第六話
約束の日の朝、清々しい朝だ。
ブラインドの隙間から、淡い光が差し込んでくる。
携帯電話のアラームが、少しずつ眠りを引き剥がしていく。
まだ起ききれていない体を動かし、亜王はアラームを止めた。時計に目をやると、午前六時を指していた。
寝癖のついた髪を、かき回しながら部屋を見回す。
そこにはいつもと変わらない自分の部屋がある。
見慣れたはずの景色だが、いつまでも見ていたい気がする。
ベッドから抜け出し、洗面所へ向かった。
顔を洗い、寝癖を直し、部屋へ戻った。
机の引き出しから次々に電子機器を取り出し、それらを机の上に並べる。
それからクローゼットを開け、父親にもらった特殊繊維のズボンとシャツを取り出し着た。
亜王は生い茂る木々の中を進むように、服を掻き分け奥に手を伸ばした。
引き抜かれた亜王の手には黒い拳銃と、それを入れるための黒い皮でできたホルダーが握られていた。
銃の訓練も父親がやってくれた。
それらも机に並べる。
次に亜王は、机のロックのかかっている引き出しに、手を伸ばした。
引き出しにあるくぼみに人差し指を入れる。
すると三秒ほど電子音がしたあと、引き出しが開いた。
中には、発泡スチロールの型にはまったライターと、上面にピンのついた銀色のアルミでできた筒が三本、さらに銃のマガジンが四本入っている。
亜王はマガジンの中の弾の状態を確認しながら、机の上にそれらも並べた。
机の上だけ眺めていたら小さな武器屋のように見えてくる。
さっき開いた下の段の引き出しには、防弾チョッキとホルダーのついたベルトがあった。
亜王はチョッキを着てベルトを巻いた。チョッキには細いポケットがたくさんついている。
亜王は右側のポケットにマガジンを入れていった。
左側にはパソコンのバッテリーや、メモリーの入ったスティックを入れていく。
次にベルトを巻き、ホルダーにさっき机から取り出した筒を固定する。
クローゼットから取り出してきたホルスターを、自分の胸の辺りに銃がくるように体に巻き、銃を入れた。
あと机の上に残っているのは、愛用のノートパソコンと、コンセントの型が違うコードが数本、さらに携帯とライターだけだ。
亜王はチョッキの上から、あまり目立たない色のジャケットをはおった。
ショルダーバックにコードとパソコンを押し込み、携帯電話をズボンのポケットに入れ、残ったライターに手を伸ばす。
ライターを手に取った亜王は、しばらくそれを弄び、おもむろにテレビの電源を入れた。
朝のニュースが流れ、キャスターが淡々とニュースを読む姿が映し出された。
亜王はライターで火をつける動作をした。シュッという音と共に、火がつくかと思いきや、激しくショートしテレビの電源が切れた。
何も映っていない画面を見つめ、亜王は満足そうに笑みを浮かべた。
ライターをポケットにしまったとき、携帯電話が鳴き声をあげた。
画面には、見覚えのない番号が表示されている。
「早く下りてきて」
急いで電話に出てみると、ケリーの声が聞こえた。
亜王は電話を握ったまま窓から顔を出した。
すると、家の前に止まった車から、ケリーが手を振っているのが見えた。
「番号を教えた記憶はないのだが」
亜王はため息交じりに、部屋を出ながらケリーに言った。
「いかがわしいサイトへのアクセスは、個人情報の流出の原因になります」
ケリーはそう軽口を叩いた。
「どうりで、この前いいなと思った女の子がお前に似ているわけだ」
亜王は精いっぱいの皮肉を言い、返事を待たずに電話を切った。
階段を下りて玄関に向かう途中、居間のテーブルの上にある、ラップのかかった皿が目に入った。
皿の上にはおにぎりが一つ。
皿の横に置いてある紙には「亜王へ」と書かれている。
亜王はおにぎりを手に取り心の中で「行ってきます」とつぶやいた。
空は快晴。
高いビルの間から、絵具をぶちまけたような、原色の青が顔をのぞかせている。
外に出た亜王は、まぶしさに一瞬目を細めた。
吸い込まれそうな空から降ろされた亜王の視線の先には、さっきケリーが乗っていた車が一台。
しかし、ケリーは車内にいない。
どうやら昨日の刑事ともめているようだ。
亜王は最後の一口を口に頬張り、指についた米粒を口に運びながら、ケリーのところまでいった。
するとこちらに気づいた中年太りの男は、難しい言葉の並べられた紙を、亜王の前に突き出した。
「京葉亜王。御同行願いたい」
中年太りの男は、亜王に紙に書いてあることを読む暇を与えず、彼の腕に手を伸ばした。それをケリーの腕が制す。
「理由を言えって言ってんの」
いい加減頭にきているようだが、相変わらず英語でしゃべっているため、相手とのコミュニケーションが全く取れていない。
そんなケリーを、若い方の刑事の鋭い眼光がとらえる。
それでもケリーがひるむ様子は見られない。
「邪魔すんなってんだよ」
若い男がそう凄むと、
「英語で話してよ」
とケリーが返す。
おそらく、何度もこんなやり取りが繰り返されただろう。
亜王は言葉の壁を感じていた。
「公務執行妨害だ」
若い男の後ろから、中年太りの男が低い声で言った。
ケリーはまた不満そうな顔を見せる。
亜王が英語で訳してやると、ケリーは、
「無理、無理」
と顔の前で手を振って言った。
すると、若い方の刑事が目の色を変えて、ケリーの腕を掴もうとした。
ケリーは男の腕をはじき、流れるような動きで、若い刑事の脇腹に後ろ回し蹴りを炸裂させた。
彼女の華奢な体から出されたとは思えない力で、刑事は地面から引きはがされ飛んで行った。
刑事の身体は、顔面を地面にこすりつけ、ようやく止まった。
血まみれの大惨事が頭をよぎった亜王は、顔をしかめ、目をそらした。
しかし、若い刑事は何事もなかったように立ち上がった。
骨が何本か折れていてもよさそうなのだが、若い刑事にそんなそぶりは全く見られない。
地面にこすりつけた顔もきれいだ。
きれいどころか銀色で光沢がみられる。
太ったほうの刑事が、その巨体からは想像もできないような速さで動き、亜王の首をつかみ持ち上げた。
ものすごい握力で首がもぎ取れそうだ。
「て、てめぇ、R・Pか……」
亜王はうまく声を出せないようだが、なんとかそう言った。
「署まで来てもらうぞ。現場から血液が検出された。その手の傷とあバゼッ」
刑事の言葉を遮り、顔面にケリーのブーツが激突した。
ケリーの蹴りは、首を胴からもぎ取るほどすごい。
しかし、男には痛覚が全くないようだ。
ケリーの嵐のような足技は、割って入ってきた若い方の刑事によって、片手でつかまれた。
若い刑事は、そのままケリーを軽々と投げ、車のボンネットにたたきつけた。
ケリーは痛みに体をくねらせ、弱々しく声を漏らした。
亜王はポケットからライターを取り出す。
しかし、それを中年太りの刑事が、瞬時に武器と判断し、弾き飛ばした。
王の手から離れたライターは宙を舞う。
「ケリー!」
亜王が叫ぶ。亜王の声に反応し、ケリーはボンネットから飛んだ。
ライターが地面に落ちる寸前で、ケリーはうまくキャッチし、アスファルトの上を絶妙に転がった。
「火をつけろ!」
亜王が再び叫び、ケリーは支持通りの動作を行った。
激しい電気のはじける音の後、刑事たちは崩れるように倒れた。
ようやく通りは静まり、朝の平穏が戻った。
亜王は締め付けられていた首を、左右に倒しながらため息をついた。
少なくとも、今日本の警察は敵に回った。
「なんか裏がありそうだな~」
ケリーは崩れた髪を、手で直しながら言った。
ケリーが言うには、日本の警察にはロキ逮捕をやめるように、国際連合から通達が来ているらしい。
「国連? ずいぶん過保護だな」
そう言って亜王は車に乗り込んだ。
サイドミラーに目をやって亜王はぎょっとした。
首にはくっきりと手形が付いている。
何かの呪いのように見える。
そう考えると首がむずむずした。
「実際、戦争するのはみんな嫌なんだよ。天気が相手じゃ、防ぎようないしね」
ケリーはそう言って、車に乗り込んだ。
わざわざ国際連合が犯罪者をかばうのには、それなりの理由があるはずだ。
もしくは、犯罪者ならば犠牲になってもいい、などという人権無視の発想なのだろう。
「眼隠しは?」
亜王はアイマスクを探していた。
「あぁ、着けなくていいよ。昨日は、まだ作戦に協力してくれるかわかんなかったから、つけてもらったの。それにしてもさっきは驚いたよ。小型のECMなんてすごいね」
ケリーが、無邪気な笑顔でそう言ったときには、車はもう動き出していた。
それほど時間をかけることなく、車は目的地に着いた。
驚くべきことに、町中のビルに入って行った。
イギリスの諜報機関の拠点ならば、もっとわからない場所にあると思っていたのだが。
車は地下に降り、コンクリートで固められた箱の中へ入っていく。
大きな音をたてて、シャッターが下りた。