第十二話 気持ちの変化
「あんな感じでよかったのか?」
と亜王が言うと十分過ぎるとケリーは言った。
二人は特にあてもなく廊下を歩いていた。
「ちょっと前まではあんなんじゃなかったんだっけどね」
ケリーがそうつぶやいた。
「この前の任務あたりから変わった気がする」
彼女は自分の考えをまとめるようにつぶやいた。
「好きだったのか?」
ケリーが答えるまで少しの間があった。
「いいかなってくらいには思ってたよ」
ケリーは正直な気持ちを亜王に伝えたと思う。
彼自身には理由はわからなかったが、亜王はその時、なんとなく不機嫌になっていた。
「で、嫌になったから俺を使って間接的に振ったわけか?」
無意識のうちだったが、彼は刺々しい口調で話していた。
「ごめん、気悪くした? でも亜王だからこそ頼んだんだよ」
ケリーはそう言って謝罪した。
「俺にベンよりも優れたハッキング能力があると思ったからじゃないのか?」
ケリーの謝罪など気にも留めず亜王が言った。
亜王の言葉の後、ケリーは突然立ち止まった。
腕を組んでいるため亜王も自動的に留まる。
「そうじゃない。そんなんじゃないよ。うまく言えないけど、亜王じゃなかったら頼んでないと思う」
亜王の腕にしがみつくようにケリーは力を入れた。
目からは今にも涙があふれそうだった。
亜王が自分の過ちに気づいたときにはもう手遅れだった。
一筋の涙がたまりかねて流れだし頬を伝っている。
「わ、悪かったよ。どうかしてた。こんなことで腹立てるなんて……」
動揺は隠せなかったが、何とか亜王は謝罪した。
それを聞いたケリーは悪いのは自分だと言って涙を拭き、笑顔を作ろうとした。
それがへんに見えた亜王は笑ってしまった。
ケリーは決して嫌味などではなく、本気で自分の周りの人間が笑顔でいてほしいと思うからこそ、自分が常に笑顔でいようとしているのではないかと亜王は感じた。
そろそろ夕飯を食べないかと言ったのはケリーの方だった。
落ち着いてよく考えると亜王は空腹だった。
二人は食堂に向かうことにした。
「私、部屋で不満って聞いたよね?」
そういえば、ケリーが誘いに来たときそんなことを言っていた。
「私はずっと孤児院にいたから、ああいう暮らしは普通だったんだ。そのせいかもしれないけど、高級そうなきらびやかな部屋より、ああいう質素な部屋のほうが落ち着くんだよね」
そこまで言ってケリーは少し間をあけた。
「亜王から見たらやっぱり変かな?」
彼女は身を乗り出し、亜王の顔を覗き込むようにして言った。
「ケリーの落ち着く場所がそれなら、別に変だなんて思わないよ。人それぞれ違うものだろ?」
亜王はそう言ってケリーに微笑みかけた。
アレックスは呆れたと言わんばかりの目つきでメアリーを見ている。
「それ全部食べるのか?」
アレックスはそう言ってパンをひとちぎり食べた。
テーブルの上は2:8でメアリーの持ってきた皿のほうが多い。
当然量も……。
アレックスが小食とはいえ、明らかにメアリーの食べる量は常軌を逸している。
「当たり前だろ。残したら世界の難民に顔向けできねぇだろーが」
そう言ってメアリーは骨付き肉にかぶりつく。
それなら、食べなければその分の食糧が難民たちに渡るとは思わないのだろうか。
「それにしても、僕も君みたいに生きてみたいよ」
アレックスはメアリーの食べっぷりに苦笑いしながら言った。
メアリーは食べながら目線だけアレックスに向けた。
「君には何かに縛られて生きてきた形跡が見当たらない」
アレックスは羨ましそうにため息をついた後、笑みを浮かべてそう言った。
片や洗練されたテーブルマナー、片や野生児のような食べ方。
アレックスは型にはまっていることが嫌だと首を左右に振りつぶやいた。
「おかしなことを言うやつだな。お前は縛っていたものを払って出てきたんだろ?」
口の中いっぱいに肉を詰め、もごもごとしながらメアリーが言った。
アレックスはそれを聞き、再びかぶりを振った。
「もう染みついているんだ」
そう言った彼の表情は悲しげだった。
「よし、じゃあこうしよう。今から一切のテーブルマナーはなしだ。マナー通りに食ったらぶん殴るからな」
メアリーは唐突にそう言った。
アレックスの動きが一瞬止まる。
とりあえずフォークとナイフを置いてみるが、その表情には戸惑いの色が浮かんでいた。
メアリーを真似て手で食べ物を掴もうとするが、やはり抵抗があるようだ。
その様子を見ていたメアリーが食べられてきれいになった骨をアレックスに向けた。
「言われるとできないもんだろ? いいか? 人にはそれぞれ合う合わないがあんだよ。型にはまってるのがお前なんだ。自分ができないことをうらやむのはわかるが、自分にできることをもっと見たらどうだ?」
メアリーにしては珍しく、まじめな口調で彼女は言った。
「君には感心させられてばかりだ」
アレックスは肩をすくめ、苦笑いしながら言った。
「なぁ、ブルーとロリータができてるか賭けようぜ」
さっきのまじめな表情と打って変わって、メアリーは悪そうにほくそ笑んでそう言った。
彼女はその話題をまだ引きずっているらしい。
「わかった。いいよ。いくら賭けようか」
しつこさに観念したのか、それとも気が変わったのか、アレックスはその話題に乗った。
嫌々乗ったという表情でないのは確かだった。
「金なんてものは、今日を生きるのに命を懸けてない奴らが欲しがるもんだ。賭けるなら飯と酒だろ。負けた方が作戦から帰ってきた時に奢るってのはどうだ?」
メアリーは積み重なった野菜たちをフォークで一突きにしながら言った。
冗談っぽく彼女は軽い口調で言ったが、それが彼女なりの生きて帰ってこようというメッセージだったのかもしれない。
「わかった。それでいこう」
そうアレックスが言った後、メアリーはできている方に、アレックスはできていない方に賭けた。
亜王たちが食堂に入ってきたのはちょうどその時だった。
彼らが腕を組んでいるのを見て、メアリーが勝利の声を上げる。
食堂の中に彼女の声が響き、驚いて見ている人もいる。
早くも自分の負けがわかったアレックスはがっくりとうなだれていた。
メアリーが奇妙な舞を踊りながら祝福の言葉をかけると、亜王たちはまだ自分たちが腕を組んでいたことに気づき、ぱっと身を話した。
二人の顔はみるみる赤くなっていく。
「私の勝ちだ」
メアリーは満面の笑みでアレックスに向かいそう言った。
アレックスは額に手を当て深いため息をついた。
彼にはそれなりに自身があったのだろう。
亜王は否定しようとしたが、今は何を言っても無駄だと思いやめた。
その日は何をしてもメアリーに冷やかされっぱなしだった。