〔1〕愚民
〔1〕
血は紅い。
そう、人間という生物である限り血は紅いのだ。たとえ黒人であろうと、白人であろうと、黄色人であろうと、躰を流れる潤滑油は紅い。これが、人間の最大の共通点だ。それ以外は、肌の色の違いと微妙に異なる躰の構造だ。他の生命体の同系と同様、人間の違いなど微々たるものだ。それなのに、人間というのは全く不可解だ。共に助け合い、平和に過ごそうとしない。自身の欲望や利権の為に簡単に争いを始めてしまう。それが家族であっても、同じ国の人間でも、同じ人種でも。ましてや他の人種などとの争いを止められるはずがない。人はそれぞれの持つ価値観というモノの違いだけでも内戦や紛争、或いは戦争といった武力行使を起こってしまう。人類誕生から450万年前、戦いの無い平和な時代は訪れないと、その歴史が証明している。人類の組み上げたこの仮初の平和は多大なる犠牲、無数の屍の上に成り立っている。何億、何百億という、地球に生存する人間の数よりも多い生贄たちだ。平和な世界を創造するということはつまり、人類は存亡の危機にさらされるということだ。
今でも平和な世界の実現を目指せ、などと抜かしている人はたくさんいるが、浅はかである。流石は、戦後教育の賜物だ。彼らの住むその裏側では未だに終わらぬ血塗られた戦い繰り広げられているというのに、平和平和などとだけ叫んでいる場合ではないのに。彼らは何がしたいのだろう。自分が助かる為に訴えているのか、世界の人々の為に訴えているのか。もし、本当にこの星の民のことを考えているのならば、既に行動を起こしている。態々戦地に赴いて救助活動をしたり、NGO法人を立ち上げたり、幾らでも出来る事はある。ただ、それが出来ないのが人間の難点であり特徴でもある。人間が共存して生活できない原因は、そこにあるのかもしれない。人には、当事者と第三者という立場が各々(おのおの)にある。この埋めても埋まらない溝こそが、争いを起こす二次原因だ。
この世に生まれた以上、人は難儀な人生を足で踏みしめながら行くこととなる。その圧力の中でどう抗い、どう人生を過ごすのが本来の問題だ。普通はこの中で自分を極限まで追い詰め他人と争い、競争を望み、頂点への道を歩む。そしていずれは、その道での支配者を気取るだろう。
結局、人間なんていう愚かな動物は、矛盾の塊りだ。争いを嫌い、平和を望むのに対して、自分が天下取りになる為には他人と争う。もう、この時点で矛盾が生じている。
ある人は言うだろう、人を傷つける争いで無ければ別に良いではないか、と。そういう人間は甘いのだ。本気で争い無き平和な世界を望むのならば、戦いという行動自体を消し去らなければならない。闘争心という人間の本能が角逐を引き起こすのだ、たとえそれが人を傷つけない純粋なモノだとしても。無何有郷に、相克は無いのだ。
人間は云うが、人間は言わず。
人間は聴くが、人間は聞かず。
人間は、矛盾である。
人間は、不可解である。