第七話 新たな出会い
「今日は、あと二人に会うんだよな」
亜王は無機質な通路に、気味悪さを感じていた。
ケリーは相槌を打つのとほぼ同時に、一つの独房のような部屋の前で止まった。
彼女がいきなり止まったせいで、亜王は危うく追突するところだった。
ケリーは、ポケットから鍵を出して扉を開けた。
まるでホラー映画のような、金属のきしむ音を、そこら中に響かせて扉は開いた。
部屋の中には、アタッシュケースが数個と、ベッドがあるだけだった。
他に物を置けるスペースがあるようにも見えないが。
ケリーが中に入ったので、亜王はそれに続こうとした。
「着替えるんだから入ってこないでよ」
ケリーは亜王が入るのを手で制止し、そう言って扉を閉めた。
亜王は扉の横の壁に寄り掛かった。
静まりかえった通路には、布のすれ合う音だけが漂っている。
亜王は不純な妄想と、脳内で争っていた。
ケリーはしばらくして、防弾繊維で作られた服を着て出てきた。
一般の服のように見えるが、どことなく違和感がある。
亜王たちは通路の奥に進み、扉を開けた。
まだ朝早いというのに、多くの人が往来している。
「あんなところで生活してんのか?」
亜王はケリーの後ろをついて行きながら尋ねた。
「そんなわけないじゃん。イギリスに帰ったら、ちゃんと普通のアパートに住んでるよ」
ケリーのその言葉を聞き、亜王は少し安心した。
まだ若いケリーが、あんな独房のような場所で、人生を送っているなんて考えられなかった。
ケリーは、施設のある一角で足を止めた。
他のどの扉とも変わらない、無機質な白い扉だが、ここは警備の男たちが、扉の両脇を固めていた。
自動小銃をぶら下げ、防弾線維を身にまとい、姿勢良く立つ警備員が、物々しさを醸し出していた。
ケリーは警備員にIDカードを見せ、扉を開けた。
入るときに、ここに一緒に任務と遂行する仲間の一人がいると、ケリーは言った。
どんな極悪人が出てくるのかと、亜王は息を飲んだ。
「透明人間が仲間とは、ずいぶん心強いな」
亜王は、嫌味を言いながら、扉を閉めた。
五メートル四方の狭い部屋だ。
壁も、床も、天井も、まぶしいくらいに白い。
色にむらがないので、壁までの距離が曖昧になる。
ケリーは入ってすぐの、右側の壁に触れた。
すると、奥の方に、椅子に縛り付けられた女が現れた。
亜王は驚き、女の方へ近寄ろうとしたが、足を進めた瞬間、透明な壁にぶつかった。
亜王がぶつけた鼻を押さえていると、後ろでケリーがクスクスと笑った。
もう一度確認するように、亜王は壁に触れた。
まるで、パントマイムでもしているようだった。
向こう側が、直接見えているわけではなく、モニターに映されているようだ。
技術力とは偉大だ。
実際の風景か、映像なのか区別がつかないのだから。
映し出された女は、白いシャツとズボンを着ている。
これもまた、うるさいくらいに白く、見間違えれば、首だけが浮いているように見える。
部屋や服とは対照的な黒髪が、際立って見える。
顔は下がっていて、長く艶やかな黒髪が、カーテンのようにかかっている。
昔のホラー映画に、こんな幽霊が出てくるやつがあったなと亜王は思った。
ケリーがパネルを操作して、隅の扉を開ける。
「入る?」
扉に近づこうとしていた亜王に、ケリーが言った。
「もちろん」
亜王がそう言うと、ケリーは気を付けてと、小さな声で言った。
亜王はケリーの言葉を不審に思い、ケリーの顔を見た。
共に任務を遂行する仲間なのに、おかしなことを言うものだ。
深い彫りの奥に光る、青く澄んだ瞳は、心配そうに亜王を見つめている。
しかし、それはほんの一瞬だけだった。
二人は扉をくぐり、黒髪の女と対面した。
「彼女はメアリー・テューダー。アメリカ空軍」
ケリーは、メアリーを手で示し、簡単に紹介した。
亜王たちが、部屋に入ってきたのに気づき、メアリーは顔を上げ、カーテンのように顔にかかった前髪を、首を大きく振って後ろへやった。
彼女の容姿を一言で表すなら、美しいという言葉の他に、似合う言葉はないだろう。
そうはいっても、ケリーのような、きれいに整った美しさではなかった。
どことなく、妖しい感じの美しさだ。
彫りは浅く、鼻はあまり高くない。
典型的なアジアンビューティーといったところだ。
メアリーの前には机といすがあったが、ケリーは座ろうとせずに、メアリーから少し距離を置いて立っていた。
それならと、亜王がいすに座ろうとするのを、ケリーは無言で止めた。
「私も嫌われたもんだ」
メアリーは、力のない笑みを浮かべた。
彼女の血色は、お世辞にもよくなかった。
飲食をほとんどしていないのか、やつれて見えた。
「今日解放するから。条件付きで」
ケリーはそう言って、メアリーの前の机の上に、一枚の紙を置いた。
「サインがほしいなら、これはずしてくれ」
メアリーは体を動かし、自分にまかれた拘束用のベルトを、ギシギシといわせながら言った。
それまで亜王は、メアリーを縛っているベルトには、あまり注意を向けていなかったが、ベルトは頑丈で、彼女の皮膚に、めりこむように彼女を拘束している。
亜王は、その痛々しい姿から目をそらしながら、ケリーの置いた紙を覗きこんだ。
そこの文面には、全面協力を求める文章と、契約違反の場合に本人を消すといった内容の文章が並んでいる。
「口答でいいよ。録音されてるから」
ケリーはいつもの笑顔で言う。
いつもと変わらぬ笑顔ではあったが、底知れぬ冷たさが見て取れた。
メアリーは契約書めがけ、唾を吐いた。
彼女の吐いた唾は、うまい具合に契約書をにじませた。
「これでいいか?」
メアリーが力なくへらへらと笑い、挑発的に言う。
それに対し、ケリーは全く動じず、イエス・オア・ノーの質問を投げた。
メアリーは目を逸らし、一度舌打ちをして「イエス」と答えた。
それを聞いたケリーは、亜王を連れて先ほどの部屋へ出た。
「悪いけど、メアリーの拘束具を取っといてくれる?」
ケリーはそう言うと、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「これを届けてくるから」
亜王は、誰に届けるのかを聞こうとしたが、そんな暇を与えず、ケリーは部屋を出て行った。
そんなことよりも、危険人物の拘束具を、自分が外すことへの不安が大きいことに、ケリーが出ていった後、亜王は気づいた。
「ヘイ、イエローモンキー。はずしてくれんのか?」
部屋に戻ってきた亜王に、メアリーが声をかけた。
「あんたもイエローだろ」
亜王は、ベルトをはずしながら言った。
「一緒にすんなよ。おまえは黄色なだけ、私はアメリカ人だ」
メアリーは鼻を鳴らして、そう言った。
国籍が重要なのだろうか。
日本人ということに、あまり誇りを持たない亜王にとっては、どうでもいいことだった。
「なんで拘束されてたんだ?」
最後の一巻きをはずしながら、亜王は言った。
どうやら、襲ってくる気配はない。
本当に拘束しなければならないほどの、危険な人なのだろうか。
ケリーよりは体格はいいものの、やはり細身で、危険など、口調以外に感じられない。
「連れてこられたのは一週間前だ。理由も言わず連れてこられたもんで、暴れたらこの通りさ。普通、いきなり拉致られたら暴れるよな?」
メアリーはそう言って立ち上がり、ベルトが食い込んでいたところをさする。
この様子だと、相当抵抗したのだろう。
ベルトで隠れていた部分には、痛々しいあざがあった。
いきなり暴れるあたり、確かに危険なのかもしれない。
身長が高いこともあり、立つとケリーほど華奢ではないが、細い体がさらに際立った。
「な? って言われてもなぁ。それより協力してくれるんだろ?」
亜王はとったベルトをまとめて、机の上に置きながら言った。
「するって言ってんだろ? 何回も言わせんな。モンキーが」
どうやら、メアリーの口の悪さは相当なものらしい。
「悪かったよ。それよりモンキー、モンキー言うなよ。亜王って名前があるんだから」
亜王は顔の前で、煙を払うように手を振り言った。
「ア…オ? 知ってるぜ。英語でブルーだ」
メアリーは亜王の肩を叩きながら言った。
根本的な間違いを彼女はしていたが、亜王は特に気にしていないようだった。
ちょうどそのとき、ケリーが部屋に戻ってきた。
「それより、アメリカ空軍のメアリーって言ったら、行くとこすべてを血で染める“ブラッティ……」
亜王がそこまで言った途端、メアリーは彼の襟をつかみ、ものすごい勢いで、壁にたたきつけた。
彼女の瞳からは、一瞬だったが、確かに殺意が感じ取れた。
亜王は、蛇に睨まれるという例えを、実感していた。
指先をぴくりと動かした瞬間、八つ裂きにされるのではないかとさえ思える。
ケリーはすぐさま銃を抜き、メアリーに銃口を向けた。
「喚くな、ロリータ……」
メアリーのその声は、恐ろしく落ち着いていた。
怒りを無理に押し殺している、というのがびりびり伝わってくる。
彼女は亜王の体を壁から引きはがし、自分の前に持ってきた。
その華奢な腕からは、想像できないほどの力で。
亜王は鞭打ちになるのではないかと思った。
「その呼び方やめてくれる?」
ケリーは子供扱いが気に食わないらしい。
「顔と声と喋り方がガキくせぇんだよ」
メアリーは呆れた様な顔で、ケリーにそう言い、亜王に向きなおり、
「いいかブルー。さっきの続きは口にするな。自分の血が何色か知りたきゃ別だけどな。協力すると言った以上、お前とあたしは仲間だ。一緒に闘う仲間の血を見る趣味は、あたしにはない。この話はここまでだ。了解か?」
と言った。
亜王が無言で首を縦に振る頃には、メアリーは彼から手を放し、殺気もどこかにしまっていた。
ケリーは安堵の表情を浮かべ、銃をしまった。
「ところでお前MI6の人間じゃないだろ?」
メアリーが亜王に向かいそう言った。
「あ、あぁ」
亜王は何とか返事をしたものの、彼の心臓は、まだ落着きを取り戻していなかった。
メアリーは、悪かったと言いながら頭をかいた。
「一般人か? どうりで、私やロリータみたいに血の匂いがしないわけだ」
「彼はロキなの」
メアリーに対してケリーがそう言った。
「へぇ。世界一のコンピュータ病患者か」
メアリーはそう言って、肩をすくめて見せる。
「なんだよそれ?」
亜王は病気扱いされたことに引っかかった。
「よくもまぁ、飽きもせずに、一日中あんなもん眺めてられるな。友達いないのか?」
今度は小馬鹿にするようにメアリーが言った。
「そんなわけ…」
「さて、ブルーも元気になったし、飯に行こうぜ。一週間前から、何も食わせてもらってないからな」
亜王がむきになり、反論しようとしたのを、メアリーが押さえつけた。
亜王は踊らされていたのに気づいたが、何となく笑っていた。
メアリーの気遣いがうれしかったのだろう。
その後、ケリーが食堂に行くことを提案し、満場一致で食堂へ向かうことになった。
部屋を出る時ケリーが、
「怪我してない?」
と亜王に言った。
亜王が大丈夫だと答えると、彼女はいつもの笑顔を見せてくれた。
亜王はその笑顔に、自分の心境の変化を感じた。