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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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第1章#5 発覚



 ADEOIA日本中国支部第一特殊遊撃小隊の朝は――さほど早くない。

 特殊遊隊は中国支部の副支部長を直属の上司に持っているために他の小支部への派遣はあまりされず、なおかつ支部の管轄内にDMFBが毎日現れることもない。彼らが必要になるのは10体規模でDMFBが現れた時だけで、言ってしまえば基本的には暇なのである。

 人材不足を最大の懸念材料とするADEOIAにあってはあるまじき部隊。だが、彼らが支部に常駐していることで他の部隊が気兼ねなく小支部へ行くことができるという面もあって、特殊遊隊という存在はこの支部の中でも不可欠かつ特殊な立場にある。

 日本の魔術界で唯一情報が魔術団に入るADEOIAでも、この特殊遊隊の存在は広く知られている。世界に知れ渡る“巨斧の魔女”が率いているのも理由の一つだが、結成から2年、最近では隊員の能力の高さと特異さが評価されつつある。疵術師の多くは魔術師以上に個々の魔術の独自性が強い。その中でも特殊遊隊の疵術師は同じ疵術師から見てもかなり特異で、そういった珍しさはそのまま知名度にも繋がるのだ。


 ――しかし

 当の彼らにはその自覚がない。

 今日――9月17日の朝も、彼らは休日の学生の如き睡眠時間から覚醒し、その直後の寝起きの足で支部の食堂へ向かっていた。魔術師であってもそもそもの元の肉体は人間となんら変わりないため、魔術師も食事は普通に取る。何より食物の中にも魔力は含まれており、特に魔力を消費した戦闘後数日は普段以上の量の食事を取ることがある。

 といっても、今食堂に向かっている面子の中に2日前の戦闘に参加した者はいない。面子は居川咲いがわさき小鳥遊尊何たかなしそんか三井魅戈みついみかの3人である。魅戈と違って咲と尊何は支部ではなく自宅に住んでいるのだが、DMFBの大規模な発生があったために、数日間は支部に泊まることにした。この支部の一部の階には100人単位で利用できる宿泊施設を有している。住んでいる者はそこに住んでいるし、泊まった者はそこで夜を明かすことになる。これは次なるDMFBの発生に備えて警戒するための措置だが、本人らにその警戒心は一切ない。

 むしろ、楽しんでいる感すらあった。


「咲ちゃんは朝何を食べるのー?」


「特に決めてないよね。ご飯の時もあるしパンの時もあるし。気分かな? おかずは和食のほうが好きみたいだけど、やっぱり色々食べるし」


「なんで尊何さんが答えるんです……?」


 朝からテンションの高めな尊何と魅戈に対して、咲はテンションが低い。普段から高くはないが、朝は一段と低い。


「そっかー。じゃあ私、咲ちゃんと同じの食べるっ」


「じゃあの意味がわかりませんよ……」


 じゃれあう対照的な二人を保護者のような目で眺める尊何は、実際にこの二人に対しては保護者のような役回りになりがちだ。食堂が近づいてくると、さりげなく少し前を先行して扉を開けてやる程度の気遣いなどいつものこと。尊何と2年近くの付き合いのある二人はこの行為が当たり前となってしまい、尊何には感謝の一言も言わない。尊何も言われないことが当たり前というか、そもそもこの行為が感謝されるほどのものだとも思っていない。

 時間は午前8時。それなりの数の疵術師が3人と同じように朝食を取るためにここに来ていた。といっても、彼らのほとんどは非戦闘員。例えば治療小隊であったり、武器のメンテナンスを行う者であったり、はたまた魔導機械の専門家であったり。戦闘要員でありながら日常的に支部の施設を使えるのは、実質、特殊遊隊の隊員以外にはほとんどいない。

 さて、この食堂ではカウンターで直接調理師に望む品を言って受け取る方式だ。メニューはカウンターの上部に書かれている。

 この調理師たちも疵術師である。が、料理は普通に作るのが一般的だ。魔術で作ることも可能ではあるが、労力に見合わないために誰もしない。


「おばさーん! 朝ごはんちょーだい!」


「あいよー……って、メニューを言ってくれないと」


「咲ちゃんとおんなじやつ!」


「……モーニングセットのAを2つください」


 魅戈の返答に困った顔をするカウンターの疵術師に、咲が具体的なメニューを答えた。魅戈に戸惑うということは普段は料理担当の者だろうか、と尊何は考えながらいつものようにコーヒーだけを頼む。


「ミルクや砂糖は……」


「いらない。コーヒーだけでいいよ」


 注文を終えた3人は座れる席を探して視線を廻らす。とはいえここにいる疵術師はさほど多くもないので、席はすぐに見つかった。今は注文した品が来るまでは座る必要もないので、カウンターの端に寄って待つ。暇な3人は雑談に興じることにした。


「ところで、咲ちゃんはいつ学校に行く?」


「またそれですか……もう少し待ってくださいって言ったじゃないですか」


「咲ちゃん学校行くのー? なら魅戈も行きたいなー」


「いえ、それは……許可が出るかどうか難しいですよ?」


「どうかな。魅戈なら年齢を偽るのも簡単だろうけどね。咲ちゃんと同級生って設定で同じ中学に通うのはどうかな?」


「さんせー!」


「……好きにしたらいいと思いますよ」


 咲は学校に通うための保護者を必要として、半年ほど前から尊何の自宅でともに住んでいる。だが、今のところ咲は学校に通ってはおらず、こういったやり取りも最近は尊何に限らず増えてきた。咲自身も通いたいのは山々だが、やはりどうにも決心がつかなかった。

 咲は学校というものに一度として通ったことがないのだ。生まれた時から疵術師として生きてきた咲にとって、学校という場所はまさに平和の象徴。そして、咲にとっての平和は非日常そのものである。その中に自ら身を置く決心をつけるのはなかなかに難しい。

 また、学校など教育機関に通う場合は、階級や年齢に制限はあるが任務の一部が免除されることもある。中国支部の疵術師が優秀な者ばかりだとはいえ、彼らに自分がやるはずの任務を押しつけるのが後ろめたい面もあったのだ。

 自分が今まで身を置いていた世界とこれから飛びこむ世界と、その両方に懸念材料があって、咲は覚悟ができずにいた。

 本来はここまで大層な話にはならない。だが、学校という場所は咲にとって新天地である。他の皆が言うように簡単に決められるわけがなかった。


「どうぞ、コーヒーです」


「あぁ、僕だよ。ありがとう」


 尊何がコーヒーを持って目を付けていた席へ向かう。ほぼ同時に咲と魅戈の料理もでてきて、二人はそれを持って尊何を追った。

 座って料理を食べ始め、それも半分ほどが片付いたころ。尊何のコーヒーカップも空になる時間が過ぎた。

 それまで黙っていた尊何が徐に喋り始めた。


「それで咲ちゃん。本当に学校へはいつになったら行くのかな?」


「ですからもう少し――」


 同じ質問に呆れて同じ答えを返そうとした咲を、しかし尊何は許さなかった。


「もう少し待ってくださいって? “もう少し”はもうとうに過ぎたよ。そろそろ結論を出してくれないと、僕も寛容ばかりではいられないんだよね」


「……っ、それは……」


 珍しく尊何が真剣味を帯びた口調になっていることに気付いて、咲は怖気づく。

 だが、それは尊何も無意識のうちのことだったらしく、気付いて表情と口調を和らげた。


「ごめん、柄にもないことをしてしまったかな」


 尊何が謝るという貴重な現場に立ち会っているという自覚は咲と魅戈にはない。


「とにかく何が言いたいのかというと、咲ちゃん、君が心配なんだ。見ていていじらしいんだよ、君は」


「……それ、は」


 咲はどう答えていいかわからない。抱えている想いはいくらでもあるのに、それが言葉にできなかった。

 それを見ていた尊何は、それまでの真面目さをすぐに溜息に変えた。


「まあ、もうちょっとだけ待とうかな。咲ちゃんもまだ子どもだ。覚悟を強いていい歳じゃない」


「っ! すみません……」


 咲はショックを受けていた。なぜなのかは……咲自身にもまだわからない。


「でも言ったからね? 早めに決めておきなよ。行かないならそれでもいいから」


「はい……でも、ちゃんと行きます。みなさんには迷惑をかけると思いますけど……」


 咲にとっての一番の懸念はこれだ。支部の皆に迷惑をかけるのは気が進まない。学校に行った自分がどうなるか、どうするかは自分の問題だから自己解決すればそれでいいし問題視はしていなかった。

 そういった考えを持っていた咲だったが、尊何と魅戈の言葉でどうやら改める必要がありそうだと悟る。


「考え過ぎだよ。咲ちゃんは迷惑なんて大層なものをかけられるほど偉くもないんだから。子どもらしく気楽に、簡単に考えたほうがいい」


「そうだよー? 咲ちゃんはね、子どもなの。もっと他人のことは放っておこうよ」


 つまるところ、咲はもっと自由に考えるべきだった。他人のことを考えて、気に掛けて、振り回されて、それに縛られていては何もできないのは道理だ。無数にいる他人を気に掛けて、いったい何ができるというのか。自分だけなら一人だけだから、できる範囲は大きい。何より自分だ。何をどうしようかなどと考えるまでもなく、行動はすべて自分の意思だけでできる。

 こんなにも簡単なのに。


「わかりました……考えて、おきます……」


「? へんなのー」


 キャハハと無邪気に笑う魅戈にも咲は何も言えなかった。

 不器用な自分が呪わしい。

 尊何はいつものように笑顔だけを浮かべていた。




◇◇◇ ◇◇◇




 鳳霊学園高等部の屋上に、一人の女子生徒がいた。


 鈴平鳴姫である。

 時間はそろそろ11時にもなろうかというところ。この鳳霊学園では2時限目が始まった直後。彼女も生徒である以上は授業に出る必要があるのだが、不良生徒よろしくサボっているところだった。といっても出席数が単位取得に必須なので、その辺りも考慮してサボる回数は考えてある。その辺り、鳴姫という女は抜け目ない。

 鳴姫は屋上の淵に設置されている欄干に身体を預けて立っている。天気は良く、陽光は直接鳴姫に注がれているが、屋上に吹く風が涼しいために心地よいくらいだ。クーラー臭い教室よりもよっぽど居心地が良かった。

 が、その屋上に新たな来訪者が現れた。


「やっぱここか、姫。授業はどうした」


 彼女の将来の伴侶たる南坂宇類。屋上の扉を開けながら、彼は自分のことは棚上げにして鳴姫を窘めた。


「あんたも同じじゃない。あと、姫じゃない」


 鳴姫は宇類のほうも見ずに答える。視線は遥か彼方の山に固定されていた。

 宇類は鳴姫の隣に並んで、座る。それを横目で見た鳴姫は、唐突に宇類に向かって膝蹴りを繰りだした。その膝蹴りがちょうど顔面の高さに来たために、宇類は思わず声を上げて避けた。


「あっぶねぇ……何しやがんだ、おい」


「こうでもしないとスカートの中覗くでしょ」


「何を今さら。お前のことなんてパンツどころかその中まで――」


 シュッ、と今度は空気を切る音とともに本気のハイキックが宇類を襲った。ローファーの爪先が横っ面に至る寸前に、宇類はなんとか避けることに成功した。


「おいこら、殺す気だったろ、お前!」


「当たり前でしょ。セクハラする奴は死ねばいいのよ」


 避けはしたものの、そのこめかみには冷や汗が滲んでいる。内心、本気で命を覚悟した宇類である。ちなみに蹴りで足を上げたせいで宇類からは下着が見えてしまっていた。

 ともかくこのまま鳴姫の脚のリーチ内に頭を置いておくのは危険だと判断した宇類は、立ち上がって鳴姫の横で同じように欄干の上に腕を組んで寄りかかった。美男美女が屋上で弱い風に晒されている光景は非常に絵になっているが、残念なことに二人を見る者はいない。いたらいたで面倒なことになりそうだが。


「……」


「…………」


 二人ともに沈黙する。元々約束していたわけでもなく、したい話もない。

 そうして数分すると、鳴姫が徐に懐から一つの箱を取り出した。タバコの箱だ。その箱から一本を取り出し、口に咥えた。当然、宇類はそれを咎める。


「まだ吸ってたのかよ。さっさとやめろっつったろーが」


 しかし鳴姫はそれを黙殺して構わず火を点けた。その姿はなかなか様になっていた……が、


「……ッ、けほっ」


 咳き込んだ。宇類は呆れて、鳴姫の手からタバコを取り上げる。


「何ヶ月ぶり……何年ぶりか? どんだけ吸ってなかったんだよ?」


「うっさいわね……。もともと慣れるほど吸ってなかったわよ」


「当たりめーだ。中房のくせに粋がってタバコなんて吸うんじゃねえっての。お前のこともそうだけど、お前だけに関係することじゃねえんだぞ?」


「はいはい、お説教はもういいわよ。さっきのが最後の一本だったし」


 それが最後でなければまた吸っていたのか、とは訊かなかった。肯定するのがわかっていたからだ。

 宇類はポケットティッシュを取り出した。ここに捨てると色々と問題になりかねない。ティッシュで火を消したタバコを包みながら嘆息した。


「ったく……お前はともかく産む子どもに何か影響でもあったらどうするつもりだよ」


「ッ、 な……!」


 何気なく呟いたセリフに、鳴姫が顔色だけでなく目つきまでを変えた。宇類はその過剰な反応を訝しむ。


「んだよ、俺の子どもなんて産めねえってか? 結婚したらそうは言わせねえぞ」


「~~っ、うっさい……!」


 照れ隠しなのかどうなのか、鳴姫は顔を逸らして宇類から隠した。宇類からは髪のせいで見えない。

 宇類のセリフは確かにセクハラの部類に入るが、鳴姫の反応は少しベクトルがずれていると言わざるを得ない。鳴姫であれば、静かに暴力を振るってもおかしくはないのだ。

 宇類からすれば平穏な反応は嬉しいところだが、らしくないとなると気になってしまう。


「やっぱお前さ、最近変じゃないか?」


「はあ? 何がよ」


 と問われると宇類は困ってしまう。宇類が悩んで黙っていると、鳴姫は馬鹿にしたように笑って、宇類に背を向けた。


「何もわかってないくせに適当なこと言わないでよ。鬱陶しい」


 そう言って屋上を去る。鳴姫の姿は扉の向こうへ消えていった。

 宇類は鳴姫の姿が見えなくなってもしばらくその方向を眺め続け、


「わかんねーよ……言ってくれねえんだから」


 だからといってそれをなかなか聞き出せないのは惰性かね――と、宇類は自嘲気味に考える。基本的にはプレイボーイなのに、本気の相手になると奥手になってしまうのが宇類だった。


「ちくしょー、こりゃもう待つしかねーのかね……」




◇◇◇ ◇◇◇




 2時限目が終了して昼休み――

 俺と唯利亜、愛燕は各々の昼食を持って食堂に来ていた。

 九能と未来小は自分の部活の部員とともに昼を過ごすらしく、今はこの3人だけだ。

 食堂はいつもの通りにかなり混み合っており、本来は食堂を利用しない俺たちが来るべきではないのだが、今日は屋上で食べるには少し風が強すぎる。だからといって教室で食べるとしても俺か唯利亜と愛燕か、どちらかが肩身の狭い思いをしそうなので却下。結果、食堂で食べることにした。

 俺たちと同じ考えの生徒はそれなりにいるらしく、晴れていても食堂が混んでいるのはこれが原因だろうか。窓から風にあおられる木の葉が見える。


「いっぱいいるね~。どっか座るところあるかな?」


「誰かいるとこに入れてもらう?」


「でも兄さんいるしね……どうかな、いいのかな」


『俺は別に構わないけど』


「向こうがダメなの。彼女持ちはお呼びじゃないとか言われるよ?」


『そりゃまた……』


 なんという……なんだろう。最近の女子高生ってそんなこと言うのか。というかどの男も恋人候補なのか。唯利亜の言い方だとそう聞こえるが。

 そうこうしていると、徐に愛燕が口を開いた。


「じゃ、宇類さんのとこに入れてもらお」


「え、いるの?」


「あそこ」


 愛燕が指差した先には、確かに宇類が座っていた。4人掛けのテーブルなのに一人で座っている。明らかに迷惑だが、それを伝える周囲の視線は宇類に届いていないのだろうか。そういった雰囲気には敏感な男のはずなのに。1時限目後のあれが原因か。


「宇類さーん」


「お、唯利亜……と、奈都海と愛燕か。どしたよ、今日は」


 しかし唯利亜は宇類がどうだったかなど知らないから躊躇もなく声をかけることができた。宇類もこともなさげに答えているが、その顔にはいつもほど明るい笑顔がない。

 宇類の前にはほとんど空のどんぶりが置かれている。2時限目が終わる前に食堂に来て食べ始めていたのだろう。その間に何があったのかは訊くべきだろうか。


「外は風が強くてねー。仕方なくここに」


「仕方なくってなんだよ。食堂のおばちゃんに謝れ」


 笑っていてもやはりどこか陰がある。唯利亜や愛燕は気付いていないのか気付いていて無視しているのか、いつも通りに談笑している。

 なんだか俺だけが過剰に気にしているような気がして虚しくなった。

 唯利亜と愛燕が宇類の向かいに座ったので俺は宇類の隣に座る。弁当をテーブルに置いて包みを拡げていると、宇類がそれを見ながら茶化してきた。


「愛妻弁当かよ? 家事のできる女を彼女に持ってるってのは羨ましいねえ」


「宇類さんも作ってもらったら? いるでしょ、作りたいって人」


 俺が宇類を睨み返す前に、唯利亜が割って入った。唯利亜は鳴姫と宇類の繋がりを知らない。


「どうだろうなぁ……あいつに家事ができるとは到底思えん」


「あいつって誰なんですか?」


「……、……ああ、そうか。お前らは知らないんだったな。ってか愛燕、そんなに身体を乗り出すな。パンが潰れてるぞ」


 宇類に言われて愛燕は小さい身体をイスに戻したが、その目はまだ宇類の誤魔化しを許していなかった。

 しかし宇類はそれに応じない。


「いずれ教える時が来るだろうからそれまで待ってろ。親父があんなのだから、色々あるんだよ」


 これは宇類が秘密主義だからとか、そんなことではない。あまり外部に漏らすと面倒なことが多々あるのだ。俺や真実が知っているのは……まぁ、なんというか、不可抗力というやつで。どちらの親父さんとも顔馴染みだから問題はないと思いたい。

 俺が思い出し恐怖しているその向かいで、宇類の答えを聞いた愛燕が微かに目を輝かせていた。


「許嫁? みたいな?」


「まあ、有り体に言えばそんな感じだ」


「……政治家の令嬢とか」


「政治家みたいな腐った奴と親父がつるむと思うか? もっときれいで暴力的な奴らだよ」


 唯利亜と愛燕は首を傾げている。きれいかどうかはともかく、確かにあの人たちは暴力的だろう。世間的には暴力団と呼ばれているわけだし。前半についてはノーコメント。実際、宇類や鳴姫の親父さんだって政治家とのコネクションは少なからずあるだろうし、これは宇類の主観的意見だろう。


「考えてもどうせわかんねーよ。正解しても教えねーし。それよりさっさと飯食わねえと3時限目に遅れるぞ」


 思わず時計を確認してしまったが、昼休みはまだ30分もある。が、言われた唯利亜は少し急いで食べ始めた。愛燕は言っても言わなくても大概スピードは変わらない。

 ともかく俺も九能の手作り弁当にありつこうと箸を持って、まずは卵焼きにそれを伸ばした――




「だーれだ♪」




 突如、俺の視界が暗闇に覆われた。と、同時にすぐ背後から楽しげに自らの正体を問う声が聞こえてきた。

 問われるまでもなく、悩むまでもなく、俺にこんなことをする人には一人しか心当たりがない。俺は冷静に箸を置いて、目を覆っているその人の手を剥がしてから後ろを振り向いた。


「やっほー、奈都海くん」


 そこには満面の笑みで手を振る亜美あみさんの姿が。宇類の前でこんなことをするとはまた面倒なことをしてくれました。九能の前でなかっただけ幸運と思うべきか。


「や、唯利亜ちゃんはじめみんな」


 そして俺以外にはついでのように纏めてあいさつ。なぜだか呆気にとられたように口を開けて亜美さんを見ている愛燕以外は、苦笑いを返すしかない。


「それにしても昼に奈都海くんが食堂にいるのは珍しいね。もしかして今日から君も食堂派!?」


 俺の目の前の弁当は見えていないのだろうか。首を横に振ると「そっかー、残念だ」とこれも笑顔で言った。まったく残念そうに見えない。

 俺も含め4人がこの亜美さんへの対処に困っていると、亜美さんは隣のテーブルから使われていないイスを1つかっさらって、俺の斜向かいに座った。テーブル間が広いとはいえ、それはさすがに迷惑じゃなかろうか。まあ、他に通路はいくらでもあるから大丈夫か。


「ところで奈都海くん、彼女さんは今いないの?」


『部活のほうに』


 常備しているメモ帳に書いて見せる。すると、亜美さんはふんふんと頷いて、次にむふふと不穏な笑い声を発し始めた。

 厭な予感。この人に対する厭な予感は、大抵が確信と言ってもいいほどに当たる。亜美さんがわかりやすいだけだが。


「奈都海くん、ちょっと来てほしいんだよ」


『お断りし』


 書いている途中で手首を掴まれた。具体的には“ま”の一画目で。

 そして問答無用に俺を引っ張って亜美さんは食堂を後にしてしまった。まだほとんど食べてない弁当とメモ帳を置き去りにして。




「……奈都海が拉致られた。まさかあれな展開か!?」


「唯利亜、どうしよう……カメラ持ってきてない……」


「いつものことだし心配いらないよ。本当に何も起きないから」


 俺が亜美さんに連れ去られた後、こんな会話があったとかなかったとか。




◇◇◇ ◇◇◇




 亜美さんに連れて来られたのは、第二会議室だった。いつも生徒会で使っている部屋だが、二人しかいないとなると印象もずいぶん変わるものである。いつもより広く見える。

 などと俺は呑気にも思っていた。

 ガチャ、と、ふいに後ろから何やら聞こえてきてはいけない音が俺の耳に入ってきた。

 まさか……

 まさか……?


「二人っきり♪」


 鍵を閉められた。扉に飛びついて確かめようとも思わない。亜美さんの満面の笑みを見れば、それだけで確信できてしまった。

 え、この人、本気だったの? 今までのはじゃれついていたわけじゃなくて、本気のアプローチだったのか? マジで? 嘘だろ? 信じられない。


「今日こそほんとに、二人だけだね……」


 動揺してしまった俺は亜美さんに胸を軽く押されただけでよろめいて、後ろの長机にぶつかった。その拍子についた手が滑って俺は長机の上に仰向けに寝ている状態になってしまった。無防備極まりない。

 同時に、バサッ、と何かの落ちる音。少しでもこの現実を見なくて済むなら、と目を向けたそこには、一冊のノート。誰だよ、こんなところにノートを置いておいたのは。ここにはいない誰かに悪態をつく。もちろん、現実逃避のために。




 ――逃避の先に


 ――ある予感が湧いて出た。


 にじり寄る亜美さんをできるだけ優しく押しのけて、落ちたノートを手に取って観察する。予感的中。そのノートは生徒会議事録と書かれており、中身はこれまでの生徒会で行われた会議の内容だ。そして、その中で最も新しいページの筆跡は、おそらく会長のもの。会議の時にホワイトボードでよく見ていたから間違いはないはず。

 俺が倒れた長机の上を見れば、そこにはさらにペンが一つと筆箱。どちらも会長のもの。

 予感が確信に変わった瞬間だった。


「どうしたの、奈都海くん……?」


 亜美さんは訊ねてくるが、それどころではない。

 都合いいことにペンと紙がある。俺はそれを使って訊いてみることにした。


『今日、会長を見ましたか?』


 そう書いて見せると、亜美さんはなぜか僅かに顔を顰めた。今はその名前は見たくない、そんな感じに。

 それが何を意味しているのかは知らないが、今はそれを探っている場合でもない。俺はもう一度亜美さんの顔をまっすぐに見て、答えを要求した。


「ジャンヌが、どうかしたの……」


『危険かもしれない。今日、一度でも見ましたか。特に授業が始まってから』


 なるべく深刻な顔を作ったつもりだったが、亜美さんは疑わしげに見ながら、それでも考えてくれた。


「見てない……と思うけど」


『授業には?』


「今日は自由出席の授業ばかりだし……ジャンヌは小論文のほうを優先するように言われてたし……」


 亜美さんが言葉を進める度に、俺の中の危機感がせり上がってくるのを感じていた。

 監視は唯利亜に頼んである。だが、俺は昼に唯利亜と会った時にあいつに監視の状況を聞いていなかった。それは俺が忘れていたから俺の責任でいいが、唯利亜からの報告までがなかったのは不自然だ。愛燕より先に会ったから、タイミングがないわけではなかった。

 忘れていた可能性……? あり得ない。あいつに限って会長に関することを忘れるなどと。

 なら、なぜ。

 朝以降、誰も会長の姿を見ていない。いや、亜美さんだけにしか確認はしていないが、授業を受けていないとはいえ同じ3年の亜美さんが一度も会っていないのは……その可能性がないとは言い切れないが、楽観もできない。この場合、悲観はしてし過ぎることはない。


 即決、行動。


『すいません、亜美さん』


「ぇ……」


 口で謝って、俺は少しの魔力を放出する。こうすることで記憶領域に障害が出て、肉体は一時的に休止状態に入る。気を失った亜美さんの身体を受け止めて、壁に寄りかけて寝かせておく。すぐに起きるだろうから放っておいても問題はないだろう。おそらくここに来たという記憶までなくなっているだろうが、そこは自分で勝手に補完してくれると有難い。

 次はこの部屋からどう出るか。本当に扉が閉ざされているのか一応の確認のためにノブに手をかけて回してみると、

 がちゃ、

 と、あっさりと開いてしまった。二重の意味で安堵する。部屋を出て、携帯を取り出してメールを打つ。

 俺は携帯で九能と唯利亜、未来小、深夜にそのメールを一斉送信した。

“対象、失踪の可能性あり”

 もし唯利亜が監視をしていたのなら、あいつから反論があるはずだ。ボクが見ているからそれはあり得ない、と。俺はそう返ってくるのを願っていた。そうであってほしいと、一縷の望みをかけてメールを送った。


 ――だが、現実は非情だ。


 3分後、生徒玄関に集まった誰もが、蒼褪めた顔をしていた。

 監視を頼んでおいたはずの唯利亜までもが。





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