第八話 出会いと悲劇
食堂はバイキング形式になっていた。
亜王とメアリーは、MI6の人間ではないので、行き来する人たちの注目の的になっていた。
亜王は、少し居心地の悪さを感じていたが、メアリーはそんなものはまったく気にせず、食べ物の山へと一目散に消えていった。
朝から、母親のおにぎりしか食べていない亜王も、空腹を覚えていたので、食料調達へ出かけることにした。
どれもこれもおいしそうだ。
食べたい物を取り、席へ着こうとすると、先にケリーが席を取っておいてくれた。
メアリーは、トレイからはみ出そうになるほど、食料を調達してきた。
「久しぶりの食いもんだ」
メアリーは、そう言って目を輝かせながら、パンを鷲掴みにした。
ふと、ケリーのトレイに目が行った。
パンが一切れ、サラダが少しとベーコンが二枚。
ずいぶんと簡単な食事が乗っている。
「足りんのか?」
亜王はパンを一口かじり言った。ケリーは十分だと返す。
「その体でダイエットか? わかった。男に乗った時に重いって言われたんだろ?」
メアリーは、口にものを詰め込みながら言った。
欧米にも、食べ方の汚い人は存在するのかと、亜王は思っていた。
「そんなんじゃないもん」
ケリーはサラダにフォークを突き立てた。
「で、相手はどんな奴よ?」
完全にメアリーは、酔いの回ったおっさんモードに入った。
「食事中だぞ。よく臆面もなく言えるな」
亜王があきれながら言った。
「おや? 妬いてんのか?」
メアリーのその言葉に、亜王が反論しようとしたところで、ケリーが遮り、食事が終わり次第、もう一人のメンバーに会いに行くと言った。
会う人物の名前はアレクサンドル・ロマノフ。
ロシア人の男性。教えてもらえたのはそれだけだった。
詳しいことは会ってから、ということなのだろう。
ふと気づくと、亜王たちのテーブルに歩み寄ってくる人物がいた。
彼はケリーに、書類の束と一枚のカードを渡し、去って行った。ケリーがざっと、その書類に目を通す。
ざっとといっても彼女は瞬時にそれを記憶してしまう。
「何の書類だ?」
だめもとで亜王がケリーに声をかける。
「天候操作に対する、国連の決定事項と各国の動向」
亜王の思いとは裏腹に、ケリーは書類を見ながらそう答えた。
もちろん非公式な決定だ。
次の瞬間、ケリーの顔が一瞬曇った。
「どうした?」
微妙な空気の変化を、敏感に感じ取ったメアリーが、口にものを詰めたまま言った。
「これ見て」
曇った表情のまま、ケリーは亜王とメアリーに書類を見せた。
見せられたページには、各国の天候操作システムへの対応が書かれている。
技術を盗まれたロシアは、武力衝突もあり得る。
旧ソ連諸国もロシアと同意見だ。
EU諸国は対応が割れている。
フランス、ギリシャ、スペイン、イタリアは対話を求め、武力衝突は極力避けたいという姿勢だ。
イギリス、ドイツを含む、その他の加盟国は、武力衝突もやむなしといった姿勢だ。
「妥当だと思うけど」
亜王がひと通り見て言った。
その後、ケリーは無言で日本を指さした。
日本のところには、参加した国の中で唯一、対応保留と書かれていた。
「くせぇな。常にアメリカのケツ持ちをしてきた国だ。アメリカ側につきかねないな」
今まで常に動き続けていた、メアリーの手が止まった。
「私たちが、味方のキャンプか、敵のアジトか、どちらで寝泊まりするかは、今後の動向にかかってるね」
そう言うと、ケリーはいつも通り悪戯っぽく笑った。
食事を終えた一行は、目的地へ向かう準備をするために、武器庫の中にいた。
棚は端から端まで、武器のオンパレードだった。拳銃、自動小銃にグレネードランチャー。
武器の密輸をやっても、十分に稼げそうだ。
ケリーがクローゼットを開けると、そこには彼女が着ているものと同じ、防弾スーツがずらりと掛けられていた。
メアリーはその中から、自分のサイズのものを選び着替えた。
ケリーとメアリーが、武器をいくつも手に取る間、亜王はまるで武器の博物館のような、武器の数々を見て歩いていた。
「ブルーはいらねーのか?」
メアリーは拳銃の棚を見ながら言った。
「俺は自分のがある」
亜王は家から持ってきた父親の銃を見せた。
「へぇ、ずいぶん古い銃だな」
メアリーは亜王の方を向いて、そう言った。
どうやら目当てのものは見つかったようだ。
「引き金を引く時は慎重にね」
ケリーが、亜王の方へ歩み寄りながら言う。
どうやら支度は済んだようだ。
ほどなくして、メアリーも支度を終え、三人は車へ向かった。
車に乗り込み、車が静かに動き出したところで、ケリーが目的地を教えてくれた。
それは東京都の心臓、東京都庁だった。
亜王は正直不安だった。
なぜなら、自分の母親が勤務しているからだ。
何事もありませんように。亜王は心の中でそう願った。
「ロシア人で護送中だろ? 何で都庁なんかにいる?」
メアリーは後部座席で、ドアにもたれかかり、座席に足をあげ、煙草を吸いながら言った。亜王もそのことは疑問に思った。
「作戦までの間、一時的に都庁で匿うことにしたの」
ケリーの言葉からしばらくして、三人は目的地に着いていた。
車から降りた三人は、都庁を見上げていた。
都心の中でも、最も高い建物の一つである都庁は、雲のある日ならば、確実にその頭は雲の上だ。
今日は雲ひとつないため、その頭は見えている。
いったい何人の人間が、この中で働いているのだろうか。
そんなくだらないことを亜王は考えていた。
「人間ってのは、高いとこが好きだな」
メアリーは煙草を吐き捨て、すかさず足で踏み消した。
その言葉は、空軍で空を飛びまわる、彼女自身に向けられた言葉に思える。
「この重装備じゃ正面からは無理だろ?」
亜王はようやく、高層ビルのてっぺんから目を離していった。
「もちろん裏から入るよ」
ケリーはそう言って、裏口へと向かって歩きだした。
職員専用の裏口は、人一人分の大きさで、扉の横にカードリーダーがあった。
ケリーがカードを取り出し、リーダーの中を滑らせる。
ピーという機械音と同時に、画面に「エラー」という赤い文字が表示された。
「それ、ホストクラブの会員証か?」
メアリーがため息交じりに言った。
「さっき渡されたばかりなのに……」
ケリーはそう言って、もう一度カードをリーダーに通した。
しかし、全く同じ反応を、無機質に機械は返した。
亜王は、バックの中から機材を取り出し、リーダーを覆うように取り付けた。
機械からコードを伸ばし、携帯電話につなぐ。
それから一分と経たずに、もう一度やってみるようにと、ケリーは亜王に促され、リーダーにカードを通した。
すると、今度はちゃんと、鍵の外れる音がして、扉が開いた。
「さすがロキ」
カードをしまいながらそう言ったケリーに、亜王は笑顔を返す。
細い通路を抜け、ドアを開け、エントランスに出た。
大きな回転ドアが、人を巻き込むように回っている。
床の黒い大理石は、鏡のように亜王たちの姿を映していた。
入り口の正面には大きな階段があり、まだ朝早いというのに、たくさんの人が往来している。
日本では2000年代前半に、集団的自衛権の行使が、憲法改正により可能になった。
それに伴い、国内でも銃規制の緩和が、防犯を名目に推し進められた。
そのため今日では、重装備の警備員が珍しくない。
亜王たちの格好は、違和感なく警備員に紛れていた。
ケリーは階段の前を横切り、反対側にある、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の方へ向かった。
亜王とメアリーはそのあとをついて行く。
ケリーが扉を開け、中に入る。
中には職員専用のエレベーターがあった。
ケリーは下向きの矢印のパネルに触れた。
白く半透明だった矢印が黄色に光る。
このエレベーターは型が古いらしく、扉の向こう側から、ワイヤーが箱を持ち上げる音が、かすかに聞こえている。
機械音が到着を知らせ、扉が開いた。
三人は中へ乗り込んだ。向かった先は地下六階。
亜王は何度か都庁に訪れていたが、地下六階というフロアは記憶にない。
それどころか、一般人の使えるエレベーターのパネルに、地下六階という文字盤は存在しない。
エレベーターから出ると、まるで刑務所の中のようだった。
威圧感のある灰色の壁。誰かを匿う、もしくは捕まえておくところだとすれば、一般人が入れないのにも納得がいく。
警察に任せられないことを引き受ける、という裏の顔があるのかもしれない。
亜王とメアリーはケリーの後ろをついて、奥へと進んだ。
一番奥の扉が開いて、中からR・Pが二人と、それに連れられて一人の男が出てきた。手錠でもかけられているのだろうか。
男は両手を後ろに回されている。
ケリーはその男の顔を見て、顔色を変えた。
男は白人で鼻が高く、深い彫りの中にエメラルド色の瞳を持っている。
しかし瞳の光は弱く、頬もこけているように見える。
保護されていたようには到底見えない。
ケリーは、自分の横を通り過ぎようとしたR・Pの肩をつかみ、すごい勢いで自分の方を振り向かせた。
「どこに連れてく気? 迎えに行くって通達がいってるはずだけど」
とげとげしい口調で彼女は言った。
「お前達には関係ない」
R・Pは、ケリーの手を払ってそう言った。
ケリーは例の如く身分証を取り出してR・Pに見せたが、R・Pは反応を示さなかった。
「日本は国連の決議に背くわけ?」
彼女は、何の塗装もされていない、金属の顔を睨みつけて言った。
突然、R・Pは自分の腰にぶら下げられた武装に手をかけた。
それに反応し、ケリーとメアリーは一番手近にある武器に手を伸ばす。
一瞬だったか、一分ほどだったか、お互いを探るための沈黙が、場を支配した。先に動いたのはR・Pの方だった。
そのタイミングを待っていたかのように、ケリーが銃を抜いたR・Pの腕を撃ち抜いた。
手からはじけ飛んだマシンガンが床を滑って行く。
もう一人のR・Pは男を連れて走り、エレベーターの方へ向かった。
亜王とメアリーがそれを追う。
ケリーは、腕を撃ったR・Pの体勢が、戻る前に投げ倒した。
亜王が銃を抜くよりも早く、メアリーが狙いをR・Pに定めていた。
その時、正面入り口にあるゲートの金属探知が、アラームを上げていた。
黒ずくめの集団が、ゲートを次々に通過する。
ケリーはR・Pの後頭部に銃を突きつけた。
入り口では紺色の制服を着た、太った中年の男が、棒状の金属探知機を持って、黒ずくめの集団の前に立ちはだかった。
集団の一番前にいる顎髭の生えた男が、自分たちの前に立ちはだかった中年の男に銃を突きつける。
「多分こいつのせいだ……」
男は中年の警備員が声を上げるよりも早く、引き金を引いた。
それと同時に、ケリーとメアリーも引き金を引いていた。
後頭部を撃たれたR・Pは、頭をショートさせ、ボールのように床に頭を打ち付けた。
男を連れていたR・Pも頭を打ち抜かれ、足をからませて倒れた。
白人の男は勢いを余らせ、エレベーターの中に倒れこんだ。
亜王たちは次々にエレベーターに乗り込み、上を目指した。顎髭の男が撃った弾は中年の男の頭を貫き、少し前にエントランスに入った女性の肩に当たった。
頭を打ち抜かれた男は、糸の切られた操り人形のように、力なく倒れ、女性は痛みと恐怖で、声を上げて床に倒れた。
女性の悲鳴を皮切りに、次々に悲鳴が上がった。
黒ずくめの男たちの襲撃を知らない亜王たちは、何のためらいもなく扉を開けて、エントランスに入った。亜王の目に、倒れている女性の姿が映る。
それはまぎれもなく、自分の母親の姿だった。
「母さん!」
亜王は驚きの余り、その場に立ち尽くし叫んだ。
顎髭の生えている男が、園子の額に銃口を向けた。
次の瞬間には、園子は鮮血をまき散らしながら崩れ落ちた。
よく磨かれた大理石の床が赤く染まっていく。
亜王の中のすべてのリミッターが、一発の銃声によって吹き飛んだ。
彼の中では、本人にもわからない感情が渦巻いていた。
「ブルー、ずらかるぞ!」
メアリーが立ち尽くす亜王の腕を引っ張り、出口に向かい走り出した。
ケリーも白人の男を連れてメアリーの後を追う。
「その男を渡せ!」
顎髭の男が叫んだ。
男たちは倒れている園子の亡骸を、横たわる木のようにまたぎ猛進してきた。
亜王の中で渦巻いていた気持ちは、針のように鋭くなり、ついに理性の壁に穴を開け、ものすごい勢いで外へ流れ出した。
亜王はメアリーの腕を振りほどき、銃を抜き、ぴたりと顎髭の男に狙いを定めた。
メアリーの制止する声など、もう彼には届いていない。
亜王はためらうことなく人差し指に力を込めた。
下腹部にいやな震動が伝わる。
亜王の内臓は爆音に揺らされ、彼は吐き気に襲われた。
ただ、吐き気の原因はそれだけではなかった。
顎髭の男は額に風穴を開け、走っていた勢いのまま倒れ、亜王の足元まで滑ってきた。
亜王の理性は修復され、人の命を奪ったことからくる、何とも表現しにくい、恐怖にも似た感覚に襲われ、顎髭の男の死体の前に、力なくへたり込んだ。
男の苦悶の表情が、亜王にはやけに近く感じた。
黒ずくめの集団の銃口が、一斉にリーダーを殺した男に向けられる。
今にも引き金を引きそうだ。
「あの通路まで走って!」
ケリーは白人の男に、裏口へと続く通路を顎で示し、腰にぶら下げていた銃を構えた。
「君は?」
白人の男が外国なまりのある英語で言った。
「いいから早く!」
ケリーはそう言って、黒ずくめの集団に弾丸を浴びせた。
ケリーの攻撃に相手がひるんでいる間に、メアリーが亜王を立たせた。
白人の男はすでに通路に向けて走り出していた。
「くそっ! 撃ち返せ! あいつを捕まえろ!」
黒ずくめの集団の一人がそう叫んだ。
メアリーは悪態を吐き散らし、亜王を引っ張りながら銃弾の嵐の中を、裏口を目指し走り出した。
銃声と悲鳴が、この世で最も耳障りな不協和音を奏でる。
メアリーと亜王が通路に駆け込み、その後をケリーが追う。
ケリーは走りながら、壁に円盤状の物体を張り付けた。
外国なまりのある男は、扉の前で、顔を青くして立ち尽くしていた。
「ボサッとすんな!」
メアリーはそう言って、扉を蹴破った。
メアリーを先頭に四人は車へ走った。
突然、四人の後方で爆発音がとどろき、先ほど出てきた通路から爆炎が噴き出た。
ケリーが車のロックを遠隔で解除し、運転席に飛び乗った。
メアリーは後部座席に亜王を押し込むように乗せ、自分もそのあとに乗った。
外国なまりのある男は助手席に乗り、ケリーは車をものすごい勢いで発進させた。
「何やったんだ?」
メアリーが切れた息を整えながらケリーに言った。
「モーションセンサー爆弾」
ケリーはそう言って息を深く吸い込み、自分を落ち着かせた。
メアリーは亜王に目をやった。
彼は小刻みに震え青い顔をしている。
「おいブルー、母親が殺されたことを悔やんでるのか? 殺されたことを悔やんでも、帰ってくるわけじゃ…」
「わかってるさ」
亜王はメアリーの言葉を遮り、そう呟いた。
「母さんがもう戻ってこないのは理解してる。でも俺は人を殺したんだ。取り返しのつかないことをした」
震える唇で亜王はそう言った。
「そんなに小さい肝っ玉しか持ってないのかよ? お前日本標準だろ? だから日本人のアソコは小さいんだな」
メアリーは鼻で笑いそう言った。
車内に緊張が走る。
「ふざけんな! お前、人を殺してなんとも思わないのかよ? ケリーだって、さっき何人もの人を殺しただろ? 何も感じないのかよ?」
亜王の声色はだんだん荒くなっていく。
「できれば殺したくはないけど……。仕方ないことなんだよ」
ケリーは暗い声で言った。
「仕方ない? 人を殺すことが?」
亜王は噛みつくように言った。
彼は悪態をつき「戦争屋」という言葉を吐き捨てた。
メアリーはその言葉を聞き、亜王の胸ぐらをつかみ、ドアに叩きつけた。
「メアリーやめて!」
ケリーが叫ぶ。
「黙ってろ! これから命がけで戦っていくのに必要なことだ」
亜王はメアリーの手を振りほどこうとしたが、どうあがいてもほどけそうになかった。
「おいブルー、そりゃ人を殺すのはいいもんじゃない。だけどな、私の撃つ一発と、お前の撃った一発を一緒にするのはやめろ」
メアリーはそう言って手を放した。
「いい機会だ。昔話をしてやるよ。ある少女の両親は、戦争の犠牲者だった。その少女は、自分の両親を奪った戦争が大嫌いだった。だがその少女は、軍隊に入った。戦争嫌いなのになんでだと思う? 戦争をするところを片っ端からぶっつぶしたら、戦争がなくなると思ったからさ。その話を聞いた誰もが笑った。でも少女には、それ以外の道はわからなかったんだ。少女は、戦争を止めるためならば命を捧げ、どんなことでもすると誓いを立てたそうだ」
メアリーはそこまで言って、一度深い息をついた。
「人を殺したくて軍人になる奴なんて、そういるもんじゃない。みんな何か背負ってるんだ」
メアリーは遠い眼をしている。まるで昔の自分を思い出すように。
「お前はどうだ? 怒りにまかせて撃っただろ?」
メアリーは目を、亜王の暗い顔に向けた。
「それは乱射魔と変わりねぇ」