第四話
しばらくして防火シャッターをこじ開け入ってきたのはR・Pではなく公務員で編成された特殊部隊だった。
全身を防弾スーツで包み、対機械用の電磁波照射銃と対人間用のマシンガンを持っている。
「大丈夫ですか?」
一人の隊員が頭を保護するためのヘルメットのせいでこもった声で言った。
その隊員は無線を使い男性一人と女性二人を保護したと伝えた。
亜王は真名に肩を貸し立たせ、女と一緒に外へと向かった。
外に出ると空はすでにオレンジ色のベールに包まれていた。
きつい西日が高い気温を維持していた。
ただいまの時刻は午後六時三十分。予報と寸分たがわぬ快晴だ。
正面のビルの隙間から差し込む夕日がまぶしい。
日差しが体表の温度を上昇させる。
それが亜王にも真名にもとても心地よく感じられた。
生還したのだという思いが体中を駆け巡る。
そう物思いにふけていた二人にはサイレンの音と、爆発による様々なものが焦げた臭いがさぞ邪魔だったことだろう。
警官や救急隊員があわただしく走り回っている。
女は一人の警官を呼び止め、何かを隠しながらその警官に見せた。すると警官は敬礼した。
「さ、行こっか」
そう言って女は、亜王たちを自分の車まで案内した。
あの一瞬のうちに何があったのかはわからないが、色気を使って通してくれるわけがないのは事実だ。
こんな事件の後に事情聴取もなく現場から離れられるとなると、相当に信用がある人物だということだろう。
後部座席に座らされた亜王たちに、女はアイマスクを渡した。
「これをするのか?」
亜王は不機嫌そうに言った。
女はうなずき、
「場所がばれるとまずいからね」
と言って運転席に座った。
「いやー。でもラッキーだったよ。『スパイダー』が犯行予告出したから張ってたらロキに会えたし、『スパイダー』は捕まったし」
女は実に嬉しそうに言った。
『スパイダー』とはアメリカのアナログテロ組織の名前だ。彼らは日に日に進歩していく技術の盲点をうまく利用してテロを起こす。
だから今回のように最新技術の塊であるR・Pも役に立たないような事件が起こる。
「やつらの目的は何だ?」
「それは後ほどゆっくり……ね」
女はずっと同じ調子で返答していた。
何を聞いてもはぐらかされる。
まるで空に浮かぶ雲をつかもうとしているかのようだ。
亜王にはそれがやりづらくて仕方がなかった。
「犯人の一人が、博士がどうのって言ってたよ」
真名が隣から亜王に言った。
「心配しなくてもしっかり教えてあげるよ。そのかわり、しっかり協力してもらうからね」
女はルームミラーに目をやり言った。
「あんた何者なんだ?」
亜王は警官の態度から女がテロ組織の人間ではないと思っていたが、どうも信用しきれていなかった。
「それも後のお楽しみ」
女は歌でも歌うように言った。
亜王はこの女とは会話のリズムが一生噛み合いそうにないと思った。
「いい加減名前くらい教えてくれないか?」
苛立ちながら自分と真名の名前を言って亜王が言った。
「あれ、まだ言ってなかったっけ?私の名前はケリー、ケリー・ワンダー。よろしく」
ケリーがそう言ったとき、亜王たちは車が止まるのを体で感じた。
はずしていいと言われ、亜王たちはアイマスクをはずした。
「よかった。警視庁じゃなさそうだ」
亜王は皮肉っぽくそう言った。
後方で大きな音がしたので見てみるとシャッターがしまっていた。
亜王たちがいる空間は車一台が限界の狭い空間だった。
周りは灰色のコンクリートに囲まれ、前方に人一人分の小さな青っぽい扉がある。
とても無機質な空間だ。
車から降りた亜王たちを外の熱気からは考えられないほどの冷たい空気がなでた。
ケリーがドアを開け通路に進み、それに続いて真名に肩を貸した亜王が進んでいく。
通路の一番奥には銀色の扉があり、車を止めたところと同様にコンクリートで囲まれている。
無機質な通路には一番奥以外にも扉が両側にいくつかある。
扉は鉛色の鉄でできていて、格子が顔の高さにあった。
亜王たちが見ている景色を一言で表すなら、独房と言う言葉がぴったりだ。警察を通り越して、牢獄につれてこられたのではたまったものではないと思いながら、亜王はケリーの後を歩いた。
よほど痛むのだろう。
真名の額には脂汗がにじんでいる。
ケリーは一番奥の扉を押し開けた。
壁も床も天井も灰色から白へ変わった。
先程とは違い人が往来している。
白衣の人もいればケリーのようなラフな格好をした人もいる。
人種もある程度多種多様だが、黄色人種は他と比べて少ない印象を持った。
通路は京都の街並みのように規則正しく並んでいる。
亜王たちは三ブロックほど進み、左手の部屋に入った。
中には手術室のような設備がある。
電気コンロと水道とやかん。
何故壁際の棚に様々な種類の紅茶の茶葉が並べてあるのか、亜王にも真名にもわからなかった。
さらにわからないことに、コンロのすぐ横のソファーに、白髪交じりのみすぼらしい格好をした白衣の中年男性が、足を組み紅茶を飲みながら新聞を読んでいる。
手術室で悠々と男が紅茶を飲んでいることも理解に苦しんだが、異様なまでの紅茶の量に圧倒されてしまう。
「ティータイムは勤務時間外だ」
紅茶を扱う手つきからは想像もつかないほどぶっきらぼうに男は言った。
どうやら新聞から目を離す気はないようだ。
「そこを何とかお願いします。ハーケンクロイツ博士」
ケリーの声を聞き、ハーケンクロイツは新聞を下ろした。
声からするとだいぶ年のようだ。
凛と輝くその銀色の瞳は歴戦を戦い抜いた老兵のような鋭い輝きを放っている。
しかし、彼の顔には奇怪なまでにしわがない。
見た目だけで言えば、三十代後半といわれても納得できる。いったい何歳なのか全く見当がつかない。
ハーケンクロイツは何も言わずにティーカップをテーブルに置いた。
「MI6きっての天才諜報員の頼みとあればことわれねぇな」
ハーケンクロイツはやれやれと言った様子で言った。
「この子です」
そう言ってケリーは真名のことを伝えた。
「大丈夫なのか?」
少なからず怯えを見せる真名を見て、亜王は不安になりケリーに小声で聞いた。
「心配するな。俺は生きた女は実験台にしねぇ」
ハーケンクロイツは治療に使うと見られる機材をいじりながら言った。
どうやら耳もかなりいいようだが、研究者としての倫理観のかけらもない発言だった。
変人という言葉に尽きる。
亜王はこの男に真名の治療を任せるのが心底嫌だったが、苦しんでいる真名を見ている方がつらかったので、しぶしぶ真名を預けた。
亜王とケリーは真名を博士に預け部屋から出た。
「いい加減話せよ」
後ろで自動ドアが閉まった後、亜王が言った。
「わかった。ついてきて」
ケリーはそう言って歩き出した。
着いたのは会議室のような部屋だった。
中央には黒い楕円形のテーブルがあり、椅子がいくつも並べられている。
部屋には明かりがついていたが、映画館のような薄暗さだ。
座るように促され、亜王は適当な位置の椅子に座った。
ケリーが向かい側の椅子に座る。
彼女はジャケットの裏ポケットからIDカードを出し亜王に渡した。
亜王はケリーに言われ、席の数だけあるカードリーダーの中で、自分の前にあるものにカードを通した。
すると亜王の目の前の空間に、ケリーのCGとケリーについてのデータが現れた。
データの端には「MI6」と書かれている。
データには年齢、身長はもちろん、スリーサイズまで書いてある。
亜王は思わずCGを見つめサイズを考えていた。
ケリーはそれを察したのか、身を乗り出し、亜王の前にあるCGを手ではらった。
するとCGは煙に巻かれたように消えた。
さすがに本人の体を見つめる勇気は亜王にはない。
「MI6が日本で何やってんだ?」
亜王は一度咳払いをして、何事もなかったかのように話をもとに戻した。
「長くなるけど」
ケリーは亜王からIDカードを受け取り、ポケットにしまいながら言った。
「断らせる気はないんだろ?」
亜王はすぐにそう返した。
ケリーは一度笑みを浮かべてから話し始めた。
彼女は最初に二年前にロシアで起こった大洪水の話を出した。
ロシア南部で、二週間局地的な豪雨に見舞われ大洪水が起きた。
国土は甚大な被害を受け、多数の死傷者を出し、未曾有の被害をロシアにもたらした。
もちろんそのニュースは世界中で報道された。
あのときテレビの向こうに見たすさまじい光景を、亜王はいまだに覚えている。
唐突に、あの豪雨は操作されたものだとケリーは言った。
衝撃的なことを彼女は言ったのだが、あまりにもさらりと言われたので、亜王は危うくその言葉を流してしまうところだった。
「今なんて?」
亜王は自分の耳を疑っていた。
「あの豪雨は操作されていたものなの」
ケリーは自分の言葉をオウムのように繰り返した。
「そんな話は聞いたことないぞ」
亜王の表情は一気に険しくなった。
明らかに驚いていることがわかる。
それは無理もなかった。
当時のニュースでは異常気象と伝えていたし、亜王自身ロシア政府に探りを入れたが報道されていること以外の情報は手に入らなかったのだ。
そもそも、そんな技術は存在していなかった。
世界の裏側を裁く、天才ハッカーの亜王ですらそんな情報は手に入れていない。
今でも存在しないと亜王は思っている。
そんなきな臭い情報ならすぐに広まるはずだ。
「私たちも探りは入れてみたんだけど、トップクラスまでいっても誰も何も知らなかったの。もちろん大統領もね」
ケリーは静かにそう言った。
一瞬だったが、彼女の表情から笑みが消えた。
表情を失った彼女の顔は、より一層芸術的な美しさを放った。
確かに政府が主導であったなら、あれほどの被害を出しておきながら、大統領がいまだ健在なのには疑問が生じる。
大体にして、あれほどまでに被害を出していれば、首が飛ぶどころかそれこそ監獄行きだ。
そうだとすると、政府とは関係のない組織によるものということになる。
そうなると、政府の許可なしにそんなリスクの高い実験が行えるのだろうか、という疑問がわいてくる。
資金的な面でも問題が多くあるはずだ。
しかし、実際行われていたのだ。その実験は開発チームの独断で行われていた。
ケリーは、その実験は政府への反乱だったのではないかと言われていると続けた。
大洪水から約一年後、天候コントロールシステムが完成する。
理屈としては、人工衛星から天候変化物質を放ち、天候を変化させるのだそうだが、詳しいことはわからないらしい。
天候変化の誤差はわずか五百メートル。
竜巻、雷もお手の物らしい。まさに神のシステムだ。亜王の頭の中に小説の結末がよみがえった。
「これ見て」
ケリーはそう言って自分の前のパネルに触れた。
すると先ほどと同じように亜王の前に映像が現れた。
その映像を見て亜王は唖然とした。
映像にはアメリカでの竜巻、ハリケーン、そして落雷の数が昨年と比較されている。
竜巻、ハリケーンの数は昨年の二倍、落雷にいたっては四倍近い。
さらに驚くべきは、落雷が同じ住所に連続して起こっていることだ。
「ロシアはアメリカと戦争する気か?」
亜王はケリーがやったように映像を払い消した。
「相手がロシアならまだマシだったんだけどね」
ケリーは苦笑いを浮かべそう言った。
「どういうことだ?」
「さっきのデータにあったのは、全部アメリカ自身がやったことなの」
先ほどから驚いてばかりなので亜王の情報処理の速度は落ちていた。
「ア……、アメリカも開発に成功したのか?」
その言葉を出すのにかなりの時間がかかった。
亜王の言葉を聞きケリーはすぐに首を横に振った。
アメリカはロシアがシステムの開発に成功したことを知り、すぐさま買取りを開発チームに持ちかけた。
開発チームはもともと金でロシア中から集められたチームだった。
当然金の多いほうに動く。
そしてロシアへ報告するはずだったデータを、アメリカへ持ち去ったわけだ。
そして、開発チームの前に金を積んだのは、アメリカ副大統領のハーディだ。
こいつには良い噂はない。
「確か今大統領は……」
「うん。ちょうどシステムの開発に成功したくらいから入院してるよ」
大統領は、ほぼ致死量に近い量の睡眠薬を飲み、意識不明の状態で病院に運び込まれた。
奇跡的に一命はとりとめたが、今も意識は戻っていない。
ハーディは今の大統領を、入院した状態では行政能力がないとして、大統領の座を降ろそうとした。
しかし、これを反ハーディ派が反対。
任期まで大統領を降ろさないことが、半年ほど前の議会で決まった。
その事件の裏では、ハーディの部下と噂される、マフィアの暗躍が疑われていたが、証拠が見つからなかった。
もちろんそのことは亜王も良く知っている。
その噂されているマフィアが“スパイダー”だということも……。
「で……、ハーディはそのシステムで何をする気だ? 世界制服?」
亜王は冗談交じりでそう言ったが、ケリーは大まじめに肯定した。ハーディは本気で世界を掌握する気らしい。
「ハーディは軍を解散させようとしてるの。反乱を避けるためにね」
天候操作システムがあれば軍など自分への脅威でしかないのかもしれない。
天候操作を利用して異常気象を起こし続けるなら、自国にはコンピュータを操作する数人がいれば事足りるのだ。
敵国には軍隊だけではなく、一般市民や国土、つまり国力全体に深刻な被害を与えられる。
「アメリカ軍解体も時間の問題だね。ハーディの圧力はかなりのところまできてるからね。解任は免れたけど、今は大統領がいていないようなもんだよ」
ケリーは頬杖をつき長い息を吐き、間を取った。すらりと伸びる鼻筋が横顔に映える。
「聞くだけ聞いといて悪いんだけどさ。俺が知りたいのはそこじゃない。どうしてMI6が日本にいて、俺を連れてきたかだ」
亜王も頬杖をつきそう言った。
「協力して欲しいの」
「ペンタゴンにでも潜るのか?」
「それで解決するなら困ってないよ」
ケリーはそう言って珍しく表情を曇らせた。
天候操作するためのコンピュータは、完全に独立していて、直接潜り込むしかないらしい。
MI6はニューヨークのフリーダムタワーから、カナダとの国境にあるスペリオル湖に電波が送られ、そこから衛星へ信号が送られているのをキャッチしている。
「ということは、操作している人間と機械は別の場所ってわけだ」
と亜王が言うと、ケリーは首を縦に振った。
「今回の作戦は天候操作に関するすべてを消すこと。もちろん開発チームもね」
ケリーの口から出た「消す」という言葉からとって、よほど世間に知られたくないらしい。
天候操作による死者はすでに一千万人を超えた。
テロとしても前代未聞の規模だ。
世界は新たなテロの手段を消し去りたいのだろう。
正面からぶつかっても勝ち目などないが。
「俺に殺しの手伝いをしろって言うのか?」
「手を汚すのは私たちの役目。亜王にはシステムの破壊を頼みたいの」
ケリーは亜王の機嫌を損ねないためか、柔らかい口調でそう言った。
しかし、亜王はそのことが気に食わなかった。
まるで子供扱いを受けたように思えた。
「同じことだ。それに俺はハッカーでクラッカーじゃないんでね。そのことに俺は誇りを……」
亜王は声を荒げた。
「誇り? そんなもののために戦争を起こさせる気? あなた一人のちんけなプライドのために全人類の命を捨てるの?」
ケリーの笑顔が消えた。
少しの間、部屋には沈黙が下りた。
亜王には返す言葉などなかった。
地球に住むすべてのものと、自分の小さいプライドを、同じはかりにかけていた自分に失望していた。
亜王の父親は、秘密を暴かれそうになった組織によって暗殺された。
亜王の目の前で。
それが三年前の話。
いまだに犯人の気味の悪い笑みとおぞましい笑い声が脳裏に焼きついて離れない。
それからというもの、亜王は父親の意思を継ぎ、悪徳政治家などを縛り上げ「ロキ」として恐れられてきた。
しかし、今までやってきたことは人々のためではなく、上辺の正義感をかざした自己満足の復讐でしかなかったのだと亜王は気づいた。
「ごめん。強く言い過ぎた」
ケリーはすっかり冷めた口調でそう言った。
目を逸らし、バツが悪そうに頭を描いている。
「いや、俺が間違ってたんだ。できることはなんでもするよ」
亜王がそう言うとケリーの顔に笑顔が戻った。
「よかった。亜王がいなきゃこの作戦は成り立たないから」
ケリーはそう言って立ち上がった。それに続き亜王も立ち上がる。
「アメリカに乗り込むのはいいとして、まさか俺たちだけってことはないよな?」
部屋から出て亜王は言った。
ケリーは四人だと答えた。
その答えは不安の材料にしかならなかった。
二人が四人になろうと、相手は一国だ。状況が変わるとは到底思えなかった。
亜王の不安を察したのか、ケリーは作戦の詳細を明日説明し、仲間との対面もすると言った。
ハーケンクロイツの部屋の扉の前まで来ても亜王の不安は解消されていなかった。
真名は治療も終わり、ハーケンクロイツと紅茶を飲んでいた。部屋の中には鼻を刺す薬品の臭いの代わりに紅茶の匂いが漂っている。