第1章#2 後朱雀邸
本物のお嬢様だということはなんとなく、噂か何かで知っていたが、よもやここまでとは思わなかった。
住宅街の外れ、田んぼの脇を歩いて10分ほど、そこにその巨大な木製の塀はあった。高さは3mを超え、大きな寺院か何かがこの向こうにあるのでは、と思わせるほどに荘厳な雰囲気を漂わせている。
これは、会長――後朱雀沙夢濡さんの実家を取り囲む塀である。……ということは、容易に推測できた。来たことはないとはいえ、ここまであからさまではわからないほうがおかしい。
さて、俺は九能に言われて会長の護衛をすることになった。本来は唯利亜のほうがいいはずだが、生憎、あいつは風邪で寝込んでいる。……あいつも本来は男なのだが、まあ、外見とか精神的に。女性の家に泊まりに行っても違和感がまるでないというか。
まあいいか。もういいや。唯利亜の性別ほど、考えて不毛なことはない。
「ナツ……?」
俺が塀を見上げていると、会長が心配げに話しかけてきた。
ここまでの道中、ほとんど会話はなかった。俺が話せないということもあるし、さらには歩きながらでは筆談がしにくい。
「やっぱり驚いた? これだけ大きいと吃驚するわよね、ふつう」
言われて、頷く。鳴姫の家にも行ったことはあるが、あいつの家だってここまでではなかった。いや、中に入ってみないと正確に比較はできないが。
ちなみに、鳴姫というのは鈴平鳴姫。簡単に紹介しておくと、宇類の本命、ヤクザの組長の一人娘。そんな感じである。本人のいる時にもう一度紹介しておこうか。
「こんなに大きくても意味ないんだけどね……あ、そろそろ門ね」
会長の指さす先、そこには、高い塀よりもさらに高い部分が。なるほど、門ですか。本当に、文字通りの門ですね。でけぇ。
辿りついて、その大きさを実感する。高さはさらにあって、およそ5m超。おそらく、木製。会長はそんな木製の門に取りつけられたインターフォンと、いくつか言葉を交わす。木の中に唐突に機械があるというのも、なんだかシュールだ。
数分待ち、やがて、門が開いた。
ゴゥン……という、見た目にそぐわぬ重厚で唸るような音を立てながら、観音開きの門は開いていく。
時間は午後6時。まだ十分に明るく、その門から出てくる人物の姿は、目を凝らすまでもなく細部までわかった。
女性だ。歳は、おそらく20歳前半くらい。着ているのは紺色の和服で、その上にエプロンを付けている。昭和以前のお手伝いさん、といった感じだ。髪は肩口で切り揃えられており、化粧はおそらく来客に失敬にならない程度の最低限に施されているくらいだろう。色気はあまりなさげだが、実は女というのはすっぴんに近いほうが男は色気を感じるものである。
「ようこそお出でくださいました、幣原奈都海さま」
深々と頭を下げられて、こちらも思わず恐縮してしまう。呆気に取られて頭を下げるのも忘れていると、その女性は頭を上げて、今度は会長に顔を向けた。
「お嬢様も、おかえりなさいませ。事前に言われていた時刻より、遅くのお帰りになられましたが……」
「色々あってね……小言は後で聞くから、まずはナツを案内してくれる?」
どうやら、俺のお手伝いさんっぽいという予想は正しかったらしい。ヘッドドレスも着けているから、印象的には和風メイドという感じか。髪の毛が落ちるのを防ぐという機能を鑑みれば、別に着けているから不自然だということもないのだが。やっぱり、今の時代だと趣味の域になる。
「あ、そうだ。ナツ、紹介するわね。この人は、住み込みで働いてもらってる、ハウスメイドの千恵蜜華さんよ。この家にはあと4人のお手伝いさんがいるんだけど、蜜華さんは、私の専属みたいな形かな」
会長に紹介されると、千恵さんは再び俺に頭を下げてきた。
「御紹介に与りました、千恵蜜華、と言います。幣原奈都海さまの御名前は、かねてより拝聴しておりました。特に、ご令弟様からはよくお聞きします」
これはまた、唯利亜に対してそんな丁寧な呼び方をしてもらわなくてもいいんですが。もったいない。
しかし、千恵さんにはちゃんと唯利亜が男であるという認識があるのか。なんかすごくほっとする。この人にならなんでも任せられる気がする。千恵さんに対する信頼感が半端ないくらいに急上昇。
「そういえば唯利亜ちゃんは何度も来たことがあるのよね」
「そうでしたね。それに、唯利亜さま以外に男子をお連れになったのは、初めてでは?」
「……何が言いたいの、蜜華さん?」
おや、話が変な方向に?
「あまり無節操に男性を連れ込まれると……」
「奈都海はそんなのじゃないわよ?」
会長がきっぱり否定すると、千恵さんはさも意外だとでも言いたげに手を口に当てた。
「そうなのですか? てっきり、家出してきたご学友の保護というのは口実で、部屋にお連れになるものだとばかり……」
「私がそんな無節操に見える!? 男とは一度もしたことないのよ!?」
「冗談ですよ。――どうぞ、奈都海さま。お入りください」
会長の必死の訴えをその一言で切って捨て、千恵さんは俺を中へと促す。……この人、天然か?
しかし、さすがに家人が先に入ってもらわないと、俺も入りづらい。会長に目を遣ると、まだ何か言いたげだったがそれを我慢して、渋々といった感じで引き戸の玄関へと入っていった。
それについて入った俺は、少し意外な光景を目の当たりにした。
「ただいま、竜樹。これからお風呂?」
「ああ、そんなところだ。……っと、奈都海、よく来たな。俺の家ではないんだが、まあ寛いでいってくれ」
俺や会長と同じく鳳霊学園生徒会の副会長である後朱雀竜樹さんが、いた。
うん? なぜ? 従弟であるということは聞いていたが……はて。
「あれ? ナツには言ってなかったっけ? 竜樹がうちに住んでるって」
言われてない。説明も聞いてない。
「言ってないな。生徒会の面々に説明する時も、あれは確か昨年度のことだったはずだ。会計委員長を決める会議の時に、なぜかその話にシフトして決まらなかった」
「あー……そんなこともあったような、なかったような……よく憶えてるわね。まあ、そういうことだから、ナツ、よろしく」
そうですか、把握しました。
俺が頷くと、竜樹さんも頷いて、
「では、俺は風呂に入ってくる。夕飯までには上がりますので、千恵さん」
「かしこまりました。奈都海さまをご案内してから準備に入りますので、少々、待っていただくことになるかもしれませんが」
千恵さん、炊事まで担当してるのか。この年齢でこんな旧家に仕えているのも驚くべきことなのに、食事までとは。ハイスペックも極まりない。
千恵さんの言葉に「構いませんよ」と頷いて、竜樹さんは廊下の奥へと消えていった。
と、その時、竜樹さんが消えた方向とは真逆の方向から、ドタドタと騒々しい音が聞こえてきた。それはだんだんと大きくなってくる。まるで、ここへ近づいてくるかのように――
「り、竜樹さまっ! タオルをお忘れで――きゃっ!」
その音に女性の声が混ざってきて、その直後、俺たちの目の前まで走ってきた女性が、盛大にこけた。前のめりに顔から床に突っ込む形で、ズザーッと、まるで漫画みたいに。笑うどころか、その危ういこけ方に心配すらしてしまうほど、盛大かつ清々しくもある形だった。ある意味美しい。
そのこけた音か、女性の悲鳴か、その両方かを聞いた竜樹さんが、やや辟易とした表情をしながらも、律儀に戻ってきた。
「希早さん、お客様の前ですよ」
「ふぁ、ふぁいっ!?」
奇声を上げつつ身体を起こし、周囲を見渡す。そして、俺をその視界に捉えると、みるみる顔を紅潮させた。可愛いな、この人。
「す、すみません! あの、えーと、し、幣原奈都海、さまですね! えと、よくお越しくださいました、あの、ご案内を――」
「それは私がやっておきます。希早は割り当てられた仕事をまずはこなしてください」
千恵さんに言われると、その人は涙目になって俯いた。けっこう辛辣なことを言う。
そんな今にも泣きだしそうなその人をフォローするためか、会長が彼女の紹介を始めた。
「この子は、マリア・希早・アルベアール。蜜華さんと同じ、ここのお手伝いさん。この子の場合はメイドって言ったほうがいいかな」
「あ……よろしくです」
なるほど、道理で欧米人ぽいわけだ。髪の色はブロンドで、目も青味がかっている。肌も白い。そんな感じで欧州系の容姿をしているから、典型的なメイド服もかなりマッチしている。といっても、純和風の背景にはミスマッチだが。日本名も入っているということは、ハーフかクォーターか?
俺の心の中の疑問には、竜樹さんが答えてくれた。
「希早さんはハーフでな、孤児だった彼女を今の後朱雀当主が引き取った。ここで働き始めたのは去年からだ。……あぁ、希早さん、タオル」
「あ、はい。どうぞ……」
希早さんはバスタオルを竜樹さんに渡す。希早さんの顔が赤い。
「ありがとう、希早さん。助かります」
「はい……うぅ」
おお、赤い赤い。わかりやすいな、この人。竜樹さんが去った後も、希早さんはその方向を蕩けた目でぽーっと見ていた。
しかし、それをからかおうという人はいない。会長あたりはするかとも思ったが、その気配はなかった。それどころか、希早さんを放置して俺に上がるように促す。
「ささ、上がって。スリッパはそこから取ってね」
指差された場所を見ると、そこには数足のスリッパが。この家という屋敷の大きさに比して、来客用というにはかなり少ない。しかも、明らかに女性用と言えるものが、一部ではあるがあった。
「蜜華さん、ナツを案内してあげて」
「はい。お嬢様はどちらに?」
「私は部屋にいるわ。夕食の準備ができたら呼んでちょうだい」
会長はそう言って、廊下の途中に唐突にあった階段を上っていった。千恵さんは「かしこまりました」と言って会長を見送り、直進するので、俺もその千恵さんについていく。客間は1階、家人の部屋は2階にあるということなのだろう。
◇◇◇ ◇◇◇
「こちらが、奈都海さまに泊まっていただくお部屋になります」
そう言って通された部屋は、後朱雀邸の一角にある一室。外から見た通り、中の部屋も純和室だった。畳が敷かれていて、窓の内側に障子窓。壁には違い棚も。隅に置かれているテレビが強烈な違和感を放っている。箱型テレビなら、違和感もあまりないんだろうが、あれは今や化石並みだしな……
まあ、それらを置いても何よりもまずは、広い。この一言に尽きる。家の俺の部屋よりもはるかに広いのはもちろん、もしかしたらリビングよりも広いかもしれない。家具の類がほとんどないから、そう見えるだけなのかもしれないが。
「この後、すぐに夕食の準備をいたしますので、その際はお呼びいたします。ご入浴はその後でよろしいでしょうか?」
訊かれて、思わず首を縦に振る。まずい、予想以上の広さに呆けていた。
「かしこまりました。では、なにか御入り用がございましたら、私か、見つからない場合は他の者でもよろしいので、心置きなくおっしゃってください」
そういうと、次にはテレビの横に置いてある電話を指差した。
「どうしてもつかまらない場合は、そちらをお使いください。番号はともに置かれている用紙に記載されております。控えの者は必ず一人はいるようにしておりますが、万が一、出る者がいない場合は、こちらに電話を――」
千恵さんは、言いながら袂から携帯を取り出す。が、その動きが一瞬だけ止まった。何かを思い出したように。
「申し訳ありません、失念しておりました」
いきなり謝られた。なんだ、いったい。
「奈都海さまはお話になることができないということを聞いておりますが、手話などは?」
なるほど。得心のいった俺は、いつものようにメモ帳を取り出し、それに書いていく。
『手話× 筆談』
手話はできません、筆談だけ。という意味で書いた。他の意味では決してない。バツをカケルなどと読む奴はおらんだろうな?
「普段からそのように筆談で?」
頷く。
「かしこまりました。では、メールのアドレスをお教えしておきます。そちらの電話をお使いになる必要もございません。何か御入り用でしたら、直接、私にお申し付けください」
え、なにこの人。いい人すぎて惚れる。いや、さすがに即座に惚れるなんてことはあり得ないけども、この人になら、惚れても納得できる。たとえ仕事でやっていることだとしても、ここまでしてもらえると好きになりかねない。完全に悪い女に騙される典型です。
俺のアドレスも教えておくことになり、そのアドレス交換はつつがなく終了。質問の有無を訊かれたので、ないと答えると、「では、ごゆっくりお寛ぎください」と言って、蜜華さんは客間を出ていった。
さて……
することがない。読む本もないし、携帯ゲーム機を持ってきているわけでもなく、一人で道具を使わない遊びを知っているわけでもない。こうなると、暇でしかない。この状況では、退屈ですらある。……他人の家まで来て退屈とは、かなり失礼なやつである、と、後から気付いた。
と、暇つぶしに何か見ようか、と手に持った携帯が、その手の中で震えた。メールを知らせるバイブだ。
誰からだろうかと考えるまでもなく、俺はそのメールを開いていた。
案の定、九能からだった。内容は、と……
“唯利亜には伝えた。予想してたようなことはなかったけど、明日は一日、唯利亜に任せることになるかも”
何を、という目的語の欠けた文章だったが、その部分は容易にわかった。会長が巻き込まれたということを伝え、明日は会長の護衛を唯利亜に任せる、ということだろう。
唯利亜が駄々をこねた結果だろうか。宥めるのはかなりの労力を要したはずだ。その役目を押しつけてしまった九能には、何か礼が必要だろうか? いや、お礼っていうと少し大仰か? どうだろう。
と、考えながら返信をせずにいると、続いて九能からメールが来た。
“というわけで、明日は空くことになるから……
二人でどっか行こうか?”
なぜか、一行目と二行目の行間が5行ぐらいあった。照れでもあるのか可愛いなちくしょうめ。
是非もなかった。即刻、了承のメールを送った。
◇◇◇ ◇◇◇
千恵さんの作った料理は非常に美味だった。俺にとっては懐かしい純粋な和食で、味自体もどこか懐かしい感じがした。どこかで食べたことがあるような……? まあ、手作りの和食自体が久々な気もするのでその辺りはすぐに思考の対象から外れた。
ちなみに、九能のものと比べるのはやめておく。千恵さんが作ってくれたのは和食で、九能は主に洋食か中華を中心に作るから、比較が難しい。
夕食を御馳走になった俺は、その後にこれまた銭湯かと見紛う風呂に入れさせてもらって、あとは寝るだけとなった。
そんな時、俺に宛がわれた部屋に、会長が来たのだ。襖の向こうから、入室を求める控えめな声が聞こえてきて、俺は固まった。慣れない寝床ではなかなか寝付けない俺は、早めに床につこうと思っていた。
とはいえ、まだ21時にもなってはいない。俺が何も言わずにいると、会長は「入るわよ?」と断ってから、入ってきた。
なんでしょうか、会長。
「えーっと……西園寺さんとは、話した?」
俺は頷いた。話した=メールを交わしたと解釈した上での回答。
「そう……えと、何を?」
それを訊きますか。特に何も、と答えたかったが、会長が何を考えているのかが、今回ばかりはわかったため、求められているだろう答えをしておいた。嘘ではない。
『唯利亜のことを』
そう書いて見せると、それまで心なしか暗かった会長の顔が、幾分か晴れた気がした。会長もたいがい唯利亜に依存しているところがあるのかもしれない。相互依存というやつか。なぜそこまで好き合っているのかは知らない。特に知りたいと思ったこともない。
「どんなことを? 何か言ってた?」
『会長のことを伝えたそうです。それで、明日は唯利亜が会長の護衛を担当すると』
会長の顔にわかりやすい喜色が浮かぶ。
しかし、会長自身も自覚したのか、それはすぐに引っ込んで、咳払いで誤魔化した。誤魔化し切れてないけど。
「そ、そう、わかったわ。それで、本題なんだけど……」
本題? さっきのはついでということですか。まあ、確かにあれだけを聞くために俺に会いに来るわけはないか。唯利亜が会長の護衛に変わるという話は、俺が伝え忘れていたから、知るわけはないし。そういう意味では、会長がここに来てくれて助かった。
それで、本題とは?
「えっと、DMFB、だっけ? あれについて訊きたいんだけど」
訊きたいと言われても。俺は専門家じゃないので、知っていることは少ないですけどね。
「あの、大したことじゃないんだけど」
はい。
「DMFBって、もしかして、あそこで見たようなのばかりなの?」
あそこ、つまり中国支部で見たようなのばかり、という意味だろうか。あの支部で見たのは、シャトーやノクターンみたいなデフォルメされた人間みたいな形だったから、それを殺す俺たちに違和感か何かを懐いたのかもしれない。
『あいつらはかなり特殊です。俺たちとああいう風に会話できるのは珍しいですし、人型のものは、俺だってほとんど見たことがない』
中国支部にいるやつらを除けば、1体しか見たことはない。それほどに、やつら――ファントムという存在は珍しいものだという。あんなやつらが何体も出てこられても、困るどころじゃ済まないが。
「ふーん? それじゃ、どんなのが主流なの?」
これまたやけに難しい質問が。俺はメモ帳をめくって、新しいページを用意する。『長くなりますが』と確認を取ってから、書き始めた。
『DMFBというのは、死んだ生物の純性魔力が大気中の魔力と結合してできます。つまり、数が多くて、なおかつ短い周期で死ぬ生物のものが多いですね。例えば、昆虫類。この辺りだと、鳥類のものもかなり多いと思います。で、DMFBはその元になった純性魔力を有していた生物に姿が似ます。つまり、蟲や鳥に似たDMFBが多いと言うことになります』
「え……ということは、あの、妖精とか悪魔みたいなのは……」
『人間の純性魔力が元になっています。完全な人間でないのは、他の生物の純性魔力も混ざっているかららしいですが』
これをファントムと呼んでいる。ということは九能から説明されているはずだから、言うまでもないだろう。会長の記憶力なら、忘れているということもなさそうだし。
しかし、会長はまだ考え込んでいた。
「ナツ……それって、生前の記憶は受け継ぐものなの?」
『なぜでしょう?』
思わずそう訊き返してしまったのは、この質問が予想外だったからだ。会長のようなはじめてDMFBの存在を知った人が、知ったばかりの知識をここまでの疑問に昇華できるのが、予想できなかった。考えてみれば、この疑問はさほど不思議がることでもないのだが。人によっては、生まれ変わりという認識もできるかもしれない。
「いえ、ただの好奇心だけど……訊いちゃいけなかった?」
『構いませんけど……まあ、わからない、というのが現状でできる答えですが』
「わからない、の? 実際にいるのに?」
『ファントムは、基本的に人間の敵です。あの2体は、例外中の例外です。俺たちに完全に味方しているわけでもありません。知っていることすべてを話してくれるわけでもないんですよ』
「そう、なの……」
なぜか落胆した様子の会長。
やつらは本当に味方ではない。敵ではないというだけで、DMFBの討伐に手を貸してくれるわけでもない。俺自身、会話をしたことがあるのも数回程度だ。しかも、やつらが一方的に話してくるから、ほとんど会話にならない。
そういうことも伝えると、「そうなの……」と小さく呟いて、再び考え始めた。どうやら、まだ話は終わらないらしい。
「じゃあもう一つ……DMFBって、生きているのよね?」
『生命体というぐらいですし、そうでしょうね』
DMFBは確かに生きている。魔力だけで肉体が構成されているとはいえ、切れば血が出るし、場所によっては内臓が見られることもある。構成要素がすべて魔力というだけで、他の生物とは何ら変わりない。俺たちの身体を構成している細胞が魔力になったようなものである。
「そう……生きている、のね」
それだけ言って、会長は黙った。そうなると俺も書くことがないので、沈黙だけが残る。
DMFBについて、会長がなぜここまで知りたがるのか。確かに、自分を襲うかもしれない存在について知っておきたいという心理はわかるが、それに恐怖が先行したりはしないのだろうか。恐怖より興味が優先されることはよくある。むしろ、恐怖を払拭するために知ろうとするのは、理に適った行為だ。
しかし、会長の質問は、そういったものとはどこかが違う。DMFBが生きているのか、なんて、普通は訊かない。本当に怖いのなら、どれだけ強いのかとか、どんなところから出てくるのかとか、そういったことを訊くのが普通ではないだろうか。
端的に言えば、ずれている。訊くべきところを訊かないで、訊かなくてもいいところばかりを訊いてくる。俺の回答に妙に納得している点も、違和感の原因だった。
まあ……俺がそういうところに敏感なのは確かだし、過剰反応なのかもしれない。
「それで……その、蒸し返すみたいで悪いんだけど……」
会長は躊躇いがちに言う。思考に耽っていた俺は、それで現実に引き戻された。
「そういう、ね、生き物を殺すことに……、躊躇いなんかはないの?」
またか、と思ってしまった。だが、考えてみれば、これは中国支部でされたものとは少し違う。
まるで――DMFBを擁護しているような……? もしそうでないとしたら、何を言いたいのかさっぱりわからない。動物愛護などと言われても、筋違いにもほどがあるのだが。
「……あ……、ご、ごめん、変なこと、訊いちゃったわね。忘れて?」
俺が答えを渋っていると、会長は両手を振りながらそう言った。やはり、変な問いだと自分でも気付いたからだろうか。
それから、会長は焦ったように立ち上がり、
「ごめんね? 話したいことはこれでおしまいだから。……それじゃ、また明日。おやすみなさい」
そう早口に言い残して、逃げるように立ち去っていった。
俺は、一人残される。だが、一人になっても、会長の不自然な言動について考えることはしなかった。
することもなくなり、風呂に入っている間に敷かれていた布団に、早々と潜り込んだ。




