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雪の中に眠る

作者: さわ

『冬の女王と春の女王を交替させた者には、好きな褒美を取らせる』

 雪に埋もれた立て看板。

 その正面に、少女は立っていました。お触れの文を反芻し、奥の門を見やり、降りしきる雪にかすむ高い塔を見上げ、やがて少女に気がついた門番が「挑戦するかい」と声をかけるまで。

 こくりと少女は頷きました。


「お触れが出た直後は行列ができるくらい大勢が来たが、最近はめっきり減ってしまったんだ。お嬢さんが何日かぶりの挑戦者だよ」

 先導する門番は、久しぶりの客に楽しげな様子。訪れる者がいなくて退屈していたのでしょう。

 少女はそのまま門を通り抜けようとして、暖かな空気を肌に感じました。門番の詰め所らしい部屋の扉が開いています。そこにはお菓子や本が散乱し、一人が床に突っ伏していました。


 長く続く冬に体調を悪くしたのでは、と少女は足を止めました。しかし彼の周囲に酒瓶が転がっているのを見つけて、眉をひそめます。

 振り返った門番が、「ああ」納得したような、嘆息したような声を漏らしました。

「不運なことがあって、落ち込んでいるんだ。許してやってくれ、もうすぐ元通りになるだろうから」




 塔に入る前に、門番は忠告しました。

「女王は最上階にいらっしゃる。塔に入れるのは女王が許可した人間だけ。暴力を振るおうとしたり、失礼なことをしたりすれば塔から追い出されるし、二度と入れない。そもそも今日面会するかも、気分次第だ」

 もしかしたら、会うことすらできないかもしれない。

 ひとりで最上階まで行く間、そう少女はびくびくとしていましたが、いざそこまで行くと拍子抜けしてしまいました。


 赤い絨毯が敷き詰められた部屋に、ひとりの女性が微笑みをたたえて座っていました。薄い水色のドレスに、繊細な意匠の王冠。彼女が冬の女王なのでしょう。

 特に拒まれることもなく、少女は彼女の前までたどりついてしまいました。

「はじめまして、女王さま」

 すんなり会えたことに戸惑いながらそう挨拶をすると、「こんにちは、ちいさなお嬢さん」そう挨拶を返してくれます。


 この国に季節を運ぶという四人の女王。どうしてか春の女王と代わらず、長い冬をもたらしている冬の女王。てっきり頑固で冷たいひとなのだろうと少女は思っていましたが、想像とはまったく違います。

 この人なら、お願いをしたら聞いてくれるのではないか。

 ついそう思ってしまった少女は、前置きもなく懇願します。

「冬を終わらせてほしいの」


 言ってしまってから、失礼な切り出し方だったかもしれないと気づきました。

 しかし、冬の女王は黙って少女を見返すだけ。怒ってはいないようです。

「冬を終わらせるのは、春の女王の仕事。春の女王がこの王冠をいただいて、この玉座に座らなければならないの」冬の女王は自らの王冠と、座った椅子を指さしました。

 少女はがっかりしました。それならば、冬の女王にお願いしても仕方がありません。


「春の女王はどうして来ないの」

「わからないわ。冬が続いてほしいのかも」

「春の女王はどこにいるの」

「わからないわ。どこかに隠れているのかも」

「あなたは春が来なくて困らないの」

「わたしにはどうしようもないことだもの」


 冬の女王に困った様子はありません。あしらわれているように感じ、少女は自分が意地悪をされている気になってきました。

「そんなことを言われたって、困る」

 少女には、冬の女王と春の女王を交替させなければならない理由がありました。

「どうして困るの」


「だって、春が来ないと食料が尽きてしまうし、雪が溶けないし」

 それは、街で小料理屋の店主が話していたことの受け売りでした。

「それだけが理由?」

 冬の女王の追求は、容赦がありません。少女は小さな声で答えました。「褒美が、ほしいから」

「どんな」

「わたしが誰か、教えて欲しい」


 冬の女王が目を見開きました。「何も、覚えていないの? 自分のことも、今までのことも?」少女は頷きます。

「今日、気づいたら街の中にいて、お触れを読んで、ここに来て」

 少女には今までの記憶がありませんでした。自分の名前も、家もわかりません。

 冬の女王と春の女王を交替させれば、好きな褒美がもらえる。そのお触れと同じように、自分の身元に関するお触れをだしてもらい、自分のことを教えてもらいたかったのです。


 冬の女王は背もたれに身を預けて呟きました。「思い出さない方がいいのかも」

「何も覚えていない方がいいというの?」

「覚えていたくないから、忘れたのかもしれないわ」

「全部忘れた方がいいなんて、そんなことあるわけない」

「忘れてしまったから、そういえるのよ」

「意地悪なことをいうのね」


 少女はじっと冬の女王を見上げます。なんて冷たい人だろうと、目つきも鋭くなります。

 冬の女王の様子は最初から変わらず、静かに見つめ返すばかり。少女の態度に怒るわけでもなく、やがて「泊まるところがないのなら、この塔に泊まるといいわ。空いている部屋はいくらでもあるから」と勧めてくれました。


 その誘いを突っぱねたくなりましたが、少女には自分の家すらわかりません。お礼を言って、塔に泊まることにしました。

 失礼なことをすれば、塔から追い出される。門番がそう言っていたことを、不思議に思いながら。




 翌朝も、変わらず雪が降っていました。雪かきをしたそばから雪が降るので、整備された道を歩いても少女の膝まで雪に埋もれてしまいます。

 春の女王のことを聞くために、塔から門までの短い距離を苦労して進み、少女は門番を訪れました。

 迎えてくれたのは、昨日の門番でした。

「女王達のことは知らないんだ。顔すらもわからない。馬車に乗ってやってくるし、ついたら塔にこもりきりだから」


 門番は申し訳なさそうに謝りました。もう一人の門番を呼んで、何か知らないか尋ねてくれます。

「悪いけど、僕も何も知らないよ」

 ごめんねと謝り、少女に飴を手渡して、彼は奥に戻っていきました。

 少女はじっとその背中を見つめます。なんとなく、見覚えがあったからです。

「あいつは、昨日酔いつぶれていたやつだよ」視線に気づいた門番が、そう教えてくれました。


「今日は元気そうだけれど、どうして」

「綺麗さっぱり忘れたからだよ」

 少女は首を傾げました。その様子に、門番は不思議そうな顔をします。

「知らないのか。冬の女王はつらい記憶を忘れさせてくれるんだよ」

「つらい記憶?」


「あいつは強盗犯を捕まえたんだ。だけど捕まえるときに犯人が暴れたものだから、一生残る傷を負わせてしまったんだよ。それをずっと気に病んでいたんだ」

 その記憶は、とてもつらい記憶でしょう。

 忘れてしまったというもう一人の門番は、今日は何事もなかったかのようにきちんと仕事をしています。もらった飴を握りしめて、少女は門番に尋ねます。


「それでいいの」

「あいつが悪いわけじゃない、不運な出来事は忘れてしまった方がいい。それに酒浸りでいるよりは今の方がずっといいさ。今年の冬は長いから、あいつみたいにたくさんの人がつらい記憶を忘れていくだろう」

 少女は黙り込んでしまいました。

「気になるなら街に出てみるといい、いろんな人がいるはずだから」

 見かねた門番の勧めに、少女は頷きました。


 もらった飴玉をなめながら、少女は街へ向かいます。飴玉は甘く、束の間でも厳しい寒さを忘れさせてくれました。

 門番のいうとおり、酒浸りでいるよりは今の方がよいでしょう。

 でもすべて忘れてしまうことが一番よいことだとは思えませんでした。他によい方法がないのだろうかと考えてみますが、何も思いつきません。

 飴玉が溶けてなくなる頃、少女は街につきました。


 少女はある小料理屋に入りました。昨日、街で途方に暮れていたとき、声をかけてくれた女性が営んでいるお店です。

 店では今日もその店主が動き回っていました。

「こんにちは」

 少女がにっこり笑顔を向けると、店主は目を丸くしました。


「まあ、ちいさなお客様だこと。お母さんと待ち合わせ?」

 初対面のような言葉に、少女はたじろぎました。

「おばさん、その子は俺の友達」

 奥で料理を食べていた青年が、少女を手招きします。

 昨日、店主と一緒に少女の事情を聞いてくれた青年でした。少女は逃げるようにそちらに向かいます。

 青年が少女のために飲み物を注文すると、店主は二人から離れていきました。


「おばさんの様子が違う気がする」

「娘さんのこと、忘れたからね」

 きっと、冬の女王が忘れさせたのでしょう。

 少女は胸にもやもやとするものを感じました。

「それでいいの」


「正直、寂しいと思うよ。誰も言わなければ、忘れたことにも気づかないんだから」

「どうして、わたしのことも忘れてしまったの」

「きみのこと、娘と同じ年頃だから気になって声をかけたんじゃないかな。娘と重なっていたから、一緒に忘れてしまったんだと思うよ」

 昨日会っただけ。でも親切にしてくれた店主に忘れられてしまったのだと思うと、少女は悲しくなりました。


「冬の女王の力は、強大で恐ろしいよね。雪の中に記憶を閉じ込めて、消してしまう」

 少女がうつむいたのを、冬の女王を恐ろしく思っているからだと勘違いしたのでしょう。訳知り顔の青年に、少女はかぶりを振りました。

「恐ろしくなんか、なかった」

 冬の女王は少女の質問に答え、失礼な態度に怒ることもありませんでした。少し意地悪だと思うことはあっても、恐ろしいとは思いません。


「きみの記憶も、冬の女王が消したんじゃないの?」

 少女ははっとしました。

 何も覚えていないのは、冬の女王が消してしまったからかもしれません。でも、何も覚えていないのは、どうしてでしょう。頭の奥で、何かが引っかかったような気がしました。

「冬の女王は残酷なことをする」

「でも、忘れることも必要なのかもしれない」


 少女の頭には飴をくれた門番の顔が浮かんでいました。

「大切なものだから、失ったらつらくなるんだ。忘れたくないことまで全部、冬の女王は忘れさせてしまう」

「冬の女王のことが嫌いなの?」

 問いかけに、青年は困ったように笑います。

「そう思うのは、俺だけじゃないよ。忘れたくない記憶も忘れさせてしまうのには、反感も買っているんだ。冬の女王の期間を力ずくで短くしようとした人もいたくらい」


「冬の女王は、無事だったの?」

「うん。塔にはその季節の女王が許可した人間しか入れないし、玉座の間には季節の女王達しか入れないようになっているから」

 昨日、冬の女王は玉座に座っていました。少女はその正面に立っていたはずです。

 もしかして、と思ったとき、引っかかっていたものを掴めた気がしました。重く被さっていた覆いが剥がれ、そして。


「わたし、冬の女王に会いに行かないと」

 席を立つと、飲み物を運んできた店主にぶつかりそうになります。

「何をしに行くの」心配そうに尋ねる店主に、「謝りに行くの」と答えて、少女は駆け出しました。




 塔は少女を拒みません。玉座の間も、少女を受け入れます。

 昨日と変わらず、冬の女王は玉座に腰を下ろしていました。駆け込んできた少女に怪訝そうな顔をして。

「ごめんなさい、あなたにつらい思いをさせて」

 開口一番謝る少女に、冬の女王は首を傾げました。「どうしたの」

「あなたのことを忘れていた。自分のことを忘れて、あなたに仕事を押しつけて、反感を買わせていた。思い出したの、わたしが春の女王だってこと」


 驚いた顔をして、それから冬の女王は目を細めました。

「お久しぶりね、わたしのちいさなお友達」

 少女が記憶を忘れていることに気づいていて、冬の女王は何も知らないふりをしてくれていました。少女のためにしてくれたのは、それだけではありません。

「あなたは否定しないで、肩代わりしてくれた。本当は、わたしが記憶を忘れさせていたのに」


「面倒だったから、何もいわなかっただけよ。大して変わらないでしょう。つらい記憶は、冬の女王が雪の中に眠らせているのだから」

 冬の女王は、つらい記憶を忘れさせる。みんなそう噂していましたが、事実は少し違いました。

 降り積もる雪の中につらい記憶を閉じ込めるのが、冬の女王。春の女王が、雪解けと一緒に記憶を消していたのです。


 少女が記憶を取り戻したのも、まだ眠っていただけの記憶を思い出したからでした。

「記憶を消してしまっていいのか、わたしはずっと悩んでいた。春が来るのが怖くなった。あなたはそれを知っていて、何もいわずにいてくれた」

 少女は春の女王として塔に入ることを迷っていました。少女の意思に関わらず、春が来れば記憶は消えてしまいます。


 悩みに悩んで、少女は春の女王であることが苦しくなっていきました。そうして冬が長引いて、少女は自分の正体を忘れてしまったのです。

「わたしは、忘れたいことがあるのなら、忘れてもいいと思うの」

 だから春の女王であることを忘れてもいいのだと、冬の女王は言ってくれているようでした。

 少女は力強くかぶりを振ります。


「わたしは、忘れたくないの。春の女王であることはつらかったけれど、春の女王はわたしそのものだから。わたしが忘れていたことは、つらい記憶だけじゃないから。あなたがかばってくれたこと、守ってくれたこと、大事なお友達であること、全部忘れたくない」

「あなたが、そう言ってくれるのなら」

 冬の女王は、玉座から立ち上がりました。


 頭上の王冠を外し、それを少女の頭へ。「忘れたくない記憶は、きっと思い出せるわ。あなたが思い出せたように」玉座に向かう少女の背を、そっと押します。

 そして、冬の女王と春の女王は交替しました。

 雪はやみ、雲が晴れ、太陽が雪を溶かしていきます。うずたかく積もった雪が溶けきるまで、もうしばらく時間がかかるでしょう。眠る記憶を、起こせるくらいには。

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[良い点] こんにちは。八重中子です。 今回、『雪の中に眠る』を読ませていただきました。 少女が実は春の女王だったというところがとても印象に残りました。 [気になる点] 青年が友達と言ってくれるところ…
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