第1章#17 朽ちる猟犬の牙
短いですが、年内にあと1話、投稿しておきたかった
失踪は……多分、しません
書きたいですし
4/28 サブタイトルを変更しました
時間はわずかに遡る。
日は変わらず、陽も昇り白み始める空の下の早朝。
「あなたは魔術師ね」
九能は問う。が、戦意喪失したファントムにこたえる気はなかった。
このファントムと魔術師を繋げる要素は多かった。九能を“巨斧の魔女”と呼ぶこと。彼女が知る限り、ファントムは“魔女”としか呼ばず、“巨斧”は魔術師の間でのみ使われる異名である。
ファントムに必要のない詠唱。これは生前、習慣的に魔術を発動する際に詠唱をしていれば、その因果関係が記憶の深層に刻まれるため、ファントムになっても引き継がれるだろう。
そして『蘇生』という事象・行為に対する過剰な忌避。魔術師は幼少時に蘇生がいかに忌まわしいものかを洗脳に近い形で植えつけられる。それがなければ、蘇生に対する拒否反応が先のファントムのように出ることはないはずである。
これが、九能がファントムの生前を魔術師だと推測した理由である。
しかし、黙秘を貫くファントムにしびれを切らした九能は、質問を変えてみることにした。
「なぜ日本に来たの」
「こたえる義理があるかね」
取り付く島もない。だが、黙るということは何かしら隠すことがあるという裏返しに他ならない。わからないのなら、そう言えばいいのだから。
記憶があるのは貴重かもしれないのだ。九能の知るファントムの多くは生前の自らを知らない。もし彼に生前の記憶があるのなら、得られる情報は貴重、場合によっては死んでからファントムになるまでの記憶まで持ち合わせているかもしれないとなれば、黙秘しているから、じゃあ仕方ないととどめをさすわけにはいかない。
(……どうしようか)
九能は悩んでいる。今は顕現によって絶対的有利を保っているが、それも無限ではない。持ってあと30分。そのことをファントムが知っているとも思えないが、何かの理由で露見すれば可能性はなくなる。何としてでもそれを知られず聞き出す必要がある。
しかし、九能にはそんな交渉術はない。ないと知っているから、悩んでいる。
「冥途の土産……なんて名目じゃ、ダメかしら?」
「だから言っている。土産をくれてやる義理なんぞない」
他の疵術師を呼ぼうにも、周囲はDMFBだらけ。諦めたのはファントムだけで、他のDMFBにはそもそも諦めるといった行動をとれるほど知能がない。ゆえにいまだに臨戦態勢のまま江倉宮を取り囲んでいる。頼れるのは自分か、もしくは未だに岩陰で震えている奈都海か、である。
とりあえず頭数だけでも、と九能は奈都海を呼ぶことにした。
「奈都海、おいで。こいつに戦う意思はない、もう終わってるわ」
「……」
女々しく頭だけを出してこちらの様子を伺う奈都海に少しだけイラッとしたことは黙っておいた。
九能に言われておびえながらだったが、ようやく奈都海もファントムの前に並んだ。ファントムに啖呵を切ったあの威勢はどこへ行ったのだろうか、と九能は心中で溜息を吐く。
「フン……戦う間にも思ったが、貴様ら、恋仲か」
「ええ。それが?」
「……男、聞きたいことがある」
鋭い眼光を向けられて、奈都海は肝を冷やした。九能の言う通り何かされることはないだろうと確信していたが、やはり目の前で死闘を繰り広げた当事者から声をかけられるのは慣れない。九能もまた、再び警戒度を引き上げ臨戦態勢に入る準備をしていた。
「なぜこの女を選んだ? これは人外の化け物だぞ」
「なぜと言われても……俺は迫られたほうで……。それに人外だろうがなんだろうが人間は人間だろうが。どんな怪力持ってようが戦いさえなけりゃ可愛い女の子だよ」
「なぜかと訊いただけだ。否定はしてない」
言われて、奈都海は自分が余計なことまで口走ったことに気付いた。助けを求めて九能に視線を向けても、彼女も頬を赤く染めて顔を逸らすだけだった。
「よい。そう思っているなら何も言わん。出過ぎた真似だったな」
確かに出過ぎた行動である。他人に言われるようなことではないし、さらにファントムが言うようなことでは決してない。九能は、やはりこのファントムは他と明らかに違うと確信に近い予感を抱いた。
「やっぱりあなたはそうなる前の記憶があると思っていいのかしら」
「知らん。思うのは個の勝手だ」
「じゃ質問を変えるわ。最初からこう訊いていればよかったんでしょうけど。あなたは生きていたころのことを覚えている?」
「忘れた」
んなわけないでしょう、と九能は思わず言いかけた。開きかけた口は代わりに他の言葉を紡いでいた。
「あなたが生きてた時のことを覚えている、と仮にするけど」
「するな」
「隠さなきゃいけないようなことがあるわけ? 記憶の有無すら?」
ファントムはついに呆れて溜息をついた。
九能は一方的だ。自分の推測を否定する要素をファントムから取り除こうとしている。ファントムの否定には一切耳を貸そうとしない。
「それこそ、生前のあなたが公言できない立場だったかのよう」
「……」
ファントムが黙った。それまで何か反応してきたファントムが沈黙を保ったのだ。図星か、はたまたそうでなくとも事実を掠めはしたのか。
「魔術師なら、私たちに隠したいことも多いでしょうね。どうなのかしら、わざわざここに来た理由と手段も併せて知りたいわ」
「……」
ファントムは応えない。無視している風でもない。言葉に詰まっている様子もない。視線は変わらず九能に向けられている。
「戯言はいい。クク……、その顕現とて無制限ではなかろう? さっさと殺すがいい」
思いがけず知らないと思っていたことを指摘され、九能は奈都海に目を向けた。
「なんかばれてる」
「なぜ俺に言う?」
「や、奈都海のせいでばれたんじゃないかと思って」
「……」
「冗談よ」
知らないという前提が崩れたせいで、彼から情報を引き出すのは難しくなっただろう。というよりは、九能が知らないと思っていただけで初めから希望などなかったわけだが。
してやったりとでも言いたげな顔をしているファントムを見て、単純な性格なんだろうかと奈都海は考えていた。九能がどうやってファントムの口を割らせようかと苦慮しているその横で。
「フン……、考えても無駄だぞ、私は何も言わぬ。貴様らの知りたいことは何もしゃべるつもりはない」
「呆れた。なんて天邪鬼だこと」
九能は肩を竦めて呆れを示す。しかしファントムは笑みを浮かべるだけで応じようという意思も気配も一向に見えない。
「どうする、九能」
「どうしようね、何言っても聞きそうにはないし。奈都海、説得してみる? 男同士、何か通じるものがあるかも」
「冗談はやめてくれ。こんなのと何が通じるって?」
九能は冗談めかして言っていたが、実のところ半分以上は本気だった。
なにせ、彼女の生涯で初めて遭遇した記憶を持っているかもしれないファントムだ。ここで殺してしまっては全く収穫のない戦いで終わってしまう。なにがなんでも、何か今までにない情報を引き出しておきたいのだ。そのためなら使えるものなら奈都海でも使う。他の隊員も呼び出したいところだったが、他のDMFBを相手する仕事がある以上、そちらを疎かにするわけにはいかなかった。
「私は構わんがね。久々のまともな人間との語らいだ、時間を無駄にしたくはない」
口をはさんだファントムの言葉に、九能は再び驚かされた。
「……つくづく変わってるわね、あなたは。人間と話していたいだなんて、そんなファントム今まで一度も見たことがないわ」
「貴様が見たファントムとはつまり、戦ってきたファントムだろう、ならば当然。逆に戦いを好まないファントムの存在を忘れている……否、知らないのではないか?」
九能は黙る。ほとんど言う通りだからだ。
確かにそういったファントムが存在するのなら、九能にはそれらとかかわる機会はおそらく来ないだろう。ただ、全く言う通りというわけでもない。そもそも彼女の所属する中国支部にはそういったファントムが3体居候している。
だがそういった身内紛いの例外を除けば、九能は出会った全てのファントムを討伐してきた。だから知らないわけではない。忘れたこともなかった。ただ唯一存在を許しかけたあれも、結局のところファントム――本能のままに食い散らかすDMFBに成り果てた。“あんなこと”があったから、九能は思う。最後の最後まで人の味方をするファントムなどありはしない。
「あなたの記憶を聞くことができないのが残念だわ。どんな人生を歩んできたのか、興味あったのに」
「いらんさ、どうせいずれわかる。わかったとして、大したものではない」
いずれわかるというファントムの言葉に、九能は確信を抱いた。自分が何者だったのかを覚えていた証だ。
「どうせ言っても無駄なんでしょうけど」
「なら言わねばよい」
「やっぱり教えてくれないのかしら。個人的にも興味あるのよ?」
やはり言葉を無視する九能に、ファントムもいい加減慣れてきたようだ。無感動のままファントムは律儀にも九能の問いかけに応じた。
「無駄だとわかっていることになぜ手を付けるのか。そろそろ忘れたらどうだ? それに見ろ、貴様の連れ合いもどうやら不機嫌な様子だが」
「あんたのせいでしょ、まったく。初めから私の言う通りにしてれば奈都海を待たせて機嫌損ねることだってないのよ」
「……は」
鼻で笑われ、九能は片眉を跳ね上げた。
しかし今までにないファントムとの人間的なやり取りに、九能の冷静な部分は少し危険な予感を覚えていた。自分の危機感が完全に削がれているということもそうだが、それ以上に奈都海にこのやり取りを見聞きさせているということ。
奈都海がこのファントムをどう思っているかなどはもはや聞くまでもないことだが、この光景を見てどう考えるか。九能が自身の保身の危惧をしているわけではなく、ファントムの危険性への認識がどう変わるかという話だ。ただでさえ支部には全く敵対する気のないファントムが3体もいるのに、奈都海は果たしてファントムという存在への認識をどう変えてしまうのか。
気が気でない。
「もう長くないだろうから言っておくが」
「ん? 男か、ふむ、なんだ言ってみろ」
奈都海に対しては寛容になるファントムを九能はにらみつける。
「俺の弟がお前に殺されかけた。どうせ覚えてはいないだろうが……俺は忘れない。今でも復讐したいと思っている」
戦いはほとんど九能に任せた形となったが、奈都海のファントムに対する怒りは消えてはいなかった。むしろ自分で手を下せない歯痒さに苛立ちは余計に募る。そんな奈都海の怒りを押し殺した言葉にかぶせるようにして、ファントムは即座に応じた。
「知っているさ、偽識者――識りながら偽る者……知識を生かせぬ愚か者、得た知識をひた隠す卑怯者、知らぬと言い張る傲慢さを併せ持つ心優しき狡猾な詐欺師。詐欺師故に、騙しつづけなければならぬがために、あれは私に負けたのだと解釈していたが、はてさて……どうなることか」
「……」
奈都海は九能を見てみるが、彼女も首を振ってわけがわからないと主張する。もう一度ファントムに目を向けるが、続けて話そうという気配はない。もはや説明は期待できないだろう。
残り時間はもうほぼない。九能の限界が近づいている。
「最期にもう一度だけ問うわ」
「フン……まだ言うか。粘着質な女は嫌われるだけだぞ」
「答える気はないのね」
「終始そう主張している。しつこいのもいい加減飽きたものだが」
最期の拒絶を示され、九能もついに諦めた。諦めざるを得なくなった、というのが正確なところではあるが。九能の心中、負け惜しみ精神が働いてそういう表現だけはできなかった。
奈都海が察して一歩引く。別に余波などがあるわけではないが、元は九能とファントムの一騎打ち、その決着が今まさに着こうとしているのだから、そこに無粋な邪魔は必要ない。それがたとえ形式的な消化試合であっても、だ。
終結が迫る中、ファントムが再び口を開いた。
「最期に一つ……。冥途には持っていけぬ捨て台詞だ、とっておけ」
九能は構わずファントムに歩み寄る。ゆっくりと、しかし確実な死をその手に宿しながら、その死をファントムにもたらすために。
「――これで終わったと思わないことだ。元凶はまだ、他にある」
九能がファントムの前に立つ。手を伸ばせば届く距離、そんな至近に二人は対峙し、そして終わりを待つ。
「まだ目覚めぬ。だが、もたらす災厄は私の比ではないだろう」
九能が手をかざす。
薄く笑うファントムに向けて、最期の言葉を紡いだ。
「――さようなら」
◇◇◇ ◇◇◇
最後の一匹は九能の巨斧によって叩き潰された。




