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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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第1章#19 牙城侵攻


 DMFB――特にファントムの間で“女王”と呼ばれる存在には、いくつかの特徴がある。

 ひとつは人間であること。残念ながら、同じDMFBでは女王たる資格は得られない。たとえ人間よりはるかに優れた肉体と知能を併せ持つファントムであっても、だ。

 もうひとつは魔力に耐性があること、つまり肉体の魔力許容量が高いこと。でなければ肉体を魔力によって構成されたDMFBの女王は務まらないのだから当然である。

 さらにもうひとつ、これが最重要の特徴、もしくは条件と言い換えてもいいだろう。

 最後の特徴、条件は、『DMFBを産めること』である。


「……なにあれ」


 人間でありながらDMFBを産むことができる。そんな存在が果たしているのかと疑う者もいるかもしれないが、いるのである。

 大前提として、あらゆる生物は魔力を保持し、その源となる純正魔力を保有する。純正魔力とはいわゆる魂であり、一部の例外を除いて死を迎えることによってのみ体外へ放出される。ではこの純正魔力とは、いったいどういった過程で発生するのだろうか。

 回答はごく単純である。肉体とほぼ同時、つまり母親の胎内である。雌雄の純正魔力が胎内で融合し、子の純正魔力となるのだ。卵と精の元となる生殖細胞は親の純正魔力を有しており、分裂後の卵と精が受精すると同時に純正魔力の融合も開始される。故に生物の雌性体の子宮、もしくはそれに相当する部位などは、異なる特性を持つ魔力を融合させる能力を持っている。

 この能力は当然、例えば人間と犬のようなまったく異なる生物のものでは機能しない。ただ、だから受精が起きない、と言われているわけではない。受精がトリガーとなって純正魔力の融合が始まるのか、その逆かはいまだにはっきりしていないからだ。


「あれを全部? ジャンヌさんが? それは確かに驚きだけど……」


 しかし、何事にも例外はある。魔力の融合能力、これが異なる生物間で機能する例も僅かではあるものの確認されている。

 先ほどの例と同様の、人間とイヌ科の生物の間に子を成した、という記録が魔術団に残っている。そしてその生き証人として、いわゆる“半獣人”と呼ばれる種族が今も現存し魔術団に保護されているのである。

 そしてこれを、死後の純正魔力と大気中の魔力で行うとDMFBを産みだすことができる。つまり、これを可能とする子宮を持つ人間がDMFBの女王となりうる素質を持つということになる。


「いやまあ……昨日見たやつほどじゃないけど。だからって一人で処理しろってのは無理でしょ、無茶振りだよ。どうしろってのさ」


 しかしDMFBは魔力のみで構成された生物であるが故に胎内で過ごす時間は極端に短い。DMFBとして完成してからはほとんどないと言っていい。そのため、女王がその気になれば自然発生とは比較にならない速度でDMFBを量産することができる。ファントムがあれだけの数のDMFBを従えられたのも、女王を手中に収めたために可能となったものである。

 このように、女王は数十年に一度あらわれ、ファントムとともにこの世に戦乱をもたらすとされている。小さくは今回のように一晩で解決するものもあれば、大きくは後世に残るほどの紛争に発展するものまである。魔術師でもない人間が魔術団によって禁断子に指定される数少ない例であり、それ相応の被害を生み出すファントムと同様の災害のような存在ともされている。

 しかしDMFBの女王の存在を知っている者は、DMFBの討伐を主任務にするADEOIAにも、禁断子を扱うFASCAにもそう多くはいない。この情報が広く流布された際に考えられる事態に有益なものが少ないこともあり、女王という存在に対処する魔術師ないし疵術師はかなり限定されている。


「は? 兄さんが? ……ったく、なんなのさほんとに、いつもいつも性懲りもなく。――ボクらの前に行かせる? それはそれでねぇ……、ほら、良心の呵責ってやつがさ」


 この中国地方支部におけるそういった存在が、女王の存在を知る西園寺九能率いる第一特殊遊撃小隊と銘打たれた特別部隊である。ほとんど小支部へ派遣されないのは、神出鬼没なファントムに対応するためである。同時に出現するであろう無数のDMFBにも対応できるよう、広範囲攻撃に長けた疵術師が選別され部隊は構成されている。

 この部隊が女王つきのファントムと戦ったのは今回が初めてだったが、隊長である九能が想定していた以上の脆さを見せてしまった。それほどに女王のDMFBの生産能力は高かったのだ。彼女自身、江倉宮台のDMFBの軍勢を見せられるまで、源波顕現まで使うつもりはなかった。

 ファントムの討伐、女王の救出と、結果としては最善ともいえる状況だったが、実のところこれには大きな問題がひとつあった。それは、今まで女王となった人間を生きて奪還した前例がほとんどないことだった。ただ一度だけあったという話は九能も聞いたことがあるのだが、それはFASCAによるもので、機密として他部署にすらその詳細な情報は伝えられていないのだった。

 九能がわざわざ本部にまで連絡を入れたのはそのためである。ADEOIAとしては初の女王の確保であり、肉体的・精神的な変容を調査できる数少ない機会でもあった。この事態はまさに失態と言わざるを得ない。


「あーあ、きたきた。見つかってもいいの? ……じゃあいいか」


 故に彼女も、自体の収拾に必死になっている。顕現すればなんとかなった対ファントムよりも、力技で制圧してはいけない対女王のほうが難しい。顕現も封じられた今、戦闘能力にのみ特化した九能には、数段以上に難易度の高い状況なのである。




◇◇◇ ◇◇◇




 江倉宮台を望むその地に、再び九能は降り立った。

 正確には、奈都海を抱えた九能が、と言い換える必要がある。

 九能とその手から降りた奈都海の二人の前には、沙夢濡とほとんど同時に失踪が発覚した唯利亜が、江倉宮台に視線を向けたまま立っていた。

 二人が声をかける前に、唯利亜が口を開いた。


「見てよあれ。すっごいよね、あの数。どう考えても小隊程度じゃ相手できないレベルだよ。もしかしてボク抜きで戦ったときもあれぐらいいたのかな」


「まさか。もっといたわよ。それこそ麓まで覆い隠すくらいに」


 字面とは裏腹に、唯利亜の口調は軽い。対して九能は、責めるような調子で答えている。

 たった半日前に目の前の光景を超えるものがあることを知って、唯利亜は目を丸くして驚いた。


「へえ、それを全部倒したんだ? さすがだね。なにしたらあんなの掃討できるのさ」


 まるでゲームの中の話でもしているかのように、唯利亜の表情と声音は軽く、かつ浮ついている。どう考えてもそんな状況ではないし、唯利亜自身もそんな体調ではなかったはずである。

 九能も奈都海も、唯利亜の今の状態に懸念と不信感を懐いている。


「そんなことより怪我のほうはもういいのね? ここまで出てこれるくらいだし、あなたにも“あれ”と戦ってもらうけど」


「そのつもりで来たし。ってか元々ひとりでいくつもりだったし、別に二人は待ってもらっててもいいんだよ」


 極限に不敵なセリフを、ほんの少し申し訳なさそうに言う唯利亜は、二人にとって知る限り最高かつ最低に不気味だった。




◇◇◇ ◇◇◇




「女王……ねぇ。確かにあのファントム、そんなこと言ってたようななかったような」


 DMFBの女王という存在を知らされ、唯利亜は深刻ぶって考え込む素振りを見せた。いまさら「それは大変だねぇ」などとのたまっても、奈都海にとってすら白々しいと感じることしかできない。

 九能はといえば、白々しいというよりは、どこか得体のしれないものを唯利亜から感じ取っていた。そもそも唯利亜の“識ること”という源血――純正魔力の特性が、肉体及び精神にどう影響するかは未知数なのだ。その影響が今ここで発現した、と考えれば無理やり納得できなくもない。……が


「だからあなた一人じゃ危ないでしょう? 自分の力であの人を助け出したいって気持ちはわかるけど、無理しちゃ昨夜の二の舞よ。少なくとも私だけでも援護なりさせてちょうだい」


 九能は考えないことにした。否定要素も不確定要素も多すぎて、何かしら決めつけて行動するのはあまりに軽率だと判断したからである。唯利亜を止めなかったのは、なんにしろ、ここで唯利亜を帰らせてまた勝手に行動されてはたまらないからだ。

 当の唯利亜はそっぽを向いて何やら殊勝めいたことを呟いている。


「そこまで言うなら、まあ。嬉しいけどもさ」


『……唯利亜? まさか本気で一人で助けられると思ってたのか?』


 奈都海が問うと、唯利亜は一転、笑顔で答えた。


「助けるっていうか説得? 殴り合いで勝てないなら、口でやり合えばなんとかなるんじゃないかと思って」


「……戦うんじゃないの?」


『マジかい……。いや、いまさら止めはせんが。そもそも何が相手かもわからんのに、なぜその発想に至ったんだ、お前は』


 奈都海に全否定された唯利亜は、心外そうに眉をひそめる。とはいえ、概ね奈都海の言う通りであり、沙夢濡が自らの意思で現状を作り出しているのであればいざ知らず、他の意思によって沙夢濡の能力が悪用されている可能性もあり、そしてそれが言葉の通じる存在だとは限らないのである。昨夜のファントムは、言葉は通じるがまともな会話が成立しない人型ファントムの典型であった。

 しかし、唯利亜は何食わぬ顔をこういった。


「相手がわからないって……、ジャンヌさんでしょ? それ以外に誰がいるのさ」


 これには、九能も呆れるしかなかった。


「話聞いてた? あのね、女王は基本的にファントムに――」


「それは聞いたし覚えてる。でも、これはジャンヌさんが自分でやってることだよね。なんかノエルもついてってるみたいだけど、あの子が本気出したらこんなんじゃ済まないだろうし」


 まるで見てきたかのように話す唯利亜の口ぶりに、九能は今度こそ自分が間違っているのかと不安になった。が、そんなことはあり得ないし、唯利亜の負傷後からノエルが何やら動いていることは九能も知っているから、なおさら唯利亜の推論なり確信には疑問符を付けざるを得ない。ファントムがどういった動機で何をするのか、それは人間の常識で計れるものではないのだから。

 とはいえ、九能はノエルと本気で戦うつもりはない。常識で計れないとは言ったが、これまで疵術師と共存してきた彼女(?)が、他のファントムの後釜として全く同じことをするとは考えていない。もちろん、目的の障害になると判断されれば排除されることもあるだろうし、戦闘を考慮していないことはないのだが。


「ま、わかってるならいいんだけど。私からは離れないでね、また変に怪我されても困るし」


「うん、ボクも怪我なんてしたくないけど――」


 いつの間にか江倉宮台に身体を向けて凝視していた唯利亜が、パジャマの上に羽織っていたパーカーを翻しながら振り向いた。


「その要望には答えられないかもね」


 彼の背後にDMFBの大軍勢が迫っていた。




「……っ、奈都海! 唯利亜!」


 まずは二人の身の安全を確保することを優先した。奈都海の伸ばしていた腕を引き寄せ、恋人を保護することには成功した。

 だが、


「唯利亜……っ、手を!」


 唯利亜は視線を向けるだけで九能の言葉に従わなかった。

 直後、唯利亜と九能を隔てる異形の壁が二人を取り囲んだ。異形の上げる雄叫びが他の音を掻き消し、無数に重なり合う彼らの姿が視界を完全に覆っている。


『九能、これは……』


「手、離さないでね。突破するからだいぶ動くわよ、気を付けて――!」


 言い終わるが早いか、九能は手の中に巨斧を現出させ、DMFBに斬りかかった。

 ただの一振りで10近いDMFBが斧の刃と衝撃波で吹き飛び、自身に向けられる攻撃はもちろん、奈都海を襲うDMFBの爪牙すらも彼の手を引いて容易にいなす。数では劣勢だが、巨斧の魔女はその実力によって異形の群れを圧倒していた。

 しかし、いくら斬り殺しても叩き潰しても吹っ飛ばしても、異形の壁はまったくその向こう側を晒してはくれなかった。


『っく、俺もやる……!』


 そう言って、奈都海も自身の中の魔力を練り上げ、魔術の準備を始める。定めるのは、九能に蹴り飛ばされて悶絶しながらも気丈に耐えている蜘蛛と同じ脚を持つ猫のようなDMFB。


『あれと“異なること”は、許さない!』


 周囲のDMFBは、その存在そのものの定義を奈都海が定めたDMFBと同化させる。結果、同じ姿を取ろうとする彼らは肉体を崩壊させて死に至る。

 奈都海と九能を取り囲んでいたDMFBのうち、かなりの数が奈都海の魔術によって大気を漂う魔力に帰した。それでも、状況はまったくと言っていいほど変化しなかった。同胞の死を見た異形らは、怒りかはたまた自身に迫る危機感からか、いっそう喧しく咆哮を上げた。


「ちっ……、弱いけどっ、いくらなんでも数が多すぎるわよこれ! いったいなんなの、これは!?」


 毒づく九能を嘲笑うかのように、DMFBたちは次々と立ちはだかる。

 自分の持ちうる最強の魔術を使った奈都海は、昨晩の疲れもあって、もうほとんど動けない状態となっていた。ついにはその身体を抱えて戦い始めた九能は、奈都海の魔術行使くらいは止めるべきだったかと後悔するが、時すでに遅し。


「唯利亜、どこなの! 返事をしなさい!」


 せめて届けと発したその叫びも、異形の咆哮と断末魔に掻き消された。




 DMFBによって九能と隔てられた唯利亜は、しかしまったく危機感を懐いていなかった。

 むしろその顔に浮かんでいたのは、不敵な笑みである。


「お膳立てってやつなのかな。嬉しいけど……少し強引だよね」


 誰かに語り掛けるかのごとく唯利亜は呟く。DMFBの不気味な声の響くこの場では、もちろん返答などあり得ない。しかし、唯利亜はつづけた。


「それね。あの人を必死にさせちゃうようなのは下策だよ。兄さんだっているんだし、ファントムらしく、少しは入れ知恵してくれればいいのに」


 もし誰かが聞いていたら、理解できずに首を傾げるような発言だった。聞きようによっては、ファントム側に立っていると思われても仕方がない内容である。

 だが、聞き手のいない今、唯利亜が何を言おうが追求も疑いもされはしない。


 ――どうなろうが、その変化には気づけない。


「それじゃお願い。姉さん」


 DMFBで囲まれた一本道の先にある江倉宮台の頂上を見据えながら、唯利亜は言った。




◇◇◇ ◇◇◇




 九能に討たれたファントムは、本当に潔く討たれたわけではなかった。

 あれだけ後生大事にしていた女王もとい後朱雀沙夢濡を、そう易々と魔女にくれてやるわけなどないのである。


「『騎士の面子というものがある』と、彼は言っていたけれど」


 しかし、実力の差、というか持ちうる能力の差異というものには、如何ともしがたいものがある。能力を兵器に置き換えれば、刀剣で戦車か何かに立ち向かうようなものである。奇跡が起きたところで、この大きな差は覆らない。

 故に、あのファントムは置き土産を残した。せめてもの抵抗として。


「騎士なら、潔く逝くべきよね。未練たらしくこんなものを残して。しかも魔女とやり合うずっと前に、よ? 女々しくて笑っちゃうわ」


 しかもそのファントムは、かなり用心深かった。九能の源波顕現を知るよりも前に、沙夢濡に保険をかけておいたのである。その保険は一定時間後に発動するよう設定された精神浸食術であった。九能との戦闘の際にも使用した、対象の精神を侵食し、ある程度自らの意思で操ることのできる魔術だ。それを時限設定して沙夢濡の中に仕込んでおいた。

 それが今、彼女を蝕んでいるわけだが。


「ま、でも今は感謝……まではしないけど、恨んだりはしてないわ。こうやってストレスを思い切り発散できる場と状況と能力を与えてくれたのだから」


 もしファントムの狙いが狙いなら、この状況を見て嘆くことだろう。沙夢濡は、その精神をファントムによっていくらか操作されているとはいえ、自分の状態を楽しんでいる節さえあるのだ。


「傾向としては残忍性を増幅し、倫理観を忘れさせる感じですわね。ただ効果はかなり薄いようですわ。魔力許容量が高いのを忘れて効果設定をしたのか、それとも見越して設定したのか。気になるところですわね、女王様?」


「そんなことよりこの子たちを造り出せる能力がまだ残ってたことは喜ぶべきことね。……いいわ、ふふっ。あの子たちみんなが私の子宮おなかから産まれたと思うと、感慨深いものがあるわ」


 「そんなこと」としてまったく意に介さない沙夢濡だが、ノエルにとっては実に興味深い二択であった。どちらが真意だったのかで、ファントムの意図が大きく変わってくるからだ。ファントムが自身の目的を貫き通そうとしていたのなら前者、そうでなければ後者だ。

 しかし、ノエルはさらに踏み込んで考える。


「なぜこの女王をそこまで気に掛けるのか、ですわね。甚だ疑問……クフフっ」


 もしかしたらあのファントムはこの後朱雀沙夢濡のことを……などと、そんなことを考えてしまうのは、生前からの悪い癖、だからなのだろうか。無粋と知りつつも探りたくなる。その部類の沙汰には興味を惹かれざるを得ない部分がある。

 それでも、お飯事とはいえ、一応は騎士の端くれ。ノエルは自重し、女王に彼が来たことを伝える。


「来ましたわ。魔女もすぐに追いついてくるでしょう」


「ありがとう、ノエル。場所はもう近い? ならいいわ、すぐにでも始めましょうか」


 沙夢濡は、母のように、女王のように、わが子に、兵隊に、やさしく、きびしく、穏やかに、苛烈に、命じた。


「いこう、みんな」




 唯利亜は江倉宮の頂上への道を歩いて進んでいた。

 焦って走ることもなかった。女王の前、謁見の間で走るという行為は確かに不敬にあたる行為ではあるだろうが、この状況においては不自然と言えるだろう。DMFBに囲まれて、歩いていられるような精神状態を保てるはずがないのだ。多くは臨戦態勢に入るか、もしくはやられる前に殺ろうとする。

 しかし、道を形作るDMFBたちは唯利亜を襲う様子がなく、また唯利亜もそれを知っているかのような落ち着き方で頂上を目指している。

 実際、知っている。“識ること”ができる唯利亜は、見るだけで対象の思考を、少なくともその傾向程度であれば見通すことができる。これらのDMFBが自分を襲う可能性のないことを知ることができたのは、そのためである。

 遥か背後では九能と奈都海がDMFBを相手に奮闘している。しかし、二人を閉じ込める異形の檻は、次々と補充されるDMFBによって減らされるどころか、さらに強固になっていく。もちろん、唯利亜はそれに手を貸すこともなく、ただ前進するのみ。


 愛する人を前にし、彼女にはもはや前しか見えていない。




 白金色の長髪をなびかせつつ、唯利亜は江倉宮頂上に立った。


「ああ、なんてこと。私の子どもたちがあんな魔女に次々、次々……! やっぱり魔女だわ、ただ異形というだけで慈悲も容赦もなく叩き潰すあんな女!」


「だから言ったでしょう? 放っておいても邪魔などしてこないと言いましたのに」


 着いてみれば、わが子の蹂躙される姿をまざまざと見せつけられて、顔を覆っている沙夢濡とそれに呆れ混じりの諫言をこぼすノエルの姿があった。

 こんなオーバーな女だったか、などと思いながら唯利亜は――いや、この際言い換えてしまうべきか――つまり、唯利亜の姿を借りたその“ナニカ”は、呆れを乗せた溜息を吐いた。


「ほら、来てやったよ。顔、上げな」


 声に反応してか、沙夢濡が顔を上げる。しかしそれは、言われて上げた、というよりは唯利亜のらしくない口調を訝しんで、というほうが理由としては適当だろう。

 唯利亜を見た沙夢濡は、その姿もまた怪しんだ。


「おやおやまあ、ずいぶんな恰好じゃないか。そこの似非天使にでも作ってもらったのかい?」


「あなたは……?」


 ほぼ二日ぶりのまともな再会(異形に囲まれたこの状況を『まともな』と言うのならば、だが。少なくとも二人にとってはまともだった)だというのに、沙夢濡は戸惑っていた。自分の記憶の中にある唯利亜の姿と目の前のおそらく唯利亜と思しき人物を照合して、何度も不一致と出る結果に、そんな馬鹿な、とまた自分で自分を否定していた。

 今、視線の先にいる唯利亜は、どう見ても唯利亜のそれではなかった。

 いつも結われている栗色の髪が流れる白金色の髪に変わり、元より黄色人種にしては白かった肌が完全に色素を失ったかのごとき白肌と化し、茶色がかった瞳は暗闇で光る獣の眼光のような激しい血の色を晒している。

 これを、幣原唯利亜だ、というにはあまりにも無理があった。


「あなたは、だれ……なに?」


「おやまあ、ずいぶんな挨拶だねえ。なに、と来たか。そうだねえ……ま、一応は人間かな、今のうちは。だれって質問には、せめてこれくらいは自分で気付いてほしいなあ」


 しかし、唯利亜の面影もないではなかった。

 唯利亜の身長は沙夢濡より5,6cmほど低かったはずだが、目の前の人物はそれに合致する。声もまた、口調に騙されそうにはなるが唯利亜の少年らしくない高音そのものである。なにより、顔立ちは唯利亜のそれにそっくりであり、顔だけを見ればこれは唯利亜だと言い張ることもできただろう。

 だが、それを全力で否定するのが、唯利亜の胸のふくらみだった。さほど大きくはないが、明らかに少年のそれにはあり得ないふくらみがそこにはあった。

 彼ないし彼女は、沙夢濡の視線を追って自分の胸に行きついた。


「あん? ……あぁ、ちょいと表に出すぎたかな? どうせすぐに戻るだろうとは思うがね、なるほど、あたしが唯利亜だと思ってんだね? だから混乱してる」


 まさにその通りだが、頷いたりはしなかった。

 自身の能力を使って彼らを呼び出したも同然のこの状況に、自分の圧倒的有利を確信していたというのに、現れた唯利亜は全くの別人に見えるなどと、誰が思うだろうか。そのせいで調子が狂った。狂わされた、と思いたくはなかった。まさにそれが、相手の思惑なのかもしれないのだから。

 だが、目の前の人物が唯利亜でなければなんなのか。


「だからそれは、考えてほしいと言っている。少し古い記憶を掘り返してみな? そんなに昔じゃなくてもいい。思い出したくないもんもあるだろう。でもね、その中に答えがあるかもしれない。どうだい?」


 記憶。こんな印象的な人間、一度会ったら忘れるわけはないのだが。憶えていないのはなぜだ。それともこれは、この女の戯言ではないだろうか。

 白い女。この不遜な口調。まるで色素が全身から抜け落ちてしまったかのような姿。確か……

 そんな症状の出る病気があったような


「……アルビノ」


「おや」


 アルビノ。あるいは先天性色素欠乏症。一部の遺伝情報が欠落することによって、先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患のことである。本来であれば、メラニンによる紫外線防御のできないアルビノ患者がこうして何の対策もなしに日光の下に出るのは好ましいことではない。

 しかし、それはいい。沙夢濡にとって重要なのは、そんなことではない。

 彼女の記憶の中でただ一人だけ、アルビノの人物を知っていたのだ。知っていた、というほど単純なものではない。もっと深く、親密で、彼女の人生で唯一の存在だった。

 今やどんな状況においても過去形で語られるその人物の名は――


「――なゆた」


「……ご名答。あたしの弟どもが世話になってるよ、ジャンヌ」


 既に他界しこの世には亡い、幣原家の長女、幣原ナユタだった。





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