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Silent Lyric  作者: 赤井呂色
第1章 誘惑する狂姫
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第1章#3 呪われた魔力



 会長の家に泊まらせてもらった日の翌日。日曜日だ。

 予想に反して快眠できた俺は、千恵さんに起こしてもらうというやや恥ずかしいことになってしまった。その上、朝食まで御馳走になり、その朝食の際に九能と出かけることを言ったところ、なぜか風呂に入るように言われた。そこまでされるとさすがに悪いかとも思ったが、結局、言われた通りに朝風呂まで世話になることとなってしまった。恐縮しっぱなしである。

 不本意ながらも嬉しいことにさっぱりとした俺は、割り当てられた部屋に戻っていた。することもないのでテレビを見ているが、やはりやっているのは朝の情報番組くらい。しかもローカルの。この県で起こったという事故を特集していたので、なんとなく見ていた。会長は朝餉の時に見たきり目にしていない。

 そんな時、襖を隔てた声が聞こえた。


「奈都海さま。よろしいでしょうか。唯利亜さまと、もう一人、西園寺さまとおっしゃる方が、いらっしゃっておりますが」


 千恵さんだ。それを聞いて、俺はやはりと思った。二人で一緒に来たか。

 襖を開けると、そこには千恵さんが立っていた。千恵さんは「こちらです」と言って、俺を先導する。俺がこの屋敷に入ってきた玄関のある方向とは真逆だった。はて、あの二人は裏口からでも入ってきたのだろうか。

 疑問に思いながらも、千恵さんについていく。

 その先に、あったのは――


「あー、兄さん。一日ぶり」


「あら奈都海。どう、問題は何もなかった?」


 いたのは、唯利亜と九能。これは千恵さんが言っていたから、特に驚きなどは何もない。唯利亜の風邪が完治していることは、今朝の九能と愛燕からのメールで知っている。

 だが、二人がいたのは、俺が入ってきたそれよりも遥かに大きい玄関で……いや、俺が入ってきた方は裏口だったのか。道理で、来客用にしてはスリッパが少なかったわけだ。何より、風呂までの通路が玄関前を通っているというのは、ここまで大きい屋敷ではあり得ないはず。この屋敷でいう裏口というのは、即ち家人がプライベートで使う出入口ということなのだろうか。


『特に問題はなかった。唯利亜、バトンタッチだ』


「そう。ならよかったわ。今日も特に起きることはないと思うけど、唯利亜、お願いね。万が一ってこともあるから」


 千恵さんという部外者の前だったが、さすがに主の客人のことを根掘り葉掘り探ることはしなかった。千恵さんの分別のよさに感謝したい。


「おーけいだよ。……っと、ジャンヌさんは……どこなんですか?」


 そういえば、肝心の会長がいない。唯利亜は玄関から廊下に身を乗り出してみるも、見当たらず。敬語だったのは千恵さんに訊ねていたからか、そう思った通り、唯利亜には千恵さんが返答を返した。


「お嬢様は今、湯浴みの最中でございますので、もうしばらくお待ちください」


 湯浴み? なんと、俺ももう少し遅く入っていたら、会長と鉢合わせ――……するはずはないか。浴室は男女別だったし。というか、彼女の前で何を想像してんだ俺は。

 そうこうしているうちに――正確には、目聡い九能の冷たい指摘をかわしていたり、唯利亜と千恵さんの親しげな会話を聞いていたりしているうちに、時間を過ぎていった。

 そして、他のお手伝いさんから聞いたのか事前に千恵さんから聞いていたのか、会長がここへやってきた。


「ごめんね、みんな。また待たせちゃって」


 会長はバスタオルを持っていた。乾ききっていない濡れた髪が、やけに艶めかしい。着ているものも、下着とキャミソールだけという劣情を催しかねない組み合わせ。男の前に出てくる服装じゃないですよね、会長。意識されていないという意味では安心するけども。

 それ以前に玄関まで出てくるにはあまりにも無防備すぎる。はずなのだが、千恵さんは会長を咎めたりはしなかった。

 さて、「また」というのは昨日の生徒会のことだろう。この場にいる4人のうち半分は知らないのだが。そのことには誰も追求せず、直接応じたのは唯利亜だけだった。


「大丈夫だよー。そんなに待ってないもん」


「そう? ならいいんだけど。あ、唯利亜ちゃんの服、可愛いわね」


「ジャンヌさんのキャミもすごく似合ってると思うよっ」


「ありがと、嬉しいわ」


 仲睦まじく話す二人の世界には、入りこむ隙がない。愛燕が見たら嫉妬しそうな光景だ。

 こうなるとここに残る意味もない。俺は九能に視線を向け、頷いたのを見てから、千恵さんに『お世話になりました』と書いて見せた。


「はい。私の方も、お嬢様のご学友という以上に、奈都海さま個人の人となりには非常に興味を惹かれました。一晩だけではありましたが、仕えさせていただき、光栄に存じます」


 おわぁ、そこまで言われるとすごく照れ臭い。

 だが、九能は俺を冷めた目で見ていた。照れていたとしても顔には出ていないはずなんだが。よく無表情が怖いとか言われるし、俺は。


「どっかでフラグでも建てたの?」


『……社交辞令だと思うが?』


 フラグて。強いて言えば、フラグを建てられそうだったのはむしろ俺の方だったんだけど。

 千恵さんの言葉を社交辞令だと言ってしまうのは失礼だと思ったが、九能の目をかわすためには致し方なかった。すみません。

 その結果かわし切れたかどうかは別として、俺が怖れたように九能は特に追求したりはしてこなかった。


「唯利亜、沙夢濡さん、何か必要なもの、ことはありませんか?」


「え? え、えぇ、別に……」


「今のところは特に、かな。何かあったら電話するから」


 九能は、さっきの会話で千恵さんが探ってこないことを知ったからか、堂々とそんなことを訊ねる。会長は千恵さんの様子を窺いながらだったが、唯利亜はあっさりとしていた。千恵さんも、多分、会長にストーカーでもついたのかとか、そんなことを考えているのだろう。そして、その対処に俺たちが当たっている、と。


「そう。なら、よろしく。沙夢濡さん、何かあったら唯利亜になんでも言ってください。唯利亜、自分で対処できないと思ったら、迷わず私たちに連絡すること。いいわね?」


「うん、了解だよ。二人も、今日はボクに任せてくれればいいから。楽しんできて」


 やけに自信満々だが、それが逆に不安になる。楽しんでこいと言われても、あんな戦いをした翌日に精いっぱい遊べるほど、俺の肝は強くない。

 しかし、九能はそれに頷いた。おいおい、本気で遊ぶ気なのか。


「西園寺さん、ナツ……、ありがとう。おかげで助かったわ」


 会長のいきなりの感謝の言葉。俺は何に対する感謝なのかすぐにはわからず、曖昧に頷くしかなかった。というか、考えてもわからなかった。助かったと言われても、俺たちが助けたのは昨日の一度だけである。昨日のことを、今? ……わからん。


「いえ、それが私たちの仕事ですし」


 どうやら、九能は昨日のことだと考えることにしたらしい。では俺もそうすることにする。


「それじゃ、唯利亜、頼んだわよ。奈都海、行きましょう」


 俺は九能に言われ、会長と千恵さんに纏めて会釈し、唯利亜に手を振って、後朱雀邸の玄関を出た。




◇◇◇ ◇◇◇




 後朱雀邸の表門は、当然ながら裏門以上の大きさを誇っていた。大型自動車が3台くらい行き違えるほどの横幅。高さは目測もできない。とにかく高いとしか。

 九能は入ってくるときに見たからだろうか、特に反応もなく門をくぐった。近くに門を閉じる人がいないのを見ると、この門はやはり自動で開閉するようになっているのだろう。そもそも、こんな重い門が人の手で動かせるとは思えない。

 そんなことを考えていると、門を出た九能が「はぁ~~~~」と、えらく長い溜息を吐いていた。


「やっぱりこういう家は疲れるわ……神経使う」


『慣れてるもんだと思ってたが』


「まさか。私だって、こういう家はそんなに来たことないわよ。むしろ苦手な部類」


 意外だった。九能ならこういった厳粛な雰囲気も意に介さないものだとばかり思っていたが。

 食事の時にも会ったが、この後朱雀邸の人たちはかなり厳格というか、そういう雰囲気を好んでいる気がする。俺も嫌いではないが、それを差し引いても周りが他人ばかりで厳粛さを前面に押し出されてはさすがに居心地もよくはなかった。


「ADEOIA自体があまり厳しくないもの。これっていう形の定まった取り決めも少ないしね」


『……そうか? けっこうある気がするが』


「一国の正規軍と比べたら、って意味よ。敵がどこからでも出てくるから、仕方ないんだけど」


『なるほど』


 柔軟性を持たせるために、過剰な拘束はしないということか。だとしても、一つの支部の副支部長がここまで自由だと逆に心配になるが。

 そう考えていると、本当に心配になってくる。昨日あれだけの戦闘があったし、九能は今日空いていると言っていたが、空けていていいのか? 会長を唯利亜一人に任せてきたのも、また別の懸念材料だ。

 もし、万が一、まさか。こんなことを考えていたらキリがないのはわかっているが、人間考え始めると止まらないものである。


『九能。大丈夫なのか?』


「……? なによ、いきなり」


『いや、よくわからんが唐突に不安になったもんで。九能がここにいてもいいのかとか、唯利亜だけで会長の護衛が務まるのかとか』


 少し軽めの調子で言ってみたが、実のところけっこう本気で心配だったりする。なにせ、人命にかかわる。身近な人が狙われているかもしれないとなれば、気にかかって当然だろう。

 だが、九能は笑っていた。そんな俺の懸念を払拭させるように。


「今さらね。今までだってすぎるくらいに自由だったじゃない。夏休みなんて2泊で旅行にも行けたのよ? この街の中にいれば対応はできるわ」


『だが……会長はいいのか? ファントムが狙っているかもしれないんだろ? なのに疵術師一人で護衛っていうのは、明らかに危険というか……お粗末すぎないか?』


 俺がそう言うと、九能は少し言いにくそうに唸った後、苦笑いを向けてきた。何が言いたいのかわからない、と首を傾げると、九能はさらにその笑みの苦みを増した。


「まー、その、あれよ。体裁っていうの? 戦闘に巻き込まれた上に重複干渉が効きにくい人間は、ある程度の間うちで保護しなきゃいけないの。その事実を今つくってるところ、って感じかな。実際はそんなに危険じゃないと思うわ。DMFBって魔力の高い人間は嫌うしね」


 DMFBは魔力の高い人間、主に魔術師に近づくことを嫌う、あるいは怖れている。正確な理由はわからないが、食糧となる魔力の低い人間がごまんといるこの世界でわざわざ反撃してくる魔力の高い人間を襲う必要性がないからだろう、と教えられた。といっても、俺たち魔術師の一種である疵術師が奴らと戦っていても、全部が全部逃げ出すわけではない。EやFランクのDMFBは逃げるものが多いが、Cランク以上になると反撃してくるものの方が多い。こういったことはADEOIAでは常識だという。俺はADEOIAに入って一カ月くらい知らなかった。

 で、重複干渉の効きにくい人間というのはつまり、魔力の高い人間。会長はそれに当てはまるから、大抵のDMFBには襲われにくいということになる。

 こう聞くと安心できそうなものだが、俺にはどうにも引っかかる部分があった。ファントムだ。あいつらはDMFBに通用する常識が一切ない。別次元の生物だ。もしあれがいたら――


『ファントムがいる確率は?』


「ファントム?」


『ああ。言ってただろ、ファントムが狙っているかもって。あれはどういうことだ?』


 訊くと、九能の表情がほんの少しだけ変わった。どこがどう変わったかは……わからない。ただ、変わったのは確かだ。


『……九能?』


「あくまで可能性よ。ファントムはそう短期間に何度も出てくるものじゃないわ。大丈夫、安心して。確率で言うなら万が一、億が一くらい」


 九能は挟む口を許さない早口で捲し立てる。


「大丈夫、そんなこと起こりっこないんだから……」


 それはまるで、自分に言い聞かせているかのように……




◇◇◇ ◇◇◇




 奈都海と九能が後朱雀邸を去った後、唯利亜は沙夢濡の部屋へと来ていた。

 唯利亜が後朱雀邸に来た時はいつものことだが、今回は遊びに来たわけではない。目的はもっと別に、つまり護衛というその一点にのみある。

 唯利亜自身も遊ぶつもりは毛頭なかった。恩人でもある沙夢濡が巻き込まれたと知って半ば取り乱した彼は、冷静になってから九能に沙夢濡の護衛を申し出た。やっとの思いで任されたこの彼女の護衛任務に、彼は今までにない気合を入れていた。


 ――のだが、


「あーあぁ、負けちゃったわ。さすが、唯利亜ちゃんは強いわね」


「えへへ、機体の相性が良かったからねー。これで5連勝だ♪」


 ――ゲームに興じていた。

 しているのは、プレイヤーがロボットを操作して戦う格闘ゲーム。原作は、初代放映から今年でちょうど半世紀が経った、かの有名ロボットアニメである。

 二人が遊ぶというと外出することも多いのだが、今回は護衛ということで無暗に外を出歩くことはしないことにしていた。だが、今の唯利亜にその意識は完全にない。ゲームというより沙夢濡と遊んでいることそのものに夢中で、それ以外のことが頭に入ってきていない。


「じゃー……今度はこれにしようかな。ジャンヌさんは何にするー?」


「じゃ、私はこれ。今度こそ勝つわよ?」


 選択画面から戦闘画面に切り替わり、それに合わせたBGMが流れ始める。唯利亜と沙夢濡はその画面を見つめ、3カウントが終わって戦端が開かれるのを待つ。

 今の唯利亜には護衛しているという自覚がない。だが、護衛されている沙夢濡は違った。こうして遊んでいる間にも、いつ何が起こるかと戦々恐々としている。ゲームにもなかなか集中できなかった。


「……ねぇ、唯利亜ちゃん?」


「なーに?」


 さっきまでの対戦ではなくどちらがより多くの敵を倒せるかという競争をしている間、沙夢濡は我慢しきれずに唯利亜の名を呼んでいた。


「唯利亜ちゃんは……DMFBを倒す時、何か考えてる?」


「んー……? 特に何も」


「……そう」


 画面内の敵が、二人によって次々に蹴散らされていく。

 このゲームの中の雑魚のように、数多くのDMFBも抵抗できずに殺されていくのか――なぜか、沙夢濡の心の中にそんなことが浮かんだ。

 もちろんゲームと現実は違う。唯利亜たちが現実で戦っている敵は、本当に命を奪う可能性さえある本物の脅威だ。何度もやり直せるゲームとは根本から違う。

 が、沙夢濡はどうしても重ねてしまう。現実のDMFBを見たこともないのに。画面の中の敵は機械の外見なのに。わけがわからない。

 戦わなければならない。殺さなければならない存在である。そう聞いていた。人を喰う悪しき生物であると、そう聞いている。DMFBとは人間の敵だと、そう聞いた。

 だが、どうだろう。人が今までそう言いながらどれだけの過ちを繰り返してきたか。敵だ、殺せ。話す言葉の代わりに殺す武器だけを持って。人は何度その過ちを犯してきたか。

 ――沙夢濡の中で、人間とDMFBの概念が同化する。

 気付けば、コントローラーを握る指が一切止まってしまっていた。


「……ジャンヌさん?」


 沙夢濡の操る機体が大袈裟なほどの爆音とともに爆砕し、YOU LOSTの文字が浮かび上がる。

 負けたからではない。ただ、理由がわからない。自分の感情が制御できず、溢れてくるものを抑えられない。

 唯利亜が困惑して声をかけてくるのも、聴こえない。慌てているその姿も視界に入らない。




 いつの間にか、沙夢濡は泣いていた。




◇◇◇ ◇◇◇




 俺と九能がまず来たのは、駅前にある大型ショッピングモール。ここらの学生の間では“駅前”と呼ばれている。といっても、これは学生限定の呼称である。おそらく、亜美つぐみさんなんかに言っても通じない。そもそもあの人には常識が通じない気もするが。

 この駅前には、学生向けの店舗が数多く集まっている。これは、鳳霊学園が近いというのが主要な理由ではなく、ここから一駅ほど離れたところにある『総合嬢子育学院大学』とその付属校の存在が原因だ。この学校は鳳霊学園など比べ物にならないくらいの規模があり、創立と同時にこの辺りの環境を一変させてしまったほどだ。付属の小中高、幼稚園を合わせて、擁する生徒の数は万を超える。付属校は県外もあるため、その全員がこの県にいるわけではないのだが。

 それらの生徒が住む学生寮から一駅だから、さほどの距離もない。自転車で10分ほど飛ばせば辿りつけるため、その付属高校の生徒もよく利用する。鉄道を使っても一駅だから大してかからない。電車賃も硬貨2,3枚で十分だ。

 というわけで、この辺りの高校生、大学生が遊びに行くと言えば、まずはここが候補に挙がる。そして、目的地に採用されることも最も多い場所だ。子ども向け商品の品揃えがいいこともあって、子ども連れの家族もよく見かける。




 支部に戻って着替えた九能は、ダークレッドのTシャツにショートジーンズを着ている。夏日の今日には相応しい服装だが、鎖骨とか太腿とかとにかく肌色成分が多すぎて目のやり場に非常に困る。

 髪型は、いつもは左側で結ってあるサイドテールが後ろで結ってあって、ポニーテールになっている。髪を結っているのはフリルのついた黒いリボンで、ここだけ印象が全然違う。いわゆるゴスロリアイテム。違和感まで魅力に変えてしまえるのは美人の特権か。

 ちなみに、九能は制服以外ではほとんどスカートを穿かない。


 程よくクーラーの効いた店に入り、早速九能は俺の手を引いて男性用衣服の店舗へ向かった。いつものことで、九能と付き合い始めてからは俺の服はほとんど九能に選んでもらっている。こうなってからは唯利亜や亜美さんからの服装の評価がよくなっているので、九能のセンスは悪くはないんだろう。今着ている服も、上だけは九能が選んでもらって買ったものだ。言うなればお母さんの言いなりに服を着る子どもみたいな気分。実母が頼りにならない現状、こういう気分は貴重だ。あの人は出版社にまでジャージで行く。

 さてともかく……。これが終わると九能は自分の買い物に移行する。そうなると俺は暇でしかなくなり、店舗を転々とする九能の後ろをついていくのが仕事になる。まあ、唯利亜や愛燕が一緒にいる時なんかよりはよっぽどマシだが。


「これはー……合うかな。黒のインナーと合わせるとか」


『あぁ、まぁ、いいんじゃないか……?』


「あー、やっぱダメ。奈都海にはちょっと派手すぎる。せっかくクールに見えるんだからそこを押していかないとね、もったいないもの」


『あぁ……そっすか』


 ……

 長くなりそうだな……色々と。






 と、服は今のままで十分だという結論の下に一着も買うことなく店を出た俺たちは、そこに少し意外な姿を見つけた。

 といっても、その組み合わせの存在は知っていた。九能も金曜日の時点で知っていたのか、それを見ても特に驚きは見せなかった。片方とは同じ演劇部だったか。


 つまり、海老原真実えびはらまこと大原深夜おおはらねよのカップルがそこにいたのだ。演劇部なのは真実のほう。


「深夜、真実!」


 声をかけたのは九能。二人はその声に振り向き、こちらの存在に気付くと商品の物色をやめて歩み寄ってきた。どちらも見慣れた顔だが、並んでいるのを見るのは初めてだ。やはり真実の背が低いためにほとんど身長に差がない。見方によっては姉弟にも見える。兄妹ではなく。


「奈都海に西園寺さん。二人も来てたんだ」


「どうも、准し……西園寺先輩に奈都海さん」


 准将と言いかけたのだろうか。危ないな。

 さて、この二人が付き合っているということは金曜日に発覚したのだが、どちらからとか、いつからとか、そういった情報は一切聞いていない。ぜひこの機会に聞いておきたいものである。深夜とは支部でも会える身ではあるが、基本的に支部で会う時は緊急時なので、そもそも浮ついた話のできる状況にはならない。


「深夜の言ってた用事ってこのことだったのね」


「はい、まあ。じゅ……じゃなくて先輩も同じだったんですね。お二人がデートしているのは初めて見ました」


 まあ、見せるものじゃないし、自分たちのデートなんて。


「それにしても深夜が彼氏をつくるなんて思わなかったわ。もっと先のことかと思ってた」


「私だって一人の女子高生ですし、そういうことに興味がないわけじゃないんですよ? 告白されたのだって真実さんが初めてじゃありませんし」


「え、なにそれ……僕聞いてないんだけど……」


「そういうことを彼氏の前で臆面もなく言えるのは冷めてるって言うんじゃないの?」


「そうでしょうか? むしろ、自分の前の経験を聞いてくる人はあまり好きになれませんが」


「えっと、なんかごめん……」


「いえ、真実さん。こういう時に私が自分で言った時は別にいいんです。何も言っていないのにしつこく問い質してくるのが鬱陶しいだけで」


「あぁ、うん……なんか、ぅん……」


「なんか二人とも、別の意味で不器用なのね……」


 と言う風に、会話は弾んでいた。……のだが、やはり違和感。この後の会話でも、少しではあるものの違和感が残っていた。

 なんだろうか?と首を傾げていると、横から腕を軽くトントンと叩かれた。真実だ。


「ね……奈都海さ。何か、西園寺さんから聞いてないかな?」


 さっきとは違う意味で首を傾げる。どういうことだ?


「あのー……えっとさ、金曜日にさ、部活で――」


 金曜日。部活。この二つのキーワードで思い出した。あのことか。

 俺はメモ帳を取り出して、書きこむ。


『部活でケンカしたってやつか?』


「そうそれ。やっぱ聞いてたんだ」


 九能と深夜が談笑している横でこそこそと話す男性陣。傍から見るとシュールというか不審だろうが、その時の俺たちはそこまで考えが回っていなかった。

 真実はそれまでと同じ小声で続けた。


「それでさ、今日……西園寺さんに、その……無視されてる気がするんだけど」


 無視? 九能がそんな陰湿なことをするか? たかが喧嘩で?

 そもそも、あの喧嘩は和解したんじゃないのか? 金曜日の夜、九能が携帯を見て泣き笑いしていたのだから、てっきりそうなのだとばかり思っていたが。声をかける時だって真実の名前を呼んでいたし、無視なんて――

 ……む?

 はじめに声をかけた以外に、九能が真実に直接話しかけた場面があったか?

 これはあれか。あれなのか。無視とかそういう陰湿なそれではなく。もっと簡単というか微笑ましいというか子どもっぽいというか。

 つまるところ、喧嘩の後だから気まずい、と。そういうことなのか。親に怒られた直後の子どもの心理か。許されたという事実があってもなかなか話しかけづらいあれか。

 なるほど、把握した。


「あのさ、僕たちもさ、熱くなって色々言っちゃったのは確かなんだ。でもさ、もうみんな反省してるし、今度は正々堂々意見を言い合える場をつくろうって、みんなでそう決めたしさ。西園寺さんがみんなに言ったことだって別に筋違いなんてこともないし、みんな元から感じてることなんだよ。それを言い当てられたから理性の抑えが効かなくなったっていうか。だからさ――」


『安心しろ。あいつも怒ってない』


 書いて見せる。それだけで俯いていた真実の顔に急に光が戻ってくる。ぱあっという効果音が最も相応しいくらいに輝いている。


「ほんとに!?」


『本当だ。昨日メールか何かしただろ? それ見て喜んでた』


「あ、それはみちかちゃんがしてくれたらしいけど……、そっかぁ……良かった」


 胸を撫で下ろすというやつか、真実は深い溜息を吐いた。

 九能は喧嘩なんてものを後に引きずるタイプではない。どちらかといえば別の意味で引きずる。相手が本心ではどう思っているか、本当に許してもらったのか、それをひどく気にする。それはもう異常なほどに。

 だから、喧嘩をした後は仲直りしたのならその相手から歩み寄ってやる必要がある。冗談でも、まだ怒っているから謝れ、などと言ってはいけない。言ったら泣く。いやマジで。

 だから、こういう時に本気で笑顔を浮かべてくれる真実は、非常に九能を救ってくれるのだ。


「西園寺さん、もう大丈夫だから。みんな西園寺さんが来るの、待ってるからね」


「……、……そう」


 返事は素っ気なかったが、その顔が赤かった。俺からも真実からも深夜からも見えたから、思わず3人揃って吹き出してしまった。

 九能の咎める声も聞こえない。




◇◇◇ ◇◇◇




 初デートということで真実と深夜の二人とは分かれて昼食を取ることにした俺たちは、このショッピングモールの中のフードコートを選んだ。

 そこで九能に仕返しとしてドリンクバー恒例の混沌ジュースを飲まされた俺は、その麻痺した舌で上手いと評判のカツ丼を食べさせられた。味がなかった。

 そして、その後も1時間ほど中をぶらぶら。午前も合わせて一通り周り終わり、駅前を出た。

 そこで、九能が言った。


「ちょっと行きたいところがあるんだけど」


 遠すぎないところならどこでも。そう答えた俺に、九能はさらに言い加えた。


「行きたいところというか、会わせたい人、かな。いるのよ。ちょっと遠いけど。いい?」


 ちょっとくらいならいいけど。

 電車で1時間ほどだと言うので、目の前の駅で切符を買ってちょうど来ていた快速に乗り込む。途中で一回だけ乗り換えがあり、言う通りに1時間と4分で到着したそこは、俺もよく利用する駅だった。主に、3月末と盆によくここには来る。

 だが、九能の目指す場所は、俺が1年に2度ほど訪れる場所ではなかった。そりゃ当たり前か。あそこには死人しかいない。

 などと考えていると、駅で拾ったタクシーは停まった。九能に言われて降りる。


「ここよ」


 そこは――


『総合嬢子育学院大学付属病院』


 病院だった。ここにも、来た憶えがある。

 先に入っていった九能を、俺は追った。






 5-α階。普通は存在しない階層が、この病院にはあった。

 診療対象は魔術師。もちろんそれを診るのも魔術師で、治療方法もほとんどが魔術に頼る。

 ここは、魔術によって創られた存在しないはずの空間であり、これを認知できそこに存在できるのは魔術師のみ。たとえ魔力に耐性のある人間であっても、喉応術性神経を持たない限りは観測そのものができない。

 故に、魔術師以外の人間にとってはこの階層はないに等しい。


 西園寺九能と幣原奈都海は、そんな場所に来ていた。

 魔術によって拡張された空間には病室を集中させた区画があり、九能は奈都海を伴ってそこへ向かっている。道中、会話は一切ない。会話できない雰囲気というよりは、奈都海にとっては必要のない場面であるという認識だった。そうでも思わなければやっていられない。

 奈都海が連れて来られたのは、544号室だった。






 九能がノックすると、くぐもった返事が返ってきた。それを聞いて扉を開ける。病室に入っていく九能に、俺も追従する。


「あ、奈緒さん」


 病室のベッドで上体だけを起こしてこちらを見ている少女は、九能を見ながらそう言った。……なお? 誰だ、それは。俺たちの後ろにいるのかと思って振り向いて見ても、姿はない。

 考える間も与えられず、九能は俺の手を引いて少女の傍らまで歩いていった。


「ごめんね竜緒、一週間も来てあげられなくて。何か不自由はなかった?」


「ううん、何も。未来小も浅木さんもよく来てくれるから」


「そう、ならよかった。これお見舞い。置いとくね」


 二人は笑顔で言葉を交わす。昔からの知り合いだということはわかるが、紹介も何もないから少女の正体はわからない。俺は完全に蚊帳の外だ。

 九能はお見舞いの花を生ける花瓶に水を入れ、花を挿し入れている。

 と、暇になった少女も気になったのか、俺に視線を向ける。自然、俺と目が合う。

 即刻逸らされた。


「ね、ねえ、奈緒さん?」


「なに?」


「あの、その人はどなた……?」


 やはり『なお』なのか、九能は。70年近く生きていてこの姿では、やはり偽名なども必要になるからだろうか? もしかしたら九能のほうが偽名なのかもしれないが。


「ああ、私の彼氏」


「あ、そうなの、この人が……ほんとにそっくり」


 予め聞いていたのだろうか。俺は何も聞いてないけど。


「あたしは如月竜緒きさらぎりおって言います。幣原奈都海さんですよね? 奈緒さんから聞いてます」


「竜緒。奈都海には九能って名乗ってるから」


「そうなの? じゃ、九能さんから聞いてます」


 ベッドに座ったまま頭を下げてきて、思わずこちらも会釈する。

 しかし、やはり『九能』のほうが偽名だったのか。いや、どちらも偽名ということもあり得るが……なんか、こう、恋人としての沽券を傷つけられた気分だ。被害妄想と言ってしまえばそれまでだが。恋人の隠していたことが恋人自身に隠していたという意識がなくても、それが発覚するとなんとなく悲しい気分になる。

 会釈の後俺が何も言わずにいると、竜緒さんが首を傾げなすった。え、なに、俺が喋れないことは説明済みじゃないのか。俺が説明すんの? ――と、思っていると、


「あ、そうか。奈都海さんは喋れないんだっけ?」


「そうよ。手話もできないから普段は筆談。読唇術ができるならそれでいいけど」


「はは、まだ無理だよー。せめて一週間は二人と一緒にいて読唇術してるところを見てないと」


 それで習得できるのはおかしい。そのスピードは明らかにおかしい。突っ込みたかったができなかった。なんかタイミングを逃した。こういう時、筆談というのは不便だ。間髪入れない突っ込みというのができない。別に漫才師でもないから必要はないけど。

 九能は花の用意が終わると今度はお見舞いに途中で買ってきたケーキを開けて、俺と竜緒さんに差し出した。


「シュークリームは売り切れだったからこれで我慢して。ケーキも好きでしょ?」


「わ、ありがと。シュバルツシルクのやつだよね、これ」


 シュバルツシルクというのは、この近くにある洋菓子店の名前。俺は今日初めて行ったが、洋菓子店だけあって男にはきつい空間だった。甘いものは好きなんだがね、やっぱり甘い空間はどうしても好きになれない。ちなみに店名は和訳すると黒い絹。どういう意味だろう。


「ええ、竜緒の好きなお店ね。それで、私はちょっとここを離れるからケーキは残さなくてもいいわ。二人で食べてしまって」


「はーい」


 って、待てい。ここに二人残していく気か。こちとら初対面だぞ。それ以前に彼氏を年頃の女子と二人きりにしてもいいのか?


「じゃ、行ってくるわ。すぐに戻るから」


 俺の必死の訴え(ただし心の中での)にも構わず、九能は病室を出て行ってしまった。

 ……

 どうしましょう。片や満面の笑みでケーキを頬張る少女。片や気まずい気分で視線を右往左往させている不審な男。なにこの構図。

 竜緒さんはケーキを食べるのに夢中らしく、俺の困惑には気付いていない様子。俺もケーキを食えばいいのか。まあ他にすることもないし……そう思って備え付けのフォークを手に取ったところで、竜緒さんの視線に気付いた。その目に宿る食欲は、俺のケーキに一心に注がれている。

 メモ帳を取り出し、書いてみる。


『食べます?』


「ほんと!? ありがとっ!」


 何を、とか言っていないのに何の迷いもなく俺のケーキを掻っ攫い、食べ始めた。見せた瞬間の早業。スイーツに対する執着は物凄いな、この人。


「ねね、奈都海さんっていくつなんです?」


 なんだろういきなり。慣れ慣れしくなった気がする。とりあえず答える。


『17です』


「そうなんだ、あたしと同じだ。ね、奈都海って呼んでもいいかな? あたしのことも好きに呼んでいいから」


 本人にそんなつもりはないんだろうけど、口説かれている感覚。悪い気分はしないが、ここまで馴れ馴れしいと逆に心配だ。馴れ馴れしいというより人懐っこいと言った方がいいか。


「奈都海っていい人だね!」


『あぁ……そりゃどうも』


 ケーキをあげたからだとしたら単純だが、それくらいのほうが可愛らしさはあるかもしれない。

 まあ実際、ケーキを食べる時の満面の笑顔は可愛かった。




◇◇◇ ◇◇◇




「こんにちは、先生?」


 九能はある医者の首に腕を回して、その耳元で囁いた。

 当然、その医者は何事かと振り返った。そして、その顔を見るなりいかにも厭そうな顔をして溜息を吐いた。


「あなたですか……なんです、急に?」


「あらら、反応がつまらなくなったわね。そろそろこんな小娘には興味持てなくなってきたかしら?」


「そもそもあなたの脅かし方は陳腐なんです。もう少し経験を行動に昇華できるくらいに成長してからにしたらどうです?」


 手痛い反撃を喰らった九能は首から腕を離した。九能は肉体の成長・老化も遅れると同時に精神面でも成長が遅滞するため、実年齢では下の者だとしてもなかなか言葉で勝てないことがあった。

 今回がそれの典型である。からかおうとしても結局のところは負けてしまうのだった。


「ほんと、つまらなくなったわね……」


「で、何か用ですか? “巨斧の魔女”どの?」




 如月竜緒は、病人だった。

 罹っている病は、名を通称で『呪われた魔力』と言い、正式名称で『術性神経不随意障害』と言われる魔術師のみが罹り得る難病である。文字通り喉応術性神経の随意的操作ができなくなる病気で、魔術師にとっては致命的な病の典型である。

 症状として主なものは、まず軽いものとして魔力の代謝不全。これ自体は体調不良の魔術師によく見られる症状で、特に珍しいものではない。喉の部分に小さな違和感が生じることもあるため、魔術師の間では軽い風邪として見なされている。

 だが、それが重くなると魔術の発動に支障を来すようになり、時には自分の発動した魔術によって自傷することもあり得る。さらに重くなると体内魔力の指向性が不定になって精神状態に多大な影響を及ぼし、最終的には喉応術性神経の暴走によって体内魔力に肉体を引き裂かれて死に至る。

 未だにこれといった治療法がなく、魔術による喉応術性神経の制御も干渉力と副作用のリスクのバランスを取るのが困難で、できたとしても時間稼ぎにしかならない。

 竜緒に施されているのもその時間稼ぎだけであり、決定的な治療法が確立されない限りいずれ命を落とすことに変わりはない。


「それでどうなの? 研究のほうは……」


「いいや、まだです。要請していた研究も成果はない。やはり日本では症例の少なさがネックになりますね。魔術団と情報の共有ができればもう少しマシかもしれませんがね……」


「……でしょうね」


 九能は落胆もせず、ただ頷く。この日本では魔術の研究に不利な面が多すぎる。特に魔術師そのもの、医療関係の研究では条件が悪すぎるのだ。


「あとどのくらい?」


「全力で延命すれば5年は。ただ、3年もすれば肉体自体はボロボロになるでしょうし、いつまで延命措置をしていくかは本人の意思次第、というところで……実質、今の状態のままでいられるのは、およそ1年半ほどでしょう」


「そう、よね……わかったわ。ありがとう」


 医者の言うことも、九能は既に知っている。今日したのは、あくまで確認だった。

 魔術は万能ではない。なんでもできるということはない。戦闘において強大な力を発揮する九能でさえ、それ以外ではほとんど無力に等しい。

 本当に万能な魔術を創り得たとしても、その得られる結果は払った対価に見合わないものとなるのが道理だ。中世、蘇生術を実現させた魔術師がいたとされるが、その代償は5000人の無辜の命と蘇生させた想い人の正気だった。狂った想い人に彼女は殺され、魔術団ではそれ以来蘇生術の使用と研究を禁じる制度を作った。

 人が死に刃向うためならどんな犠牲も厭わないことは、その人間たる者ならばだれでも知っている。

 魔術を万能たらしめるのは無欲そのものであり、生きる限り欲望とともに在る人間が魔術を使っている限り万能の魔術を現れ得ない。魔術が本当に人の欲望を満たすことはないのだ。

 そして同時に、人の願いをすべて聞き入れてくれるはずもない。たとえ魔術であっても、世の理に背くことは許されない。

 唯一、背く術を持つ九能は、しかし竜緒の病には無力な自分の能力にいつも不甲斐なさを感じていた。




「そういえば、一緒に来ていた男ですが」


「奈都海? 彼がどうかした?」


「いえ……どこかで、いや、この病院で見たことがある気がするのですよ。いつだったか……数年ほど前に。他人の空似かもしれませんが」


「ふーん? 後で聞いてみるわ」






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