第三話
制御室の通気口から光が差し込んでいる。通気口の中はむせ返るように暑く、心なしか息苦しい。
亜王は制御室の中を覗き込んだ。人影は見当たらない。
通気口のふたをはずし、亜王は制御室の中に入った。
冷房の風が火照った顔を撫でた。
亜王は体の熱気を吐き出すように、大きく息を吐いた。
大きなモニターに、銀行内をくまなく監視している、カメラの映像が映し出されている。
警備員らしき男三人も、人質の中に見える。
亜王はバッグからノートパソコンを取り出し、キーボードを叩き始めた。
彼はすぐに銀行の警備システムにもぐりこんだ。
そのときだった。
亜王は制御室に向かう人の姿をモニターで発見した。
手には拳銃、同じ服装の男たちが、受付のカウンター前に数人、おまけに人相も悪い。
間違いなく犯行グループのメンバーだろう。
彼は制御室にロックをかけようかと思ったが、間に合いそうにない。
深い息を一つ吐き、亜王はドアの前に立った。
制御室に向かっていた男がドアを開けた瞬間、亜王は男を思いっきり正面から蹴った。
男は壁に叩きつけられ、その衝撃で意識を飛ばした。
亜王は男を抱え制御室の中まで運ぼうとした。
しかし抱えた瞬間、彼の手に鋭い痛みが走った。
男が隠し持っていたナイフが彼の手の甲を傷つけたのだ。
とっさに傷口を押さえたが思っていたよりも傷が深く、すぐに一滴、また一滴と血が床に落ちた。
「くそっ」
亜王は悪態をつき、血を止めるのをあきらめ、男を制御室の中まで運んだ。
手を押さえながらモニターに目をやった。
R・Pの姿が目に止まる。
「R・Pが来てやがる」
亜王は苦笑いを浮かべそう言った。
普通たかだか銀行強盗ではR・Pは出てこない。
そうしないと公務員がいなくなってしまうからだ。
それほど重大な事件なのだろうか。
亜王は手のひらに冷や汗がにじむのを感じた。
「あれは?」
亜王はモニターで人質の周りに置かれた小包とそこから伸びる線を見つけた。
制御室のコンピュータを使い小包に焦点を当て拡大していく。
彼がその物体が爆弾だと気付くまでそれほど時間はかからなかった。
「ただ線でつないであるだけだから、遠隔操作のときみたいに電波が出てないんだな」
だからR・Pにも気づかれない。
亜王はそういう結論を出し、下唇を強く噛んだ。
焦りは隠し切れなかったが、何とか対策を考えた。
その時だった。
銀行内にいた総勢十数名の犯人グループが一斉に裏口の方へ移動し始めた。
亜王はそれに気づき、裏口にロックをかけ、犯人たちが戸惑っている間に通路に防火シャッターを下ろし犯人たちを閉じ込めた。
裏口のロックはすぐに壊されるだろうが、防火シャッターのおかげで戻ることはできない。
亜王にはなぜ犯人が金も持たずに逃げているのか、要求が何なのかわからなかった。
犯人が要求しているとき暗い管の中にいたのだから仕方がない。
亜王が考えをめぐらせていると、R・Pが突入まで五分だと告げた。
亜王の頭の中で一部のピースがはまった。
人質は見せしめでしかなったのだ。
R・Pが交渉に応じないことも、爆弾に気づかないということも、犯人たちは初めからわかっていたのだ。
「突入されたらまずい……」
亜王の頭の中に最悪のシナリオが浮かんだ。
おそらく突入のときの衝撃で爆弾は爆発する。
亜王に迷っている時間はなかった。
彼はマイクを握り、館内放送の音量を最大まで上げた。
「R・P! 突入をやめてくれ! 爆弾があるんだ!」
亜王はそう力の限り叫んだ。
彼の声は銀行の外まで漏れ、R・Pにも聞こえた。
しかしR・Pは取り合おうとしなかった。
亜王は必死に全員が逃げることができそうなルートを探した。
正面の入口はだめだ。そこにもセンサーが繋がれている。
制御室の奥の通路が外へとつながっていた。突入まで残り三分を切る。
「みなさん聞いてください。もう犯人たちは戻って来ません。ロビーの入り口から見て左側の通路の奥が外につながっています。体の弱い人を優先して外に出てください」
亜王の言葉により、一瞬安堵の声が上がった。
しかし次の瞬間には悲鳴や叫び声に変わっていた。
我先にと通路に人が殺到していた。人が押し寄せるには、その入口はあまりにも狭すぎる。
亜王は愕然とした。
人間は醜い生き物とはよく言ったものだ。
大多数が人間の醜悪さを如実に表している。
亜王はそんな混乱の中、モニターの中に床に座り込んでいる真名を見つけた。
右の足首を押さえている。
亜王はパソコンを持ち制御室から出た。
通路は人であふれかえっている。
亜王は人の流れに逆らいロビーに出た。
その途中、いくつもの罵声を浴び、何か所も体を打ち付けられた。
残り四十八秒。
ロビーには小さな子供や、足の不自由な老人が数人、そしてその人たちに手を貸す人たち――醜くない少数派と弱者――が残っている。
亜王は真名のところまで走っていき、彼女を抱え上げ通路まで走った。
しかし亜王は真名を助けるのに必死で、無意識のうちにパソコンを床に置いてきてしまった。
亜王たちが最後に通路に入った。
亜王は通路を進んですぐにパソコンがないことに気づいた。
「真名、待っていてくれ」
亜王は真名を床に下ろし、壁にもたれさせた。
パソコンがなければ通路の入り口に防火シャッターを下ろせない。
そうなれば爆風に飲み込まれて終わりだ。
「わたしが見てるから」
亜王たちの少し前を走っていた金髪の女が英国訛りのある英語で言った。
亜王はその女に頼み、その場を後にした。
パソコンは爆弾のすぐ隣にあった。
亜王はその場でキーボードを叩いた。
通路の入り口にある防火シャッターが下り始める。
残り五秒。
亜王はシャッターが完全に下りる前に滑り込み、通路の壁に当たって止まった。
残りゼロ秒。
R・Pが一斉にガラスを破り突入した。
ガラスにつけられていた筒に衝撃が伝わり、爆弾が爆発した。
轟音とともに熱と爆風が広がった。
爆心地に近いR・Pは粉々になって吹き飛んでいく。
爆風の影響でシャッターも変形してしまい、亜王は危うく壁との間に挟まれてしまうところだった。
真名のもとに行くと、金髪の女が真名の足に応急処置として自分の服の袖を巻いているところだった。
「これで一応大丈夫だと思うよ。折れてなきゃね」
女は立ち上がりそう言い、それに対し亜王は礼を言った。
女は亜王の礼を軽く流し、それよりもと言って亜王の持っているパソコンに目をやった。
「君……、もしかしてロキ?」
どういう推理でその結論に至ったかは知らないが、その質問によって亜王の顔色ががらりと変わった。
亜王は世間の悪を暴くハッカーとして活躍していた。
世間はそれをロキと呼んだ。しかし、面と向かいその名を呼ばれるのはこれが初めてだった。
「顔色は変えないように心がけないとね」
女は深い彫りの中から亜王を見つめた。
亜王はその澄んだ青色の瞳に吸い込まれそうだと思った。
「俺がロキだったら?」
背中に冷たい汗が伝うのを感じる。
「一緒に来てもらいたいんだけど…」
女は肩ぐらいまである金色のきれいな髪をかき上げながら言った。
「いやだね。警察か何かか?」
亜王のとげとげしい口調にもかかわらず、女は笑顔を保っていた。
一番やりにくいタイプだと亜王は思った。
表情から得られる情報が全くない。
「警察じゃないよ。私たちはあなたの力を必要としているの。探す手間が省けてよかった。来てくれるならあなたの犯罪歴はすべて抹消する」
女は満面の笑みでそう言った。真名が心配そうな表情で亜王の顔を見上げている。
「協力してくれないなら、あなたのことを警察に突き出しちゃうから」
その瞬間、性悪女というレッテルが亜王の中でその女に貼られた。
真名は足を怪我している。
逃げるのは困難だ。従わざるを得なかった。