第1章#8 第一特殊遊撃小隊
斥候大隊の大隊長、雪川瀬井からの報告が来るまで、特殊遊隊の隊員らは各々の方法で時間を潰している。
特に、落ち着きという概念から程遠い性格をしている魅戈や久宮は、この時間を最も持て余していた。
「まだかなー……まだ見つかんないのかなー、ファントム」
「まだなのかよー。さっさと見つけてぶっ殺して終わらせてーのに。なんでファントムって強いくせにこんなに見つからねーんだよー」
食堂では、二人してあごをテーブルに乗せてうがうがと言いにくそうに愚痴っていた。
さっきから二人で同じようなことを何度も繰り返し、周りのチームメイトの耳を飽きさせている。二人の実年齢は同じ19歳だが、その外見年齢と精神年齢には大きな差がある。魅戈のほうが非常に幼く見えるのだ。
しかし、今は魅戈も久宮も大した差があるようには見えなかった。我慢弱いという面では、どちらも似たようなものである。
そんな光景を見ていた未永栖が、感慨深げに呟いた。
「こうして見てみると、二人ってほんと兄妹みたいよねぇ」
「あん? なんすかいきなり」
ぐりん、と首を廻して未永栖に目を向ける久宮。頭はテーブルに乗せたままである。未永栖は腹ごしらえにと食堂内の売店で買った菓子パンを千切りながら、久宮と魅戈を交互に見た。
「兄妹。見た目がじゃなくて、性格がちょっとだけ似てるじゃない? 奔放なところとか」
「俺、そんなに空気読めてないすか」
「まあね。これからファントムと戦おうっていうのに、そんなに脱力していられるのはあなたたちだけじゃない? 緊張感がないのはいつものことかしらね」
好き放題言われて、久宮は憮然として息を吐く。しかし、反論はしようとしなかった。土壇場にならないと緊張しない自分の性質はよくわかっている。生死の境を漂うような仕事をしている以上それは短所ではあるが、同時に長所であるとも思っているので、改めるつもりもない。
「にゃー……お腹すいたー」
と、魅戈が会話の流れを無視してそんなことを言いだした。未永栖が食べているのを見て触発されたらしい。なんとも単純な胃袋である。
魅戈の視線は未永栖の手元に一心に注がれている。さすがの未永栖も無視するわけにはいかなかった。
「魅戈。はい、あーん」
「あー……ん、むぐ」
餌付けされるイルカのように開けられた魅戈の口に、未永栖が千切ったパンの一欠片を放り込む。それでも頭はテーブルの上に乗せたまま、魅戈はもぐもぐと咀嚼する。一噛みするたびに不機嫌だった表情が緩み、やがて飲み込む頃には至福と言わんばかりの笑みに満たされていた。
「単純って羨ましいわねぇ……」
「そう言う少佐もたいがい単純だと思うけどね」
未永栖の独り言に想定していなかった返答があった。未永栖がその声の主たる尊何を見ると、その指は未永栖の顔を指していた。
顔に何かついているのかと手で頬をまさぐってみるが、尊何は未永栖の顔を指していた人差し指を縦にして振って、否定を示した。
「少佐も可愛いものには目がないよね」
「……!」
「顔というか目と口が緩んでたよ。少佐が愛猫を愛でてる時みたいに」
「っ、まったく……」
まるでからかうような口ぶりの尊何に何か言い返そうとした未永栖だったが、それは諦めた。からかわれている時に舌戦を挑んで勝ったためしがない。ここは大人の余裕は見えるところだと判断したのだ。尊何のほうが年長ではあるが。
そうして中途半端に終わった二人の会話に、今度は未来小が割って入った。
「あれ、少佐って猫、飼ってたんですか?」
「喰いつくのはそこなのね……ええ、飼ってるわよ。夫と一匹ずつ、きょうだいの猫をね」
へーそうなんですか、と未来小は興味もなさげに答える。その目と意識は完全に自分の銃に向けられていた。こちらはからかわれているわけではなく、天然だ。いい加減、この部隊の仲間たちの傾向は読めるようになっている。
質問したのは未来小のほうなのにその返答に何のリアクションも示さないというのは、よくあることだった。
「未来小って集中してると反応が鈍くなるわよね」
「そうですか? 自分ではできるだけ迅速に応じるようにしてますけど」
「そうじゃなくて。そもそも反応自体、しないことの方が多いじゃない。質問したことも憶えてないでしょ?」
未永栖が訊ねても、未来小はすぐには答えなかった。一度分解した銃を、もう一度組みたてようとしているところだった。いつも使っているあの二挺の銃ではなく、どうやら新しく手に入れたものらしい。
魔術団で武器を使うのは、ほとんどが疵術師である。そして、その武器を作っているのが、魔術団の中の“MMMrs”という機関。正式名称は“Magic & Magical power Machines research system(=魔術及び魔導機械研究機関)”であり、魔術団における魔術の研究を一手に担う重要機関である。ここでは魔術を使った既存の兵器の強化なども行われており、未来小や未永栖の使っている銃もここで製造、もしくは加工されたものだ。
しかし、ここ日本は魔術団にとって少々厄介な国であるため、支給、補給が上手くいかないことも多い。そのため、未来小が最近入手した銃であっても、魔術団の中では一世代は前のものであることがほとんどなのである。
未来小が使っている銃の素体は彼女が生まれる前に作られたものであるし、今、組みたてているものもおそらくは型落ちしたものが回ってきたということだろう。
それでも未来小にとっては最新の武器であり、今まで使っていた相棒らとは勝手が違う。組み立てにも少しだけ手間取り、そのせいで銃にだけ向かっていた意識に僅かに綻びができた。
だが、それが未来小の中で不要と判断されて破棄された記憶を掘り起こすこととなった。
「――ああ、猫のことですか?」
「え……、あぁ、その話題、まだ続いてたのね」
「すいません、私、もともとナマモノには興味がなくて」
組み立てる手は止めずに喋る。銃弾に干渉力を付与するための新機構が組み込まれているのだが、どうもそれが試作段階らしく、部品も無駄に多いように感じる。使用者が行わなければならない魔力供給と、銃弾もしくは銃身への干渉力付与を自動で行うシステムらしいのだが、こうも複雑では部品ごとに持つ干渉力が邪魔をして非効率極まりないだろう。
新しいと言っても使いにくいのでは意味がない。銃弾への干渉力付与は未来小の銃でも問題なくできるため、「不採用!」と心の中で宣告して、この銃はコレクション用に保管しておこうと心に決める。
「ナマモノだって可愛いわよ? 今度見に来る?」
「そりゃ、生きてるほうが可愛いことは知ってますけど。可愛いことに魅力を感じないもので」
「なるほどね」
未永栖は納得して引き下がる。可愛いという感性は理解できても、それを魅力的と受け取るかどうかは人それぞれだ。……それでも自分の愛猫の愛らしさを布教したいという欲求は消えていないのだが。この場でそんなことをしてしまうと、10分ほど前の自分を棚の上に放り投げてしまうことになるので我慢した。
代わりに、それまでテーブルに突っ伏していた久宮がわざわざ起き上がって未来小を茶化した。
「そんな銃にご執心だと、嫁の貰い手がなくなるぜー? ただでさえ疵術師ってのは人気がねーのによ」
「余計なお世話よ。いざとなれば引退して一般人と結婚するもんね」
んべーと舌を出して言い返す未来小。久宮の言っていることは正しい面もあるがそうでない部分もある。単に魔術師とは考え方に違いがありすぎて、そりが合わないことが多いというだけである。一般人とはそもそもそういった関係になる機会が少なく、疵術師同士で、という組み合わせの方が多い。そういう理由から、疵術師は人気がないという印象が久宮にはあったのである。未来小の言葉は負け惜しみでしかない。
「結婚、ねぇ……少佐はどうやって魔術師のお婿さんを射止めたのかな?」
「そういう尊何こそ、相手はいないのかしら? もうそろそろしてもいい頃合いじゃない?」
結婚という話題になって、この部隊唯一の既婚者である未永栖に話が及ぶのは当然のことだった。しかし、20も後半の尊何もその話題の標的になり、む、といつも浮かべている笑顔を僅かだがひきつらせた。
尊何に関しては、およそ浮いた話というものを聞かない。久宮と未来小も、尊何のその話には多少ならず興味があった。魅戈は、いつのまにか未永栖から受取った菓子パンを頬張っているだけで、会話に参加しようという意思がまるでない。
「僕は相手がいないからね。それとも魅戈ちゃんとでも結婚してみようかな?」
「ほぇ?」
尊何の冗談に当の魅戈は間抜けな声を出しただけだったが、未永栖は眉を顰めた。
「やめなさい。もし魅戈を誑かして無理やりなんてしたら、私が許さないわよ。魅戈ちゃんは純粋すぎて本当に騙されやすいんだから」
「さすがの僕もそこまで鬼畜なつもりはないんだけどね……僕ってそんなに信用ないかな?」
「前の所属でどれだけの女の子が被害にあったのかを知っていればね、信用しろってほうが無理でしょ」
ひどく不名誉なことを言われても、尊何は笑顔を返すだけ。誤魔化しているつもりなのだろうか。未永栖からすれば肯定しているも同然なのだが。
「え、なに、尊何さんって前にいたとこでなんかしたの?」
「知らないのか? いろいろ女に手を出したって噂があったろ。あれ、マジだったんすか」
「さあね。それは尊何に訊いてみないとわからないけど。本当のところは……ねぇ?」
未永栖はジト目で尊何を見やる。尊何は何とも言えない笑みで見返すだけで、その口では肯定も否定もしない。
「ここじゃ目立つことはしていないと思うけど。どうだろうねぇ……人が自分の行動を完全に制御できる生き物だと思うかい?」
「咲だって、本当に自分の意思であなたの家で暮らすようになったのかさえ怪しいものね。尊何が誑かしたんじゃないの?」
尊何の問いには答えず、未永栖は予てから疑っていた可能性を問い質した。咲が尊何を保護者として選んだ時から、未永栖が懐いていた疑問。咲の親はまだ健在のはずで、本当に学校に行こうと言うのならその親に頼めばいいのだ。いざとなれば自分一人でも登校は許可される。尊何を選んだ理由、それが一番の疑問だった。
未永栖が考えていたのは尊何の噂で聞いていた一面。だが、尊何の答えは未永栖の予想は様々な意味で裏切った。
「僕ならともかく、咲ちゃんの意志を踏みにじるのはやめてほしいかな」
そう言った尊何は、笑みこそ浮かべていたものの、その目と声には本気の色が濃かった。いつも飄々としている尊何には珍しく、未永栖は驚きを隠せない。
「やけに……入れ込むのね。咲、一人に」
「仲間だからね。少佐だってその一人なんだから、嫉妬はいけないよ?」
一転して、尊何は冗談なのかそうではないのかわかりにくいことを言う。
「まあ、ほら……尊何さんがそういうことしたって証拠はないんだし。咲だって、そういうことには興味ないような堅物だしさ、騙されたりはしてないよ……ね?」
「そもそも咲ってまだ14だろ? まあ、大尉がそういう趣味持ちなら、わかんねーっすけど」
「久宮……っ」
未来小のしようとしたフォローを、効果が出る前に久宮が台無しにした。未来小のフォローも、やもすれば逆撫でしかねないものだったので、場合によっては怪我の功名と言えなくもないが……未来小にとっては少しおもしろくない。
しかし、尊何も久宮にだけ言葉を返した。
「僕のことを好きになってくれるなら、何歳でもかまわないよ? 性別以外にこだわりはないからね」
「ん~? 魅戈は尊何のこと、好きだよ?」
「そうかい? それじゃあ、僕は魅戈ちゃんと……」
「やめなさい! 油断も隙もあったもんじゃないわ、まったく……」
傍から見ると3人の掛け合いは漫才か何かにしか見えない。が、その本人らに半分以上の本気がその言葉に込められていることは、おそらく彼らにしかわからない。
「ねえ、久宮……? あんたはさ、結婚とかどう考えてるの?」
「まだ早いだろ。19だぜ? 相手だっていねーしよ」
「あー、そう……そだね。まだ早いよね」
◇◇◇ ◇◇◇
変わって場所は、支部内の宿泊室。
部屋は天代に割り当てられたもの。天代は他の数少ない疵術師とともに支部に住んでおり、この部屋も天代の私物で溢れている……というほど、彼は物欲がなかったりする。小学校には通っているため、勉強机と本棚、それに収められている教科書類はある。
この支部でも、天代は学業を優先するように言われており、もし授業中に任務が発生しても九能や奈都海のように呼び戻されることは少ない。今日のような緊急事態を除いては、ではあるが。魅戈、あるいは深夜が迅速に戦場に向かうためには天代の翼が必須なのである。
しかし、天代は実力者ばかりが集まるこの小隊に、自分が相応しいとは思っていない。
歳の最も近い咲はこの部隊でも主力を担っているし、疵術師として戦い始めて半年の奈都海や唯利亜でさえ独自、かつDMFBに有効な戦法を確立させている。境遇の近いこの3人が自分と遠いところにいるが故に、天代は自信を持つことができない。九能や尊何や魅戈などは、そもそも比較対象がおかしいので、その3人にコンプレックスを懐いてはいなのだが……それでも、その3人より数段も劣っているという咲や奈都海が自分よりも十段以上も強いというのはちょっと不公平じゃなかろうか、と小学生ながらに世の不公平さの一端を目の当たりにして嘆いたりはする。
そんな中で、天代が一番親近感を持つのが――
「天代くん、いますかー?」
部屋の扉がノックされ、同時にくぐもった深夜の声が聞こえた。頭に浮かべたその本人が現れたことに慌てて、天代は返答ができなかった。
結局、深夜は自分で扉を開けて確かめることとなった。ひょこっと頭を出して天代がいることを確認すると、笑顔を浮かべてするりと部屋に身体をすべりこませた。
「いるじゃないですか。なんで返事しないんです?」
天代はまだ慌てていて、深夜に答えることができない。深夜はそんな天代を見て、彼女らしくない悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「もしかして、ちょっと人には言えないようこと、してました?」
「……? えっと」
「ありゃ、通じませんか。まだ知らない……なんてことはないと思いますけど」
天代の反応は鈍く、自分の冗談の不発に深夜は心中だけで恥ずかしさを懐く。それが下ネタだっただけに尚更。それでも表に出さなかったのは、年長者の自覚故か。周りに年上の多い環境にいることがほとんどな深夜は、天代や咲に対してお姉さん的な態度で接することが多い。少しだけ大人ぶってみたりもしたいのである。
それでも深夜は、誰にでも敬語というスタンスを崩さない。人が違えば見下していると取られることもあるだろうが、深夜の場合は不思議とそういった感覚を相手に与えることはない。
天代は勉強机のイスに座っているのだが、深夜は天代の脇を通り過ぎて、丁寧にベッドメイキングされたベッドの上に腰を降ろした。
「え……っと、」
何をしに来たのかを訊きたかったのだが、どう訊けばいいのかわからない。言葉を選んでいるうちに、深夜に先を越された。
「天代くんが寂しくないようにと思って。みなさん、食堂にいますよ。天代くんは行かないんですか?」
「あ、その……お腹は空いてませんから」
「そうですか」
理由としては少し無理があるかな、と天代自身も感じていたが、深夜はあっさり引き下がった。
正直、あの面子の中にいると劣等感を禁じえないのが主な理由だった。年齢や経験に差がある以上、劣等感は懐いて然るべきで、ある程度までなら無視することもできる。11歳と幼い天代であれば、もっと簡単に羨望や嫉妬で劣等感を塗り潰すことも可能だ。むしろ、幼いからこそ、外に向かう感情のほうが強くなる。
だが、なまじ魔術師という実力を均一化してしまう人種に生まれたが故に、そういったことが天代には難しい。一般人よりできることが多いという点では皆、同じなのだ。ADEOIAに入った当初であれば劣等感などもなかったが、2ヶ月が経った今になって周りと自分を比較する余裕が出てくると、唐突に感情のベクトルが内に向き始めた。
まだ、このコンプレックスは誰かに言ったことはないし、言う気もない。
「天代くん、何か悩んでます?」
「ふぇっ!?」
突然の指摘に奇声を上げてしまい、思わず赤くなって俯く。赤くなった原因は奇声だけではない。
「私は魔力が読めるんですよ? それまでその人一人しかいなかった部屋の魔力を読めば、どんな精神状態だったかはある程度わかります。もちろん、何を悩んでいるかは知りませんけど」
深夜の口には、再び小悪魔めいた笑みが浮かんでいる。その、どこか蠱惑的な表情に、天代はさらに顔を赤くした。赤味の増した顔を隠すようにして、どうしても深く俯いてしまう。
それが深夜の目にはどう映ったのか、深夜は笑みを消した。
「悩みを打ち明けたりはしなくてもいいですよ。むしろ、私に言われても困ります」
それでもその声音には冗談っぽさが残っている。天代は深夜の真意がわからず、半ば困惑する。
実のところ、深夜は天代の悩みを打ち明ける相手としては適任であると言える。深夜の能力は基本的に“読むこと”。戦闘に応用することもできず、かといって身体能力も高くないので未来小のように戦うこともできない。どちらかと言えば他よりも劣る部分の多い深夜は、天代のコンプレックスを理解してくれるだろう。
天代は、無意識にそう決めつけていた。
「天代くん。私はね、ADEOIAに入ってから誰かにコンプレックスを懐いたことなんて、一度たりともありませんよ」
「……!」
魔力ではなく心を読んだのではないか。そうとさえ思わせるほどに、深夜の言葉は天代の心を的確に抉った。天代の顔に絶望が降りる。
同族だと勝手に思っていた相手からそうではないと拒絶されたのだから、当然の反応かもしれない。だが、深夜は誰に求められたでもなく、天代は置き去りにして、ただ内から湧く義務感に押されて語り続ける。
「私がコンプレックスを懐いていたのは、どちらかといえば疵術師だと知らなかったころ、まだ私が普通の中学生だったころです。そのころは私が魔力の読める人間だなんて知らないから、単にその場の雰囲気が漠然とわかる程度。そんな認識でした。空気を読む、というんでしょうね」
疵術師は、その内にある源血に性格等を影響されるほか、たとえ自分が疵術師であると知らなくても、喉応術性神経が活性化し始める第一・二次性徴の最中に能力の一端が発現することがある。14歳で源血の影響で声を失った奈都海などが主な例である。深夜も、知らないうちに人の感情が大まかにわかる程度ではあっても、能力の一部が使えていた。
「当時の私は、その能力は誰しもが持っていて、みんなが使っているものだとばかり思っていました。なにせ人って、一歩間違えれば人を傷つけてしまうようなことを平気で言えるんですから。もし私がこの能力をなくしたら、会話なんてとてもできません。したくないです。だって相手の感情が読めないんですから。相手の感情、もしくは場の感情の傾向、どちらかでもわからないと、私には人とコミュニケーションを取ることそのものが、とても恐ろしい行為に思えてしまう」
そして、自分がそうであると知らない疵術師たちは、自分の能力に恐れを懐く。あるいは、それがコンプレックスとなって人とのかかわりを断つようになる。超能力が使えるようになった、などと喜ぶ者は少数派だ。大半が自分の異能に苦しみ、やがては死に救いを求める。
「私だけが“読める”のだと知った時、私は自分がとても弱い人間なのだとわかりましたよ。他人の感情が読めないと怖くて何も言えない。でも、人は相手の感情を知らなくても声をかけることができます。……いえ、正確には、読まなくても感情を察する能力が人には備わっている。人と触れあうことで身につける。私にはそれができません。幼いころから能力に頼りすぎたせいで、人の目を見ても、表情が微妙に変化してもそれを見極めることができず…… 一度、能力を使わずに人と接してみたことがあります。見事に自己嫌悪しましたけど」
だが、世にはその異能を求める者がいるのだと知ると、それが救いに成り代わる。ADEOIAは、疵術師が人を救うだけではなく、疵術師そのものを救うための機関でもある。
「私はADEOIAに入って救われましたよ。このいらない能力を重宝してくれる人たちがいる。何か異能を使わずに人の感情が読めないのは私に限った話ではないことも、ADEOIAに入ってようやく知りましたしね」
自分と同じ、あるいはそれ以上に異質な能力を持った者がいる環境にいれば、それだけで彼らは安心するものである。その異能が役立つと知ればなおさら、生きがいを知った彼らは、救われたという印象をより強く記憶に焼きつける。
だが、ADEOIAに入って初めて自らの力に気付いた者は、その限りではない。むしろ、ADEOIAの中でこそ、彼らのコンプレックスは際立つことになるのである。天代や奈都海、唯利亜がそれに当てはまるのだが、奈都海と唯利亜は平均以上の戦闘能力を持っているために天代のように悩むことがあまりなかった。残念ながら、この小隊に天代の悩みを本質的に理解できる者は、一人もいない。
「私と天代くんの境遇がどれだけ違うかはわかっているつもりです。でも、悩んでいる後輩がいたら放っておけないじゃないですか」
「あの……それで」
「それで、何が言いたいのか、ですか?」
天代は頷く。だが、深夜自身も語った結果、何が言いたかったのかはよくわかっていない。
「うーん……なんでしょうね? むしろ私は語るだけにしておきましょうか。どう思うか、どう解釈するかは天代くん次第ということで。忘れてもらってもいいですし」
「いえ! その、大事にします、大原さんの言葉。いろいろ考えてみたいです」
「そうですか? そこまで担ぎあげられても困るんですけど……嬉しいですね」
真面目な顔で言われると、深夜もさすがに忘れてくれと強いることはできない。嬉しいのは本心なので、礼を言うとともに笑みも浮かんだ。
「……っと、もうこんな時間ですか。よかったら仮眠でも取って待っていてもいいですよ。必要になったら呼びますから」
「えぇっと……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますね」
「きちんと休んで英気を養っておいてください。ファントムとの戦いは生半可な状態では勝てませんから」
「……はい」
まだ戦いに憂欝なものしか感じ得ない天代の表情が渋くなるのは当たり前のこと。それでも深夜は、天代に笑みを向けて気を紛らせようとした。
「私は部屋に戻ってますね。何かあったら言ってください。……寝られないなら子守唄でも?」
「い、いえ! いいですから!」
入ってくる時と同じような笑みとともに、深夜は天代の部屋を辞した。天代は一息ついて、それまで言われた通りにベッドへ向かった。……そこについさっきまで深夜が座っていたということに気付いて悶々とし始めるのは、それより少し後になる。




