第五話
家に帰してもらうときも目隠しをさせられた。
家の前に着くとトレンチコートを着た中年太りの男と黒いジャケットを羽織った若い男が、亜王の母の園子と話していた。
車の中からはよく聞こえないが、若い男の方がなにやら怒鳴っているように見える。
日はもう沈んでいるが、ここは眠らぬ街、そんなものは関係ない。
そうはいったものの、亜王の家は街外れの住宅街だ。
人通りはない。
若い男は近所迷惑も顧みず怒鳴り散らしている。
「警察だな。古のファッションは流行らないぜ」
亜王はそう言って車から降りた。
自分がロキだとばれたのだろうと、亜王は心の中で悪態を着いた。
非常事態であったため、現場の証拠を消す時間などなかった。
マイナンバー制度が施行されてからというもの、生物としての個人情報も情報として国に管理されている。
指紋も、映像も、血液だって現場に残っている。
それだけあれば、簡単に個人を特定できるだろう。
亜王に続き真名も降りる。
「日本の警察も意外に有能じゃん」
そういってケリーも車から降りた。刑事二人の視線が三人へ向く。
「お宅の息子さんだね」
中年太りの男は園子に背を向けたまま言った。
「両手に花を持ってお帰りとは」
若い男が嫌味を漏らした。
中年太りの男が警察手帳を取り出すよりも速く、ケリーはIDカードを取り出し見せた。
「な。ふざけるなよ! お前みたいな小娘がMI6だと? だいたい何故ロキと一緒にいるんだ! 聞いてないぞ!」
若い男はケリーの腕をつかみ、IDカードを取り上げるとそう怒鳴った。
「日本語話されてもわからないんだけど」
ケリーは今にも舌を出して相手を馬鹿にしそうだった。
「おい、返してやれ」
中年太りの男が、若い男の方に手をかけ言った。
ケリーはカードを取り返し、腕を振りほどく。
若い男は舌打ちをして、しぶしぶ中年太りの男の後に続き車に乗った。
「母さん、大丈夫か?」
亜王の問いかけにうなずいたものの、園子の顔は青ざめていた。園子は無言のまま、家の中へふらふらと入っていった。
それを追い真名も家に入る。
「俺の過去の犯罪は本当に消えるのか?」
玄関の前には亜王とケリーしかいない。
亜王は閉まった玄関のドアを見つめ、唇を強く噛んだ。
「無事に終わったらね」
ケリーは亜王のほうを向き言った。
亜王がその答えを聞き安心していると、ケリーが突然亜王に顔を近づけた。
亜王は思わず仰け反る。
かなり腰に負担のかかる姿勢だ。腰の骨たちが悲鳴を上げている。
「日本人はノリ悪いってほんとなんだね」
ケリーは微笑みながらそう言って、車の方へ向かっていく。
今日からちょうど一週間後の日の朝迎えに来ると言い、彼女は手をひらひらと振りながら車に乗り込んだ。
園子はリビングのソファーに座っていた。
顔は赤みを取り戻している。
彼女は亜王が部屋に入ってくると優しいまなざしを彼に注いだ。
亜王は金縛りにでもあったように入り口に立ち尽くす。
実際には一、二分だったが、亜王はこのまま朝になるのではないかと思うほど長く感じていた。
何かしゃべらないと息が詰まる。亜王はそう思った。
「あ、あの、母さ……」
「亜王……」
亜王が耐え切れずに喋り出すのを待っていたかのように園子は口を開いた。
「何が起こっているかは聞かないわ。ただ必ず生きて帰ってくると約束して」
園子の目は相変わらず優しい光を放っている。
亜王は首の筋肉を無理矢理縦に動かした。
「ほんとに話さなくてもいいのか?」
亜王がそう言うと、園子はゆっくりとうなずいた。
再び数分の沈黙が二人を包む。
「やっぱり父さんの子ね」
園子がゆっくりと口を開いた。
園子の言葉によって亜王の心の底の父親の記憶がゆっくりとよみがえる。
忘れることは一生ないだろう。
父親が死んだ日は、季節はずれの暖かい日だった。
しかし、夕方からスコールのような激しい雨が降っていた。
街は珍しく雷のせいで停電していて、暗闇の中ペンライトをくわえ、園子は家事をしていた。そこへ父親から連絡が入る。
「亜王か? もうすぐつく。今日はおさらいだったな。飯を食ったらやろうか。停電はすぐに復旧するはずだ」
電話に出た亜王にそう言い、電話は切れた。
亜王は父親の帰りが待ちきれず、園子が止めるのも聞かず、傘を差し、外に飛び出した。
通りには、傘を差し、黒いスーツを着た男が歩いていた。
「車? あんな目の回るものに乗ってられるかよ」
父親の車酔いは本当にひどいものだった。
そのため、車に乗って出勤することはなかった。
あと一分、家まで一分だった。
おそらく待ち伏せしていたのだろう。
亜王の父親は家から百メートルほどのところで散弾銃で撃たれた。
亜王の父親は歩道から車道の反対側まで飛んだ。
車道に転がった肉の固まりは、首から左脇までがちぎられたかのようにない。
体から出る大量の血があたりを染めていく。
亜王は傘を捨て走り出した。そして父親の首の前に座り込んだ。
雨の轟音の中、気味の悪い笑い声が頭の中に響き渡る。
亜王は男の顔を見上げた。
深くかぶった黒いフードのせいで顔全体は見えなかったが、背筋に寒気が走るほどの不気味な笑みを男は浮かべていた。
亜王の記憶はそこまでしか語りたがらなかった。
「母さん行って来るよ」
亜王はそう言って部屋を出た。出たところに真名が立っていた。
「帰ってきてね、アオ兄」
真名は心配そうにそう言った。
「行って来る」
亜王はそう言って自分の部屋へ向かった。その日はすぐに布団をかぶった。