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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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断章-1 魔女の記憶


 江倉宮台えぐらみやだいという場所がある。

 その由来は、京に都が築かれるよりもずっと昔、この土地の豪族が自らの権威を示すために土や岩を重ねて高台を作り、その頂上に居を構えたという話による。

 周辺が平地で、そのほとんどが田畑になっているために、その中でもひときわ高い江倉宮台の頂上は、ほぼ全方角で地平線が見える展望台となっている。

 バスで30分も揺られれば、「総嬢院の城下町」という俗称もある浅矢見市に到着する。ここは総合嬢子育学院大学(略称:総嬢院)とその附属校によって発展した、いわゆる学生の町である。同市の中でも総嬢院大学、附属高校、附属中学校、さらにそれらの学生寮の置かれている弓内町では、学生が人口の7割近くをも占めている。

 そういったこともあって学生向けに特化しつつ発展した浅矢見市も、江倉宮台からは望むこともできる。田畑から住宅街に変わる境界があって、さらにその住宅街から駅を中心にした市街地に変わる。

 しかし目を逆に向けてみれば、平地から防砂林、さらにその向こうには海岸。遠浅の瀬戸内海に面するこの辺りでは、海水浴も盛んに行われている。


 今は9月。時間は深夜。時期も合わなければ時間も遅い。夜釣りに向かう者もいない。農家の家も、田畑の中にぽつぽつと点在するだけだ。

 地上に明かりはない。ただ、天から注ぐ月と星の自然の明かりのみが地上を照らす。

 それに照らされるのは、DMFBと呼ばれる異形。異形たちは、江倉宮台の頂上で羽虫のように群れている。人を喰らうために散らばることもなく、群体のようにお互いの身体を密着させて離れようとしない。

 人はいない。ただ、人ならざるものどもが一か所に集結している。


 DMFBは、ただ本能に任せて人を喰らうだけの存在。自らの意思で集合し、群れを為しているわけではない。

 まるで、何かを守るように。中心に僅かな空間を空けて、彼らは命じられて蟠る。

 その群れは、時間ごとに少しずつ大きくなっていく。デジタル制御されているかのように、あるいは自然現象としてそう決められているかのように、黒い蟠りは際限なく膨張していく。

 単純で明快な、因果関係をその中心に見る。


 一人の少女が、死体のように地面に仰向けに転がっていた。

 少女の服装は、この国の高校生が着る、典型的なブレザータイプの制服。彼女は高校にこれを着て行くことが多かった。


 紺色を基調としたその制服は、この夜闇に融け込んで彼女の輪郭を曖昧にしている。地面に散乱するように投げ出された長い黒髪は、黒い地面と同化したように見えなくなっている。

 そして、横たわる彼女の傍らには、一体のファントムが立っている。

 ――DMFB。ファントムとそれを取り囲む異形らは、疵術師の仇敵としてその名を与えられている。


 ファントムは、彼女を見下ろす。一定の速度で僅かに上下する胸が、彼女が生きていることを示している。


「さて……これで10度目か。女王よ、そろそろ慣れてもらわねば困る、大いに困るのだがな」


 ファントムが声をかける少女の名は、後朱雀沙夢濡。ファントムが女王と崇める存在であり、この集合体の“産みの親”である。


「まあ、2時間の間に9度もしておきながら壊れぬとは、真に素質があるのかもしれぬなぁ……褒めてやりたいところだが、それはまた後にするとしよう」


 ファントムは嗤っている。望んだ光景が目の前に広がっているのを見て、心底からの悦びに胸を震わせている。

 ファントムもここまで上手くいくとは思っていなかった。運命というものは誰が握っているのだろうか、とファントムは考える。もしそれが目の前に現れたなら、女王と同じ待遇で以て歓迎しようとさえ思っていた。

 しかし、そんなものがいないのはわかっている。自分の意思が生んだ結果、さらに運が良かったために辿りつけた光景だ。そうでなければ、こんなにも達成感に満ち溢れたりはしないだろう。

 考えるファントムの前で、沙夢濡は目覚める気配もなく呼吸音だけを彼の耳に届かせる。


「なあ、女王よ、人の胎盤の味を知っているか?」


 ファントムは腕を掲げる。数十匹の大蛇がのたうつその中に、人の腕――というにはあまりにもおぞましく骨の歪んだ腕が現れる。ファントムはその腕を見て、かつての自分の姿を回想の中に浮かべる。才能を持ち、それ故に虐げられ、畏れられ、囚われ、利用され

 ――挿入。


「ククッ、どうだ、子宮に異物を流しこまれる感覚は? 恐ろしいか、それとも心地よいか?」


「かっ、はっ……」


「苦しいか。安心しろ、直によくなる」


「っ……うっ」


 ファントムの腕は沙夢濡の下腹部に突き立てられていた。その手首より先は沙夢濡に埋まって見えない。だというのに、血の一滴も出てはいなかった。

 だが、沙夢濡は苦悶に顔を歪める。四肢を捩る。

 ファントムの口の端が、より釣り上げられていく。


「相変わらず痛みには敏感だな。もっと慣れてもらわねば……」


 ファントムが沙夢濡の中で腕を回すと、沙夢濡はそれまで閉じていた目と口を眼球と舌が飛びださんばかりに思いっきり開いて、絶叫を上げた。

 苦痛のためか、それとも絶頂の叫びか。


「その声は嫌いではないが。せめて快感を受け入れろ」


「っう、……はっ、はぁ……」


「貴様とて知っているだろう、絶頂の快感を。苦痛にばかり感けていてはそれも得られぬ。快楽に溺れるのは簡単なことだぞ? 苦痛に耐え続けるよりもずっと容易い」


 そう言って、ファントムは腕を引きぬく。抜かれる瞬間、沙夢濡の身体が一度だけ痙攣した。

 息も荒く顔中に汗を滲ませる沙夢濡を、ファントムは目を細めて眺める。


「貴様がまだ母胎として使えるか……証明してみせろ。私に」


 言いながら沙夢濡の変化を観察する。 

 蒼白だった顔は徐々に血色を取り戻し、表情も穏やかになっていく。口は閉じられて漏れる声もなくなり、暴れていた四肢も動きを止め、この空間に静寂が降りる。

 ――沙夢濡の身体が跳ねた。陸に打ち揚げられた魚のように、びくん、と勢いよく背を反らせて、一瞬だけその身体が地面から離れた。


「う……ぎぁ、ぁかっ」


「……苦しいか」


「う、ぐぁ、あああぁぁぁ、あああああぁぁぁっ!」


「苦しいか! そうか、苦しいか!」


 沙夢濡はさらに背を反らせようとする。だが、それは人間の柔軟性の限界を超えて歪曲した姿。背骨がみしみしと音を立てて軋み、苦痛に耐えようと力んだ手足は地面を抉り、限界まで空けられた目と口からは涙と唾液が垂れ流される。


「人ひとりも産めぬ身体ではと危惧していたが、最高だ! 善哉善哉、確かに産めぬ道理などあるわけもないからなぁ! 人ならざるものならば、何度でも!」


「っ、っうぅ、うううぅぅ」


「貴様の子どもだ、女王の産む兵隊どもだ! 産む悦びはどうか? 素晴らしい、これほどの喜悦が世に他にあるか!?」


「あっ、ああぁぁぁ! げぇ、ぁ、が……」


 その姿は、背を反らしているというよりは、まるで何かが腹を突き破って出てこようとしているかのようだった。そして実際、沙夢濡にその通りの現象が起こる。

 沙夢濡の腹が、下腹部から少しずつ膨らんでいく。それは風船のように肥大化し、やがて妊婦のそれのように――いや、例えるまでもなく妊婦そのものの姿に、沙夢濡は変貌していた。その子宮には何が潜んでいるのか、その胎盤は何を養っているのか……そんな疑問を懐く者は存在せず、ただ当然の帰結として産まれ来るのを待つばかりである。


「悦ばしいだろう! 苦しいか? 子が産道を通る時とは、苦しかろう? だが産んだ悦び、我が子への愛おしさ、それは何物にも代えがたい! 永久に味わえぬそれを、貴様は今!」


「ぐぅ、ぎっ……かっ、あああぁぁぁ!」


「嬉しいだろう!? 愛おしいだろう!? 産みたいのだろう!? 肯定するのであれば産め! 貴様には能力がある。女王ならざる者にはできぬことが、貴様には造作もなくこなせる! 苦痛を怖れるな! 受胎を忌避するな! 命を与え、喜悦を受け取れ!」


 沙夢濡の腹が内側から何かに叩かれる。何かに引っ掻かれる。子宮の子どもたちが出てこようとしている。

 産む。産まないと。産みたい。朦朧とした沙夢濡の意識を、唯一この欲求だけが支配する。


「そうだろう、産みたいだろう!? ならば超えよ、苦痛を超えよ! それだけで貴様は、我が子の生命にその感情を総動員させることができよう!」


 身体のどこかが無理やり押し拡げられる感覚が、痛みとなって沙夢濡を襲う。

 誕生に伴う痛みは、しかし沙夢濡を昂揚させる。自らの中で育てた生命。それがこの世に形を持って産まれてくる。これ以上の悦びがどこにあろうか?


「く、うぅ、あ……」


「ッハァ! そうだ、産まれよ……! 女王よ、産めぇ!!」


 産まれる我が子の姿を夢想する。しかしそれは、人の形ではない。ほとんどが獣の姿、それらの合成されたもの、あるいは生物ですらない無機物のような様相。

 それでも彼女にとっては、愛すべき子どもである。


「っ、あああああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ!!!」


 最後の苦痛。肺の中の空気をすべて吐き出すような勢いで、ひときわ大きい絶叫を上げる。


「女王の子だ……産めぇ!!」


「――ッ――――ッッ!」


 産まれる。

 沙夢濡の腹部が歪み、にちゃあ、と粘ついた音ともに、ぶちゅぶちゅ、と粘液のぶつかる音ともに、ぎちぎち、と関節を鳴らせながら、産まれた。




 異形が――DMFBが、ヒトの胎から産まれた。




◇◇◇ ◇◇◇




 1972年。ベトナムで一人の少女の命が失われた。

 名は橘竜児たちばなりこ、歳は14。当時のベトナムは南北に分かれた戦争中であり、死という現象は珍しくもなく、敵味方の区別どころか兵士と民間人の別もなく、命は次々に消えていく。

 だが、彼女は特別だった。

 戦争中、ベトナムではDMFBの異常発生が確認された。戦時故にADUIAの支部は機能せず、かといって他の支部に戦争中のベトナムにまで疵術師を派遣する余裕はない。ましてや異常発生というからには、その数も普段の発生とは桁違いであろう。そう考える支部ばかりで、派遣に名乗り出るわけがなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、在米日本人――第二次大戦前よりアメリカに住んでいた日本人、またはその子ら――の中にいた疵術師らだった。彼らは体裁の上ではアメリカの支部に所属している形を取っていたが、支部の中では疎まれる存在でしかなかった。魔術団が国境を越えた組織であるとはいえ、所属する魔術師も人間、彼らが生まれた国を意識しないわけではなかった。敗戦国の魔術師らは、平等という建前の裏で立場には格差を強いられていたのである。

 結果、戦火渦巻くベトナムへの日本人疵術師30名の派遣が決定した。それに随行したのが、一般人であるはずの橘竜児。彼女は、その身体に魔術師にも稀なほどの量の魔力を有し、その魔力を疵術師らに受け渡すための魔力タンクとして疵術師の派遣部隊に組み込まれた。


 だが、彼女はベトナムに到着したその日に失踪、後日、彼女を女王と崇めるファントムの傀儡となり果てて疵術師らに牙を剥いた。

 まるで、自らの境遇を利用した彼らに復讐するように。

 彼女こそ、九能が隊員に説明した、九能が最初に確認した“女王”である。


 その戦いで、一人の少女が死んだという正式報告がADUIAにもたらされた。




◇◇◇ ◇◇◇




「早く……早く、死ねぇっ!!」


「っあははははは! 届かないねぇ、全然! ほらぁ、もっと頑張りなよぉ!?」


 西園寺奈緒と橘竜児の戦い。

 奈緒はその矮躯に見合わぬ膂力で巨斧を振るい、竜児は腕を振るって子どもたちを操る。

 実質、1対多の戦いだ。奈緒はこれまで、竜児の操る異形を10体以上も葬っていたが、それでも異形の攻勢に陰りはない。常に攻撃を繰り返し、奈緒に手傷を負わされたと見るや、竜児の下へ戻って癒しを乞う。そしてその間に、他の異形が攻撃に加わる。

 奈緒を押し留めるのに必要十分の戦力だけを宛がい、決して止めを刺そうとはしない。奈緒は、竜児の意図を図りかねていた。


「殺して、やる……!」


「はっ、口動かすより手ぇ動かしなよぉ? ほらほら、死んじゃうよ~、クヒヒヒッ」


「ッ、この……!」


 それに反して、挑発だけは絶え間ない。

 疲労を狙っているのだろうか。だとしても、これだけの数があれば一斉攻撃で奈緒を倒せる。必要十分と言わず飽和攻撃で圧倒してしまえば、それだけで奈緒は為す術をなくすのである。

 それをしない理由。何か、別に目的があるとでもいうのか…… 斧で異形を叩き潰しながら奈緒は考えるが、やはり答えは出ない。

 人ではなくなったものの考えなど、わかるわけがない。


「ほらほらぁ、もっと動かないとねぇ! この子たちは容赦しないよぉ!?」


 言葉通り、奈緒に攻撃を仕掛ける異形らに容赦はない。牙を避ければ、そこには爪が。爪をかわせば、そこには鞭のようにしなる尾が。尾をやり過ごしても、また爪が、牙が、放たれた火炎が、奈緒を立て続けに襲う。

 だがそれも、奈緒にはギリギリかわせる攻撃とその密度に抑えられている。

 奈緒を殺す意思が見えない。

 逆上した奈緒の頭では、竜児の意図を深く考えるだけの冷静さはなかった。ただ、わからないという結論だけを出して、思考は止まった。


「なんで……なんであなたは!」


「なんで? なんでってぇ!? 何が、さ!」


「なんで化け物の味方なんかを!」


 奈緒の小さい腕が異形の首根っこを掴み、握りつぶす。奈緒を止める異形が1体減り、竜児の傍に控えていた異形が攻勢に混じる。

 竜児は、嗤って答えた。


「そんなの、訊くまでもないことでしょう!? 君たちならさぁ! 利用される苦しみなんてわかるでしょう!? 命をまるで銃弾みたいに使い捨てにされる気持ちなんて! 君たちなら考えるまでもないだろうが!!?」


「なに、を……使い捨て? なに言って――」


「あぁ、あぁぁ、そうかよ、そうやってとぼけるんだね、君は! いいよ、どうせ君も、生きていることを望まれる存在なんだ、あたしみたいに食べるために連れて来られたんじゃないもんねぇ!?」


「食べ、る……? なにを……え、まさか」


 奈緒は知らなかった。竜児がなぜこの部隊にいるのかを。

 誰も教えなかったのだ。竜児とまるで姉妹のようにじゃれあう彼女に、誰がそんな残酷な運命を教えられようか? 彼女らの保護監督を任された疵術師もまた、最後まで教えることはできなかった。


「だって……だって! 九能さんはなんにも……」


「そう! 教えなかった! 何も教えてくれなかった! 教えずにあの人は……あたしを……あたしをぉ!!」


 如月九能。二人の保護監督をしていた疵術師の名である。彼はこの時のベトナム派遣部隊の中でも有数の実力の持ち主で、主力を担うその一人だった。

 だが、彼はこの二人の、幼い感情を御することはできなかった。奈緒は依存の一歩手前まで竜児を慕い、竜児は――


「あたしを殺そうとした……何も言わずに、無表情で、あたしをね、殺そうとしたんだよ!!」


「そんな……嘘だ……そんなの、嘘だぁ!!」


 二人の声は、泣きそうなほどに感情が露出していた。

 もはや隠すこともなく、繕うこともできず、奈緒も竜児もお互いに感情のままに言葉をぶつけ合う。


「嘘じゃ……ないんだよぉ!!!」


 初めて、竜児の操る異形に、奈緒を本気で葬ろうという意思が込められた。

 奈緒を取り囲んでいた異形がすべて、その爪牙で以て奈緒に襲いかかる。捌き切れない量の攻撃の意思が、奈緒に殺到した。

 ――その時、その瞬間、奈緒の中の疵術師としての本質が、目を覚ます。

 攻撃を掻い潜る、などということはしなかった。竜児に至るまでの一本道、それを塞ぐ異形に巨斧を振り下ろす。巨斧が異形を叩き切る前に、その爪が奈緒の腹を貫いていた。


「は……ははっ、相討ちなんて……バッカだねぇ!」


 相討ち。まだ何百といる異形の1体との相討ち。まるで意味のない犬死。竜児の言う通り、奈緒でなければ、そうだったかもしれない。

 だが、彼女は西園寺奈緒だった。後に“巨斧の魔女”と呼ばれ畏怖される、最凶の疵術師。

 奈緒の腹に開いた穴は、瞬く間に閉じていた。

 途端、疾駆。

 道中にいた異形は行きがけの駄賃に葬り去り、1秒と待たずに、奈緒は竜児の目前にいた。

 何が起こったのかわからない、という竜児の表情。竜児の目に映る奈緒の姿は一度の瞬きで何倍にも拡大され、背中まで振りかぶられた巨斧は奈緒の身体で隠されている。


「死んだって、許さない」


「っ――」


「――許すもんかああぁぁぁァァァッッ!!!」


 慟哭にも似た咆哮を最後に、奈緒は竜児に引導を渡すべく、巨斧の横一閃で身体を裂いた。




――最後、彼女が笑っているように見えたのは、おそらく私の気のせいだろう。






 地面に投げ出された竜児の骸とともに、力を使い果たした奈緒も仰向けに寝転がっていた。

 異形を生みだし、それらの指揮を行う橘竜児の討伐。奈緒は任務要件の一つを達成し、次はファントムを殺さなければならない。その後は異形らを殲滅させる必要がある。こんなところで倒れている場合ではないのだ。


「……」


 だが、身体が動かない。動けない。小指一本すら動かせる気がしない。

 呼吸すら億劫になる。瞼が重い。

 戦闘の音が遠くなる。灰色の空がぼやけてくる。

 意識が――奈落に堕ちてゆく。




――これでいいのか


 弱々しくもそう問いかける何かがあった。


――親友を殺した。これで本当によかったのだろうか


 でなければもっと多くの人が死んでいた。彼女は正気ではなかった。だから殺すしかなかった。それ以外に手段があっただろうか。逆に問いたかった。


――本当に殺すしかなかったのだろうか。救う術はなかったのか


 ない。探るだけ無駄だと思った。だから考えなかった。考えれば、その間に人が死ぬから。助けなければいけない人がたくさんいて、だから、助けなくてもいいひとのことは忘れた。


――本当に? 本当によかったのか。姉のように慕っていた人なのに


 まるで自問自答しているようだ。そんな答えのわかりきった質問を繰り返し繰り返し…… 


――本当によかったと、そう思っているのか。思えているのか。あの人がここにいたら、こうしろと言っただろうか。最善の策がこれだったのか。本当に救う道はなかったのか


 しつこくなってきた気がする。応じるのも億劫になる。しかし無視できない。耳を塞ぐこともできない。だってこれは


――救おうと思ったのか? 殺さずなんとかしようと考えたのか? 戦わず言葉を交わそうとしたのか? 揮う斧には何を込めた? この戦いで何を見ていた? 誤魔化さず答えろ、出来損ない




 じゃあ、応えよう。出来損ないはこう答える。




 奈緒の下に、複雑怪奇の魔方陣が現れた。

 異能の力が戦場を照らし、国を覆い、大陸を囲み、世界を呑み込む。




 世界の法則に逆らう。





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