第十一話 亜王とケリー
部屋を出た亜王とケリーは、アレックスが暴れたウォーカーの部屋がある大きな部屋にいた。
最新鋭のパソコンがずらりと並び、誰もがモニターに向いキーボードをせわしなく叩いている。
英国の頭脳の結晶が彼らである。
そんな彼らに憧れのようなものを抱きながら、ケリーの後をついていく亜王であったが、ケリーにどこへ行くのかと聞いても、ついて来ての一点張り。
彼も少しはケリーの性格に慣れてきてはいたものの、ため息をつかずにはいられなかった。
パソコンの並んだデスクの間を歩いていると、奥で食い入るように画面を見ている男が目に留まった。
ケリーの向かう先は明らかにその男だ。
その男はこちらに気づき、さっきまで見ていた画面を切り替えた。
ほとんど見ることはできなかったが、確実に女の裸の画像だった。
ハーケンクロイツといい、この男といい、亜王はいかがわしいサイトの経営もあながちウソじゃないかもしれないと思った。
「仕事したらどう?」
ケリーが呆れたようにその男に言った。
今までに感じたことがないくらいの刺々しい口調だ。
男はケリーに向き直り笑みを浮かべた。
濃いエメラルドグリーンの瞳が、深い彫りの中で輝き、真っ白な歯が際立っている。
背景にバラの花園がぴったり合うまばゆい笑顔だった。
笑顔だけ見る限りでは、ケリーが敵意をむき出しにするような男には見えない。
「俺のところを訪ねてきたってことは……」
男は立ち上がりケリーの右頬に触れた。
甘いマスクに似合ったいい声だ。
「勘違いしないで」
ケリーはそう言って嫌悪感をあらわにして手を払った。
彼女は仕事の結果を男に求めた。
どうやらウォーカーから彼に何かの指令が下っていたようだ。
男はきざっぽく舌打ちをした後、椅子に座ってマウスを動かしウィンドウを開いていった。
亜王は二人の関係をケリーに小声で訪ねる機会をずっと探っている。
「ほら見てみろ。やることはちゃんとやってるんだぜ」
画面が何度か変わり、タイムテーブルらしきものが映し出された。
その時、しびれを切らした亜王が、ケリーの肩をつかみ自分の方を振り向かせた。
「誰?」
亜王はため息交じりに男を指さし言った。
「俺もお前のことは知らねーぞ。新入りか? それにしちゃあずいぶんとケリーに馴れ馴れしいな」
ケリーに向けた口調とは対照的な刺々しい口調だった。
いろいろ気に食わなかった亜王が突っかかりそうになる。
それを見てあわててケリーが簡単に名前だけを紹介した。
男の名前はベンジャミン・ゴーント。
お互い紹介されたというのにベン――ベンジャミン――は、ケリーに向けた笑顔を亜王に向ける気はないようだ。
ハーケンクロイツといいこの男といいフェミニストの率が高いのではと思ってしまう。
中でもあからさまなベンの態度に亜王は腹が立って来ていたのかもしれない。
礼儀としてやっておくべきだった握手もその時はしなかった。
今度はほっておけなくなったケリーが、半ば強引に結果を催促した。
するとベンは亜王を一瞥してパソコンの画面へと視線を向けた。
「言われた通り調べたぜ。ハーディーはめったなことがない限り、ホワイトハウスとペンタゴンを行ったり来たりだ」
ベンはそう言った。
どうやら画面に映っているのはハーディーの一日のスケジュールらしい。
過去から未来のものまで調べ上げられている。
いくらアメリカのトップ2とはいえ、プライバシーのかけらもないと亜王は今までの自分の行いを棚に上げて思った。
「滅多なことって何だ?」
亜王がベンの後頭部に質問をぶつける。
ベンは振り返った。
その質問に対してではなくケリーの方に向かって。
「ケリー、前にも言ったが危険すぎる。何も君が行くことはないだろう。他にも使える奴はいくらでも……」
「おい、聞いてんのか?」
自分の質問を無視して話し始めたベンに向かって、亜王は苛立ちながらも、何とか冷静を装い言った。
「やかましい新入りだな。黙ってろ! 見てわかんないのか? 今俺は誰としゃべってる? ケリーだろ? 知りたきゃ自分で調べろ」
ようやくこちらを見たと思ったら罵声が飛んできた。
なんだこの男は?
頭の中に何が詰まっているんだ?
亜王の頭の中は半ば混乱していた。
それは、ベンの男女差別の激しさと行動の不可解さによるものだった。
亜王のボルテージは一気に最高潮に達しそうだった。
しかし、自分でやらせてくれるなら、そっちのほうがましだと怒りを鎮め椅子につこうとしたとき、ふとケリーの顔が彼の目に留まった。
彼の目には何とも表現しがたい、困った表情が映っていたに違いない。
「ケリー行こう。やっぱりさっきので十分だ」
一旦は椅子の背もたれに手をかけた亜王だったが、彼はそう言うとベンとケリーの間に入り、ケリーの手を取って歩き始めた。
「待てよ新入り。てめぇに用がある」
ベンがそう言って呼び止めるのを亜王は知っていたと思う。
「ケリーにじゃなくて俺にだったら大歓迎だ。それと、一つはっきりさせておくけど、俺は新入りって名前でもなければ、実際に新入りでもない」
亜王は振り向き威嚇するような目つきでベンをにらみつけ言った。
「ケリーとはどういう関係だ?」
ベンが刺々しい口調で言った。
亜王の眉間にしわが寄る。
関係と言っても、特別な関係ではない。
昨日今日会ったといえば話はこじれるのは目に見えている。
どう返答したものかと亜王は困っていた。
「私たち付き合ってるの」
唐突にケリーがそう言って自分の腕を亜王の腕に回した。
ベンはもちろんのこと、亜王も驚きの表情を浮かべている。
しかし、ベンとは対照的に亜王が驚きの表情を浮かべていたのは一瞬のことだった。
亜王はどうやらケリーが自分を連れてきた意味を理解したようだ。
「なんで言うんだよ? 隠しておかないと後がうるさいからやめておこうって二人で決めたじゃないか。まぁ仮に恋人じゃなかったとしても、こんな女の裸を見ることしか能がない男にケリーを渡すわけにはいかないけどな」
心の中でテンパっている状況の中、亜王はなかなかの演技をした。
亜王自身も役者の道を一瞬考えた。
「俺に女の裸を見る以外に能がないだと?」
そう言ったベンは怒り心頭といった様子だ。
「俺はここでトップクラスのハッカーなんだ。ロキだか何だか知らないが、威張るなら俺に勝って見せろ」
ベンは挑発するように言った。
二人のボルテージは最高潮だった。
亜王はベンの態度が気に食わず挑発に乗った。
途中ケリーが止めようと亜王に声をかけたが無駄だった。
勝負はハッキング勝負。使用するのは訓練用のソフト。
その時のトレンドに応じて随時内容が変わるセキュリティソフトだ。
十個のセキュリティを解除するとクリアとなる。
セキュリティをかけた架空の人物のプロフィールなどから解除コードを推測する。
また、様々なルートを駆使して半ば強引にアクセスすることもできる。
技術と頭脳の双方が必要になってくる。
デモンストレーションも兼ねて、ベンが先攻となった。
スタートの合図とともにパソコンの画面が目まぐるしく変わる。
ベンのキーボードさばきはたいしたものだ。
所々迷いながらも着実にセキュリティをベンは解除していった。
亜王はベンの指の動きをじっと見つめていた。
ベンがすべてのセキュリティを解除するのにかかった時間は三十四分二十九秒だった。
このソフトの最速記録にはわずかに届かなかったが、腕前は確かだという事は証明できた。
どうだと言わんばかりの表情のベンと代わり、亜王が椅子に座った。
座った瞬間、亜王の目つきが変わった。
緊張感のある空気が周りを包む。
いつの間にかたくさんのギャラリーが集まっていた。
皆亜王がキーボードをたたく姿を息をのんで見ていた。
最後のセキュリティが解除される。
タイムは二十九分五十七秒。
その瞬間周りで歓声が起こった。
大幅に記録が更新された。
亜王が振り返るとベンが悔しそうな表情を浮かべていた。
「本来なら土下座でもしてもらいたいところだが、ケリーに近づかないっていう約束で勘弁してやるよ」
亜王はそう言いながら席から立ち上がった。
ケリーが笑顔で亜王の腕に自分の腕をからませ、がっくりとうなだれるベンを尻目に二人はその場を離れた。二人を祝福する声があちらこちらから飛び交っていた。
亜王はいくら演技とはいえ恥ずかしくてたまらなかった。
部屋を出てもケリーが腕をほどく気配はない。