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青空をつかむ闇   作者: ジーン
9/22

第九話 アレックスの事情

 沈黙を乗せたまま、車はコンクリートの箱の中に、吸い込まれていった。

それぞれ車から降り、ドアを閉めた。


「亜王……」


 ケリーが心配そうに口を開いた。

密閉されたコンクリートの部屋の中では、小さい声でもよく響く。


「俺も戦いたい。戦わせてくれ」


 そう言った亜王の眼は、驚くほど落ち着いた光を放っている。

メアリーはほくそ笑んだ。

ケリーの顔にも笑みが戻る。


「さぁ、いこーぜ。そいつの名前も聞いちゃいない」


 そう言ってメアリーはケリーと目を合わせた。

ケリーは思い出したように、連れてきた男を通路へと進めた。


「悪かったな、きつく言って」


 メアリーは通路を歩きながら小声で言った。


「そんな事ない。おかげで戦う目的を確立させられた」


 亜王は落ち着いた声でそう言った。


「でも、人を殺るのは楽じゃない。無理すんなよ」


 メアリーはそう言って、亜王の背中を思い切り叩いた。

亜王はせき込み、痛みをこらえて背中をさすった。

それからしばらく歩き、四人は入ってきた入口とはちょうど反対側にある扉を開き、中へ入った。

白い空間を抜け、開いた扉の先には、コンピュータがずらりと並べられ、多くの人がキーボードを叩いている。

正面には大きなモニターが見える。

そこには、メルカトル図法で描かれた世界地図が映しだされている。

気象予報図だろうか。

雲と思われる白い帯やかたまりが、少しずつ移動している。

しかし、どこかに違和感を覚える。

四人はケリーを先頭に、人やコンピュータの間を歩き、奥にあるガラス張りの部屋へ向かった。

ケリーは透明なドアをノックした。

中にいた、白髪で鼻の下に白い髭をこしらえた老人が、しゃがれた声で入るように促した。


「揃いましたか」


 その老人はおそらく、ハーケンクロイツと同い年か、もう少し上のように思える。

しかし、あのぶっきらぼうな医者に比べ、口調やしぐさが明らかに紳士的だ。

英国紳士の代名詞といっても過言ではなさそうだ。


「はい」


 ケリーは珍しく、礼儀正しく返事を返した。


「ウォーカーです。名前を教えていただけますかな」


 ウォーカーと名乗った老人は、黒い皮で覆われた椅子から立ち上がり、亜王たちの前まで来て言った。

亜王とメアリーは名乗り、ウォーカーと握手を交わした。


「アレクサンドル・ロマノフです。アレックスと」


 連れてこられた男は、外国なまりのある英語でそう言った。


「よろしくお願いします。アレックス」


 ウォーカーは滑らかな英語で返した。


「あんたロマノフ財閥の……」


 アレックスの名前を聞き、亜王が思い出したように言った。

ロマノフ財閥と言えば、ロシアでも五本の指に入るほどの大財閥である。

財閥のトップが長者番付にも、ずいぶんと長い間載り続けている。

彼らが手を出した事業は数知れず、二十年かけて、アレックスの父親がそこまでの大きな企業にした。

父親の名前はフィリップ・ロマノフ。

ロシアではかなりの有名人だ。

有名といっても、いい話題ばかりではない。

法律ぎりぎりの取引や、マフィアとのつながりもうわさされている。


「聞いたことあるな。でも息子は家を出てったって聞いたぜ」


 メアリーが腕を組みながら言った。

その通りだと、アレックスは言う。

幼いころから父と一緒にいたアレックスは、金に手を出してからの父の変貌に、ある種の恐怖を覚え、家を出たのだと言った。


「後継者が家を出たとなれば、血眼になって捜すと思うけどな」


 メアリーは左手を顔の前で一振りした。


「必要なかったんだろ。確かロマノフ家には……」


「息子が二人」


 亜王が投げかけた問いにケリーが答えた。

その通りだと、アレックスは少し暗い口調で言った。

その後、少し間を開けて彼は話し始めた。


 アレックスは、自分が家を出る五年前の話だと言った。

まだ少年だったアレックスに、父は夕食の席で後継者の話をした。

その時のアレックスは十三歳。もう善悪の判断ぐらいできる年だ。

自分の意見を持っていてもおかしくはない。

アレックスは後継者になることを、あっさりと断った。

その次の日、彼に突然、弟ができた。

血は繫がっていない。

養子としてロマノフ家に招き入れられたのだ。

その少年の名前はヘンリ。

まだ四歳だった。ヘンリが家から出ることは許されなかった。

監禁されていたと言ってもおかしくはない。

家の中ですら自由は許されず、付き人が常にいた。

そうしてヘンリは、後継者として父親に調教されていった。


「僕は家出したと言うより、追い出されたと言った方が正しい」


 アレックスはそう言って口を閉ざした。


「家出してすぐに大学に入学。首席ね」


 ケリーは、ウォーカーに渡された書類を、単調に読み上げた。

沈んでいたアレックスの目が、ケリーを捕らえる。


「卒業も首席。卒業後すぐに、天候操作の極秘プロジェクトへ参加を求められ、開発チームに参加。システムの確立に成功」


 ケリーは間違いないかと言わんばかりに、アレックスを見た。


「そこまでわかるのか。政府にすらばれてなかったプロジェクトだぞ」


 アレックスの表情がひきつる。

この世の中、情報はどこから漏れるか検討などつかない。

壁に耳あり、障子に目ありとはよく言ったものだ。


「そういえば聞いてなかったな。君たちは一体何者なんだ?」


 彼は思い出したように言った。

思い返してみれば、ここに来るまではずっと雰囲気が悪かったので、自己紹介などしている場合ではなかった。


「言ってませんでしたか。我々はMI6です」


 ウォーカーは滑らかな口調でそう言った。

その瞬間、アレックスの目が凍りついた。

ほんの数秒のことだったが、彼の動きは確実に止まり、身じろぎ一つしなかった。

もしかしたら、驚きの余り、心臓まで止まっていたのではないかとさえ思える。

次の瞬間には、何も無かったところから、感情が一気に噴き出していた。


「俺をどうするつもりだ? アメリカと戦争をするために、またあれを作らせる気か? 冗談じゃない。あれのために、いったい何人の一般人が犠牲になったのか、わかっているのか!」


 アレックスは眼を血走らせながら、そんなのはごめんだと叫んだ。


「落ち着いてください」


 ウォーカーが言った。

その口調の波が荒れることは一切なかった。


「僕に近づくな」


 アレックスは腕を大きく振りまわしながら、壁まで後ずさった。


「戦争に手を貸すのが嫌で日本に来たっていうのに、また僕の手を血で染める気なのか?」


 さらに口調が荒くなる。


「おい、話を聞けアレックス」


 亜王がそう言ってなだめようとしたが、アレックスは寄るなと怒鳴り散らした。


 今、亜王たちがいる部屋は、壁が透明な特殊プラスチックで構成されている。

そのため、部屋の中の異変は、瞬時に外に把握されていた。

すぐに黒い装備の特殊部隊が部屋を取り囲み、突入の機会を窺っていた。

だが、ウォーカーが突入を止めていた。

アレックスがここまで興奮してしまっていては、協力の要請どころではないと亜王は感じていた。


「ヘイ、ヘイ。周り見てみろよ。おまえの取っている行動が不正解なのは、小学生でもわかる」


 メアリーが呆れ気味に手を振って見せた。


「戦争に手を貸すぐらいなら……」


「死んだ方がマシ」


 ケリーがアレックスの言葉を遮り、ため息交じりにそう言った。


「面倒だ。そんなことは百も承知なんだよ。クソッタレ」


 メアリーは腰から拳銃を一丁抜き、アレックスに狙いを定めた。

銃を向けられたアレックスの顔からは、あからさまに血の気が引いていった。


「その顔だ。死ぬのが怖いって顔だ。今から命乞いしてみるか?」


 メアリーは、わざと挑発するように笑った。

その笑みは、とても軍人が浮かべるとは思えない、卑劣な笑みだった。

アレックスは銃口を見つめたまま、下唇を強く噛みしめた。

彼の顔は青白くなり、体は小刻みに震えていた。

死というプレッシャーに、今にも押しつぶされそうだ。


「いい答えだ」


 メアリーがそう言った後、引き金は何のためらいもなく引かれた。

一発の銃声が部屋の中に響き渡る。

それとほぼ同時に、アレックスがおなかを抱え込むようにして、前のめりに床に倒れた。


「おい! お前」


 亜王は、メアリーに掴みかかる勢いで言った。

それとほぼ同じタイミングで、黒ずくめの特殊部隊が部屋になだれ込み、倒れているアレックスに銃を突きつけた。

アレックスは微動だにしない。


「何も本気で撃つことなかったんじゃないのか?」


と亜王は激しく抗議した。

その表情には、悲しみと、悔しさと、怒りが入り混じっている。

メアリーは、薄ら笑いを浮かべたまま、何も言わない。


「悪趣味だよ。メアリー。亜王がかわいそうじゃん」


 ケリーは、咎めるような視線と口調を、メアリーに向けた。

その言葉を聞いて、メアリーの顔ににやけた表情が思いっきり広がる。

さすがの亜王も不審に思い首を少し傾げた。

そこで我慢の限界を迎えたメアリーがついに大声で笑いだした。

亜王の表情にうつっていた不審の色は、不快の色に変わっていく。

そのときすでに、メアリーの笑いのボルテージは、最高潮に達していた。

どういうことだと言わんばかりに、亜王はケリーをにらみつけた。


「メアリーが撃ったのは麻酔銃なんだよ」


 ケリーは本当に申し訳なさそうに言った。

自分だけが騒いでいたということを恥じる気持ちが亜王の体を駆け巡り、体を熱くし、顔を紅く染めた。

さらに、あざ笑うかのようなメアリーの大きな笑い声が亜王の心に突き刺さる。

まぁ、おそらくメアリーは本気で馬鹿にしているのだが。

そんなことをしている間に、ウォーカーが隊員に指示をだし、アレックスをどこかへ運ばせた。


「悪かった、悪かったよブルー。お前のその眼の色を見たら面白くてさ」


 ようやく落ち着いたメアリーは今にも再び笑い出しそうな顔で言った。

亜王の顔は茹でたタコのようだった。

我慢の限界がきたメアリーに笑いのビッグウェーブが襲う。

彼女は品がない意外に表現できないくらい、大きな口をあけて笑った。

喉の奥まで亜王に見えていそうだ。


「アレックスはハーケンクロイツのところに運んでおきました。どうにか説得していただけますか?」


 終わりがみえないことを悟ったウォーカーが半ば強引に切り出した。

亜王はもう怒っている様子ではなかった。

むしろ呆れていた。

メアリーにも自分にも……。


 ひとまず、メアリーに笑いのサーフィンをやめるようにケリーが説得した。

亜王の顔を見る度に波が来るらしく、静まるまでかなりの時間を費やした。

ようやく落ち着いてから、亜王たちはアレックスのところへ向かった。


 部屋に入ると、ハーケンクロイツの隣でやかんが白い息を激しく噴き出していた。

彼は自分の部屋に入ってきた三人を順に見た後、火を止め、やかんを持ちティーポットに注いだ。

亜王はこの部屋に入るのが二回目だが、どうしてもこの異様な空間にはなれない。


「血のにおいを消すための芳香剤の代わりか?」


 さすがのメアリーも驚いているようだ。


「ホットドックのケチャップと、動物の血の区別もつかないアメリカ人が余計なことを言うんじゃねぇ」


 ハーケンクロイツはやかんをコンロに戻しながらそう言い放った。


「自分がこの世で一番優れてると思うなよ、イギリス人め」


 売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだろう。


 そんなこととは全く関係なく、部屋の中には紅茶のほのかな香りが漂っている。

それとはまったく合わない白い手術台の上に、実験体のように手足をベルトで縛られたアレックスが横たわっている。

さしずめこれから解剖されるモルモットだ。

昔のバイオレンスな映画でこのシチュエーションだったら、確実に八つ裂きになっているところだろう。


「被検体が元気過ぎるってウォーカーから聞いたもんで、今はおとなしくしてもらってるよ」


 被検体という言い方はともかく、その言葉通りアレックスは動く気配がない。

亜王は彼の顔を覗き込んだ。

目は開いているものの、どこかうつろで、しっかりとした光は見てとれない。

一応アレックスのエメラルド色の瞳が亜王をとらえた。

ケリーが亜王の隣まで来て同じようにアレックスを見た。

メアリーは入口のすぐ横の壁に寄りかかり、腕を組み、足首が重なるように足を組んだ。

ハーケンクロイツは無言のまま四つ用意したティーカップに紅茶を注いだ。

ケリーはペンライトを取り出し、まぶたが閉じないように指で押さえ、瞳に光を当てた。

アレックスの目は嫌がるように瞳孔を小さくした。

ケリーは左右のそれを確認してライトを消した。


「質問に答えます?」


 ケリーはポケットにペンライトをしまいながらハーケンクロイツに向き直ってそう言った。


「脳みそは動いてる。動眼筋以外にはその指令が伝わらないようになってる」


 ハーケンクロイツは相変わらずのぶっきらぼうな口調でそう答えた。

要は、起きているがしゃべらないってことだ。

彼はその口調からは考えられないような繊細な手つきで、ティーカップを口元に運んだ。

ケリーはいただきますと丁寧に言い、その口調に似合った繊細な手つきでティーカップを口元に運んだ。

亜王はアレックスの顔の前で手を振ってみた。

すると、馬鹿にするなと言いたげなアレックスの視線が亜王をとらえた。

本当に馬鹿にするなと言うことすら許されていないようだ。


「ただの紅茶好きの変人じゃないんだな」


 感心した口調で言った亜王は特に何も気にすることなく、ティーカップに手をかけ口元に運んだ。

ハーケンクロイツはそれを聞いてふんと鼻を鳴らした。

それからしばらく紅茶を楽しむ穏やかな空気が流れた。

今にも文句を言いだしそうにメアリーがだんだんといらだっていく。

そろそろ我慢の限界かというところで、ハーケンクロイツがようやく空になったティーカップをテーブルの上に置いた。彼は満足気に太い息を吐いた。


「イギリス人も日本人も一日は二十四時間って知らないのかよ?」


 ついにメアリーの限界がきた。


「まぁまぁ、これからのことを考える時間は必要だよ。博士、麻酔抜いてくれます?」


 ケリーも空になったカップを置きそう言った。

それを聞き、ハーケンクロイツは白衣の裏ポケットから銀色のケースを取り出し、その中から注射器を一本取りだした。

その細長い筒の中には少し黄色みがかった液体が満たされていた。

ハーケンクロイツはアレックスのところまで行き、腕を取り、手慣れた手つきで針を血管に刺した。


「麻酔抜いても大丈夫なのか?」


 亜王はハーケンクロイツの動作を終始眺めながら言った。

そういってる間にもアレックスの目は光をだんだんと取り戻していった。


「逃げられないし、いいんじゃない?」


 ケリーはアレックスの体をベッドに固定している拘束用のベルトを指さし言った。


「ぼ、僕を……ど、どうするつもりだ?」


 まだ完全に麻酔は抜けきっていないらしい。

アレックスの言葉はなまりがきつく、どことなく呂律が怪しい。

彼は何とか四肢を動かそうと試みたが拘束用のベルトのおかげでほとんど動くことができなかった。


「アレックスは一つ大きな誤解をしてる。私たちは戦争を止めるために集められたの」


 ケリーはアレックスをなだめるように言った。

亜王はアレックスが暴れることで、マッドサイエンティストの男か弾丸とピーナッツの区別がつかない女のどちらかによって、彼が再び夢の世界へ招待されるのではないかと心配した。


「アメリカに渡ったあれを止めるのか?」


 アレックスはそう言ってから自分の言葉を鼻で笑った。


「クマをつかむような話だ。相手が何かわかっているのか? 天気だぞ?」


 彼がそう言った後、部屋の空気が一瞬凍りついた。

亜王は顎に指を当て眉間にしわを寄せている。


「雲だろ? アホンダラ」


 そういってメアリーは紅茶の置いてあるテーブルまで歩いてきた。

亜王は自分の中の違和感が解消されて満足気にうなずいている。

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