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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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第1章#20 白色の逢瀬



 重い病を抱えていると、いろいろと面倒なことが山積しているものである。

 例えば、アルビノという希少な病気を抱えている幣原ナユタという少女も、その面倒事の代表格である定期検査に来ているところだった。

 場所は『総合嬢子育学院大学附属病院』。彼女の住む地域では最大の大学病院である。


「あとは一人で行けるね」


「へぇ、自分が帰りたいからって車椅子の娘を一人置いていくんだね、亜実つぐみさんは」


 有名な大学病院だということもあって、訪れる患者はかなりの数に上る。点滴台を引く者や松葉づえをつく者に混じって、ナユタは母親である亜実に自身の座る車椅子を押されて待合室を通っていた。産まれた時からお世話になっているこの病院だからこそ、勝手知ったるなんとやら、我が物顔で目的地を目指す。


「ちっ、なんだい。その車椅子なら、どうせ一人で帰ってこれるだろうに」


「途中でエンカウントしたらどうするつもりかねぇ。術を使ったら、あたし死ぬんじゃなかったっけ?」


「そのための車椅子だろ」


 二人が目的地を目指すために乗ったエレベーターには、『故障中』と書かれた張り紙が扉に貼られていた。しかし、亜実が前に立つと扉は開き、唯一存在するボタンとなる〔α〕を押すと、そのエレベーターは当たり前のように作動した。

 その様子を見て疑問に思う者はおらず、それ以前にその光景を見て記憶することのできた者は、おそらく存在しなかった。


「なーにがそのためだよ。オモチャレベルの機銃と棘車輪しか着けてくれなかったくせに。せめてチェーンガン並みのやつ着けてくれりゃ文句もなかったんだがね」


「んなもん着けたら車椅子が反動耐えるはずないだろ。ってか、でかすぎてボックスに収まりきらないから、常時むき出しになるけど、それでも?」


 目的の階にはものの数秒で到着した。扉の開いた先にあったのは、相変わらず病院然とした白中心の光景。病院内なのだから当然ではある。

 二人のいる階は、5α階と呼ばれる魔術師にのみ開放されている特殊な階層である。魔術師の診察・治療を行うことのできる医師がおり、周辺地域の魔術師の多くが傷病の際にここを訪れる。魔術師の肉体構造、特に神経構造はそれ以外の人間とは大きく異なるからだ。

 疵術師であるナユタも、この病院に勤める一人の医師の患者だった。


「まあ、もうどうだっていいけどさ。んで、なんか理由でもあるの? 怠惰の権化みたいな亜実さんでも、こんな帰りたがるなんて珍しいじゃない」


「さあ? どうだかね」


 なぜか嬉しそうにとぼける亜実を、ナユタは怪訝に思い身体をねじって顔を見上げてみる。どうでもいいわけがない、とでも言うような口調で言った上に、母親を責めもしたというのに、言われた本人は浮かれた表情でにやけていた。


「……気持ち悪いな」

「あんた、実の母親に対してずいぶん失礼だねぇ。あたしだって人間なんだ、少しは喜べるようなことがあったっていいだろ」


「へー……亜実さんって、まだ人間だったんだね」


「こらこのバカ娘」


 ナユタのつむじをはたきながら、亜実は確かに気持ち悪かったかもしれない、と自分の口元を手で覆った。同時に、隠す意味もないかとも思い始めた。


奈都なおとさんが帰ってくるんだよ。今朝、連絡があってね」


「へえ、奈都さんが? 5年振りだっけ、そりゃあ夫婦水入らずで過ごしたくもなるか」


 奈都とは、幣原家の世帯主である幣原奈都しではらなおとのことである。亜実の夫であり、ナユタ、奈都海、唯利亜3人の父親でもある。普段から家を留守にしており、海外で働いているとのことだが、ナユタをはじめ、子どもたちは父親が実際に何をしているのかは知らない。


「ならいいんじゃない? 帰っても。どうせ今回も日本にいられる時間はほとんどないんでしょ。貴重な逢瀬の時、私も邪魔はしたくないからね」


「ちぇ、ガキがいっちょまえに気ィ回してんじゃないよ。あんたを一人で外に出すなんて、そんな馬鹿できるかい」


「いいよ、元より先生に送ってもらうつもりだったし。あたしも亜実さんと同じようなもんだし、むしろ帰ってほしいかな、なんて思ってる」


 診察室の前で、亜実はナユタの座る車椅子を止めた。この先に、ナユタの専属医がいる。しかし、亜実は扉に手を伸ばそうとはせず、しばらくその場に立ち尽くした。


「どうしたのさ?」


 ナユタが問うと、亜実は言いにくそうに若干目を泳がせ、間を置いた。ナユタは自身の母親が何を案じているのかわかっていたが、あえて亜実が口を開くまで待った。


「……本当にいいんだね」


「人生は一度きり、それに、いつ死ぬかもわからない身体だしね。好きなひとと好きなことして、幸せなまんま死んでいきたい」


「親不孝を今から宣言すんじゃないよ、まったく」


 言いながらも、亜実はやさしく笑んでいた。それは、ナユタにとっても珍しい亜実の母親らしい表情だった。


「別に、今すぐ死ぬわけじゃあるまいし」


「……いいから、いっといで」


 そう言いながら亜実は扉に手をかけた。ナユタは「ねえ」と言ってそれを制止し、再び亜実に背を向けて続けた。


「亜実さんはさ、なんでそんなに知っているの?」


「んん? ……ああ、そりゃあ、まあね」


 亜実は不敵に笑う。ナユタはそれを見ることはなかったが、声色でどんな顔をしていたかはわかっていた。


「知っている、というより知っていた、かな。いつの間にか知ってたんだよ。だから、なんでって質問には答えらんない」


「よくある言い訳だね、それ。ハナっからまともな回答は期待してなかったけど。……そろそろ開けてよ」


 ナユタが自分のことを棚上げにして催促すると、亜実は大人げない天邪鬼を発揮させてドアノブから手を離してその手をナユタの頭に置いた。


「なにさ、ほんとに」


「でもね、知ってるだけじゃ意味ないんだよ。それをどう活用するかってのが大事なのさ。知識ってのは、腐らせとくもんでも、知らない奴に自慢げに披露するようなもんでもないんだよ」


「……や、なにさ、本当にいきなり」


 ナユタは鬱陶しそうに頭の上に載っている亜実の手を払いのけようとした。が、それは直前でかわされた。


「ただ知ってただけで、それを微塵も活かそうとしないお母さんみたいにはなるなって、そう言ってんのさ」


 そう言って亜実は、ドアノブを回してドアはほんの少し開けたままで車椅子からもその手を離した。不可解な行動にナユタは、再び亜実を怪訝そうに見上げるはめになった。


「ノックしてから入んなよ。あたしはこれで帰るけど……」


「まさか亜実さんに常識を説かれるとは思ってなかったね。ま、奈都さんとの逢瀬、せいぜい楽しんできなよ。きょうだいが増えたってかまわないしさ」


 まだ何か言いたげだった亜実の言葉をさえぎって冗談を言うナユタに、亜実も笑って「このバカ娘」と言い残してその場を去った。




◇◇◇ ◇◇◇




 ナユタはノック代わりにドアを乱暴に蹴飛ばして開放した。

 そこは診察室――ではなく、両の壁を覆う本棚に並べられた無数の書籍や部屋の隅に追いやられたかのごとき机とPC、そして申し訳程度に置かれた来客用の椅子(と思しき物置)のある、どちらかと言えば大学の研究室のような部屋であった。

 というより、研究室そのものだった。


「ん、やっぱり君か。扉、直すにも労力がかかるんだから自重してくれると助かるんだけどな」


 魔術師を診る医師というのは、もちろん国の定める免許も持ってはいるのだが、それ以上に魔力と魔術師の肉体構造に精通していなければならない。逆に、診察から治療までほとんど特別な機器等が必要になることはなく、それらには医師本人の魔術を用いるのが一般的である。だからこそ、こんな研究室でも診察室と言い張ることができているのだ。


「こわしてないから安心してよ。それより先生、“これ”退けてくれるかな」


「ん、ああ、ごめんごめん。最近また本を買い足してね、整理が疎かになってたよ。すぐに動かすから待っててくれるかい」


 ナユタが積まれた本を足で小突きながら鷹揚に乞うと、本棚の向こうから一人の青年が顔をのぞかせた。一目でわかるのはメガネをかけているということと白衣を着ているということ。第一印象としては、多くが気のいい好青年なのだろうと感じる程度には顔は整っているし、痩せ気味ではあるものの肩幅もあり捲った白衣の袖からのぞく腕は筋肉質と言っていいくらいには鍛えられていた。

 つまるところ、医者という肩書も含めて、女性受けはかなりいいだろうということである。


「整理っていうかね……、掃除、したら?」


 進路を確保したナユタは座った彼の前まで電動車椅子を操作しながら、そう苦言を呈す。


「いや、掃除はしようと思っているんだけどね。なかなか時間が取れなくて……」


「患者なんてたいしていないんだから暇でしょ。それとも時間がないってのはあれかな、ゲームを我慢したうえでなお言えることなのかな」


 ナユタに指摘され、その目の前の10も年上の青年医師はぐうの音も出ない。


「えっと……さて、前の診察はどうだったかな」


「へえ、逃げ方もうまくなったね。もちっと狼狽えてくれると楽しいのに」


「……」


「まあいいや、ちゃちゃっと診ちゃってよ。そのために来たんだから」


 納得がいかないというか怒りたいのに怒りが湧いてこないというか、そんな表情を見ると、ナユタは自身の弟――二人のうち上のほうを思い出す。彼もまた、追い詰めるとこんな顔をする。


「君はあれだね、なんていうか悪魔よりも性質の悪い何かだよね」


「はあ?」


 何言ってんだこいつ、とナユタは思った。


「いや、何言ってんだこいつ、みたいな顔はやめてくれないかな」


 先生にしては珍しく鋭い、とナユタは感心した。そんなことで感心することこそが迷惑極まりない、と知りながら。


「ただの悪魔なら嫌な奴で済むんだけどね。ナユタくんの場合、悪意を持って追い詰めながら、それを本当に楽しげにやってるんだよね。しかも絶妙のタイミングで簡単にあっさり手を引くから、後まで粘着するのも馬鹿らしくなるし、逆にこちらが水に流さないと変に女々しくぐちぐち言うことになるし……」


「何言ってんのこいつ」


「表情だけじゃなくてついに声に出してまでディスりだしたっ?」


 頬杖をついてあくびをするナユタに、何を言っても無駄だというように彼は肩を落とした。

 諦めついでに聴診器を着けた彼は、ナユタに聴診器を向けて「診察を始めるよ」と無言で告げた。が、わからないはずのないナユタは首を傾げるだけで応じようとしない。


「服、上げてくれないかな」


「さっそく大胆だね」


「冗談はいいから、早く」


 いい加減、耐性もついていなし方も板についてきたこともあって、ナユタの戯れに長く付き合うこともなくなってきた。どんなにコケにされても医者は医者、診察に入れば真剣にもなる。

 ナユタはブラウスのボタンを外し、下着を晒す。顔や手足と同じく、文字通り病的なまでに白い肌は胸や腹も変わらない。


「医者ってさ、こういうの見て興奮しないの?」


「こういうのって……こら、はしたない」


 自分の胸を指で押していたナユタは、それをとがめられて不満げに頬を膨らませた。


「さすがに患者さんの診察するたびにいちいち意識するわけにもいかないよ。他のお医者さんは知らないけど、僕は慣れたんじゃないかと思ってる」


「味気ないなぁ。それじゃ、あたしが患者でいる限り、先生を誘惑することもできないってことじゃない」


「そんなこと言われても、ね」


 本当に味気のない返答しか返ってこないことに、ナユタはさらに機嫌を損ねた。まるで本当にただの医者と患者の関係としか思われていないように感じて、不機嫌なうえに不安まで募ってくる。

 喋ると隠したい不安が知れてしまうのではないかとおそれて、ナユタは口を噤んでしまった。


「……まだ、昼にも外出してるのかい」


「いまさら何を」


 今何時だと思っているのか、とナユタはテーブルの上の置時計に視線を向けた。


「今日みたいに診察するときは仕方ないけどね、用がないならあまり外に出ないほうがいい。わかってるよね、いくら魔術で防御できるとはいえ――」


「耳が腐るぐらい聞いたよ。魔力を長時間消費し続けるのは身体によくない、とか言うんだろ。こんな病気があるのにそんなことにまで気遣ってたら何もできなくなる」


「できれば何もせずにうちに入院してほしいんだけどね」


「やなこった。せっかく疵術師の家系で魔術師に生まれたのに、それを活かさない手があるかっての」


 言っても聞かないのは、何についても同じだった。ナユタの頑固さは、その専属医でもある彼もよく知っている。とはいえ、一応言っておかないと、本当に何をしでかすかわからないのがナユタである。頭の片隅に置いておいてもらって、10回に1度でも思い出してもらえればいい、とそんな程度の考えで忠告していた。

 こんなことを今まで幾度繰り返したか覚えてもいないが、何も言われないと許されたと解釈するような性格を知っていると、諦めるわけにもいかないのである。


「今日は終わり。病状もあまり変わってないようで安心……悪化してないなら安心、でいいのかな」


 言いながらはだけたブラウスを戻そうとすると、その手をナユタに止められた。と、そう認識するや否や、ナユタは車椅子から一瞬だけ立ち上がり、直後、崩れ落ちるようにしなだれかかった。そのナユタの手が伸びた先は――


「こ、こら……! 今はまだ――」


「そんなこと言いながら、準備は万端じゃん? ……ほら」


 左手で布越しに擦るナユタの頬も朱を差したように紅潮していた。普段の白さ故に際立つその赤みを帯びた頬が、ナユタの宿す艶めかしさを助長している。


「先生のためにずっと我慢してたんだからさ……。ね、一回ぐらい、いいじゃんさ」


「ぐ……。本当に一回だけだからね」


「もちろん」


 ようやく素直になったことに嬉しそうに頷いて、ナユタは魔術を飛ばして部屋の扉の鍵を閉めた。




◇◇◇ ◇◇◇




 事を終えたナユタは、いつも通り彼の業務が終わるまで病院を散策していた。

 もちろん、魔術師限定の5α階だけでなく、一般に利用されている階も電動車椅子とエレベーターを駆使して行き来している。

 本当にいつも通りであれば、彼女は最後に屋上へ出て風と陽光に身を晒すのだが、なんとなく彼の言葉が引っかかって気が引けた。

 代わりに向かったのは、屋上とは真逆の最下層、つまり1階だった。特に目的があったわけではない。屋上がダメなら逆向きに、と短絡的にベクトルを変えただけである。結局、1階に何があるというわけでもなく、見るべきところといえば受付の待合席に設けられた自販機くらいだろうか。

 しかし、目聡いナユタは、実に興味深いものを見つけてしまった。それは、ある中高一貫校の制服を着た女生徒だった。

 その女生徒は、非常に見目麗しいだとか所作に高貴さが見えるとか、他にも特徴を書き連ねれば事欠かないのだが、ナユタが注目したのは彼女自身ではなかった。

 彼女がどこから来たか。1階には受付エリア以外にもいくらかの科がある。彼女が来たのは、そのうちの一つ――産科からだった。

 幼いころから病院に入り浸っていたナユタは、自分を基準にして懐いた感想にあまり自信を持っていないが、少なくとも中学生が産科から出てくるのは稀な光景ではないのか。もちろん、浮世離れした外見も興味を惹いた要因かもしれないが、最たるものはやはりそれだった。

 興味を惹かれたというほど生ぬるい表現よりは、目を奪われた、というほうが近いかもしれない。

 必然、目を向けられていた本人は、その視線の主たる車椅子に乗る白い女を不審がる。


「あの……」


 しかし、不審がっているというのはナユタの間違った主観だったようだ。本当に不審がっているのなら、こんな風に相手に近づいて話しかけたりはしないだろう。


「あの……?」


 もう一度、反応のないナユタに対してその少女は問いかける。そこに至ってようやく、半分呆けていたナユタは少女の顔に視線を向け焦点を合わせた。たったそれだけのことだったが、血の色をした瞳を向けられた少女はその未経験の威圧感に若干たじろぎながら、勇敢にも三度声をかけた。


「あの、どこか悪いんですか?」


 病院にいて車椅子に乗っている者にかける言葉としては、正しいようでずれた内容だった。ついさっきまで見惚れていた相手の間抜けな発言に、ナユタも思わず吹き出すほどに。


「――そうだね。あたしが無欠の健常者に見えるかい?」


「っ、す、すみません、つい……!」


 そしてナユタの口をついて出たのは、いつも弟や先生に向けている意地の悪い問い。ナユタにとってそれは、自身でも幼いと自覚する親愛の表れだった。出会って間もない少女に対して懐く感情としては危険かもしれないそれが自分の中に芽生えていることに、ナユタも不思議に思いながらあえて心の奥底で封殺した。


「君のほうこそ、何やら事情を抱えているようだけど。中学生としてはそこそこ珍しいところに行ってたみたいじゃない?」


「ッ! そ、それは……」


 自分でも驚くほど無遠慮に、ナユタは名前も知らない少女を詮索するようなセリフを口走っていた。狼狽する少女を見てすぐに、前言撤回を申し出ようとしたのだが、それに先んじて少女が口を開いた。

 ナユタすら驚くほどに、その少女はあっさりと、人生を左右しかねない重大な問題を告白したのだった。




◇◇◇ ◇◇◇




 日没間際の江倉宮台の頂に、二人は対峙した。

 まだADEOIAによる事後処理の手の入っていない、九能とファントムの死闘の戦場となったこの場には、未だにその時の傷跡が残っている。それどころか、特殊遊隊によって殲滅されたはずのDMFBの大群もまた、舞い戻ってきていた。

 その中心で、


「……どうして」


 と、小さく口を開くのは、その大群を生み出した張本人、女王たる後朱雀沙夢濡である。

 そして、その顔を見ながら「クックク」とくぐもった笑いをこぼすのは、対峙する幣原唯利亜――その姿を借りた幣原ナユタである。


「どうして!? あなたは死んだはずなのに……、なぜここに……!?」


「そうだね。死んだからこいつの中にいるんじゃないか。肉体そのものは桶ン中でとっくに腐ってるよ?」


 沙夢濡の記憶の中では、ナユタという人物は既に亡くなっているはずだった。それが目の前にいて会話もできているという現象に、疑問と恐怖を懐かないはずがない。ナユタの返答もまた、沙夢濡の疑問を解消するに足る回答ではなく、不可解な現象に懐く恐怖はむしろ増大した。

 絶句した沙夢濡を見て、ナユタはようやく得心がいったようにポンと手をたたいた。


「ああ、なるほど。ダメだね、長い間こいつの中にいたからさ、感覚が麻痺ってたんだろうね。あたしがこいつの中にいる理由だろう?」


 沙夢濡には訊かれて頷く余裕もなかった。


「魔術だよ。その中でも呪術って種類になる。他人の中に自分と全く同じ記憶と人格を植えつけて、死後には五感も移行、同調させる呪術。あたしの生前から唯利亜の中に植えつけておいたから、記憶と人格の変遷はリアルタイムで更新されてた。死んでからは言った通り、こいつの中のもう一つの人格として生き残ってたってこと。おわかり?」


 今度は頷くことができた。……が、本当に理解できているかどうかは沙夢濡本人にもわかっていない。


「この魔術はあたしのオリジナル――10年かけてようやく形にできたあたしなりの不死術。どうかな? ねえノエル」


 その問いは沙夢濡ではなく背後に漂うノエルに向けられていた。侍るようにして控えていたノエルは、半ば自失している沙夢濡の前に出た。いつものように作られたような笑みを浮かべている。


「ずいぶん昔からあった発想ではあるけれど、開発には至らなかった理想の中の魔術ですわ。なにより魔術団によって蘇生術と同時に研究の禁止された秘術のひとつ……実現させたその才能、既に亡いのが惜しいですわね」


「唯利亜は疵術師だからねぇ。生きてた頃にはできていた魔術はほとんどできないし、魔術師だったあたしとはかなり勝手が違うのもある。あたしの純正魔力は完全に失われているしね」


 ナユタは自らの秘術を不死術と言ったが、肉体は他人に依存しているとはいえ、記憶や人格など、人間として必要な要素は生き永らえているものの、自分独自の純正魔力という魔術師に必要不可欠な要素をはじめから放棄しているため、魔術師が古来より渇望してきた不死術とは一線を画す。というより、数段劣ると言っても差支えないだろう。


「だから、唯利亜が万が一にも死んじまったら、あたしも一緒にお陀仏なんだよ。ファントム相手に無茶するって言ったときはあたしが表に出てたからなんとか死なずに済んだけどね、今回もさすがに愚弟一人に任せておくわけにはいかない」


 魔術師は純正魔力がどういった特性に偏っているかで得手不得手が発生する。しかし、疵術師になると、その偏りが完全に魔術の発現可能性の有無にかかわってくるため、幅は極端に狭くなる。

 疵術師である唯利亜に人格を移してしまったがために、また同じ方法で生き永らえることもできない。故に、唯利亜に手に負えないと判断した時は、ナユタが表に出て戦っていた。ファントムに単騎で挑んだ時も、唯利亜ではなくナユタがこの肉体を操っていたのだ。


「昨晩は不覚を取ったけど、今回はそうはならないだろうね。なにせ、相手があんただから」


 ナユタは沙夢濡を指さしながら言った。

 言葉すら発せなくなっていた沙夢濡は首を上げるという反応を見せたものの、それ以上動くことはなかった。


「ふむ……。あたしが生きていたことがそんなにショックかい? 喜びの再会ってのも少しは期待してたんだけどね。沙夢濡、ちったあ口利いたらどうだい」


「……ショック? いいえ、嬉しいわとても。今にも泣いてしまいそうなくらいね」


 ようやく口を開いた沙夢濡は、呆然とした表情から一転、薄い笑みを浮かべていた。

 ナユタは眉を顰めつつも何も言わず静観する。


「だって、ねえ、ナユタ……。あなた突然いなくなったじゃない。死んだって知ったのだって、葬儀も終わって一か月後よ?」


「それについてはすまないと思ってるよ。なにせ、別れの言葉とか、そういうのわかんないからね。それに、死ぬかどうかもあの時はまだわからなかった。さようならって言ってのこのこ戻ってくるのもカッコ悪いだろ?」


 気障ったらしくウィンクをするナユタに対して、沙夢濡は薄い笑みの中に嘲笑を混ぜた。


「言い訳にもならないわね。死んだくせに未練がましくヒトの中に残ってるなんて、それこそ格好がつかないじゃない。それとも、そういう冗談か何かかしら」


「饒舌になったねえ。あたしといる時は話題振るのも馬鹿らしくなるくらい口数も少なかったのに。初対面でいろいろ話したのが一番饒舌だったくらいなのにね」


「この能力のおかげよ。今までできない、諦めていたことが簡単にできるようになったんだから、有効活用しない手はないでしょう?」


 沙夢濡は対峙する者がナユタだということを既に受け入れ、戸惑いもない。その上で、自身がファントムから授かった能力を示して誇った。

 沙夢濡が得た能力は、DMFBを産みだす能力。彼女が自分の下腹部に数秒手をかざし、離して数十秒後には沙夢濡の胎内に注がれた魔力はDMFBという一個の生命体として産まれ来る。

 もっと厳密に言えば、沙夢濡の身体には元々DMFBを産みだすための魔力の融合能力があったため、ファントムが沙夢濡に与えたのは、大気中の魔力を操る能力となる。大気に漂う魔力と純正魔力を胎内に取り込み、融合させてDMFBを産みだす。


「やっと、手に入れたのよ。……はじめて味わう母親としての感情。たとえ与えられたものでも、持たざる側からすれば、神様からの贈り物みたいなものよ」


「あの下衆を神、ねぇ……。や、言葉の綾みたいなもんだろうけどね。にしたって、ずいぶん飼い慣らされちまってるみたいじゃないかい?」


「別に、あのファントムに感謝しているわけじゃないわ。死んだってことにもざまあみろとしか思わない。ただ、女王に祀り上げられたことに文句を言うつもりはないし、女王たる能力がまだあるなら使わない手はないでしょう?」


 沙夢濡は無数の異形を侍らせて言う。

 ナユタはその異形の群れを見て嘲った。


「は、女王ねえ、こんな有象無象ばかり産んでおいて? 笑いが止まんねーや」


「……なんですって?」


 我が子らを嘲られ、その母たる沙夢濡は聞き流すことができなかった。声と表情にはドスが混じり、放つ魔力に怒りが内包される。

 ナユタは動じることもなく、口を歪ませてさらに煽った。


「何も考えず、思いつきのままに産んでるから、そんな不細工どもばっかになんのさ。仮にも女王を名乗るってんなら、率いる騎士も兵士も、その纏う鎧も、造形にもこだわれってことを言ってる」


「なによそれ……。造形? 産まれてくる子たちの姿かたちをどう変えるっていうのよ? 産まれ来たままを受け入れるのも母の義務でしょう。それとも、あなたにはできるのかしらね」


「うん、できるよ?」


 沙夢濡が当然のことを指摘しても、ナユタは平然とそれに首肯を返しつつ可能だと言い放った。平然としすぎていて、沙夢濡には絶句以外の反応ができなかった。

 できるはずがない。DMFBを産むのも人間を産むのも同様に、その姿を変える方法などあるわけがない。


「突然煽りだしたと思ったら、嘘八百の妄言……? ありもしないことで、私から何を引き出そうって?」


「それがね、あるのさ」


 ナユタの余裕の表情は崩れない。

 それどころか、にぃっと下弦の形に口を歪ませた。


「――というわけで、実践コーナーだ」


 言いながら振るったナユタの腕に、魔力の帯が追従し軌跡を描いた。その軌跡は消えずに残り、その尾を伸ばし渦を巻き、やがて人間大の螺旋となってナユタの前方に残留した。


「何をしているの……?」


 沙夢濡はそう問いつつ、すぐに周囲のDMFBに命令を下せるよう警戒する。

 相変わらず沙夢濡の後ろに控えるノエルはその様子を静観していたが、常に浮かべていた笑みは消えていた。


「何って――あんたと同じさ。DMFBを“作っている”んだよ」


「ッ!」


 螺旋状の魔力が動きを止め始めた。徐々に明確な形態を形作っていき――


「――う、そ……」


 それがヒトの形を取るとわかると、沙夢濡は消え入りそうな声で現実の光景を否定した。ノエルは言葉もなくその変化を睨む。

 数秒もすると、それは完全に人間そのものの形に具現していた。


「はじめまして……、最初で最後の務めだろうけど、騎士として働いてもらいたい」


 ナユタが語りかけるその存在は、人間の少女の姿をしていた。

 黒の長い髪を一つの三つ編みに結いあわせ、メガネをかけた、一見地味な印象を与える少女だった。唯利亜の身体を借りるナユタより低い身長と、膝丈スカートのセーラー服が地味さに拍車をかけている。

 しかし、その存在が尋常ではないことは、沙夢濡にも直感的にわかっていた。


「なんです、これ」


「状況を説明してる暇はないんだよ。とりあえず、あの有象無象どもを消してほしい」


「あの気持ち悪いの?」


「そう」


「わかった」


 呂律の回らない片言の言葉とともに頷いた少女は、薄汚れたローファーを履いた足で一歩、前に踏み出した。それだけで、大気中の魔力が震え、びりびりと魔術師にしか聞こえない音を立てた。

 瞬間――


「あ――」


 少女が両手を振るうと同時、沙夢濡を取り囲んでいたDMFBのうち10、20どころではない、およそ50の数が一瞬にしてその身を散らした。

 少女の手には得物の類すらもない。表情には変化もなく動いたのも振るった腕のみ。

 地に堕ちる我が子の残骸を、沙夢濡はただ呆然と眺めることしかできなかった。





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