第1章#16 魔女の師弟
もはや何も言うまい という諦念の表れ
小説データが吹っ飛んでモチベーションが絶無になっただけでした。多分また、復活します
西園寺九能の主な仕事場は、戦場である。
そういったことは、彼女を知る者であれば誰もが知っていること、認めていることである。
しかし、彼女も一支部の副支部長。いわばこの中国支部の責任者の一人である。彼女に求められる役割は、何も戦場における指揮官、もしくは先陣を切る切り込み隊長としての役割だけではない。
雑多な書類処理もまた、九能に課せられた職務の一つである。
ゆえに、それを行う場としての部屋、銘打って“副支部長室”なるものも存在する。久しく開けていたその椅子に、九能は何週間ぶりかに腰かけていた。
目の前には、携帯端末を繋げたデスクトップのパソコン。そしてその画面には、今では主流となって久しいテレビ電話で繋がった相手の顔が映っていた。当然ながら、相手の画面にも九能の顔は映っている。つまり、お互いに顔を合わせている状態となっている。
だというのに、九能の相手の顔は、わずかならず引きつっていた。
「ハロー、イリナ。元気にしてた?」
それをわかっているのかいないのか、九能は親しい友人に話しかけるように右手も振りながら英語で喋りかけた。その瞬間、相手は眉根に皺を寄せたが、すぐに平静の表情となって応じた。
「ええ、まあ。無病息災、あなたがここを離れてからは平穏無事といったところですがなにか?」
敬語こそ使っているものの、その口調には明らかに好意とは正反対のものが混じっている。相手の母国語である英語で話す九能に日本語で返したのも嫌味のつもりだったのだろう。
が、それは九能には通用しなかった。
「そう。それはよかった、重畳だわ」
「……っ」
九能は心底嬉しそうに笑顔で答え、画面の向こうからは言葉に詰まる気配。からかっていたつもりはないが、ばつが悪そうに目を逸らす姿を見て、また口が緩む。そこを見咎められた。
「……なんです、その笑みは」
「あら、弟子が元気でやってるって聞いて喜んじゃダメ?」
口に右人差し指をあててあざとく小首を傾げる九能に対し、液晶にはそれを見た途端青筋を数本追加で浮かべる女性の顰め面。
「もうあなたの下を離れて十数年経ちますが」
「そうね。あなたの成長を見られて私も嬉しいわ」
「私は嬉しくありません。それに……あなたは相変わらずですね、西園寺准将。何も変わっていない」
「私からすれば、あなたたちの変化スピードが速すぎるだけよ。私の源血は知っているでしょう、イリナ・アルガイエル少佐?」
イリナ・アルガイエル(Irina Allgaier)。それが九能と対する女性の名だ。九能の言った通り、階級は少佐。ADEOIAの本部に常駐するエリート幹部で、実質的な権限は少佐という階級の域を逸脱する。将官である九能と対等の立場で話すことができるのは、彼女が九能のかつての弟子であるということ以上に、このことが影響している。
つまり、九能は今、ADEOIAの本部と通信を行っている状況にある。もちろん一般兵も使える通常回線ではなく、将官のみ解放される秘匿回線の類を用いている。
目的は当然だが、今のようにイリナと雑談するためではない。そんなことのためだけに時間を割いてくれるほど、本部は暇ではないはずである。
それでもイリナが九能の他愛もない話に付き合っている理由。単に懐かしさから職務を忘れたというわけではない。九能はイリナと回線を繋げる前に、その目的をオペレーターの一人に伝えている。それがイリナにも伝わっていれば、おそらく彼女はこう考えるだろう、と九能は予測していた。――自分では手に負えない、と。
逃避も兼ねた時間稼ぎ。上司の準備ができるまで相手を退屈させない努力をしているようにも見えるが、相手は顔見知り、そんな必要はない。正確にいえば、イリナに九能が付き合ってやっている形だった。
「そろそろ……まだなのかしら、あなたの上司は」
「……もうしばらくお待ちいただけませんか。今こちらに元帥が向かわれていますので」
10分ほども雑談に興じた後、未だに本命の相手が現れないことに九能は疑問を抱いた。少々時間がかかりすぎている。いくら忙しいとはいえ、ADEOIAとしてファントムを差し置いて優先する事項など、そうはないはずだというのに。
答えは、イリナの説明にあった。
「総長のご息女の、出生記念パーティに出席なされていましたので遅れています。もう到着されると聞いていますが……」
聞いて、九能は納得する。そういえば去年の今頃、4人目の子どもが生まれただなんだと騒がれていた記憶がある。母親の才能を受け継ぐだとか言われていたのを覚えていたから、ついでに思い出せた。
ちなみに、総長というのは魔術団のトップのことである。現在では“元老院”とともに隠居職と化し、実質的な魔術団の指揮権は枢密院に移っている。それでも総長、魔術団の中では権力も能力もトップとなれば、枢密院議員も一目置く存在である。その置いている一目が本音でも建て前でも、総長が開催する行事ならば、幹部の出席は強制されているとも言える。九能はそこまで考えて、大変だなぁなどと他人事のように考え、それ以上深く考えるのをやめた。実際、他人事である。
「偉い人は大変ね」
「本人に言ってやってください。最近は立て続けでいろいろと溜まっているようですから」
「私を愚痴の捌け口にでもするつもり? やめてよもう」
「私とて同じです。毎晩毎晩ほとんど同じような愚痴と陰口を聞かされるのはたくさんです。今夜だけでも可愛い弟子の負担を減らしてやろうとは思わないのですか」
「ずいぶん前に私の下を離れたんだものね」
「く……薄情な」
「薄情なのはどっちじゃ。あんな息苦しいところに一人放置しおってからに」
緊張感のない二人の応酬に、唐突な介入があった。遅れて画面に表示される金髪の女性のバストアップ。その表情には疲労と辟易とが同居していた。
九能はぱあっと笑顔を浮かべ、反してイリナは素知らぬ顔で目を逸らす。正反対の反応を見せる二人だが、当の女性はこった首や肩を回してほぐしているだけで、それに対するコメントは全くない。
「マリー! 久しぶり、遅かったじゃない」
「遅かったも何も……、帰ってきたのは今さっき、着の身着のままじゃぞ。理由は聞いておるじゃろ」
九能がマリーと呼ぶ女性の名は、マリアンヌ・ジェーランクルト(Marianne Geranchlt)。ウェーブのかかったブロンドに碧眼、堀の深い西洋人らしい美貌に、胸元の大きく開いたドレスのよく似合うプロポーション……という外見。漂う大人の色香と艶やかさは、外も中身も小娘どまりな九能には、おそらくむこう半世紀は出せそうにない。
「それに……、なんじゃ、上司に対してのその態度。もうちっとどうにかならんか」
「そうは言ってもねぇ。どう変わろうとマリーはマリー、いつまで経っても弟子は弟子よ。いいじゃない、誰かに聞かせるわけでもなし」
「おや、では私の負担も肩代わりしてくれると――」
「くどいわよ? イリナ」
「……うぅ」
この二人がかつて師弟の関係、しかも九能が師でマリアンヌが弟子だったと、いったい誰が思うだろうか。彼女らの外見年齢が逆転したのは、もう20年以上も前になる。
「でも、イリナじゃないけどやっぱり大変みたいね。枢密院の話はこっちにも届いてるわよ」
「まったくもって、休む暇もないのは致し方ないとしても、じゃ。どうしてこうも、元帥というものはメンドくさい仕事ばかりなのか。元老院にも少しは働いてもらいたいものじゃが」
師弟のころに構築された関係はなかなか変わらない。それがたとえ、元帥と准将という大きく隔絶された地位になったとしても。
ADEOIAの最高指揮官は元帥と呼ばれ、魔術団の指揮系統を担う“枢密院”にも所属することになる。しかし本来、魔術団の最高機関は元老院であり、枢密院はその諮問機関でしかなかった。多忙の愚痴が元老院に向けられるのも致し方ないことといえる。
「しかしまあ、懐かしいのは確かじゃ。……うむ、全く変わっとらん」
「イリナとおんなじこと言うのね。こっちに来てからけっこう変わったと思うんだけどな」
「変わったのはあくまで環境。クノー、おぬしが変わるにはわしらの10倍の時間が必要じゃろ」
九能を古く知る二人にとってそんな事実はいまさらなもの。九能の内なる特性をいまさら確認するようなこのやり取りも、単なる恒例行事に過ぎない。
恒例のやり取りを終えると、ついに本命の話題に移る。
「で、じゃ。半年の間に2匹もファントムと戦った感想はどうじゃ?」
「ああ、それよ。ちょっといい?」
ともに表情をわずかに引締める。マリアンヌはイリナが残していたであろうメモに目を移し、イリナから直接聞いたそれと照合し始めた。
「大筋は聞いてるでしょ? 私の手に負えなさそうだから連絡させてもらったんだけど」
「確かに聞いた。が、正直理解できん。時間はあるか? こっちは作った」
「そのつもりだから大丈夫よ。本部のほうは?」
「ふむ……イリナ、ちと外してくれんか。長くなる故、続けて指揮は託す」
「御意に」
それまで居心地悪そうにしていたイリナは、瞬時に居住まいを正し敬礼をもってマリアンヌの命を受けた。画面からイリナの映っていたウィンドウが消え、九能とマリアンヌだけの対面となる。
漂う雰囲気が変わった。今回の話は、これまでのような軽い空気でできるものではない。
「どういうことかをまず、説明してもらいたいのじゃが。ファントムが……魔術師だった、と?」
「ええ、物証はないけれど」
「よい。問題はファントム自身が魔術師だったと言っておることだろう。死に際のファントムが、そんな妄言を吐くとは思えん」
そう言われて、九能は言葉に詰まる様子を見せた。マリアンヌがそれに気付かないわけはない。が、特に問い詰めることもなく、無言で理由の説明を求めた。
長年の付き合いとなる二人には、無言でも通じることが多かった。
「実は……言ってないのよねぇ……」
「てことはなんじゃ、クノー、おぬしの独自の見解じゃと? それでこちらに報告してきたと?」
「そうなるわね。別に根拠がないわけでもないのよ」
早々に開き直った九能に、マリアンヌは息を吐く。
「その根拠もおぬしの推測、発想じゃろうが。……まあよいが」
九能も素人ではない。ファントムとの戦闘経験も他の疵術師と比べればはるかに多い。そんな九能が「何かが違う」と感じ、戦闘中に見た要素から出した結論があるのなら、それを無視しない程度にはマリアンヌも九能の評価を間違えてはいなかった。
ありえないことだからといって最初から否定はしない。しかし、ありえないことが起きるには相応の原因がなければならない。その原因もわかっているのなら、それを聞かないわけにはいかない
「おぬしが意味もなく言うわけもあるまい。根拠とやら、聞かせてもらおうか」
「ええ、そうね。……最初からでいいかしら」
端末の電源を切り、マリアンヌは椅子の背もたれに自らの背を預けた。
九能の話は終わった。終わって、マリアンヌが自分の知る情報と照合させていく中で導き出された結論は、彼女にとってどうあっても楽観していいものではなかった。もし許されるなら頭を抱えたいとも考えたが、他に部下のいる場では自然に自重された。
代わりに目を瞑って天を仰ぎ、同時に大きく息を吐いてさらに椅子に身体をうずめるマリアンヌに、その背後から近づく影があった。
「閣下」
九能と話している間、指揮権を預けていたイリナだ。彼女はだらしなく椅子に身体をうずめているマリアンヌの横に並び、反応のない上司に再び声をかける。
「閣下ならば既にお気づきでしょうが……、西園寺九能の話――」
イリナは言いかけて、思わず口を噤んだ。マリアンヌに動きがあったわけではない。その躊躇はイリナ自身の中から生まれたものだった。その異常性とあってほしくないという願望ゆえに。
不自然に途切れたイリナの言葉に、マリアンヌはやっと反応を示した。
「お前はあらかじめ聞いていたのだったな。……まったく。どうしてこうもタイミングがいいのか。……いや、悪いのか」
目頭を押さえるマリアンヌに、気遣わしげにしながらもイリナは状況の確認を優先した。
「やはり閣下も同じように?」
「聞く限りではそれ以外の可能性がない。少なくとも私にはそれしか思いつかん。……が、結局のところ矛盾は生じるか、難しいな」
マリアンヌが出席していた魔術団総長息女の誕生パーティ。それは、単に誕生日を祝うというだけの場ではない。
魔術団の中枢を担う、いわゆる幹部が一同に会する数少ない場でもあるのだ。そこで得られる情報は、普段自らの管轄する地区、もしくは部署に閉じこもっている彼らにとって貴重なものである。出向という名目でスパイを送ることもできるが、それは相手も同じこと、得られる情報もたかが知れている。
マリアンヌが今日仕入れた情報は、九能よりもたらされたそれと因果関係で結び付けられるものだった。
「やはり日本で見られたファントムの正体――」
「ああ。だが、どうして奴が日本に入ることができたのか。“霞翅”の壁があるはずだが、万が一それを破ったとして、その報せがないのもおかしい」
「……この情報、FASCAに伝えるという手は」
「莫迦を言うな。レオンに知れたところで碌なことには――」
イリナの提案を切り捨てようとしたマリアンヌは、「……いや」と迷うそぶりを見せた。
数秒後、顔を上げたマリアンヌの口は、下弦の月を思わせる笑みの形をつくっていた。
「奴も何か隠していた――いや、言えぬことがあったと見た。交換条件の材料にできるか、あるいは――」
組織を操る者として、マリアンヌも大抵の“黒いこと”はこなしてきた。今回のこれもその一環。魔術団の中で自分がどんな立ち位置にいればいいか、ADEOIAのトップとして彼女もある程度わかっていはいるが、いつまでも“疵術師の大将”という立場に甘んじているわけにもいかないのだ。
疵術師が魔術団の中でどんな扱いを受けているか。魔術団の影響が限りなく薄い日本にいる九能らには実感のない話ではあるが、そうでないマリアンヌたちにとっては早急にどうにかしたい問題である。
それとマリアンヌの思惑がどう関係してくるのかは――
「イリナ、また席を外すがよいか。指揮は預ける」
「御意。健闘を」
最敬礼をするイリナに、マリアンヌは苦笑を漏らした。
「大袈裟だ。……まだ早い」
部屋を辞するマリアンヌの背に、イリナはその背が見えなくなるまで敬礼を続けた。
◇◇◇ ◇◇◇
九能がマリアンヌへの報告を終えて控室に戻ってくると、そこには特殊遊隊の隊員とは違う姿があった。
「あら、珍しいわね。ミーアがここに来るなんて」
「あっ、じゅんしょー、ちょうどいいところに」
ミーアと呼ばれたこの少女、フルネームをセッティミア・エックハルト(Settimia Eckhart)というイタリア出身の疵術師である。日本に来たのは1年前、話す日本語はたどたどしいがすでに読み書きはほとんどできる。
部屋に入ってきた九能を見るなり、パソコンの前に座っていた彼女は上半身をひねらせて15歳にしては少々大人びた顔を見せて、「いいところに!」と繰り返した。
「なに? 何かわかった?」
「あー、そっちはまだなんですけどねー。ちょっとおもしろいものが残っていたので」
この支部でのミーアの主な仕事はDMFBの解析・調査。専用の機器を使って残留魔力の指向性を解析したり、映像からDMFBの行動パターンを調べたり、といったものが彼女に任せられた職務だ。だが、彼女も疵術師たる所以の源血を持っている。
彼女の源血は、“残すこと”。その対象にはおそらく制限がない。物体物質はもちろん、五感まで残すことができる。残す先も自由だ。自分の中に残すこともできるし、空間内のある座標を指定して残すこともできるだろう。そして、自分の中に残した場合は出力先も自由だし、それを編集することさえ可能である。……九能の目の前のパソコン画面に流れている映像のように。
それを見た九能が首を傾げたのも無理はない。それは、未来小と久宮がDMFBの大群を相手に戦っている光景だった。
「これ、ミーアが残しておいたもの?」
「そーなんですよ。映像と音声を残しておいてですね、あとで残留魔力の採集がてらディスクに焼いておいたのですよー」
「ふーん……」
久しく見ていなかった二人の戦闘光景。どんなものかと興味のあった九能はしばらくそれを眺めていた。
――当然、いずれ来る惨劇を覚悟しながら。
『……ぁ、れ』
「……っ、来るとわかっててもきっついですねー……」
言いながらも目を逸らそうとしないミーアの前に、腹を貫かれた未来小が映る。安全な後方で仕事をする彼女だが、イタリアにいた頃は最前線に立っていたこともあるので耐性はあるのだ。
離れていた九能は隊員たちの死に様までは知らないので、ここで初めて見ることになる。
「へー、私こんな死に方したんだ?」
飛び上がって驚いたのはミーアだけだった。
「ぅわぁっ!? い、いたんですか……」
いたのは未来小。そして、よっ、と右手を上げる久宮が後ろにいる。ミーアの主観だが、その時の久宮は心なしか顔が赤かった。
その理由を知っているミーアは疑問には思わず、心中でにやりと笑っただけだったが。
「さっき来たかんねー。やー、しっかしなかなかひどい死に方だよね、これ。いっそ即死なら楽だったのにな、この時の私」
地に伏す自分を見て、気楽な風に言う未来小。実際、さほど深刻にはとらえていないのだろう。九能の蘇生術紛いの時間逆行、これがあれば無敵も同然だと考えるのが当然だ。しかし、その思考は至極危険だ。九能の能力の恩恵を受けられない状況などいくらでも考えられる。そのことを窘めようとした九能だったが、
「ちょっ、これ……!?」
後ろから首を伸ばして見ていた久宮が、その映像がなんであるかと知った途端声を上げた。九能と未来小は何事かと久宮のほうへ振り向き、ミーアは画面に目を向けたままほくそ笑む。
今映っているのはDMFBの群れを相手に暴虐の限りを尽くす久宮の姿。一見して未来小の負傷に激昂してのことだとわかることだが、これが気恥ずかしいからだろうか、と九能は適当にあたりを付けた。残念ながら、久宮が狼狽している理由はそんな生易しくはなかった。
久宮は身体を乗り出してパソコンを掴むも、ミーアの“残す”能力でまた元に戻される。それを何度か繰り返した末、
「見苦しいからやめな」
という未来小の鶴の一声で久宮はおとなしくなった。それでもなんとかして止めようと試みるものの、未来小に睨まれて断念した。
しばらくして、未来小は再三久宮を止めたことを後悔することになった。
『未来小……未来小なんだな!?』
「!?」
狼狽が驚愕に変わる。久宮はおかしいと思った。なぜなら、彼の記憶が正しければ、今流れているこの音声は音として発せられていない、《紅線》による会話だったはずなのだから。
『もう、いいよ……戦わ、ないで…… 久宮が、死んじゃう……』
「えっ、なにこれ」
未来小は覚えていない。九能によって致命傷に至る傷を受ける直前まで記憶ごと肉体を戻されているからだ。故に、未来小は《紅線》の通信内容が垂れ流されていることよりも、自分の発している言葉の内容に驚いていた。
『もぅ、いいから、ね……逃げて、生きて……』
「え、ちょ、うそ。私こんな恥ずかしいこと……!」
極限状態の中で高揚していたから言えたのだろう、と冷静に分析できているのに、いやむしろ冷静だからこそ自分の発していたのだろう言葉のあまりな恥ずかしさに気分すら悪くなってくる。今すぐにでも耳を塞いで現実逃避したかった。
現に、久宮などは部屋の隅で耳を塞いで「アーアーキコエナイキコエナイ」と呪文のようにひたすら繰り返している。そんな久宮を見て、ミーアは「だらしないですねー、男のくせに」などと好き放題言う。
『……最期、だから……、無駄死に……はしたくない、から』
「ミーア、止めて! 頼むからほんと!」
「えー、おもしろいじゃないですかぁ」
「おもしろっ……、どこがっ!? 恥ずかしいだけだから、ほんと恥ずかしいだけだからやめてなんでもしますからぁ!」
「そうやって身悶えてる未来小見るのは面白いわね」
「お姉ちゃんまでぇ!?」
『ひさ、みやは……さ』
「……ぁ」
叫び続けていた未来小が、間抜けな声を上げてそれきり黙った。閉じていた目を見開いて映像に固定させ、耳がそこから流れる音を聞きのがすことのないよう自ら音を立てようとしない。石像のように固まった未来小に、九能とミーアは尋常ではない雰囲気を感じて映像よりもそちらに意識が向けられていた。
直後、パソコンのスピーカーから流れる無慈悲な……
『わたしの、こと……好き、なのかな……? なんて……』
「やめてえぇぇぇぇえええぇぇぇっっっ!!!」
今度こそ本当に、未来小は両手で耳を塞いでうずくまってしまった。それを見る九能の表情も、恥ずかしさに悶える未来小を見て楽しむそれではもはやなく、単なる苦笑でしかなかった。
「まあ、これは……仕方ないわよね」
「あー……、もしかしてわたし、たいへーんなことを……」
「そうね、とっても大変なことをしてしまったわね」
「ですよねー」
さすがにミーアも罪悪感を覚えて映像を止め、パソコンの電源も落とした。かといってその後何かしたかったわけではなく、久宮と未来小を交互に見てはどうしようと言いたげな表情で九能に助けを求める。そんなことを繰り返していた。
「恥ずかしいせいでよけいに重症になってるだけだと思うし、ひどく深刻になることもないわよ。でもまあ……まずは謝っときなさい。まずはね。その後は自分で考えること」
「うぃー……」
生きているとはいえ、人の死に様をネタに笑えるほど彼女らも死に慣れきっているわけではない。二人が気にしているのはその部分ではないが、まだ若いミーアにはその辺りを弁えておいてほしかった。
しかし、さすがの九能も思うのであった。
(この二人……さすがに反応オーバーよね)
◇◇◇ ◇◇◇
化け物と戦ってさらにいろいろあって、その翌朝。
というか日付は変わらず日が昇っただけの同日。月曜日……いや火曜日だっけか、いや月曜日か。まあいいや、とにかく平日なので俺は制服に着替えて学園へ向かっていた。
正確にはいつもの待ち合わせ場所。唯利亜も九能もいないが、愛燕は待たせている。……はずだ。愛燕もいないとなると寂しくて泣いてしまいそう。そんなことを柄にもなく思ってしまうほど俺は今、疲れている。
疲れている。正直学園なんぞ行きたくない。なにせ一晩中戦って、しかもその相手がなんかものすごく強かった。なんとか勝てたが、そのこと自体がいまだに信じられない。あの光景を目の当たりにして五体満足でいることが不思議でならない。逆に、昨晩の光景こそ幻覚とか夢だったんじゃないかとか、そんな無為なことをひたすら考えてしまう。
そんな感じに俺は疲れていた。精神的疲労はもはや深刻である。一度家に帰った時などは、亜実さんに幽鬼のようなどと形容されてしまった。はなはだ心外なのだが、反論も否定もする体力がなかったので無視に近い形で流した。
持ち合わせ場所に向かう足も鈍い。骨が鉛になったかのように足が重いのだ。学校行きたくない。
とはいえ時間とともに俺の足も自然と進んでいるもので。気付けばいつものつぶれた酒場ももうすぐ目の前だった。
「……、先輩、おはようございます」
俺の周囲に目を廻らして俺以外に人がいないことを確認すると、愛燕はいつもの仏頂面で朝の挨拶を告げた。
「唯利亜はいないんですか」
おそらく初めてのたった二人での通学路。学園へ続く大通りに沿った歩道に差し掛かったところで、愛燕はようやくその話題を切り出した。
俺は用意していた言葉を、さも今書きましたという風体でメモ帳にペンを走らせるふりをして見せた。
『風邪で寝てる』
「風邪? またですか」
一瞥だけで読み取った愛燕はなぜか、少しイラついたような調子でそう言った。体調管理がなってないとか言いたいんだろうか。なんにしろ俺にはあまり関係ないので、続けてこれまた用意しておいたフレーズを書いて愛燕に見せる。
『感染したくないから見舞いには来るなとさ』
「そうですか。それは残念です」
表情に変化はないが、本人が言うのならそうなんだろう。本当に残念そうだ。
それきり会話は滞り、俺と愛燕の間には沈黙が下りた。耳に入ってくるのは横の車道を走る車の音と学園に近づくにつれて増えていく学友たちの声くらいのもの。30cm近く下方の愛燕のつむじに視線を落としてみるが、こちらを向いてくれる気配すらもない。
よくよく考えてみれば、通学路で二人きりというより、そもそも愛燕と二人きりになる機会自体ほとんどなかった気がする。少なくとも記憶の中では全くない。つまり何を話していいのかがわからない。喋れないという以前に、俺は会話の話題を提供するのがとてつもなく苦手である。その起点を作って盛り上げられる人を本当に尊敬する。皮肉でもなんでもなく本心から。
しかも今日は、あんなことがあった直後だ。疲労がひどくて何もする気の起きないこの日この時にこの環境。必然とはいえ誰かに文句を言いたくなる。八つ当たりだけど。
とはいえ別に困っているわけでもない。むしろ疲れているのに会話を強要されるほうが辟易するというものである。……などと思っていると邪魔が入るのはもはや必然か。
「や。おはよう、奈都海」
待っていたのは、外交委員会委員長の山科由宇也だった。もう一度言う、待っていたのだ。わざわざコンビニの前で。なぜわかるか? 表情を見ればわかる。
小さく手を振りながら由宇也は歩み寄ってくる。無性に逃げ出したくなる衝動に駆られたが、さすがに失礼なんてものではないので押し留まった。
「待ってたんだ、ちょっと頼みたいことがあってね。あ、神田さんもおはよう」
「おはようございます」
愛燕が頭を上げたのを見てから、「学園行きながら話すよ」と言うので俺は由宇也に並んで歩くことにした。その反対側に愛燕がとことこと小走りで並ぶ。思わず由宇也に合わせてしまったが、さすがに愛燕には少し早すぎたようである。いつも通り愛燕に(と普段は唯利亜にも)合わせて歩幅を小さくする。先行した由宇也もすぐに気付いてこちらに合わせてくれた。
『で、なんだ』
と落ち着いたところで口を動かしながら視線で問う。たった半年の付き合いとはいえ由宇也も慣れたもの、「うん」という相槌から話し始めた。
「午後からさ、付き合ってほしいんだよ」
『どこに?』
声は出ていなくてもこの程度なら口の動きだけで察せられるものである。多分。
「総嬢院。学祭のことで行かなきゃいけなくて、ついてきてほしいんだけど……」
総嬢院。その名前を聞いた途端、条件反射で拒絶の意思がわいてきた。俺でなければ眉間にものすごい皺が寄っていることだろう。俺が表情に感情の出にくい人間でよかったと心底思う。
俺はメモ帳とペンを取り出した。
『午後からだと授業もあるし』
「その点は大丈夫。委員会活動として先週のうちに申請してあるから適当な補習だけで出席扱いにしてもらえる」
やはり知っていたか。俺が知っているのだから当然だろうけども。ならばと思って俺はさらに書いてみる。
『副委員長はどうした』
「海外の親戚のお葬式らしくて一週間くらい学校には来れないって」
『俺以外にも適役は』
「他の生徒会の人は3年生ばかりだから受験勉強の邪魔できないでしょ」
『俺にも委員会があるし』
「副委員長が優秀だからいなくてもなんとかなると思うけど」
『別に一人で行ったって』
「わかった。奈都海は行きたくないんだね?」
いくらかの応酬の後、ついに由宇也は俺の本心を看破した。まずいと一瞬思ったが、これは逃れるチャンスではないか。……そんな甘くないことはわかっていたのに。なぜ俺は希望を持ってしまったのだろう。
俺がうなずく直前、遮るように由宇也は、
「委員会活動で単独行動は厳禁。特に学外活動では、ね。知ってるよね、奈都海なら?」
笑顔で最後の希望を打ち砕きやがったのである。
「ナツ先輩、おつかれさまです」
もはや逃れ得ぬ運命であることを俺は、ついに悟ったのである。
慈悲とかその辺に転がってねーかな……




