Silent Lyric -2- 鳳霊学園
我らが母校――鳳霊学園は、私立の中高一貫校である。
創立は38年前。どこぞの大金持ちが酔狂で建てたとか言われているが、今の理事長を見るとあながち嘘でもなさそうだ。校名の由来は、『鳳凰のように優雅であれ、強靭な魂を持つ英霊たれ』という酔狂な設立者の言葉かららしい。意味がわからん。ちなみに、『英霊』というのは先の大戦で国に殉じた人々のことではなく、単に才能のある人を指し、才能を持て余すな、大いに活用せよ、という想いが込められているとか。……多分、というかほぼ確実に後付けだろうけども。
ちなみに、俺や唯利亜、愛燕は、中等部から通っている。九能は高等部からだ。
この鳳霊学園、特に高等部には、色々と独特な部分が数多い。
まず、制服の種類。男子は、学ラン、またはブレザー2種類のうちから、女子は、ブレザー、セーラーそれぞれ2種類のうちから選べる。普通科しかないのに、制服だけがこれだけの種類揃っている。もちろん、経済的に許せば、全種類揃えてもいいし、その上で違う種類の上下を入れ替えて着てもいい。
さらに、授業が一日4時限、1時限90分という大学に近い時間割も特徴の一つだろう。といっても、その実態は45分授業を2連続ぶっ続けでやっているだけである。国のほうで授業時間は決められているし、それを無視するわけにはいかない。ともあれ、この授業形態のおかげかどうかは知らないが、鳳霊学園の偏差値は全国でもそれなりの地位にある。旧帝大への進学者も毎年けっこうな数出ていると聞くし、実績もあるのだろう。
部活のほうは、有名なところもあれば、言っては何だが生徒にすら認知されていないものも多数…… 全国的に有名なところでは、柔道や剣道、弓道のような武道、あとはサッカーやフェンシングあたりか。どれも全国大会の常連である。俺は帰宅部だ。この鳳霊学園でもかなりの大勢力を誇る。ただそれだけ。
学園の高等部の位置は、俺たちの家のある住宅街を抜けて、徒歩で10分ほど。最寄りの駅からは、急げば徒歩5分。あまり近くはない。
しかし、なんといっても、この鳳霊学園をして最大の特徴は、やはり生徒に与えられる自由度の高さだろう。
特に、生徒会。その長たる生徒会長に与えられる権限は、たかだか一生徒に与えてもいいのか、とこちらが危惧を懐きかねないほどである。
まず、選挙で選ばれた生徒会長は、その一存で3人の副会長及び2人の書記を選ぶことができる。さらに、各委員会の委員長の任免権までが、生徒会長一人に握られている。そのため、各委員会は生徒会から独立している(していなければならない)はずなのに、この制度のせいで、すべての委員会が生徒会の下部組織と化しているのだ。加えて、問題を起こした生徒への処罰に関しても生徒会に一任されており、教師が介入することはまずないという。
当然、こういった制度に批判はある。たかだか17,8歳の子どもに、一人の人間の人生まで変えかねない権限を与えていいものかどうか。下手をすれば、大問題に発展しかねない。それでもこの制度がまだ残っているのは、今まで問題が起きていないからという、ただその一点に尽きる。あるいは、この制度をうまく操れる有能な生徒会長を選ぶだけの人を見る目が、この鳳霊学園の生徒には備わっているのだろう。
さらに、各委員会の委員長にも、各クラスの委員の任免権がある。こちらはあまり行使されることはないらしいが、それでも権限が一人の生徒にあるというだけで、なかなかに恐ろしいものである。……他人事ではなく、実体験として言っているのだから、間違いない。
とにかく、この鳳霊学園はかなりの面で『自由』だが、それ故に選択を求められる場面も非常に多い。そうして自立心を高めているのだろうが、3年生と中学生に毛の生えた程度の1年生に全く同じ選択肢を与えることもあって、新学期になると、特に新入生が、廊下で何をすればいいのかわからないと言いたげな顔で立ち尽くしている光景を見ることができる。もはや風物詩である。ただ、俺や九能という先輩のいた唯利亜や愛燕は、そんなことはなかった。
さて。
さらに一つ、この鳳霊学園に存在するおもしろいものを紹介しよう。
ファンクラブである。
これが誰のファンクラブなのか、という話の前に、この鳳霊に伝わる『鳳霊三大美少女』なるものについて話しておきたい。
これは、その名の通り、この鳳霊学園における上位三人の美少女を連ねたもので、今年は特に、1年生から3年生に一人ずつ存在するという、奇跡の年である(らしい)。この『三大美少女』の3人すべてが俺の顔見知りで、しかも一人は恋人で、もう一人は弟であるということは、俺にとって最大の不幸と言えよう。一時期は死にたくなった。
――まあいい。今は忘れよう。
とにかく。この『三大美少女』に名を連ねた3人の女子生徒には、基本的にファンクラブが創設されることになっているとかなっていないとかだが、今年はその原則に横槍を入れる者が現れた。
いや、正確には、横槍というよりは先槍、つまり、『三大美少女』(言うのが恥ずかしくなってきた)を決めたどこかの誰かさんがファンクラブを作ろうとしたら、それが既にあったのだ。
それが、何を隠そう、俺の弟である幣原唯利亜のファンサイトであり、その創設者こそ、唯利亜の親友、神田愛燕その人であった。
……事実は小説よりも奇なり。それ以上は何も言うまい。
とにかく、愛燕が作ったということを知るはずもない唯利亜のファンたちは、そのファンサイトの存在に狼狽した。しかし、その狼狽はやがて、なぜか怒りに変わり、そのファンサイトの排除を計画したらしい。
が、失敗する。彼らは、そのファンサイトの行っている本人ら曰く崇高なる使命に感激し、何を思ったか、そのサイトを崇め始めたという。大丈夫か。
確かに、アイドルをほとんど神のように崇めるファンがいると聞くが、まさか我が弟がその対象たる偶像になるとは思いもしなかった。いや、正確にはファンサイトがその対象か。ややこしい。
とにかく、このサイト崇拝の噂を聞いても表情一つ動かさず、俺たちに気付かれずにサイト運営を行っていた愛燕は、しかし心中ではそれなりに嬉しかったらしく、ファンサイトに会員制を導入した。といっても、会員番号を配布するだけで、金銭などは当然、取らない。
しかし、ファンにとっては、その会員になるということは即ち神に受け入れられたに等しく、歓喜する者がいたとしても、おかしくはなかった。
――故に、暴走する者が現れてもおかしくはなかった。
「暴走」と言うと、人によって色々と連想するところはあるのだろうが、今ここで話すのは自重することにしておく。そもそも俺の口から語るべきことではない。
結果だけを言うのなら、その事件によって生徒会長に容易には返せない大恩ができてしまったことと、唯利亜に女性を怖れるという後遺症が一部残ってしまったこと。そして、俺と愛燕、この二人が自責の念に駆られて、唯利亜よりも酷い状態に一時期なってしまったこと。
ここまで言うと予想するのは簡単かもしれないが―― どうせ過ぎたこと、と割り切るにはまだ時間が足りない。詳しいことを語るのは、もっと後にしよう。
……いずれにせよ、あいつが自らの歴史としていつか語る時がくるかもしれない。その時まで俺は、このことに関して口を噤むことにする。どうせ俺が話したところで、あいつが知っているすべてを伝えられるわけではない。ならば、あいつが話す気になるまで待つことにすればいい。
さて…… 我が母校は近い。
◇◇◇ ◇◇◇
俺は、鳳霊学園の2-Bの生徒だ。九能も同じ。
生徒玄関の目の前の階段で唯利亜と愛燕と別れた俺たちは、階段を上へ向かっていた。2-Bの教室は3階にある。階段がメンドくさい。
会話もなくまだ生徒の少ない階段を上っていると、2階についたところで、
「や、おはよう、二人とも」
やけにフランクな声が、俺たちにかけられた。
声の主は、2-Bのクラスメイト、槻野那束。口調といい長身といいスレンダーな体つきといい短くカットされた髪といい中性的な顔立ちといい、唯利亜とは逆の意味で性別がわかりづらいが、こいつは歴とした女子である。宝塚の男役みたいだが、立派な女だ。あ、男役の人も女性か。まあいいや。見た目通りの面倒見のいい姉御肌で、男子よりも同性である女子からの人気がかなり高い。顔がなまじ整っているせいで、那束のおかげでアレな道に堕ちてしまった女子生徒は数知れず。自分の写真を争って仲間割れしたせいで一つの部活が地方大会を逃した、と愚痴をこぼしていたのはいつだっただろうか。これはさすがに自意識過剰だろうとは思ったが、もし仮に本当だとしても、それは彼女らの責任だろう。というか大丈夫か、鳳霊の女子たちよ。
「那束、おはよう。今日も早いのね」
俺たちは少しばかり早く出てきたので、登校してきている生徒はまだ多くはない。いま校内にいる生徒の大半は部活の朝練があった者がほとんどで、那束もその一人のはずだ。
「まあね。そろそろ大会も近いし、たかだか1時間の朝練もバカにできないんだよ。特にあたしは次期部長に内定しちゃったしさ、サボれないんだよね、何があっても」
「大変ね。弓道部だったっけ? 厳しいでしょ、礼節とか作法とか重んじる競技だし」
「そこまでお堅くはないかな。少なくともあたしは、そういう面で注意を受けたことはないからね。九能も演劇部の部長候補だって聞いたけど。学祭が終わったら、引き継ぎ?」
「そうなるかも。ま、今はみんな、練習に必死だからそんなことも考えてられないんだけど」
那束は弓道部、そして九能はなんと演劇部。三大美少女なんだからさぞ舞台に映えるだろうと思っていたら、その期待は裏切られる。九能は脚本と演出を担当しており、舞台には一度も立ったことがないという。
那束は弓道部。全国でも強豪と呼ばれる弓道部で部長に選ばれるくらいなのだから、その実力は推して知るべし。袴姿の那束の写真は高値で売れるとか。誰にだよ。
俺たちは那束を伴って2-Bの教室へ向かう。おそらく朝練の後でシャワーでも浴びたのだろう、やけにさっぱりしている那束と九能は会話を楽しみつつ、俺はそれを後ろで眺めながら、教室にはすぐに着いた。
九能が扉を開けると同時、あいさつをしながら入っていく。
「おはよー」
教室にいる生徒はまばらだ。そのうちの何人かが九能に同じあいさつを返す。
女友達のほうへ向かった九能を尻目に、俺は自分の席へ向かう。鞄を横にかけてイスに座った瞬間、後ろから頭を軽く小突かれた。
なんなんだ、場合によっては訴訟も辞さんぞ、などと後頭部を押さえながら背後を見ると、
「よっ。同伴出勤さまさまだな。西園寺の機嫌、いいじゃねえか」
反応に困るセリフとともに俺に絡んできたのは、友人の南坂宇類。腐れ縁と書いて悪友と読んでもいい。こいつとは愛燕と同じく小学生からの付き合いで、その年月も、もう10年近い。
見た目通りの印象で、印象通りの素行。背は高いし顔も男の俺から見てもかなりいいのだが、いかんせん女癖が悪すぎる。気に入ればすぐにナンパはするし、こいつと遊んでいるとかなり疲れる。遊べるのは今しかねえんだし、という宇類の言葉は確かに正しいが、そろそろ身を固めておかないと後が怖い気がする。巻き添えは御免だ。
ところでさっきの宇類の言ったことはどういう意味だろうか。まるで九能がいつも不機嫌であるかのように聞こえたのだが?
と、宇類と話していて気付く。いつもこいつの隣にいる姿が見当たらない。はて、どこに隠れているのだろう。俺の視線がうろうろと動くのを見て察したのか、宇類がその疑問に的確に答えてくれた。喋らない俺と接していると、そういう察する能力が身につくらしい。
「真実のことか? 俺もどこにいるかわかんねえんだよ。朝は一緒に来たんだけどな。奈都海は見てないか?」
真実――海老原真実。俺と宇類とを合わせて、この3人は小学生のころに出会ってからずっと、10年来の付き合いだ。
そして、真実と宇類は俺が二人と知り合うさらに以前から、面識があったらしい。が、友人と言える関係になったのは、俺と知り合った後。今では、真実は宇類の傍をくっついて離れないのだが……今はどこだろう、あの小動物みたいな無邪気な顔は。
とりあえず宇類の問いには首を横に振っておき、あいつが宇類を離れる理由を考えてみる。すると、自ずと答えは出た。宇類も同じ結論に至ったらしく、にんまりとした笑みを浮かべた。正直、気持ち悪い。
「誰かに呼びだされたな……誰だ、女か……!? だとすればこんなところで油を売ってる場合じゃねぇ、見に行かない手は――」
『黙れ』
机にシャーペンでそう書いて、さらにシャーペンでコンコンと文字を示す。見た宇類は、テンションの高さに反して、簡単に沈黙した。
俺は読唇術の使えない人、つまり大部分の人と話す場合、筆談を利用する。文字を書くから時間的に非効率といえばそうだが、俺は数年間の筆談歴によって、文字を書くスピードはかなりのものになっている。と、自負できる。
しかし、誰かに呼びだされた、という宇類の予想には賛成する。宇類に何も言わずに、というところが解せないが、それ以外に考えられない。といっても、俺は、女に、ではなく教師に、という予想だった。教師に呼びだされれば、さすがに拒否することはできまい。真実は、心から笑って女子の誘いを断れる豪胆の持ち主だから、宇類の予想は外れているものだとばかり思っていた。
……そう、思っていた。俺の予想は、裏切られた。
宇類が何かを言おうとしたのか、口を開いたその時、教室の扉も同時に開かれた。
「では、海老原さん、またお昼に」
「うん。大原さん、またね」
入って来たのは、件の海老原真実。本当に高校生なのかと疑問を懐きかねない童顔に、小柄で線の細い体格。髪は細くてさらさらとしている。仕草も挙措も控えめ。ありとあらゆる要素が母性本能をくすぐってくる、とはクラスの女子らの言葉である。
さて、そんな真実が誰かとの別れ際に話していたセリフを、思い返してみる。
――大原、さん?
まさかとは思うが。まさか。
「あ、奈都海、おはよ!」
真実は人懐っこい笑顔で宇類に並ぶ。宇類は、そんな真実に興味津々に訊ねた。
「な、真実。あの女子、もしかしてお前の……?」
「うん。大原さんって言うんだ。さっき告白したらOKもらっちゃった」
はにかみながら答える真実に、宇類は「おっほう」という意味のわからない奇声を上げた。予想外だったのはわかるが、その顔はやめろ。顔芸じゃあるまいし。
しかし、真実のほうからの告白……予想の埒外にあっただけに、なかなかイメージができない。どこで知り合ったのか、どうやって告白したのか、興味は尽きないが、それらよりも優先したいことがあった。
真実の言う「大原さん」には心当たりがあるのだ。さらに追求しようとする宇類に先んじて、机に書いて真実に示す。
『大原深夜?』
「あ、うん。よく知ってるね、奈都海。もしかして知り合い?」
俺の端的な質問を正確に解釈した真実の答えは、俺の口を驚きで半開きにさせるほどの威力があった。
本当に、まさか、だったとは。深夜とは、同じ普通からかけ離れたところにいる仲間だ。普通の人間にはできないことをこともなげにこなすのが、俺たちの仕事。同じ組織の、同じ部隊に所属している。
しかし、深夜は外見だけは普通そのもの。日本人に多い黒髪黒目、背も標準程度で、とりたてて特徴的なところはない。頭のほうだって、特に得意な教科があるとは聞いたことはない。
普段、色恋沙汰には興味ありません、という風な顔をしていながら、真実の告白には応じたのか。意外だ。
二重の意味で、この二人の組み合わせには驚きを隠せなかった。
「これで真実もようやく独り立ちか……うん、お父さんは嬉しいぞ」
「はは……僕も宇類にくっついてばっかりじゃ情けないしさ、一大決心!ってやつだよね。好きな人と一緒に過ごすのがこんなにも楽しいなんて知らなかった」
「……俺のボケはスルーですか?」
「え、あっ、ごめん! その、嬉しくて、つい……」
無自覚なんだろうが惚気てみせる真実に、宇類が「羨ましいじゃねえかー!」などと叫びつつツイストをかけている。そりゃあそうかもしれない……本命が“あんなの”では、宇類は惚気たりできるはずもないし……仲睦まじくっていう言葉とは程遠い性格をしているし、せいぜいできるのは愚痴ぐらいか。たしかに、宇類から『“あいつ”とデートに行った』という類の話を聞いたことがない。
まあ、今は宇類も浮気に必死だろうし。それに、俺が立ちいることでもない。他人の恋路を邪魔して馬に蹴られたくはない。
そうこうしているうちにHRの始まる時間になって、朝の雑談はお開きとなった。
授業開始