涙味のカルボナーラ
「おいしい……」
沙耶の瞳から、溜め込んでいた大粒の涙がとうとう溢れ出す。
ぽつぽつと滴り、僕の作ったカルボナーラと混じりあう。
僕も同様、溢れ出す涙をとめることはできそうにない。
◆
大学生になり半年が経ち、高校生の頃から続けている一人暮らしが二年目に突入した秋の夕刻。作ったカルボナーラを持ってテーブルについたところで、呼び鈴がなった。
なんの前触れもなく訪問してきたのは、付き合って一年になる沙耶だった。しとしとと降り続く雨の中、傘もささずに俯いている。
慌てて部屋にとおす。
「傘はどうしたの? また風邪ひくよ」
洗い立てのバスタオルを選び、沙耶に渡す。
「拓海、私、今日は帰りたくない」
痛みを伴うほどに強く心臓が跳ねた。
付き合って一年になるというのに、僕はいまだに沙耶と一夜を過ごしたことがないのだ。
いや、動揺するのはあとでいい。
普段の明るさが見る影もないその理由を聞くのが先だ。
濡れたコートを預かり、代わりに厚手のタオルケットを優しく羽織らせてから、テーブルを挟んで向かい合う。
テーブルの上には作りたてのカルボナーラ。沙耶の視線はすぐにそちらへ向かった。
「……私も、食べていい?」
嫌な予感が過り少しだけ躊躇したが、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳には勝てなかった。小皿を用意し、半分を取り分ける。
沙耶の表情がフッと綻んだ。
小さく震える声で、ゆっくりと話し始める。
「お母さんにね、すごく嫌なこと言っちゃった」
沙耶の母はいわゆるシングルマザーというやつで、兄弟のいない沙耶にとって、たった一人の家族だった。仲が良く、ケンカしたという話を聞いたことは一度もない。
「お金ないのはわかってる。なのに、私どうしても拓海と同じ大学に行きたくて、わがままばかり言って……」
沙耶は僕の一つ下の高校三年生。そうまでして僕と同じ大学に入りたい理由はわかっている。
僕のせいだ。
同じ大学で一緒に講義を受けたい、なんていう僕が何の気なしに放った発言が発端だろう。
「ごめん沙耶。あれはもう忘れていいから――」
「やだ! 約束したもん! それに私、学校で拓海と会えなくなって、すごく不安で……拓海がずっと遠くに行っちゃった気がして、寂しくて……」
正直、驚いた。
沙耶は、明るいけど大人しい女の子だ。いつも笑顔で愚痴など一切漏らさず、誰にも心配をかけないように必死に生きている。僕の意見に否定的なときでも、なるほどそういう考え方も素敵だね、という前置きを絶対に忘れない。
そんな沙耶が、自らの感情を直接にぶつけてくるなんて。
懸念渦巻く頭とは裏腹に、愛おしさで胸がいっぱいになる。
「沙耶、僕は毎日幸せだよ。沙耶がいて、少しでも僕を見てくれて、繋がっていてくれる」
「でも私は――」
「約束ならまた作ればいい」
あ、しまった。
そう思ったときにはすでに手遅れだと気がついた。沙耶がハッとしたように視線を移す。
その先にあるのは、もちろんカルボナーラ。
「……そっか、そうだったね」
僕の額からつーっと流れる一筋の汗。
「一緒だね、あのときと。情けなく大泣きした私に拓海が作ってくれたカルボナーラ、まだ覚えてるよ」
付き合い始めて一ヶ月という頃だった。初めて二人でディズニーランドへ行く約束をした、あの日。沙耶は高熱を隠して待ち合わせ場所に来たが、異常なまでの発汗と息切れは、到底ごまかせるものではなかった。
隠し通そうとする沙耶だったが、僕は決して首を縦に振らず、そのまま自分の部屋へ連れていったのだ。
「あのとき初めて拓海の手料理食べたんだよね。料理が得意なのをずっと疑ってたから、ビックリして涙も止まっちゃった」
涙は溜まったままだが、沙耶にいつもの笑みが戻ってきた。
ただ、僕の中では、この流れに対する不安が増すばかり。息を飲む。
「そうだよね。あのときみたいに、また次の約束をすればいいんだよ」
「うん、そう……だね」
気が気ではなくなっていたが、逆に沙耶のテンションは上がる一方だ。
「拓海って不思議だね。さっきまであんなに気持ちが沈んでたのに、嘘みたいに軽くなっちゃった」
そう言って、沙耶はカルボナーラを口に運ぶ。
僕はそのあと沙耶が口にする言葉に全神経を集中させた。
「おいしい……」
沙耶の瞳から、溜め込んでいた大粒の涙がとうとう溢れ出す。
ぽつぽつと滴り、僕の作ったカルボナーラと混じりあう。
「反則だよ、この味。懐かしくて……もう拓海の前では泣かないって決めてたのに」
沙耶の涙はとまらない。歪む表情が、本心であることを表している。
「そ、そんなに美味しかったかな」
「うん、私が世界で一番大好きな、拓海のカルボナーラだよ」
「世界で一番っ!? う、嬉しいなぁ!」
顔で笑い、心で泣く。この状況、そうせざるを得ない。
時折涙を拭いながら幸せそうにどんどんたいらげる沙耶。
「ちょっと、席はずすね」
すぐ戻ってきてね、と言いながらひらひらと手を振る姿はあまりに可愛すぎた。しかし、残念だが長くは見ていられない。
部屋を出て扉をゆっくり閉め、背中を向けて座り込む。
沙耶を迎えるとき、ついポケットに突っ込んでしまったプラスチック紙。
くしゃくしゃになったそれを震える手で広げていく。
『手軽で簡単! ソースを入れて混ぜるだけ♪』
凹んだ。
たまにはインスタントを食べて、自分の料理の腕の良さに自惚れてみよう。そんな邪な考えが招いた罰に違いない。
「……おいし」
後ろからポツリと聞こえた沙耶の声。
僕も同様、溢れ出す涙をとめることはできそうにない。
雰囲気のバランスが取れていませんね。
微妙です。