第1章#11 魅せる戈
江倉宮台に到着した特殊遊隊は、その様相に目を見張った。
だいたい1km四方、150mほどの高さの小高い丘となっている江倉宮台は、小規模な林に覆われた小さな山とも言える規模がある。
だが、今はそれがDMFBの大群に支配されていた。
魔力の影響をまともに受ける普通の人間には見ることもできないそれは、しかし魔術師たちにとってまさに地獄絵図そのものでしかなかった。
魑魅魍魎の徘徊する丘。その威容は、直視するにはあまりにもおぞましい。見慣れているはずの疵術師ですらそう感じるほどの数と密度のDMFBは、もはやこの世の概念の埒外にある。
異形の群れで作り上げられた地上の黒い積乱雲は、シャワーの代わりに濃密の負の感情に汚染された魔力を撒き散らしている。近づけば、たとえ高密度故に高干渉力の魔力を体内に有する魔術師であっても、精神状態への影響は多少では済まないだろう。
だからといって、彼らはここで引き返すわけにはいかなかった。逆に、引き返してどうするというのか、もしここでやめようと一言でも言った者がいたのなら、彼もしくは彼女は――否、そんなことを言わないからこその特殊遊隊。九能は、敵の力を見ただけで矛を納めるような腑抜けをこの部隊に引き入れた憶えはない。
小隊の中に言葉はない。光景のおぞましさに気圧された沈黙ではなく、武者震いに似た、勇猛さや果敢さを内に秘めた沈黙だった。
ある程度、丘に近づいたところで、彼らの進行は止まった。
先頭は九能。隊長である彼女は、目の前の渦巻く大群を見上げてから口を開いた。
「久宮、未来小……一番槍、任せるわ。思う存分暴れてきなさい。」
言われて、一人の女と一人の男が前に出る。その顔は冷たい無表情と獰猛な笑み、その対照的な表情でDMFBに相対していた。
「オーケイ、任せてください。蹂躙なら俺らの得意分野。好きなだけ、いくらでも殺していいんすよね?」
「……ま、やってみるから」
久宮と未来小。二人は並んでDMFBの群れへ正面から向かう。
特に必要もない言葉は交わさず、残った3人は久宮と未来小を見送った。敵があれだけの数であれば、一斉に仕掛けても時間差を作っても、大した違いはない。
残ったのは九能と奈都海と深夜。他の隊員たちは、既に丘の他の方角に向かっており、別々の方角から各自に攻勢をかける予定である。もちろん、九能と奈都海はまっすぐファントムの下へ向かう。
二人が爆音と閃光とともに黒い異形の激流に身を投じた後、九能は背後の深夜を振り返り、ここからは護衛がいなくなることを告げた。
「深夜は《紅線》の維持とDMFBの動向の観察を。丸腰になる上にこれだけの数だから、2,3度は覚悟しておいて」
「……なるほど、了解です。今回はさすがに、出し惜しみもできませんか」
九能のセリフに込められた意図を正しく汲み取り、深夜は深く頷いた。九能もそれに首肯で返す。
「ええ。最終手段ではあるけれど。“これ”を前提にして戦うわ」
「それしかないかと。この期に及んで反対は致しません。……では、ご武運を」
深夜の最後のセリフは、通信術《紅線》によって隊員全員に伝えられた。未来小と久宮に対しては今さらだが、その二人も含めて皆の無言の感謝が深夜に返される。隊員の覚悟を改めて認識し、深夜は九能と奈都海を、こちらもまた無言で送り出す。
「…………」
二人がこの場を離れ、深夜は一人になる。
まともな戦闘能力を持たない深夜は、九能も言ったようにDMFBに対して丸腰も同然になる。1体程度ならばまだしも、複数体のDMFBが深夜に標的を定めたが最後、深夜は死を待つばかりとなる。
そこまで脆弱でありながら今まで深夜が生き残れてきたのは、偏に護衛に恵まれてきたからである。それがいない今、深夜はこれ以上ないほどに死と隣り合わせの状況にある。何かが食い違うだけで命に危険が及ぶ、というより、何かが食い違わなければ深夜が生き残るのは難しい、とまで言ってしまってもいい。
だというのに、深夜には恐怖がない。いや、確かに死への恐怖、自分の身体が損なわれることへの忌避感はもちろんあるが、自分が本質的に失われる懸念は一切ない。
矛盾しているようだが、魔術というものはその矛盾する道理を一貫させる術である。その極限を身を持って知る深夜は、だからこそ彼らが死地へ向かうのを、無言で見送ることができる。
「さて……待ちますか」
何を待つのかは、彼女自身にも定かではない。
◇◇◇ ◇◇◇
九能に言われてDMFBの積乱雲に近づく未来小と久宮。目標は、すぐ目の前である。
だというのに、DMFBは二人に攻撃を加える様子がない。二人の接近に気付いているかどうかも怪しい。一心不乱に丘の斜面を駆け抜けていくだけだ。
これではダメだ。久宮はそう思った。未来小の源血は“待つこと”という受動性を特性にしている。完全に戦闘モードに入った未来小は、その特性を表出させる。自分を主体にして何かをすることはできなくなる。相手に何かをされてはじめて、未来小は迎撃という形で戦える。
まず、久宮は自らの拳に炎を纏わせた。地を蹴り、DMFBの大群の中に自身を投げる。
「ウッラァ!!」
手近にいたDMFBに燃える拳を叩きつけ、爆音と爆炎で漆黒の積乱雲に一点の光を穿った。
――瞬間
DMFBの目が、敵意が、ようやく二人へ向けられた。途端に、その獰猛な本能を露わにしてDMFBは仇敵である疵術師に牙を剥く。
この行動パターンは見たことがなかった。DMFBは疵術師が近づいてくると、逃げるか襲ってくるかのどちらかしかしない。仲間が攻撃されてやっと反応を示すなど……感覚器が異常に鈍いとも思えない。現に、仲間の死には反応している。
ともかく考えるのは後だ。疑問の考察に数秒を無駄にした久宮は、ひとまずはそう結論付けて、自分たちを襲うDMFBの掃除に取りかかる。
まずは未来小を戦わせねばならない。未来小一人に処理できる数のDMFBを素通りさせ、未来小を襲わせる。
未来小は、自らの柔肌を容易に抉るだろう異形の爪が迫りくるその直前まで、微動だにしない。だが、その様子を視界に入れながらも、久宮は止めに行くこともなければ名前を叫んで注意を喚起することもしない。その必要がないからだ。
未来小もまた、自分の死の到来を座して待つわけがなかった。
統率を執る者がいないが故に乱雑で、DMFBの一つ一つの攻撃には僅かな時間差が生まれる。つまり、下手に纏まっているよりも遥かに避けにくいのだ。
――それを未来小は、半歩後退し上体を僅かに反らせるという最小限の動きだけですべてをいなした。
その一撃で仕留めるつもりだったDMFBには、致命的な隙が生じる。未来小は両腿のホルスターからいつもの“DEVA”と“クレアM‐11”を抜き、翼のように真横に拡げ掲げ、同時に引き金を引く。
銃声と同時に、2体のDMFBの頭部が吹き飛んだ。
続けて身体を90度回転させて一発ずつ、元は前後にいたDMFBを葬る。今度は45度廻して、逃げようとしたのか背を見せていたDMFBのその背に一撃。これだけで、未来小を取り囲んでいた6体のDMFBが一瞬にして消滅した。
久宮は身体の半分が頭という二頭身の猫をアイアンクローで焼き殺しながら、未来小の戦果に「ヒュウ」と称賛の口笛を送る。未来小もそれに薄い笑みで返しつつ、攻撃を仕掛けてきたDMFBを撃ち殺した。
未来小は“待つ”。自分が主体となれるのは、まず自分が客体になったその後である。敵意を向けられれば敵意で返し、殺意を向けられれば殺意で返し、好意を向けられれば好意を返す。本来の未来小は、そうしなければ行動できなかった。
逆に、ただ純粋に殺意だけを向けてくるDMFBを相手にした時、未来小ほど躊躇や迷いを捨てられる者はそういない。純粋な殺意には、純粋な殺意しか向けられないのが未来小である。そこに不純物が入り込む余裕などない。
さながら殺戮マシーンのように、未来小はDMFBを狩っていく。
銃声が響くと同時に、それと同じ数のDMFBが倒れ伏す。その高い身体能力に任せてDMFBの群れの間を縦横無尽に駆け回り、すれ違う異形は悉く葬られていく。
もはや二人の間には言葉はない。それはいつものことだ。戦いになると、未来小は黙々と任務を遂行する。
ただ、今回だけはなぜか、久宮の中に一抹の不安が凝っていた。
◇◇◇ ◇◇◇
魅戈と天代は、江倉宮台の上空にいた。
いや、正確には、魅戈を抱いた天代が上空にいた、と言った方が正しいだろう。
自分よりも背の高い19歳の魅戈を、小学生の天代が抱いていられるのは、天代が魅戈にかけている重量軽減の魔術のおかげだ。深夜に教わった汎用魔術だが、天代は数日で完璧に習得してしまった。飛翔術といい、どうやら天代は重力操作には長けているらしい。魔術師全体で見れば、かなり稀少である。
そんな自覚はもちろんない天代は、眼下に広がるDMFBの黒い塊を見て慄くだけである。
「天代くーん。痛いよー」
「え……あっ、ごめんなさい!」
緊張のせいか、知らず魅戈の肩にかけていた手に力が入っていた。慌てて謝るも、魅戈は頬を膨らませたままで機嫌が直った様子はない。そのことに天代はさらに慌て、焦りに目を回す。それでも飛行に何の支障もないのは、天代の才能か特性のおかげだろうか。
ともかく天代は、魅戈のご機嫌を取ろうと頭の中で色々と考えてはみるものの、残念ながら彼には女性の機嫌を改善させられるようなスキルはない。考えれば考えるだけ焦りは募る。
しかし、そんな天代の頬に、魅戈が手を添えた。
「大丈夫だよ、天代くん」
あなたが原因なのですが、と思わないでもなかったが、気付けば落ち着いていたので、戦いに際しての緊張にも魅戈の言葉は効果があったらしい。天代は感謝の言を述べてから、目的の場所へ向かうために自身の2倍近くもある翼を羽ばたかせる。
「魅戈はねー、お姉ちゃんなので怒ったりはしないのです」
「はは……えっと、それではそろそろ、いいですか?」
魅戈はその能力故に一人での作戦を強いられる。天代も魅戈を運ぶだけであり、ともに戦うわけではない。いいですか、というのは降ろしてもいいか、と言う意味である。
もう予定の地点の上空には到着している。あとは魅戈を地上に降ろせば、それで天代の仕事は終わりである。
だが魅戈は、首を横に振った。
「まだまだ。九能ちゃんから合図が来てからだからねー」
「そ、そうですか……」
思惑が外れて、天代は憂欝な溜息を吐いてしまう。これほど心臓に悪い場所には長居したくなかったのだが、上司の命令では仕方がない。戦いのいろはが全くわからない天代は、上司の言葉がなければ怖くて行動ができないのである。
今のその上司が魅戈なのだが、別に魅戈に指示を仰ぐ必要はない。隊員は皆、《紅線》で繋がっている。
そうすると必然的に、二人とも、九能の号令を待つばかりですることがなくなる。天代も、滞空することには特に意識を割く必要もなく、手持無沙汰になってしまった。
することがなくなると、天代の性格上、考えることが多くなる。しかも、ネガティブな方向のことばかりを。今日もまた、例外ではなかった。
「……」
「? どしたの?」
「いえ、なんでも……」
天代の抱き方の関係上、魅戈とは常に顔が合っている状態になっている。天代は心中を表に出したつもりはなかったが、魅戈は表情の微妙な変化を見て取って指摘したのだ。こういう何も考えていなさそうな人間のほうが細部の変化に敏感だというのはお約束だが、まさか魅戈まで当てはまるとは、天代も思ってはいなかった。……かなり失礼なことを考えているということには、なぜか気付かない。
天代が考えていたのは、親のこと。
考えてみれば、まともに親の存在が知れているのは、奈都海と唯利亜のきょうだい、それと未来小くらいのものである。それ以外の特殊遊隊の隊員たちからは、親の話を聞いたことがない。
天代も同じだ。もし親の話をしろと言われても、それはできない。親の名前も顔も、知らないからだ。強いて言うなら、孤児院の職員が親代わりだっただろうか。今では彼らの下も離れて、支部が家となっているために親と呼べるような存在も……いるにはいるが、まだそう呼ぶには後ろめたさが先に立つ。
――自分のことはいい。それはただの回想で、時間つぶしに考えるには浪費も甚だしい。考えるなら――そう、例えば魅戈のこと。
彼女の親は、いったいどんな人間なのだろうか? そもそも、まだ存命なのだろうか? 生きているとしたら、今どこに? いないとしたら、なぜ? 隊員皆に当てはまる疑問。自分に実の親の記憶がないために募るどうしようもない好奇心。
どうせ考えたところで、答えなど出るはずもないのに。
親というのはいったいどういうものなのかと、考えてみる。親を知らない天代にはわからない。だが、魅戈はどうだろうか。魅戈にとって親とは……?
「……あの」
「ぅにゃ? どしたの?」
疑問が浮かんだ瞬間、天代は知らず口に出していた。訊くつもりなどなかったが、口にしてしまったものは仕方がない。天代は開き直ることにした。
「魅戈さんって……その」
「うん?」
「お、お母さんとか、お父さんって、わかりますか?」
「? わかるけど……?」
天代は内心で頭を抱える。いったいどんな訊き方だ。あれでは何が訊きたいのか、さっぱりわからないではないか。そんな自己嫌悪が頭を廻る。
さすがに再び訊ねる勇気はなく、それきり天代は口を噤んでしまった。
「……変なのー」
魅戈に言われても、言い返せない。まさにその通りだからだ。
天代はもう一度、勇気を奮い立たせるために精神統一をはじめてみる。が、その直後に、隊員の頭同士を繋げている《紅線》が起動された。
『……では、ご武運を』
声の主は深夜。魅戈も天代も、それが自分たちに向けられたものだとわかりながらも、応えはしない。ここでは、無言こそが深夜に対する最大限の感謝であると、皆が承知していた。
《紅線》は起動したまま、そこに言葉を投じる者はいない。緊張感の張り詰めた沈黙で以て、九能の命を待っている。
《紅線》を介さない爆音は、魅戈と天代にも聞こえている。つまり、久宮と未来小は既に戦端を開いている。それに続くのは、九能と奈都海を除く隊員たちである。
数分して、《紅線》に声が投じられた。
『狩れ』
極限まで短縮された命令は、しかしそれで十分だった。江倉宮台の各方角で、特殊遊隊によるDMFBの殺戮が始まる。
魅戈もまた、それに加わるべく天代による翼の恩恵を捨て去ろうとしていた。
「天代くん」
「あ、はい。……あの、どこに降ろせば――」
眼下はDMFBの群れに覆われており、着陸などとてもではないができる状況ではない。しかし魅戈にとって、その程度の些事はなんの障害にもなり得ない。
「いいよ、天代くん」
「え? なにが……」
「投げ捨てちゃって。ここからでいいから」
「え……、えええぇぇぇっ!?」
天代たちがいるのは、上空200m以上。江倉宮台の頂上からでも、50m以上の高さがある。天代の驚愕は正常であり、その驚愕に首を傾げている魅戈こそが異常である。
重量軽減の魔術は触れている相手か自分にしか使えない。もし魅戈を抱いている手を離せば、魅戈は50m以上直下の地面に叩きつけられることになる。魅戈には九能や未来小のような驚異的に高い身体能力があるわけではないのだ。
だが、魅戈はあくまで、言う通りにしろ、と目で訴えてくる。
「本当に……」
「いいよ。大丈夫だから」
「で、でも……」
尚も渋る天代に、魅戈はいつもの幼さの消えた、諭すような口調で、
「大丈夫。それよりもね、天代くんを危ない目に遭わせちゃダメなの。私は、お姉さんだから」
天代の頬に手を添えながら、優しく言った。
天代は驚きとともに、もはや魅戈に逆らうことはできないと悟る。言われるがままに、自分の腕から魅戈を解放する――その直前
「がんばって、ください」
「うん。ありがと!」
お互いに激励し合い、自身を空に留めていた天代の腕から、魅戈は中空に投げ出される。そのまま重力に従って、魅戈は異形の雲の中へと消えていった。
天代は、夜闇の中で魅戈の姿が見えなくなるまで、真下をじっと見つめていた。何か変化が起こるのではないか、もしかしたら、魅戈がものすごい魔術でDMFBを蹴散らしてくれるのではないか――そんな安直な希望を懐いてもみたが、やはり目に見える変化はなかった。
それでも天代は、魅戈を信じてその場を去る。
支部へは戻らず、ある人物の下へと向かった。
天代のこの行動は独断であり、予定にはなかった。予定の上では、天代はこの後、支部に戻って戦場と支部を結ぶ連絡役を担うはずだった。《紅線》に距離の制約はない。
しかし、天代は命令に背いた。理由は彼にもわからない。胸騒ぎがしたのは確かだが、その原因など心当たりはないし、胸騒ぎ程度で命令違反を犯したのかと問い詰められれば、何も言い返せない。
ただ、天代は命令に背いて、深夜の下へ向かったという事実だけがあった。
◇◇◇ ◇◇◇
上空を飛ぶ天代の直下、魅戈は重力に身を任せて自由落下の最中だった。
50mを落ちる時間など、ほとんど一瞬に過ぎない。だが、魔術という尋常ならざる力を振るう魅戈にとって、一瞬という時間でも時間でさえあれば、命を繋ぐ異能の行使には何ら支障がなかった。
彼女は――詠う。
「――《神を目指した憐れな人の子。夢を懐く翼は、無残にもぎ取られて》――」
それは、彼女の中の童話の一節。
三井魅戈という疵術師しか知らない童話。すべての章が彼女によって生み出され、まず、プロローグは彼女の身を守る。
魅戈へ殺到したDMFBの爪牙が、魅戈の詠声が響き渡った途端、軌道を逸らしてあらぬ方向へと向けられた。魅戈の命を奪うはずだったそれらは、逸れた先にあった同胞の肉体を貫き引き裂いて、絶命させる。
滑稽な同士討ちだった。傍から見ればそれは、彼らが勝手に殺し合ったようにしか見えなかった。魅戈は詠うことしかしていない。ただ落下していくばかりで、避けようという素振りすら見せていないのだ。
「――《絶望に打ちのめされた彼は、ただありもしない天上の神に向けて、慟哭の涙を届けんとする》――」
童話の結末を描いたプロローグは、魅戈を落下の衝撃から守る。地面にその身体が叩きつかれる寸前に、魅戈から放たれた魔力は、柔らかい揺り籠となって魅戈の身体を優しく受け止めた。
トンッ、と、魅戈は階段を降りるかのような軽い足取りで着地する。
戦場に降り立つ者としては相応しさから最も程遠い仕草を、魅戈は敵であるDMFBに見せつける。まるで舞台に立つ女優のように、優雅な一礼をしてみせた。
この姿を見た者は、もはや魅戈が幼い精神性を持つ女の子であるという判断はできなくなるだろう。だが、それは実現し得ない夢物語である。
魅戈が、この一礼より始める舞曲は、ただ観客となる憐れな生き物たちを殺戮し尽くすだけなのだから。
魅戈の舞踏の観客となったが最後、それが敵であろうと味方であろうと、何の関係もないただそこにいただけの何かであっても、正気を失い、正常を許されずに、ただ滅ぶしかなくなる。
「――《豊かではなく、しかし決して貧しくもない港町の、一人の青年がふと思った》――」
第1章。魅戈以外の者が言ったのならば、それはただの物語りの導入でしかない。
だが、魅戈が詠ったそれは、殺戮劇の最初の犠牲者を決めるおぞましい儀式だった。
魅戈が小さく舞うように両腕を振りながら詠うと、それだけで1体のDMFBが、唐突に暴れ始めた。その暴走は何かにベクトルの向けられた危険なそれではなかった。苦痛と恐怖から必死に逃れようとする、生物であれば当然の反応の結果だった。
だが、魅戈は涼しい顔で、“舞踏”を始める。詠い、苦しむ。それは、魅戈にとって当り前の因果。
「――《青年は疑問に思った。これだけ広く伝えられ、これだけ長く流布されてきた《神》という存在が、その姿を、誰にも知られていない――ということを》――」
子どもがテレビの中の俳優を真似て躍るそれに似ている。だが魅戈には、その紛い物でしかない子どもたちの踊りにはないものがある。
つまり――優雅さと、飛び散る鮮血。
“魅せる戈”と命名された彼女は、まさにその通りの魔術を振るう。簡素にして甘美な舞いで魅せ、童話の詠唱は戈となって敵の命を容赦なく奪い取る。
それは、無差別にして平等である。
「――《青年は訊ねた、多くの人に。兄に、母親に、祖母に、神父に、宣教師に、領主に、国王に――》――」
魅戈を取り囲んでいたDMFBの中には、もはや正気を保っているものなど存在せず、苦痛にあえぎ、恐怖にもがき、自滅し、殺し合い、化け物が暴れるだけの地獄と化していた。
魅戈が手を下す必要もない。詠っていればいいのだ。それだけで異形は勝手に殺し合ってくれる。
「――《兄に訊いた。神はいるのか、と。敬虔な兄は、疑問を懐く余地もない、と取り合わなかった》――」
暴走の末に流れてきた攻撃が、魅戈を襲うこともしばしばである。だが、魅戈はそれすらも避けようとしない。魅戈の童話は、その作者を徹底的に守ろうとする。
「――《母に訊いた。神はいるのか、と。敬虔な母は、いなければ我々は生まれ来ていないのですよ、といつものように諭してくれた》――」
だからこそ、魅戈は誰かと戦うことができない。童話は無差別だ。味方と敵という区別はない。読む者と聞く者という区別はあれど、魅戈の童話は聞く者すべてを抹殺する。
「――《祖母に訊いた。神はいるのか、と。悟った祖母は、いたのなら我々がこんなに苦労をするわけがないだろう、と強い口調で言った》――」
その朗読会は、観客がいつもDMFBしかいない。魅戈はだから、少しだけ寂しさを紛らすために、その童話の登場人物を多くする。
それに比例して、威力は上がる。
「――《判断ができなかった青年は、今度は近所に住む神父に訊いた。神はどこにいるのか、と。老いた神父は、それは神のみぞ知る、とはぐらかした》――」
いつか、友達を招いて朗読会をしたい、と願ったこともある。そして実際に、実行したことがあった。
――本物の阿鼻叫喚を知るのは、おそらく魅戈だけだろう。
「――《腹の立った青年は、今度は偶然出会った宣教師に訊いた。神はどこにいるのか、と。利権に塗れた国教の宣教師は、それは信心深く布施を納め続けた者にのみ訪れる託宣だ、と戯言で金を巻き上げようとした》――」
魅戈のこの魔術も、魔術である以上は干渉力の枷がある。この魔術以上の干渉力を持つ魔術であれば、防ぐことは可能だろう。それをしないのは、そうまでして一緒に戦う必要性が薄いことと、万が一失敗した時、それだけで容易に死に至る魔術の性質故である。
魅戈もまた、自らの魔術で人が苦しむのはもう見たくないと訴える。
「――《憤怒した青年は、今度はその地の領主に訊くことにした。心優しい領主は青年の話を聞いてやることにした。青年は訊いた。神はいったいどこにいるのか、と。心優しくも無知な領主は、私は知らないからもっと詳しい者を探してくれ、と見捨てた》――」
いよいよ章の佳境に差し掛かった魅戈の童話は、より殺戮のペースを速めていく。同胞の死を察知して現れたDMFBも、魅戈の詠唱に巻き込まれてその骸の仲間入りをする。
その童話の意味を解する者は、おそらくいない。それを創り出した魅戈でさえ、その意味、意義は理解できていないのだ。そもそも、この童話に意義を求めること自体、正しいのかどうかもわかりはしない。
「――《もはや信じるものを失くした青年は、今度は戦地より凱旋を果たした国王に訊いた。あなたの見た地に神はいたのか、と》――」
そして、異形の群れがその中心に見たのは、死を舞い散らす優雅な死神の姿。
第1章、その最終節が近づく。言葉の一つ一つが、発せられる声が、詠われる一節が、魂を刈り取る鎌となって、無造作に、無尽蔵に振るわれる。
正しい意味で生きているDMFBは、もはや存在しなかった。魅戈を取り巻くその光景は、この世にいる限りは見ることの叶わない阿鼻叫喚だった。
「――《武勇を誇り、武神を信ずる国王は、信じぬ神など在りはしない、と青年に説いた》――」
魅戈のいる場所、その進む先にだけ不自然な空間が生まれている。DMFBによる災禍は、決して魅戈には届かない。それはある意味で、すべてを拒絶する絶対不可侵の私的領域だった。
「――《果たして、それは彼の答えとなり得たのだろうか。信じぬ神など在りはしない。それは真理でありながら、同時に詭弁でもあった》――」
「――《彼に誰も答えを授けなかったことが、それこそが人々の過ちだった》――」
「――《しかし当然、その誰もが、青年に答えを与えていた。ただ、彼はそれに気付けない》――」
「――《兄は教えた。神の存在に疑問を懐くのは愚かであると。母は教えた。我々が神によって創り出されたものであると。祖母は教えた。もしいたとしてそれは人を救済する存在ではないと》――」
「――《神父は諭した。神のような高次の存在に人が触れられるはずもないと。宣教師は諭した。知識を得るということがどれだけ難しいかを》――」
「――《領主は弁えていたのだ。自らがどれだけ神に遠い存在なのかを。国王は暗に言っていたのだ。人が信ずるからこそ神は存在し得るのだと》――」
「――《気付けなかった青年は、堕落の一途を辿るのみであった》――」




