七峰蒼汰に、上司であり同じ高校生でもある天宮六花はそう告げてくれた。
これはもしやと、期待しなかったと言えば嘘になる。
今日くらいは羽を伸ばしておいで、と、そういう声がかかることを。
「――まぁ、そんなに甘くはないよね……」
時刻は午後六時五十分。
花火の打ち上げが始まるまであと十分、というところで、七峰蒼汰は深くため息をつく。
蒼汰がいるのは屋台の建ち並ぶ祭のまっただ中だ。
傍らには蒼汰の腰くらいに頭のある、蒼髪碧眼の少女であり七峰蒼汰の契約竜、レシュノルティア・ブルーがいた。――つまりは仕事である。
「祭は人が密集するものじゃからなぁ。黒竜の動きが読めんいま、警戒に駆り出されるのは仕方のないことじゃろう?」
見た目にそぐわない作ったような低い声で諭すティアに、蒼汰はため息をつく。
「最近はずっと奏を一人にさせちゃってるし、約束も破ってるからなぁ。今回はちょっと恨めしいかな」
「……そうか、奏のためか」
「どうかしたの?」
「いや、なんでも。……ところで」
一瞬だけ悲しそうな声を漏らした彼女は何事もなかったかのように微笑み、そのままその表情は悪戯好きな子供みたいな笑みへ変わる。
「あまりぞろぞろと雨後件から、普段とは違いこうして契約者と契約竜で一組になって歩き回ってるわけじゃが」
「そうだね」
「こうして六花の監視がない今、お主の行動の指針は特課としての活動の長いわしが握っておるわけじゃ」
「うん、分かってるけど」
「――わしとしては、ここで友人と偶然で会うのであれば、先に約束していたにもかかわらず無碍にするのもおかしな話じゃし、特課の存在を秘匿するためにもそのまま合流すべきじゃと思うのじゃが」
「それって……」
確かに、ティアの言うとおり特課の存在は表には出来ない。この島は人と竜との共生が成功しているという既成事実を作るためにある。それが人に害為す黒竜が存在しているとなれば、前提が崩壊してしまう。
故に、その情報を隠匿することは警邏と同等かそれ以上の価値ある重要な任務だ。
だが、いまの彼女の発言は、それを言い訳に蒼汰へ「遊んでこい」と言っているようなものだ。もちろん良いわけがなく、バレれば怒られるのは蒼汰ではなく監督役のティアだ。
「無理を強いて特課に入ってもらったのはわしらの都合じゃしな。一応、お主の友人らには見つからないようにしつつもお主の傍は離れんから問題もあるまい。――ただ六花には見つからないようにしてくれ」
彼女に真正面から説教されるのは、蒼汰としても遠慮したい。なにせ一切感情的にならないからひたすらに恐ろしいのだ。
「……ありがとう、ティア」
幼い少女の見た目をした、蒼汰自身よりずっと年上で偉い青竜のティアに心からお礼を言って、蒼汰は携帯端末で美海と連絡を取り合う。
「――お、遅いぞ、蒼汰」
人工河川の川原で、頭一つ背の高い光輝が蒼汰を見つけて手を振っていた。それに応えながら、蒼汰は駆け足で打ち上げ直前の人混みを抜けて彼らと合流した。
そして、その目の前に立って立ち止まり、呆然としていた。
ただ、戸惑った。
夏凪奏が、一緒に暮らしている蒼汰ですら見覚えのない格好をしていたからだ。
あじさいの柄の、淡い青色の浴衣だった。髪もいつものサイドテールではなく、浴衣に似合うよう和風にアレンジされている。
「――どう? うちのお母さんが着付けてくれたから完璧でしょ?」
こちらはお揃いの柄で色違い、薄紅色の浴衣の美海が胸を張っていた。
「に、似合ってるかな……?」
自信がなさげに自分を見下ろしてチェックする奏に「似合ってるよ」と心からの賞賛を臆面もなく蒼汰は送る。
ただ、似合っている以上に驚いたのだ。
奏が蒼汰の知らない間に、一人で美海の家へ赴き、その母に一緒に着付けをしてもらった。それは人と繋がることを恐れていた奏にとっては、一歩どころか十歩も二十歩も進んだ冒険だったに違いない。
けれど、それを頑張ったと見せず、蒼汰の前でいつも通りに振る舞っている彼女のその姿に、その強さに、蒼汰は驚愕したのだ。
それ以上にどんな言葉を紡げばいいか分からずにいた蒼汰の背を叩くように、重い音が響く。
振り返れば、一発目の、開幕を告げるような大きな花火が打ち上がっていた。
「始まったね」
「そうだね」
自然と口数は少なくなり、蒼汰たちは無言で夜空に輝く火の花びらを見た。
技術力を見せつけるためか、ありきたりな花火は少ない。丸い形から星や四角へと二度三度姿形を変えるものや、一際大きく打ち上がった四尺玉も丸く広がったかと思えば、まるで流星群のように夜空を染め上げる。
移ろい変わるその火の芸術に、蒼汰はどこか奏を重ねていた。
美しく、儚く、けれど強く、その姿を変えていく。
そんな彼女はきっと、いつか、蒼汰が支えなくても良い日が来るのだろう。
それが嬉しいのか寂しいのかは分からない。けれどそれは正しいことで、その日が来てくれることを、その夜空の花火に蒼汰は一人願っていた。