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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
24/34

第1章#14 崩れゆく


 書いていて、今までで一番はずかしい回でした





 浄美未来小と浅木久宮が出会ったのは、僅かに2年前のことである。

 ロサンジェルス支部より転属した西園寺九能准将、彼女によって中国支部に設立された第一特殊遊撃小隊に二人が選抜され、招待された際に初の対面を果たした。

 その時の二人を見た者は、その滑稽さに途方もない呆れを懐いたと言う。

 久宮は、その源血の特性が“放つこと”であるが故に、感情を内に抑制できない。対して未来小は、“待つこと”を本質に持ち、自分の意思でのアウトプットを一切できない。インプットをして初めて、それに反応する形で行動ができる。

 端的に言って真逆である。この二人の性格、源血の特性は、そもそもは全くの真逆で相容れない存在だったのである。

 なぜこんな二人を九能は自らの部隊に起用したのか、周囲の者は何一つ心当たりもなく、その理由を想像することすらできなかった。


 理由は、疵術師の特徴の一つにある。

 それが、源血の特性がその疵術師の性格に影響する、という性質である。ただ、その影響の仕方も一つではない。大別して、主に2つのパターンがある。

 まず、源血の特性が、その疵術師の成長段階、人格形成の段階で影響してくるというパターン。源血の特性が強すぎて、喉応術性神経が活性化するまでもなく源血が人格を矯正してしまう。

 そしてもう一つが、喉応術性神経の活性化後に、その疵術師の性格や肉体に影響を及ぼすというパターンである。身体を廻る魔力を介した間接的な影響であるため、環境次第では修正も可能であるという点が前者とは大きく異なる。

 この後者のパターンに当てはまるのが、未来小と久宮であった。九能は、この二人の日常生活にも支障を来しかねない性格を矯正するために、真反対の特性を持つ二人を同時に起用したのである。




 ――かくして二人は、恋という外に向かう感情と愛という内に向かう感情を、はじめて手に入れることができた。




◇◇◇ ◇◇◇




 悲恋の物語など、探すまでもなくそこいら中に転がっているものである。




 いったいどうしたことだろう。DMFBが強すぎる。

 倒せない。

 今まで羽虫の如く叩き落とされていた異形どもが、だんだんと確実に、干渉力を強めて――つまり強くなってきていた。

 未来小の放つ銃弾一発で沈んでいたのが、5発、6発と連続で撃ち込まなければ倒すことができなくなった。久宮の拳一つであっさり砕かれていたのが、さらに蹴りを加えてもなお反撃してくるようになった。

 1体にかける時間が長くなり、必然的に意識を割ける余裕がなくなることで隙が生まれる。

 よって、未来小がこうなることは必然だった。


「あ……っ……?」


 それまで絶え間なく地を駆けていた未来小が、間抜けな声を上げると同時に足を止めた。

 正確には、止められた。異形の、金属質の爪が未来小の腹部を貫いていたのだ。

 即死しないのは、偏に疵術師故の超常。未来小は自らの源血に従って、身体を捻って爪を腹から引き抜くと、その勢いのまま反転して両の銃を3発ずつ連射した。

 そのDMFBは6発の銃弾によって穴だらけにされて絶命、魔力に帰して拡散する。しかし、地面に着地しようとした未来小は踏ん張りのきかない膝を折って、無様にも倒れ込んでしまった。即死しないとはいえ、腹に大穴を開けていつまでも生きていられるほど疵術師は丈夫ではない。未来小の受けたその傷は、致命傷に近いものとなっていた。


「……ぁ、れ」


 手を地について立ち上がろうとするものの、力が入らず少しも身体を浮かせることはできない。小刻みに痙攣にも似た動きを繰り返すばかりで、四肢はもはや機能していなかった。出血も酷く、地面の人工芝は元々そうであったかのように真っ赤に鮮血に染まっていた。

 満身創痍の獲物を前にして、それを見逃すDMFBではない。久宮と戦っていたものまでが、血の臭いに誘われて未来小の下へ向かった。

 自分の戦いに集中していた久宮は、それに気付いてやっと、未来小に異変が起こったことを認識した。


「マジかよ、マジかよ……おいおいおいおい……、おい、未来小ぁ!!」


 先んじて未来小の下に向かおうとするものの、DMFBが妨げになって前進すらままならない。

 タヌキに似た異形の横っ面を燃える拳で殴りつけ、その衝撃に炎を乗せてさらに前方を焼き尽くす。それでもまだDMFBは久宮の行く手を遮る。


「ふざっけんな、雑魚どもがぁ……どけってんだよ!! おぉぁらあああぁぁぁっ!!」


 咆哮と同時に、両手から熱気と冷気を放出する。それは渦を巻いて集束し、劫火と吹雪の混じり合う巨大な竜巻となってDMFBの群れを薙ぎ払った。久宮が通常状態で行使しうる最大級の魔術である。燃える拳や冷気を纏う脚よりも遥かに強力なその魔術は、苦戦を強いられていたDMFBも蹴散らしていた。

 だが、その代償に消費も激しい。未来小をその目にする頃には、息も絶え絶えになっていた。


「……、……」


 久宮は、疲労も忘れて絶句した。DMFBに囲まれて、いったい何をされていたのか。未来小の姿は変わり果て、肉塊にも等しい様相と化していた。しかし、まだ未来小には息がある。あれだけの数に集られていながら、死んでいなかった。肉塊とは言ったが、四肢もまだ欠けてはいなかった。

 なぜ。考えたが、恐ろしくおぞましい発想しか出て来ない。考えたくもない、人外の発想だ。

 ファントムがそう命じていた可能性。殺さずいたぶれと、そう命じられていれば、こうもなる。

 当然ながら、久宮は憤怒を覚えた。この異形ども、怪物ども、畜生どもを許してはおけない。未来小をこんな姿にしたファントムどもを、自分の手で葬り去ってやる。

 感情はすぐに、彼の放つ魔術に反映された。


「ぁ……あ゛ぁ……」


 怒りが飽和し、久宮の口からは呪詛にも似た唸り声が発せられる。


「ああぁぁぁ、あぁ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 再びの咆哮とともに、彼の周囲を劫火と吹雪が取り巻く。それらは、不思議と未来小だけは避け、DMFBだけを呑み込んで掻き消していった。

 その顔は、まるで獣のような狂乱の様相。しかし、このように錯乱じみた豹変も致し方ないことであった。今までともに戦い続けてきた仲間を失って平静でいられるほど、久宮はまともな冷静さを持ち合わせてはいない。

 それ以上に、浄美未来小という人間を目の前で蹂躙されて、どうして正気を保っていられようか。

 今までは確かに、未来小が自分にとってどんな存在なのか、考えないように、訊かれてもはぐらかすようにしてきた。

 もはや取り繕う意味はない。こんな形で自分の想いを裏付けることになろうとは不本意も甚だしいが、しかしこれ以上は是非もない。想いとはつまり、怒りの原動力である。憎悪の源泉である。あらゆる感情は紙一重にある。抑圧する術がない。


「――ッッッィ、アアアアァァァァァッ!!」


 久宮が腕を一振りするだけで、逆巻く炎はDMFBを焼き尽くす。燃えるような彼の怒りは、意思を持った生物のように正確に異形だけを捉えていた。

 久宮の咆哮は、極寒の冷気をもたらしてDMFBを氷の彫像に帰す。凍てつくような彼の憎悪は、極寒の寒冷地のように無差別かつ無慈悲に異形を襲っていた。

 この時の彼に理性はない。獣のように――否、生物としての尊厳すらも否定する無計画で不必要な殺戮は、もはや獣にも劣る畜生の業である。

 彼の異様な闘気と未知の感情を含んだ魔力にDMFBが引き寄せられ、久宮はさらにそれを殺していく。本来であれば彼が殺す必要のない数のDMFBが、彼の周囲を取り囲んで黄泉の道への順番待ちをしている。当然、そうなれば彼の魔力はいずれ尽きる。それ以前に肉体の防衛本能が働いて休止状態に陥らせるはずだが、今の久宮は自身の肉体すら無視して、戦い続けていた。


「ァスカァァァ……、アスカァァァァァァァァッッ!!」


 女の名を叫ぶ。戦場においてそれは、限りなく死に迫った時の女々しい泣き言でしかない。だが、久宮のそれに関して言えば、これ以上雄々しいものはなかった。

 友を失った時、肉親を失った時、愛する人を失った時、魔力は簡単にそれを放つ者の限界を超える。限界を“放つ”というその行為において、久宮はその本質を総動員することができた。




『  ひ、 ゃ ……』




 久宮の絶叫に、返答があった。

 とても小さい。戦場の音どころか人の呼吸音にすら容易に掻き消されてしまうほどに小さい。耳を澄ませていても聞こえるかどうかは怪しい。それほどに小さく、生気に乏しい声。

 だが、久宮には聞こえた。しっかりと、聞き慣れた声で、何を言っているのかもわかるほどに確固とした声として、それは久宮の頭の中に反響していた。

 戦う手は止まらない。まるで久宮の脳から切り離されてしまったかのように、彼の手足はDMFBの殺戮をやめない。それでも久宮は、頭に残る彼女の声を確かめたかった。


(未来小……、未来小なんだな!? そうなんだろ? なあ!)


『ぁ、は……は……死に、かけ……だけどねー……』


 聞いた途端、久宮は全身から力が抜けたかのような錯覚に陥った。もちろん錯覚であり、現実には久宮の手足は異形を灰や氷像に変えて暴虐の限りを尽くしている。

 しかし、未来小が生きていることに希望を懐くことができた。まだ、生きているのだ。


(よかった、本当に……、もう……いや、生きてんならなんだっていい。今俺がこいつらを掃除してやるから、お前はさっさとその傷、治して――)


『……もう、いいよ……戦わ、ないで…………』


(……あ?)


 久宮の放った炎弾が、未来小に取り付こうとしていたDMFBの半身を燃やしながらそれを吹っ飛ばした。

 未来小は久宮を止めた。これ以上戦うなと言っているのだ。今の未来小を守っているのは久宮だというのに…… 満身創痍の未来小を守れるのは自分だけだと、久宮はそう思って全力を振るってDMFBを撃退している。魔力の浪費だとは思っていない。未来小を守れているのだから。


『いい……から、ひさみやが、死んじゃう……』


(ふざけ……なに言ってんだよ、おい……?)


 生きている、またもう一度生きて会える、と懐いた希望が、他ならぬ未来小によって少しずつ崩れていく。否定された希望は、絶望に豹変して久宮の精神を襲う。

――なぜ未来小は俺が戦うことを否定する?


『……にげ、て……わたし、なんか、いい……から……!』


(……まれ、……黙れよぉ! お前がんなこと言うなよ! やめてくれよ……)


 闘志が薄れる。殺意が散る。本来は意地になってでも戦意を保たなければならない場面でありながら、久宮の中の感情は急激に冷めていった。

 同時に、放出される炎が消え、冷気だけが場を覆う。立ちつくす久宮と骸に近い未来小を中心に残して、その冷気は渦巻いてDMFBの侵入を阻んでいた。この時だけ、二人が二人だけになれる空間が生まれた。


『君は……よく、がんばった、よ……、も……いいから、ね…………逃げ、て……生きて』


(やめろ……やめろやめろぉ! お前に……未来小に言われたら、俺、甘えたくなって…………くっそがぁ!!)


『甘え、てもいい、から……ね、最期、じゃん……?』


 自分の感情がわからない。未来小に言われたからといって、どうしてその通りにしたくなるのか。未来小をどうして見捨てなければならない? 好きなんだろうが? なら、たとえそいつの言うことであったとしても、無視して守らなきゃならないはずじゃないのか?

 甘えたくなる……? 何に? 未来小の言葉にか? 逃げていいよと、その上で生き延びろと、そんな風に言われた言葉にか。

 冗談じゃない。好きな奴を見捨てて、どうして生きていける。俺は、後悔にも罪悪感にも縁がなかったんだ。そんなものを俺が背負いこんだら――


 押し潰されて死んでしまう。


 頭ではそう考えられているのに、久宮は思考通りの行動ができない。

 本気の感情を初めて向けた相手。それが死に瀕した時、人というものはここまで思考と行動に壁ができるものなのかと、彼の冷静な部分は意味もなく分析していた。

 久宮の葛藤に構わず、未来小は続ける。


『……最期、だから……、無駄死に……は、したくないから……』


 その言葉に、理由もわからず久宮は大きな危機感を懐いた。

 懐いた次の瞬間には、無意識のうちに叫んでいた。


「やめろ……お前、まさか……」


 《紅線》ではなく声で、久宮は未来小を制止しようとした。


「おい待てよ……そんなの許さねえぞ……」


 無駄かどうかは判断していない。届くかどうかも疑問だが、それが止めない理由にはならない。


「無駄死にって……死んじまったら全部が無駄になっちまうだろうがぁ!?」


 《紅線》を介さなくても声は届いているのか、未来小は何も言わない。もしくは届いていなくても、久宮が何を言っているのかはわかっているのかもしれない。

 なにせ、女の勘というものは恐ろしいほどに図星をついてくるのだから。


『ひさ、みやは……さ』


 久宮は黙った。未来小があるいは考え直してくれるかもという淡い希望を懐いて、続く言葉を待った。

 ――結果、久宮はもはや絶望しか残っていないのだと悟る。


『わたしの、こと……好き、なのかな……? ……なん、て……』


 聞いて、悟ったのである。これが最期なのだと。故に未来小は、お互いの想いを確認するのだと。

 久宮の答えは、会ったその時から決まっていた。


(当たり前ぇだろーが……じゃなきゃ、今までお前みたいな女と付き合ってこられたかってんだよ)


 《紅線》を通して、未来小がくすりと笑う気配がした。この状況でよく笑っていられるものだと感心すらしてしまう。久宮もすぐに、自分の言えたことではない、と同じように笑ってしまったのだが。


『……よか、った…………死ぬまえに、きけて』


(俺も、よかった。お前が、逝く前に言えて)


 ……………………

 ……………

 ……


 最期だった。

 別れの言葉を交わすこともできなかった。さようならの一言も言えなかった。ありがとうの五文字すら告げることができなかった。

 彼女の気持ちを問うこともできなかった。自分だけが打ち明けて、彼女のそれは聞けなかった。彼女の言葉で聞きたかったのに叶わなかった。

 ただ一つ、久宮の想いを確かめるという、それだけを果たして、彼女は――




 浄美未来小は死んだ。




「ッッッ、ウアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ――――――ッッッ!!!!」


 絶叫と同時に、周囲を渦巻いていた冷気は劫火の氾濫に取って代わった。

 灼き尽くし、燃やし尽くし、その劫火はDMFBを容赦なく呑み込み、炭化させた。ただの一度の劫火の波で、数十のDMFBが葬られた。

 この威力は、やもすれば疵術師の中でも異常に近いレベルのものだったかもしれない。しかし、当の本人である久宮は、そんな些事に構っていられるような精神状態ではない。

 未来小を奪ったDMFBを、とにかく多く、とにかく自分の手で、とにかく残虐に、ただひたすらに、殺し尽くすまで殺さなければ、この怒りや憎しみは収まりようがない。そして同時に、久宮は未来小の骸をその場に置いて、DMFBの一群を追った。

 復讐に囚われてしまったからではない。未来小は、無駄死にだけはしたくないと言った。であれば、未来小は何か置き土産を置いて死んだはずだった。それに巻き込まれるのを避けるために、久宮はその場を離れた。もちろん、DMFBを殺すためでもある。

 魔術師の死後の排出される純性魔力は、DMFBにとって格好の餌になる。そして今はまた、未来小の遺言の如き死に際の置き土産に巻きこむための、最高の釣り餌となる。

 久宮の魔の手から逃れた異形たちも、未来小の下へと向かう。一向に拡散しない純性魔力に疑問を懐くような知能もない彼らは、未来小が最終手段を行使するために死に際に体外に排出した純性魔力が拡散して食べられるようになるのを、ただただ待っている。

 それが、自らの命を狩り取る死神の鎌だとも知らずに。

 未来小の源血の特性は、“待つこと”。外界からの刺激を受容し、それに反応することで行動する。敵意を向けられれば敵意で返し、殺意を向けられれば殺意で返す。好意を向けられれば好意で返し、もし行動を向けられれば同じ行動によって意志を返す。

 ならば

 彼女が死を受容した時は、どうなるだろうか。

 ……

 簡単な話である。死には、死で返す。

 未来小の源血、つまり純性魔力は、肉体の死を確認したその瞬間に、それに触れたものすべてに死を与える万能の猛毒と化す。

 それが拡散した瞬間に、死を撒き散らす猛毒の雨となるのである。

 待つDMFBの中に、それに気付くものはない。もし気付くものがいたとしても、逃れる術は既に取り得ない。




 戦う久宮の遥か背後で、光柱が生じた。




 それでも久宮は戦う手を止めない。

 本当は泣きたい。あいつを失った悲しみや痛みを、涙として放ちたかった。本当は悲しみのほうが怒りより勝っていた。本当は痛みのほうが憎しみを凌駕して余りあるほどだった。

 それでも戦わなければならなかった。

 悲しみに浸っていたら、痛みに耐えていたら、自身の上にかかる後悔や罪悪感に押し潰されそうだったから。だから彼は、戦ってそれを忘れようとした。

 戦って戦って戦って――……

 ひたすら戦って、自分に死という神罰を与えてくれる存在を求めて――




 久宮に神罰という救いを与えたのはDMFBであった。

 それは、当然の因果であり、しかし彼にとってはこの上なく理不尽な結果であった。




◇◇◇ ◇◇◇




 深夜と天代、この二人は、江倉宮台より500mほど離れた位置から戦況の監視を行っていた。

 二人は、樹齢が何十あるいは百にもなろうかというある神社の御神木の一つの枝に並んで腰を据えている。深夜は、得意とする魔術による戦場の把握を安全な距離から行うためにこの場にいてもおかしくはないのだが、天代に関してはここにいる意味は全くもってない。魅戈をDMFBの群れの真ん中に放り込んだ後は御役御免であり、支部に戻る手はずであった。

 それを無視したのは、天代本人の意思による。深夜はこの天代のいわゆる命令違反を隊長に伝えることもせず、傍らに在るに任せていた。何より、今の深夜に天代如きに構っている余裕はない。

 特殊遊隊が交戦を始めて、そろそろ2時間が経とうとしている。隊員らにも疲労が蓄積し、集中力も途切れてくる頃だ。常人にはない魔力による疲労回復も、これだけのDMFBがいると効果は期待できない。ほとんどがDMFBによって汚染されているからだ。いわば、彼らは酸素の薄い山頂で戦っているようなもの。敵の数が多いということは、そういった不利な状況でもあるということになる。

 故に、深夜は戦況の把握に余念がない。もし万が一にも戦死者が出た場合、その情報はすぐに掴んでおかなければならない。一人にかかる戦力が非常に大きい現状では、たった一人の戦死が戦況に大きく影響するからだ。

 また、九能から“例のアレ”を発動したという報告がまだない以上、死というのは即ち敗北である。……それ以外に死は何を意味するのかと問われれば、深夜は即座にこう答えるだろう。――黙って見ていろ、と。


「……さすがに精鋭揃い。まだ持ちますか」


 呟いた深夜に、天代は首を傾げる。まるでこの後に、さっさと諦めて死んでしまえ、とでも続きそうな言いようであった。

 しかし、深夜の切羽詰まった表情を見て、ここまで持つとは、という驚愕がそこに混じっていることに気付いた。もう既に死んでしてもおかしくない、それほどに分の悪い戦いを隊員はしているのだということを、天代は深夜の表情を見て改めて思い知ったのだ。

 この二人が真にDMFBの脅威に直接触れることは、今までなかった。故に、他の隊員がDMFBと戦う、そのことに関して理解が乏しい。自らに死を齎す異形の爪牙が間近に迫る緊張感や危機感。自らの能力が通用するかどうか、するとしてどうすれば最も有利に戦えるか、しないとしてどうすれば最も不利な状況を回避し得るか、それを常に考え続けることによる疲労感。周囲を敵に取り囲まれた時の絶望感と、それを乗り越えるための蛮勇さえも超越して割り切った諦観。どれも、深夜と天代が味わうことのできなかった戦場の空気である。


 それを知らない二人は、徐々に近づいてくるDMFBという名の絶望に気付くだけの、戦場の勘を持ち合わせていない。


 唐突に、深夜の視線のその向こうで、小さな光柱が発生した。その輝きは数秒だけ周囲の暗闇を照らし、やがて消えていった。天代は何が起きたのかわからないが、深夜は視線を動かさず、同じ方向を険しい表情のまま注視し続けている。

 ――10分後

 光柱の発生した場所とほぼ同じ場所で、今度は光柱とは比べ物にならない光量を持つ炎柱が、まさに天を貫かんが如き勢いで、数本も昇っていった。炎柱は夜の暗闇を昼の景色に塗り替え、数秒遅れて500m離れた深夜と天代の顔面を熱風が叩いた。


「う、わ……っ!」


「……」


 その熱風の熱に、二人は思わず目を瞑る。それでも深夜は、魔力の読み取りを続けていた。

 が、わざわざ魔力を読むまでもなく、深夜はあの二度の現象がなんのかは知っている。ともに戦っていた未来小と久宮、その二人が死に際に残した最期の大魔術――つまり『源破顕現』である。まだ通常状態で顕現ができない二人は、死ぬ時の純性魔力排出に乗じて源破顕現を行うという手段を取る。

 深夜は、未来小と久宮が戦死したことを、ここで把握した。


「……准将」


 九能に呼び掛けるも、返答はない。戦闘中なのか、返答する余裕もないのだろうと判断して、深夜は続けた。


「浄美中尉と浅木中尉が、戦死しました」


「え……」


 横からの驚愕の声は、一瞥するだけで黙殺した。

 《紅線》の向こうからも、雰囲気の変わる気配がした。天代のように驚いている様子ではないが、それでも若干の焦りは感じ取れた。深夜だからこそ読み取れる変化である。

 二人を失ったことによって、特殊遊隊は猶予も余裕もなくなった。隊長である九能はそれを悟り、《紅線》を通して生存している隊員に告げる。


 ――深夜と天代の二人は、それを聞くことができなかった。


 突如、二人の座る御神木が、ミシミシと不穏な音を立て始めた。

 訝しんだ二人が下方に目を遣ると同時に、その音はメキメキという決定的な音に変じ、御神木の幹がその自重も手伝っていっそ豪快なまでに崩れ倒れた。

 二人は、天代の翼によって無事だったが、社叢の中のいくつかの木が巻き込まれて神木とともに土煙を上げていた。


「あの……大丈夫ですか。怪我とかは……」


「ええ、大丈夫です。ありがとう、天代くん」


 天代に感謝の言葉を言う深夜は、しかしその意識は全く別のところにあった。

 数十m下、まだ残る神木の根元、そこに神木を倒した存在がいないかと神経を集中させていたのだ。だが、深夜の索敵能力を持ってしても、何かしらの存在を感知することはできなかった。


「天代くん、何か見えますか」


「え……っと、何かって……」


「なんでもいいので何か。この木を倒しうる存在が、何か見えませんか」


 天代の肉眼に頼ってみても、芳しい答えは返ってこない。

 本能的に危険を感じ取っているのか、天代は地面に降りようとはしない。普段であれば、この判断は正しいものであった。上空であれば、情報のアドバンテージはこちらにある。相手の姿を先んじて捉えることは既にできなくとも、可能な限り迅速に敵の居場所を確認するのは重要事項と言える。それが、上空では比較的容易にできるということは、天代も知っていた。


「やはり見えませんか」


「はい……すみません」


「いえ、別に謝る必要は――」


 深夜の言葉の途中で、天代が悲鳴を上げた。

 反射的に天代の顔を見ようとしたその前に、深夜の身体は宙に放り投げられた。重力に従って落下する中、深夜はパニックになりそうな頭をなんとか静めて、自身に重量軽減の魔術をかける。


「ね、深夜さ――!」


 しかし、魔術をかけるのが遅すぎ、その干渉力も足りなかった。深夜の身体は地面にしたたかに打ちつけられ、叫ばれた天代の声もその瞬間に途切れた。

 視覚も聴覚も麻痺し、痛覚だけが深夜の脳を支配する。肺が潰れたような錯覚に陥り、息を吐こうとしても吸おうとしても上手くいかない。

 天代は、深夜の上に翼を広げて覆いかぶさっている。悲痛な表情で何かを叫んでいるが、深夜には全く届かない。まだチカチカと星の舞う視界を廻らせてみると、天代の背の右翼が中途で千切れているのが見えた。

 天代が自分を落とした理由を把握し、しかし、だから何が変わるというほど余裕のない深夜は、心配ないと告げるために口を開けようとした。……が、喉や舌は痙攣を繰り返すだけで、意味のある言葉を紡いではくれない。それを見た天代は、さらに表情を泣きそうなほどに崩して何かを必死に叫び始めた。もちろん、今の深夜には聞こえない。


――あー……ダメです。もしかしたら……


 深夜の中に諦観が生まれた直後、その視界が赤く染まった。赤いそれが何なのかは、自分がどうなったのかということと、天代の表情で察することはできる。

 自覚すると途端に、意識が朦朧とし始めた。五感の中で唯一残っていた視覚も、徐々に奪われていくのがわかった。

 ――最後


「深夜さんっ!!」


 意識を失うその直前の一瞬だけ、取り戻された聴覚は天代の声を捉えた。




◇◇◇ ◇◇◇




 残された天代は、深夜が完全に目を閉じてしまっても呼びかけ続けた。

 何度も何度も、彼は、初めて目の当たりにする近しい人の死を受け入れられず、それを認めることができなかった。諦めるということも、今の彼にはできない。

 深夜の死を告げる現実を拒絶するだけで彼の精神は限界であり、自身の翼を引き千切った何かを探すことも、いつの間にか繋がりの切れていた《紅線》の異変に気付くことも、できていなかった。

 何よりも、天代は目の前に降り立ったその“化け物”の正体を知らなかった。


「な……え……?」


 “それ”は、人間と全く同じ姿をしていながら、天代のものとよく似た翼を持っていた。

 ――否

 “それ”が背に持つ翼は、天代のものよりも遥かに大きく、何よりも神々しく、さらには禍々しかった。神々しさを可視化したかのような目映さは天代にも見えた。禍々しさを想起させるのは、翼の所々から突き出た捩じれた爪だった。

 天代の翼にも、それらの一端は見える。純白の翼は見る者によっては神々しくも見えよう。彼の翼にも捩じれた爪が生えている。彼の体躯から考えれば、翼長4mという大きさは分不相応に大きい。

 しかし、それ以外の面から見ても天代の翼よりも桁違いの“格”を、“それ”の翼――もしくは“それ”自体が持ち合わせていた。

 そして“それ”は、絶世の美女の姿をしていた。


「まさか……間に合わないとはね。ファントムの翼も、銘打たれるほど優秀じゃあないのかな」


 純白の翼と純白の長髪と純白のワンピースを翻して、彼女は天代と異形の間に立ちはだかる。その姿に異様なまでに似合わない大鎌を、その手に携えて。

 死神なのか天使なのか、どちらにしても迎えに来るというのならつまりは死んでいるということになるのだが、そんな疑問と妙な納得を懐きながら、天代は唐突に意識を手放した。




◇◇◇ ◇◇◇




 “彼女”がその場に間に合わなかった理由は、いくつか存在する。

 例えば、“彼女”が特に危機感を懐いていなかったこと。その場に辿りつくことに関して、本気で急ぐまでもないと判断したのである。

 さらに、“彼女”がその身体にまだ慣れていなかったこと。元々人間にはなかった器官が背にあったのだから、尚更でもある。

 結果、“彼女”が遅れたことによって一人の命が失われた。ただ、それを問題視している様子も、“彼女”には一切見られない。むしろ、ここでもう一人くらい死んでおいた方が万全だとさえ考えているくらいだ。“彼女”には、生命倫理とかいったそういう概念が欠如しているのかもしれない。たとえ他に目的があったとして、人の死に対して無感情になれる人間などありはしない。

 だから、人によっては“彼女”を人間ではないと評するかもしれない。しかしそれは、様々な面で正しい。正しすぎて、逆に間違いでもある。

 “彼女”とは、そういう存在である。普通の尺度で計ると矛盾が生じる存在。そもそも存在しているかどうかという次元で論ずる必要性すら出てくるかもしれない。

 ――閑話休題

 つまり“彼女”は、特殊遊隊を助けるために現れたわけではないのである。この数のDMFBを相手にして隊員を助けられるとも“彼女”自身思っていないし、そんな面倒なことをするくらいならはじめから諦める。

 ならば“彼女”は、何をしにここまでやってきたのか? ……答えは非常に単純だ。


『第一特殊遊撃小隊が、あの軍勢を相手にしてどこまで健闘してるか。あたしの見立て通り、未熟な連中が2,3人死んでくれてんなら、それでよし。予想以上に優秀すぎて、あるいは軍勢の方が軟弱すぎて勝ってしまいそうなら、あたしが適当に何人か手にかける。つまり、こういうこと』


 端的に言えば、危機感を煽りたかった。それだけである。

 それで何がしたいのかなど、彼女以外は知らない。知っていたとして、教える必要もない。教えたとして、理解できる者がどれだけいるだろうか。

 それに……






 理解できたとして、この段階で知って何がおもしろい?





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