第十五話 カナダ突破
「自分で動かす方がやっぱり楽だな。ただ座ってるのは性に合わねぇ」
メアリーは座りっぱなしで固まってしまった体をほぐしながら言った。
彼女は今、カナダ最大の空港であるトロント・ピアソン国際空港の前にいた。
トロント・ピアソン国際空港は年間利用者数が3500万人を超えるカナダ最大の空港である。
「遅ぇな」
首の骨を鳴らしながら彼女は迎えが来るのを待っていた。
しばらくして通りの向こう側に黒いセダンが止まり、中から男が合図を送った。
通りを渡り、メアリーはその車に乗り込んだ。
「初めましてレイモンド・スミスって言います。レイって呼んでください」
メアリーが車に乗り込むと、スーツ越しにもわかる屈強な肉体とは真逆のさわやかな笑顔でレイが迎えた。
メアリーは握手を返し自分の名前を名乗った。
「これからどうするんだ?」
メアリーがそう尋ねると、本日の予定は郊外のホテルに行くだけだとレイが伝えた。
本格的に動くのは明日になってからのようだ。
メアリーが連れていかれたホテルはまさに高級感あふれるの一言に尽きた。
「ずいぶんと立派なおもてなしだな。後から請求されそうだぜ」
メアリーは日が沈みライトアップされたホテルを見上げて言った。
レイは駐車場に車を停めメアリーに続いて降りた。
チェックインの手続きはレイがした。
彼は翌日の朝迎えに来ると言ってホテルを出ていった。
メアリーは案内された自分の部屋に行き、ベッドの上に持ってきたバッグを投げた。
椅子に腰かけ深いため息をついた。
部屋の中は明かりがつけられておらず、窓から入ってくる街の明かりがメアリーを照らしていた。
彼女がその時何を考えていたのか知る者はいないが、そうしてメアリーの一日は更けていった。
次の日の朝、窓から差し込む光とやかましい電話の音でメアリーは目を覚ました。
もぞもぞと身じろぎし、受話器を探す。
「起きましたか? あと十分で迎えに行きます」
レイはそれだけ言って電話を切った。
悪態をつき受話器を叩き付けたい衝動を抑え、メアリーは下着姿のまま顔を洗いに行った。
時計は午前七時を指していた。
昨日と変わらない車でレイはホテルの前でメアリーを待っていた。
大きなあくびを一つしてメアリーはホテルを後にした。
彼女が車に乗り込むとレイは短くあいさつした後、後部座席に手を回し、何かを手探りで探した。
彼女はそれを気にせず煙草に火をつけた。
深呼吸をするように息を吐き出すのと同時に、レイがメアリーに拳銃一丁とマガジン二本を渡した。
「これだけか?」
煙草をくわえ、あからさまに不満そうにメアリーが言った。
「街中で持てるだけ感謝してくださいよ」
レイは困った顔をしてそう返し、車を発進させた。
メアリーはそれ以上文句を言わず、バッグのすぐ取り出せる位置に銃とマガジンをしまった。
そして再び煙草にふけった。
「おい! そこに入れ!」
しばらく車を走らせていると、突然メアリーが叫んだ。
あまりに突然のことだったので車が反応せず、レイが手動で無理やり車を曲がらせた。
甲高いスキール音とともに、車は駐車場に滑り込んでいった。
「急に何事ですか?」
レイが車を急停止させた直後、すぐ後ろでもスキール音が鳴り響いていた。
「屈強な男二人でラブホってのは、ただ事じゃねーな」
メアリーは前方にそびえる白いお城と、サイドミラーに映る後ろの車に乗る男どもを交互に見て言った。
彼女の行動を見てレイはルームミラーに目をやった。
彼らの後ろには黒い車が一台止まっていた。
その中には見るからに屈強そうなサングラスをかけた白人が2人乗っている。
「そういえば、昨日空港で見た気がするなぁ」
メアリーはへらへらと笑いながら言った。
その直後、メアリーはレイに合図を送った。
レイは車を急発進させた。
二人の白人を乗せた車も猛スピードで追いかけてくる。
とはいっても機械制御のため差は詰まることはなかった。
「カーチェイスも楽になったもんだぜ。安全だ」
目の回るような速さの中でメアリーは笑いながら言った。
「それよりちゃんとここに向かってんのか?」
メアリーは煙草に火をつけ、ウォーカーにもらった地図を取り出した。
そこには一つの島の地図が書かれていた。
まるで宝の地図のようにF・Aの位置に印が書いてある。
タブレットなどの電子機器ではなく、なぜ紙の地図なのかというと、これが一番確実だからだとウォーカーが言っていた。
「フラワー・ポット・アイランドですね? 大丈夫ですよ」
地図を確認しレイはそう言った。
「俺は船着き場まで送るのが任務です。もうすぐ着きますよ」
レイがそう言ったところで車は大きな道からそれた。
レイは窓を開け、シートベルトで体を固定し窓から身を乗り出した。
銃を取り出し発砲する。
見事追ってきた車のタイヤに命中した。
しかし数発打ち込んだが問題なく走り続けている。
それどころか、二人の男たちも体を乗り出し撃ち返してきた。
「ボケナス! 煽ってどうすんだよ」
メアリーはレイの体に巻き付いたベルトを引っ張り車の中に戻した。
船着き場が見えた。
メアリーたちの乗っている車が助手席側をボートに向け止まった。
二人の白人が乗っていた車が数十メートル先に止まる。
「行ってください」
レイはそう言ってドアを開けようとした。
「やめろ! 死にてぇのか? 私と一緒に来い」
メアリーはそう言ってレイの腕をつかみ助手席のドアを開けた。
男たちが車から降り、メアリーたちの方へ走ってくる。
レイはメアリーの手を振りほどき、ドアを開け銃を構えて飛び出していった。
「これが俺の任務なんだ」
彼は震える声でそう吐き捨てた。
メアリーが止める間もなく銃声が交差した。
二人の白人の一人の頭が後ろにはじけ、その場に滑り込むように倒れた。
それと同時に糸を断ち切られた操り人形のようにレイが崩れ落ちた。
胸部に二発、右腕、下腹部に1発ずつ、確実に彼の体は撃ち抜かれた。
メアリーがレイの名前を叫ぶ。
「あなたと一緒に仕事ができて光栄でしたよ〝ブラッディ・メアリー〟」
血がのどに詰まり、うまく発音できてはいなかったが、彼は薄れゆく意識の中で確かにそう言った。
メアリーには悲しみに打ちひしがれている時間はなかった。
もう一人の男は無傷のままメアリーに銃を向け走ってきている。
メアリーは車から飛び降り、ボートへ乗り込みエンジンをかけた。
目的地はもう設定されているようだ。
銃弾が降り注ぎメアリーはその場に伏せた。
ボートに銃弾が当たり金属音がする。
幸い撃ち抜かれてはいないようだ。
ボートが動き出す瞬間、男がボートに飛び乗った。
おそらくメアリーはこうなることを予測して身構えていた。
乗った瞬間飛びかかるように男の顔面に向け渾身の右ストレートをお見舞いし、男が持っていたマシンガンをつかみ、思い切り腹部に蹴りを入れた。
マシンガンから伸びていたベルトは音を立ててちぎれ、男は後ろへ吹っ飛び水の中へ落ちた。
メアリーは奪い取ったマシンガンでもがいている男にとどめを刺した。
メアリーは島へ向かうボートの上で空を見上げた。
文字通り、暗雲が立ち込めていた。
おそらく天候操作による防衛線の雲だ。
島に近づくにつれ激しい雨が降り始めた。
雨のせいで分からなかったがメアリーは泣いていたのかもしれない。
島に着きボートを降り、森の中へと進んでいく。
地図を取り出し方位磁石で方角を調べた。
あまりにも古典的な方法にメアリーは思わず笑いそうになった。
彼女は唐突に今朝から何も食べていないことに気づいた。
意識し始めると空腹感はより大きくなる。
彼女はズボンの後ろのポケットから軍用の食糧を取り出した。
尻の下に敷かれていたため粉々に砕けているのを彼女は口の中に流し込んだ。
のどの渇きは雨水で潤した。
これから破壊すべき技術の恩恵を受けていることにメアリーは屈辱を感じていた。
ぬかるむ地面と天候に悩まされ、目的地に着くのにかなりの時間がかかった。
装備は不十分で、雨に打たれ続けていたせいで、体は冷え切っていた。
地図の示す場所にあったのは斜面に隠れた鉄の扉だった。
どうやらパスワードが必要なようだ。
メアリーは震える手で携帯電話を取り出し、かろうじてダイヤルした。
鳴ったのは亜王の携帯だった。
ちょうど亜王とケリーは食事をしている最中だった。
画面を見てメアリーからだと分かった亜王はケリーに目くばせする。
二人は同時に立ち上がり豪華なレストランの中を足早に突っ切った。
「出た方がいいよな?」
廊下を走りながら亜王が言った。
「盗聴されてると思うけど、出ないと変に思われるよ」
ケリーが小声で早口で言った。
急いで亜王は自分の部屋のロックを解除し中へ入った。
亜王とケリーはベッドに腰掛けた。
幸い、携帯電話はまだ甲高い鳴き声を上げている。
亜王が通話ボタンを押し、ケリーは電話を挟むように亜王の顔に自分の横顔を密着させた。
「どうしたメアリー?」
電話に出たのはいいが、メアリーが沈黙を守っていたので不審に思い亜王が口を開いた。
電話の向こうですすり泣く声が聞こえた。
「どうした?」
亜王が再び尋ねる。
メアリーは思い切り鼻をすすった。
「三人だ……、三人死んだ。私のせいで!」
亜王とケリーが思わず電話から耳を話すほどの大きな声でメアリーは叫んだ。
悲しみはいつの間にか怒りに変わっていた。
亜王とケリーは必死にかける言葉を探していた。
「戦争を止めたくて戦争を始めた。でもゴキブリのように次から次へとわいてきやがる。もううんざりなんだよ」
悲痛な叫びだった。
「でも最後までその道は曲げないんだろ?」
亜王がそういうとメアリーは鼻を鳴らした。
「当たり前だろ? なんったって不器用だからな」
少々元気を取り戻したようだ。
そうはいっても、メアリーは座り込み扉に持たれていた。
もう立っているのもつらいのだろう。
「それだけか?」
亜王がそう言った。
「いや、地図の場所まで来たんだがパスワードが必要らしいんだ」
メアリーは数字の書かれたパネルを見上げて言った。
メアリーが言うにはヒントはあるものの答えがわからないらしい。
そのヒントについて尋ねるとメアリーは地図を取り出した。
ずぶぬれでふやけていて、ちょっと間違えれば破けてしまいそうだった。
それをメアリーは慎重に開いた。
ちょうど地図の右下のあたりに文章が書いてある。
「宇宙は、数字という言葉で書かれた書物である。最初は4、八番目は196」
途切れ途切れにメアリーが読んだ。
「それだけ?」
亜王が聞き返した。それだけだとメアリーが返す。
「7、10、16、28、52、100」
ケリーがぽつり、ぽつりと言った。
「そうか、ティティウスの数列か」
ケリーの答えを聞き、亜王が納得して言った。
「ロリータ、もう一回頼む」
メアリーはそう言って立ち上がり、ケリーの言う通りに数字を押した。
十二桁のパスワードはケリーの言った数字で合っていた。
扉がすべるように開く。
「ありがとう。頭を使うのはどうも苦手でね。こっちは目的地に着いた。そっちもしっかりな」
そう言ってメアリーは電話を切り中に入っていった。
「知ってたのか? ティティウスの数列」
顔を離し、電話をしまって亜王が言った。
「ううん。計算した」
ケリーはさらっと言った。
やはり只者ではないと亜王は思ったに違いない。
メアリーはふらつきながら中へ入った。
扉の中にはドーム状の空間があり、格納庫となっていた。
中央に黒々した金属の塊があった。
これがF・Aであることは間違いない。
カタパルトの上にセットされており、ファランクス・ミサイルも2発装備済みだ。
メアリーは奥に扉を見つけF・Aの下を潜り抜けそこまで行った
。倒れこむように扉を押し開ける。
彼女は別の世界にワープしたかと思い後ろを振り返った。
そこにはしっかりF・Aがいる。
メアリーが扉を開けて入った部屋にはキッチン、リビング、トレーニング機器、ベッドまであった。
彼女は疲れていることなど忘れキッチンに駆け込んだ。
一か月は余裕で暮らせる食糧がそこにはあった。
メアリーはむさぼるように口へものを運んだ。
空腹感が消えると、それまで静かにしていた疲労感が騒ぎ出した。
メアリーは今にも閉じそうな目をしてふらつきながらベッドを目指す。
すぐに彼女が眠ってしまったのは言うまでもない。