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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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第1章#6 禁じられた女王


「本当に知らないんだってば! そんなメール来てもないんだから!」


 ADEOIA日本中国支部の一室に、幣原唯利亜の悲痛な叫びが響き渡った。

 発端――というかこの発端そのものこそが最大の問題なのだが――は、後朱雀沙夢濡の失踪。これによって、九能が奈都海を通して唯利亜に命じていたはずの沙夢濡の監視がなされていなかったことが判明したのだ。

 だが、唯利亜はそんなことは聞いていないと主張する。奈都海はメールで九能の命令を伝えていたが、そう言った趣旨のメールも受けていない、と。

 確かに唯利亜の携帯にはそのメールは残っておらず、しかし、奈都海のメールには送ったという記録が残っていた。この矛盾は何を示しているのか…… 可能性はいくらでも考えられるが、今はそれどころではない。


「とにかく。メールを送った、もらってないなんて不毛な言い争いをしてる場合じゃないわ。それに……責任で言うなら、それは私のほうにあるもの」


『……っ』


 そう言って目を伏せる九能に、奈都海は何も言えなかった。


「そもそも相手が何かもわからないまま部下に丸投げするのもどうかしてた。なにをおいてもまず、私が護衛につくべきだったのよ。もしくは支部に保護するか……それぐらいは強行してでもやるべきだったのに、私は……」


「……っ、ごめんなさい」


 唯利亜は項垂れる。慕っていた沙夢濡が消えて最も責任を感じているのは唯利亜自身。これはこの場の特殊遊隊の皆が承知していることだった。


「謝るべきは私よ。……って、これじゃ堂々巡りね。まずは、後朱雀沙夢濡が本当に消えたのかどうかの事実確認をしないと。これは深夜に任せてあるから、報告を待ちましょう」


 一度に複数箇所に“目”を遅れる唯利亜のほうが適任だが、精神状態に不安があるため、今のところは深夜がその穴を埋めることになっている。


「そして、もしいなくなっていた場合、その原因はいったいなんなのか? これが多分、今回の最大の問題になるわね」


「心当たりがあるのですか? 准将」


 訊いたのは少佐でありこの小隊の副隊長でもある伊神未永栖。九能は頷いて肯定し、その表情を陰らせた。


「まあね……これも先に説明しておくべきことだったけど、今は許して。詳しい説明は後でするわ」


「了解。尊何たちもすぐに来ると思うので、深夜も戻ってきたら斥候大隊も交えてブリーフィングに入ります」


 今、彼女らがいるのは中国支部の15階にある会議室。疵術師はDMFBへの即時の対処が必要となるために会議などというまどろっこしいことは行われないのが通例だが、それでもこの広すぎる部屋にも使い道はある。例えば今日のような緊急事態にも拘わらず状況の掴みにくい場合、他の部隊との連携が必要になる時など、互いに戦力の把握ができていない場合の多いADEOIAではたった数分の会議でも生死を分かつ要因となる。

 このADEOIAは3個の大隊によって形成されているが、その内の1つが斥候大隊となっている。その名の通りの斥候に長けた疵術師も多く所属しているが、それ以上に中には防衛戦闘を専門にした小隊もある。負けないことには定評のある大隊である。

 それらの大隊よりも先に、まずは尊何らが会議室に到着した。尊何を先頭にして魅戈、咲が部屋に入ってくるが、彼女らが入ってくる前に尊何は訊いていた。


「遅くなったね。状況は?」


「今のところは護衛対象がいなくなったらしい、としか。確定情報はまだ少ないわ」


「ふぅん。他のみんなは?」


「情報収集に奔走中。帰ってくるまで待っててくれる?」


 3人が来て、この場にいないのは4人だけとなった。未来小、久宮、深夜、天代の4人だ。4人とも、沙夢濡の捜索に赴いている。

 未来小と久宮は沙夢濡の実家に確認に行っているだけで、すぐに戻ってくる予定になっている。

 要は深夜だ。まずは最後に姿が確認されている鳳霊学園で深夜が魔力を“読むこと”で捜索を行ったが、いなかった。その後は沙夢濡の行きそうなところを唯利亜と奈都海にピックアップしてもらってそこへ向かい、今も現在進行中。足は天代の翼だ。

 尊何らの到着から5分後、未来小と久宮が帰還した。この場の皆の注目が向けられる。


「……どうだった?」


「やっぱいなかった。家の人もどこにいったかわからないって」


「そっちは? 電話とかしたんすか」


「携帯は繋がらなかったわ。圏外なのか出られないだけなのかも不明。あとは深夜と天代が戻ってくるのを待つしかないわね」


 皆の顔に落胆の陰が落ちる。同時に、最悪の可能性がより現実味を帯びてきた。

 たかだか一人の民間人にここまでの労力をかける理由。ただでさえ戦力に不安のあるADEOIAにおいて魔力に耐性を持つ民間人を過剰ともいえる人員を割いて護衛するこのことには、歴とした理由がある。

 さらに10分経って、深夜と天代が戻ってきた。地上15階という高さの窓からの帰還という非常識な方法だったが、時間のないこの状況では誰も咎めはしなかった。


「言われた場所はすべて回りました……が、やはり」


「確認はできなかった?」


「はい。かなりの広範囲を捜索しましたが、見つけられませんでした。もはや市内にいるとは思わないほうがいいかと思います」


 既に皆が覚悟していたこととはいえ、いざ言葉にして聞くとその落胆は大きい。一瞬、誰もが言葉を失った。


 こうして、後朱雀沙夢濡は失踪した。




◇◇◇ ◇◇◇




「後朱雀沙夢濡を攫ったのはファントムよ」


 特殊遊隊の隊員が揃い、さらに斥候大隊の隊長と副隊長が会議室に揃った後、九能はすぐにそう言った。

 沙夢濡の失踪した理由は攫われたことによるものであり、さらにそれはファントムの仕業であると断言したのだ。推測、可能性ではなく、断言した。60年もの年月をDMFBと戦うことで過ごしてきた九能のその言葉にいったいどれだけ大きな意味があるのか、わからない者はここにはいない。

 しかし、その反論をする余地のない自信に満ちた言葉が、逆に彼らに疑問を与える。こういった場面で最も九能に意見しやすい者が、口を開いた。


「失礼ながら、断言される根拠は? この状況、決めてかかっては痛手を負うのはこちらになる場合もあります」


 彼の名は、雪川瀬井ゆきかわせい。斥候大隊の隊長で、階級は中佐。2年前に九能とともにアメリカの支部から所属を変えた大隊で、その支部では九能はこの斥候大隊も所属していた旅団を率いていた。

 故に彼はこの特殊遊隊の隊員よりも付き合いが長く、意見もしやすいというわけである。瀬井から見れば、その人生のほとんどを九能の部下として暮らしてきたという事実もある。九能の答えもどこか声の調子に砕けた雰囲気があった。


「私の経験よ。初めて“あれ”と戦ったのは私がまだ11歳の時……ADEOIAがまだADUIAだったころの話ね」


「ADUIA?」


「ADEOIAの前身……だったっけ。魔術団の昔の疵術師が所属する機関だね」


 首を傾げる魅戈に未来子が思い出しながら説明する。

 “ADUIA”とは未来小の言う通り今のADEOIAの前身で、“Affected Deference Universal Irregulars Army(疵術師による異分子討伐軍)”の略となっている。日本での発音はアディアで、ADEOIAと同じである。


「ちょうどベトナム戦争の真っ最中。まだDMFBって用語も定着していないころね」


「DMFBや術性元素という用語は比較的新しいものですから。……それで、准将」


「ええ」


 ADUIAがADEOIAに変わったのは世間で言う湾岸戦争の後、ようやく日本を除く世界各地で魔術団が活動できるようになった後である。このことによってADEOIAは自由に日本に支部を置くことが許された。魔術団の中でも非常に大きな変化だったと言える。

 ともかく瀬井に促された九能は説明を再開した。


「その時はDMFBの異常発生があって、ADEOIAに入ったばかりの私も動員された。そこに、一人の民間人が随行したの。彼女は体内魔力許容量が魔術師以上に高くて、なおかつ元から大量の魔力を保有していた。だから、ADUIAでは……その、いわゆる魔力タンクとして連れて行かれたのよ」


「魔力タンクって……何それ」


 未来小が嫌悪感も露わに吐き捨てる。奈都海や唯利亜は魔力に対するイメージがまだ確立していないために実感はなかったが、それでも民間人に戦場への随行を強要することへの忌避感は持っていた。

 しかし、未永栖はそれらの問題とは別の問題に言及した。


「倫理上の問題もそうですけど、そもそも魔力の譲渡は不可能では? それこそその人間の肉体を摂取したりしない限り……」


「まさにその通りのことをしたのよ」


「っ!!」


 生物の体内の魔力にはその生物の純性魔力の指向性と精神情報の微妙な変化から、独自の指向性が与えられる。これは個体ごとにどれも異なっており、これらが同じ肉体に同居することはあり得ない。指向性によっては反発するものもあれば結合しようとするものもある。生物の中でこういった現象が起こることを“魔力の暴走”と言って、結果的には喉応術性神経も肉体もぼろぼろに引き裂かれてしまう。これは回復術の副作用の原因ともなっており、疵術師以外の魔術師ならば幼いころから教えられる知識でもある。

 ともかく、故に魔力の譲渡は不可能であり、魔術による措置も魔力そのものを使用するために意味を成さない。

 しかし一つだけ方法があり、それが肉体の一部の口腔摂取である。魔力を含んだ肉体の一部を所有者から切り離すことでも純性魔力の影響下から抜けることは可能であるが、それではすぐに魔力は拡散してしまう。そのため、拡散する前に体内に摂取してしまう必要がある。そうすれば同時に譲渡先の純性魔力の支配下に置いてしまうこともできるため、それで譲渡は完了する。

 この方法は古来より知られているものではあるが、現在では倫理的に、また同族を喰らうという行為への抵抗感から、既に行われていない。それどころか魔術団ではその結成当時から禁止事項に加えていた項目である。

 そんな行為を行ったと知られれば、魔術団の専門の機関から目を付けられるだけでは済まないが…… そのことを知らない者も、カニバリズムにはやはり抵抗感があるようで、各々の方法で嫌悪を示していた。


「彼女ということは女性でしょうから、出産さえすれば胎盤を入手することは可能でしょうが……」


「そんな悠長なことはしていられなかった。その場で魔力の尽きた疵術師に自らの身体を提供させたのよ。いえ、正確には、させようとした、かしらね」


「……どういうことでしょうか?」


「彼女は現地に到着した直後に姿を消したわ。失踪したのよ」


「失踪って……」


 この状況に合致する言葉に反応を示すのは当然だろう。誰もが九能の続く言葉を待った。


「その時も彼女はファントムに連れ去られた。その時のDMFBの異常発生にファントムが関わっていたのよ。魔力に耐性のあるだけの人間は抵抗力がないから、簡単に攫われてしまう」


「攫うって、なんの目的で?」


「そのファントムの生前に知り合っていたのでしょうか?」


 九能は咲の推測に首を振り、未来小の質問に答えた。


「動機は未だに不明よ。ただ、ファントムは彼女を“女王”と崇めてDMFBを指揮させた。DMFBが指揮官を得たことでADUIAの被害はかなり大きくなったわ」


「なら目的は、DMFBを強化して疵術師に大打撃を与えることでは?」


「それを目的にする意味がわからないけど、元々ファントムの行動原理は理解できるものじゃないし……そもそもなぜただの人間にDMFBが従うのかすらわかっていないのよ。人間に従うならファントムで十分じゃないかとも思えるしね」


 つまるところ何もわかっていない。九能はそう言いたいのだろう。

 これに関しては考えても経験なしではわからないことが明白である。久宮をはじめ何人かは天井を仰いで溜息を吐いた。他の者も諦観に俯いたり目を閉じてしまったり、とにかく積極的に考えようとする者はいない。

 その中で、唯一九能の言葉にひっかかりを覚えた者がいた。


『……九能』


「なに、奈都海?」


 奈都海がテーブルをこんこんと叩いて九能を呼んだ。その音は九能だけでなく他の隊員の注目も集める。


『女王という呼称だが……ノクターンやシャトーも言っていたよな? 会長に対して』


「ええ……そうね」


 思い出した。この中国支部に居座る異色のファントム、ノクターンとシャトーがそう言っているのを、奈都海は奇跡的にも憶えていたのだ。

 だが、九能はそれを肯定したにも拘わらず表情をさらに暗くした。これでほとんど沙夢濡の失踪の原因がわかったというのに、だ。


「ねえ、唯利亜?」


「……えっ、なに」


 話題の外にあった唯利亜は返事が遅れた。思わす見た九能の表情が険しかったのもあるだろう。


「後朱雀沙夢濡と戦う覚悟はある?」


「……どういうこと、なの?」


 九能の不穏な言葉に皆が顔色を変えた。戦うと聞いて、いい意味を連想する者はいない。それが民間人であればなおさら、その意味に楽観的な方向を期待する者はいない。


「もし後朱雀沙夢濡が私の知っている例と合致しているとしたら、彼女は私たちの敵になる。DMFBを操って私たちを襲ってくるわ」


「で、でも……! まだファントムがいるって確定したわけじゃ……」


「――残念ながら」


 否定に縋ろうとした唯利亜に、今まで黙っていた深夜がそれをさらに否定した。


「私が護衛対象を捜索していたところ、至る所の魔力構成に異常かつ不自然な文法が見られました。言ってしまえば、歪み。数十体のDMFBの移動後か小規模の上級魔術を使用した際の歪みに近いと思われますが、今、最も現実的な可能性はやはりファントムの出現でしょう」


「深夜? そういうことははじめに言ってほしかったんだけど」


「すみません。落ち着いてから言おうと思ってまして」


 言い合う二人の横で唯利亜は絶望的な表情で固まっている。

 慕う相手が自分の不手際で攫われ、さらにその相手と戦いを強いられるとあれば、絶望しても仕方がない。


「とりあえずはそういうことなのよ。たとえ民間人でも私たちの敵になり得る。ファントムを倒してもその女王が元に戻ることはない……女王を殺すしかないのよ」


「手詰まりだね。救出もできないなんて」


 尊何の独白に、しかし九能はそれまでの発言に反して首を横に振った。


「いえ、私が女王と戦ったその時は、女王となった民間人の救出には成功したわ」


「じ、じゃあ……!」


「ただし、その方法はわからない。成り行きで助けられたようなものだしね。他にも女王の例はあるけれど、それらはすべて女王の死によって終結しているわ」


 期待させるようなことを言ったと思えば、次にはそれを否定している。そんな調子の九能に、尊何が溜息で呆れを示した。


「准将は唯利亜ちゃんを期待させたいのか絶望させたいのかどちらなのかな……」


 尊何の言う通り、九能の様子はどこかおかしい。発言が終始一貫していないのだ。それどころではない唯利亜を除けば、ほとんど皆が気付いている。


『九能、どうした? お前らしくもない』


「うん……ごめん。なんかテンパってるかもしれない。女王って聞くと、嫌な思い出しかないから……ごめん、ほんと……」


 額を押さえて俯く。弱気になることはあれど、九能がこうしてそれを表に出すことはほとんどない。奈都海はいよいよ慌てた。表情は微動だにしていないが。


「一番大事なものは守れたけど、色々なものを失ったのよ、あの時。本当に色々……胸糞悪い境遇も、大事な仲間も……最後の居場所も」


 誰も九能の呟きには何も言えない。彼らも疵術師である以上は相応の不幸も経験しているが、九能の場合は不幸を通り越してトラウマにすらなっている。故に女王という単語には過剰反応してしまうのだ。

 奈都海も下手なことは言えないという心遣い半分と、何か言って怒らせたら悲しませたらという臆病風半分とで声をかけることができない。

 誰も何も言えない――その中で、


「では准将。護衛対象だった後朱雀沙夢濡を臨時的に禁断子に指定、ファントムと同時に討伐することにしましょう」


 瀬井がそう進言した。九能がそれに返答する前に、


「そんな……!」


「待ってください、唯利亜さん。臨時禁断子ですから――」


 唯利亜が声を上げ、咲がそれを止めた。

 “禁断子”――魔術団の中ではメジャーな用語だが、奈都海と唯利亜、天代はまだ聞いたことがない。咲はそれに気付いてセリフを途中で自ら切った。


『九能?』


 代わりに奈都海が九能の名を呼ぶことで説明を求めた。これだけでも意思が通じるのは恋人故か。


「そうね……悪いけど瀬井、この子たちに禁断子について説明したいから、少し待ってくれる?」


「いいでしょう。知識に関して周知させるのは重要なことです」


 瀬井の承諾を得て九能は3人に向けて解説を始める。まだまだ新人と言える彼らには、よくこういったことが行われている。魔術団では専門用語が非常に多いので、たまに新人を置いていくような話が進行していくこともあるが、ADEOIAでは特に多い。


「禁断子っていうのは、魔術団におけるいわば指名手配犯みたいなもの。“Forbidden Apostle”の和訳ね。魔術師が犯罪を犯した場合、国家の法、裁判所では裁けるわけもないから、魔術団に専用の機関を設けてある。魔術団における裁判所は“大審院”って機関だけど、その裁判をするに値せずと判断された凶悪犯や禁断術――魔術団で使用研究を禁止されている魔術――に関わった者などを禁断子に指定する。その禁断子を管轄するのが、FASCA(Forbidden Apostle Subjugation Combat Army=禁断子討伐軍)。魔術団での公安組織ね。FASCAは禁断子の討伐、捕獲を担当しているけれど、100%討伐されるのは特級禁断子だけ。臨時指定の禁断子は第三級禁断子に相当するから優先されるのは捕獲、保護。討伐はまずされないから安心していいわよ、唯利亜」


 禁断子は魔術師、つまり人間を対象にした制度である。そういったことから、DMFBという人外を相手にするADEOIAではなかなか目にすることのない用語なのである。入って半年が経つ奈都海や唯利亜、2ヶ月の過ぎた天代が知らなくても不思議はない。


「それにこの禁断子には、魔術団の脅威になる存在、例えば強すぎる魔術師が指定されることもある。それ以外にも民間人も脅威になり得ると判断されれば指定対象になる。魔術師でなくても禁断子にはなるわ。特に現場の判断で臨時的に指定される場合はね。だから、今回も後朱雀沙夢濡は禁断子として対応することにする。その方が制約も少なくなって動きやすくもなるから」


「じゃあ……ジャンヌさんは助けるの?」


「ええ。それでいいわね、瀬井?」


「現状ではむしろ、“被害者”であるという以上、討伐という措置は過剰でしょう。救出の優先が最も無難であると判断します」


 瀬井はつまり、危害を加えられれば討伐も辞さないということも暗に言っているのだが、そこまでを明らかに言及したりはしない。唯利亜とてその辺りは言われるまでもなく把握している。

 禁断子という制度は魔術団における指名手配の制度に似ていると九能は説明したが、実際には不十分な証拠だけでも禁断子に指定することは可能である。そもそも魔術という技術自体、物的証拠の残らない最たるものである。状況証拠がその決め手になるのも当然だった。

 故に、ファントムの存在が実際に確認されていないこの状況であっても禁断子という選択肢は生まれえた。

 瀬井とその副官は立ち上がる。当面の目標は決まったも同然だ。すぐさま行動に移るのが最善である。


「では准将、斥候大隊所属の広域特科小隊及び第02魔装通信小隊以下25名の臨時編成部隊によるファントム及び禁断子後朱雀沙夢濡の捜索の準備に入ります」


「ええ、お願い。私たちは支部で待機しておくから、発見し次第報告を。即時出撃するわ」


「は。では失礼します」


 生真面目にもマニュアル通りの敬礼を残して二人は去った。

 残された特殊遊隊の面々はしばらく動けなかった。これからファントムらを捜索するのは斥候大隊の仕事だが、それが見つかった際に戦うのは彼ら自身だ。だからといって気力を温存しておこうという気は彼らには一切なく、これから自分に振りかかるだろう不幸に辟易としているのである。

 なにせファントムだ。ADEOIAの中でも最大級のランクでもってある意味祀り上げられていると言ってもいい敵だ。彼らは一度その脅威を身をもって体験しているために、より一層この不幸を罵倒せずにはいられなかった。ファントムの元となる人間や犬、猫などの純性魔力は他の魔力と結合しにくい。つまりファントムの発生は著しく希少で、ファントムを一度も見ずに一生を終える疵術師のほうが多いくらいだ。

 だというのに、彼らの前には半年も経たないうちに2体ものファントムが現れる予定になっている。もし運命とやらを神が操っているとしたら、今の彼らはその神にあらん限りの罵詈雑言を浴びせていただろう。大多数の日本人と同じく、彼らにまともな信仰心などあるはずもない。

 ――ファントムとは、それほどの存在なのである。

 雑魚のDMFBとは違う。有象無象と戦うのとはわけが違う。まさに別次元の戦いが求められる。人間から見れば彼らも十分次元を超越しているともいえるが、その彼らからしてもファントムの戦闘能力は別次元かと見紛うほどに高い。

 天災を相手に戦える人間などいるはずがないのだ。……が、この小隊にはその天災じみた存在に太刀打ちできる疵術師が一人だけいる。


「さて、みんなも準備を始めてちょうだい。瀬井はあるものならすぐに見つけてくるわよ」


「お姉ちゃんは気が楽でいいよね……ファントムも怖くないんだから」


 西園寺九能である。

 未来小の言う通り、言ってしまえば九能一人でもファントムに対処できるレベルだが、残念ながら世の中はそう上手くいくようにはできていない。

 ファントムは存在するだけで周囲の魔力の結合力を強める作用がある。つまり、DMFBが生まれやすくなる。ファントムが同時に大量のDMFBとともに確認される原因であり、その存在をさらに厄介にしている最大の要因でもある。ファントム単体となら戦える九能でも、その取り巻きにDMFBがあれば勝ち目も薄くなるのだ。

 九能は負けない。死ぬことはない。だがファントムは殺さなければならない。それを達成するために、小隊の面々の協力が必要となる。


「怖くないわけないでしょ。今だってガクブルよ」


 九能はわざとらしく自らの肩を抱いてみせる。


「准将からそういう弱音は聞きたくなかったな。もっとこう、場を和ませるほうが……」


「そのつもりで言ったんだけど?」


 肩を抱いたまま尊何を睨む九能。その様子に、小隊の中に僅かな笑みが混じった。

 上司に睨まれた尊何は「怒られちゃったよ」と呟いて咲に視線を移し、咲は「無茶ぶりはやめてください」とその視線を拒絶し、それを見ていた未永栖は「仲睦まじいわねぇ」と率直な感想を口にして咲に睨まれ。

 未来小は「そんじゃ私は子どもたちの整備があるからー」と子どもたちこと彼女の拳銃の整備に向かうために部屋を辞し、久宮は「んじゃ、俺も腹ごしらえに行ってくるかね」と未来小に続いて部屋を抜け。

 魅戈は「天代くーん、パン買いに行きたいから連れてってー」と天代をタクシー代わりに使おうとして、深夜は「支部の中に売店あるんですから……」と魅戈を窘め、天代は「ええと……あの僕はいいんですけど」とどちらに味方すればいいのか決めあぐね。

 唯利亜は無言で何かを考え込み、奈都海はこの空気についていけず、九能は慣れきった緊張に身体を伸ばした。


 激戦の前の静かな安息。

 彼らにとってはその静けさは嵐の予兆でしかない。心の底では安息に浸ることもできていなかった。




◇◇◇ ◇◇◇




 各々に割り当てられた休憩室。

 本来は疵術師たちの宿泊のための部屋だが、今日は斥候大隊が目標を発見するまでの待機室として使用されている。

 その中の一室に、奈都海と唯利亜のきょうだいはいた。

 会話はない。話すべきことがないわけではないが、今ここで話す気分でもない。

 同じ部屋を割り当てられたわけではなく、単に奈都海が唯利亜の様子を見るためにここにいるだけである。唯利亜も拒絶しないため、かれこれ30分もこの空間を二人だけで過ごしている。

 唯利亜に明るさがないのは沙夢濡に対して責任を感じているのか、沙夢濡の身を案じているのか。考えることのない奈都海はそんな詮無いことを悩んでいたが、結果的にその両方だろうという結論に至った。だからといって奈都海に何かできること、言うべきことがあるのかと言うと、そんなことはなかった。

 とはいえ、奈都海は唯利亜の傍にいられればそれでいいと思っている。……ということを知られれば、ブラコン呼ばわりは避けられないだろうが。残念ながら奈都海自身にその自覚はない。


 ――と、それまで静寂が支配していた空間に、唯利亜の少年とは思えないソプラノ声が響いた。


「兄さん? ……聞いてもいいかな」


 唯利亜は備え付けのベッドに座り、奈都海はテレビに面するソファに座っている。当然だがテレビは点いていない。

 唯利亜は奈都海に声をかけたにも拘わらず、その顔を見ようとはしない。唯利亜が奈都海と会話する時、読唇術を必要とするためにお互いに顔を見合わせる必要がある。そのせいで唯利亜は言いにくいことをギリギリまで隠す悪癖がついてしまっていた。

 奈都海はそれではないかと内心で密かにびくびくしていた。


「ずっと前から思ってたんだけどさ……」


 唯利亜はそう前置いてから続ける。


「兄さんは九能さんのどこが好きなの?」


『……はあ?』


 この場に似つかわしくないその質問に、奈都海は怪訝を通り越してその精神状態を疑った。沙夢濡を心配するあまりおかしくなったのではと思ってしまったのだ。

 だが、そんなことは決してなく、唯利亜は至って真面目だった。


『なんなんだいったい』


「だって九能さんってさ、前の人と全然違うし……なんていうか、兄さんの好みがわからない」


 だとしても今訊くべきではないだろうと奈都海は思ったが、唯利亜のその目は奈都海の反論を許さなかった。

 しかし奈都海は答えに窮する。唯利亜は奈都海が中学時代に付き合っていた彼女と九能が全く違うタイプだと言っているのだが、奈都海からすればだからどうしたとしか言えない。どう答えればいいのだろうかと奈都海は本気で悩んでいた。


「まぁ……どっちも頼れるお姉さんって印象はあるけどさ。あ、兄さんってヒモなところあるよね」


『何を失礼な』


 そうは言っても強く否定できないところが奈都海にはあった。頼れる相手が近くにいると無条件に頼ってしまうきらいが自分にはあると、奈都海も自覚はしている。


「年上のほうが好きなの? ていうか年上の人によく好かれるよね、兄さんって」


『年上好きについては否定しないが』


「だよねー。……なんで人ってそんな簡単に人を好きになれるんだろ」


 唐突に唯利亜の発した難しい疑問に、奈都海は再び軽く開きかけた口を噤んでしまった。

 簡単に好きになれるかどうかは人それぞれだろうが、そもそもまだ初恋すらまだだという唯利亜にとって人に恋するという感情は理解に苦しむ分野でもあった。特に唯利亜は自分の中でも性別の別を上手く扱えていないために、恋愛の対象が男なのか女なのかという根本的な部分で迷いがある。

 そんな悩みを内包していることに気付いた奈都海は、それでも実の弟に何も言ってやれない。

 思い通りに働いてくれない頭でようやく絞り出した言葉が――


『別に、無理に人を好きになろうとする必要はないと思うが?』


 それを口だけで読んだ唯利亜は横目で奈都海を見ながら、


「できる人はさ、そうやって簡単に言うよね。できる必要はないとか、できても意味がないとか。できない人の苦しみなんて理解しようともせずにさ。理解しろとは言わないけど。せめて理解する努力くらいは見せてほしいんだよ?」


 そう腹立たしげに言った。

 奈都海は少し後悔する。どうにも唯利亜の真剣さを見誤っていたらしいということに気付いたからだ。唯利亜にとって恋愛できるかどうかは奈都海が思っている以上に大きな問題らしい。

 そんな唯利亜に奈都海が何を言おうかと悩んでいる間に、唯利亜はベッドの布団の中に潜り込んで奈都海から隠れてしまった。


「寝る。呼ばれたら起きるから」


 行動と口調で出ていけと言われ、奈都海は渋々その部屋を出ていくことになった。

 ――その前に


「…………」


 奈都海は布団の上から唯利亜の頭を撫でた。

 反応はないが、奈都海が部屋を出ていく間際、布団の中で僅かに身じろぎした。ように見えた。






 そして、自分の部屋に戻った俺はそこに九能を見つけた。

 男女の部屋は階層で分けられているため、間違えているという可能性もなさそうだ。特に何をするでもなく、ベッドに腰掛けて虚空をぼー……っと見つめていた。

 未来小や未永栖さんのような戦闘に銃器を使う人たちはその準備が必要なのだが、俺はこの身だけで戦うからそういった面倒はない。九能も同様で、得物はいつも小さくして携帯している巨大な斧。特にメンテナンスの類も必要ないようで、こういう時間は暇になるのだった。

 俺が入ると、九能はすぐに気付いた。


「おかえり、奈都海。座ったら?」


 ぽんぽんと自分の横を叩きながら九能は言う。思うところがないわけでもなかったが、とりあえずはお言葉に甘えさせてもらうことにした。別に言われなくても座るけど。

 ベッドに腰を降ろす直前、もしかしたら九能に押し倒されるのではというわけのわからない危機感が湧きあがってきた。もちろん、九能はそこまで無神経でも不真面目でもない。内心で警戒したようなことはなかった。

 俺が座って一息つくと、九能が口を開いた。


「唯利亜の様子、どうだった?」


『あー……そうだな……』


 どう言えばいいのか。余計なことを考える余裕はあると答えればいいのか、現実逃避しなければならないほど追いつめられていると言えばいいのか。

 まあどちらにしろ


『寝るとか言っていたからさすがに暴れたりはしないと思うが』


「そう……。ま、独断で突っ走られたらどうしようかと思ってたけど、その心配はないみたいね」


 さすがに唯利亜もそこまで分別をなくすほど混乱してはいないだろう。俺も少しは危惧したけども。

 なんとなく顔を見合わせて理由のわからない笑みを交わす。何かがおかしかったわけではなく、どうにも笑っていないとやっていられないような気がした。人は感情を持て余すと大抵が顔に出る。

 と、その時、九能が俺の顔を見ながら言った。


「奈都海ってこういう時くらいしか笑ってくれないわよね」


『そう、か?』


「そうよ。本当に楽しそうな時は笑ってくれない。笑顔が見たいなって私が思った時だけ、あなたは笑ってくれる。自覚、ない?」


『いや、ない……な』


 本心からそんなつもりは一切なかった。自分で言うのもなんだが、俺は表情に動きがないことで有名なのである。別にクールを気取っているとかそういうことではなく――なんて言うと言い訳じみてくるが、本当に昔から無愛想な奴だと母親や姉から散々言われてきた身だ。

 自分で笑っているつもりでも無表情だと言われることはよくあるが……その逆はあまりない。


「奈都海のおかげで助けられたりもするんだけどね」


『お前を助けるなんて、そんな恐れ多いこと』


「本当よ? 今だって、さっきまでは怖かったのに、奈都海の笑顔を見た途端に全然そんなことなくなっちゃった。だから助けられてる」


『怖い……のか、お前でも』


 学園生活の中ならまだしも、戦闘に関して九能でも怖いものがあるのかと驚く。

 九能はその能力のおかげで絶対に負けず、死なない身体を持っている。どんな敵を相手にしても負けることはなく、だから消耗したところで仕掛ければ必勝だとも言える。

 そんな九能でも怖いものがあるのか、と俺は意外に思ってしまった。よく考えれば、さほど不思議なことでもない。戦場で死ぬのは自分だけではないのだから。


「私だって無敵じゃないもの。奥の手だって制限されてる……怖いものなんて星の数ほど」


 九能が怖れているのは仲間の死。自らは死ぬことを許されず、なおかつ他人の老いを尻目に自分だけはそのままの姿でい続ける。故に、九能は他の誰よりも人の死を見てきているはずだ。

 近しい人を失う恐怖、失った時の虚無感。それは俺にもわかる。

 現実味のない恐怖、それなのに他のどの恐怖よりも恐ろしくて、しかもぴっとりといつまでもくっついて離れない。それが払拭されるか死ぬまで、その恐怖は俺を苛むのだ。

 それまで自分を構成していたその一部がごっそりと抜け落ちる感覚。まるで腕が一本なくなってしまったかのような喪失感に襲われる。

 二度も味わったことのあるそれらは、俺に人間であることを憎ませるほどでもあった。何度となくその目で見てきただろう九能など、語るべくもない。

 戦いそのものよりも、人が死ぬことを九能は怖れている。ファントムとの戦いではその確率が高いからいつもよりも心に余裕がない。ただそれだけのことだと言ってしまえばそれまでだが……


『なら……俺が役に立ったっていうなら、それ以上のことはないよ。俺がお前の怖いものを一つでもなくせるなら、いくらでも俺を利用してくれていい』


「そう? そんなこと言われたら本当に使いつぶすまで使いたおすわよ?」


『あー……まあ、ほどほどにしていただけると有難いなぁ、なんて……』


「ふふっ、冗談よ。安心なさいな」


 俺をからかう余裕は出てきたようだ。九能の自然な微笑みに、俺の口元も自然と綻ぶ……いや綻んでいるといいんだが。どうだろう。

 そんな風に悩んでいるものだから、結局笑うどころではなかった。

 そのことに気付いたのは、九能が部屋を出る直前に指摘してくれたからだった。


 たった、それだけの話。






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