第1章#1 クイーンズボーン
今回のDMFBの集結現象。
その原因究明の鍵を握ると思われる人物、後朱雀沙夢濡が目覚めたという報を受けて、私は急いで医務室へ向かった。
DMFBに囲まれ、それでいながら生きている。この現象を説明できる理由が、私には一つしか思いつかないからだ。しかも、それが私たち疵術師にとって最悪の敵であるという可能性でもあるというのなら、尚更、警戒心はなるべく保ったままのほうがいい。
どんな状況になっていてもいいように覚悟をして、医務室の扉を開けた。
「……お姉ちゃん」
第一声は未来小。私に報告をしたのはこの子。後朱雀沙夢濡に予想していたような変化がなかった場合に、警戒しにくい存在を傍に置いておく必要があった。未来小なら、同じ学園でお互いに顔も知っているから、適役だと判断した。
未来小は明らかに困惑した様子で、私が来たことに安堵していた。
「あなたは……西園寺、さん?」
そして、後朱雀沙夢濡。どうやら記憶、意識は正常。しかし、未来小が困っているのはどういうことだろうか。何か想定外のことが起こった?
考えるのは後にする。まずは、確認。
後朱雀沙夢濡の寝ているベッドに歩み寄る。
「あなたの名前は後朱雀沙夢濡で間違いないわね?」
「え……、あの?」
「答えて。あなたは、鳳霊学園高等部の後朱雀沙夢濡ね?」
「ええ……その、なんで?」
返ってきたのは肯定。さすがにこんな珍しい名前の人間が何人もいるはずはないから、私たちの知っている人物で間違いはなさそうだ。外見も記憶に一致する。
さて、確認が終わったら、次は色々と調べさせた結果を知りたいんだけど……
「未来小、咲はまだ?」
「あ、うん、まだ、かな。もうしばらくもかからないと思うんだけど」
未来小がそう言った後、後朱雀沙夢濡が何かを言おうとしたその時、医務室の扉が再び開かれた。
入ってきたのは、私が待っていた人物。居川咲。彼女には、ある調べ物を命じていた。
「どうだった?」
「十分だと思います。さすが、名家と言ったところでしょうか、資料も記録も多くて助かりました」
咲は何枚かの束ねた紙を持っている。
咲が後朱雀沙夢濡に目を向けたところで、私は頷いて始めるように促す。本人の前で話してはいけないことではない。
「まず、後朱雀沙夢濡という人物と魔術には、直接的な関係はありません。魔術師ではありませんし、当然、肉親の中にも魔術に携わる者は一人も」
「ということは、間接的な関係はあると?」
「あると言えば微妙ですが、ないと言えば嘘になります」
曖昧な表現に、首を傾げる。咲は続けた。
「後朱雀家というものがそもそも、天皇家から分化した歴とした貴族の末裔です。しかも、和式魔術の黎明期である平安の時代に天皇家から独立した家系で、魔術となんの関係もない、と言うには無理がありますね」
「なら、魔術師ではない、というのは?」
「後朱雀家は、天皇家の中でも魔術の素養のないものが分かれ、独自の家系を形成してきた家系です。先祖返りということもあるかもしれませんが、後朱雀家の勃興以来、魔術師を一人も輩出していないところを見ると、そもそも喉応術性神経の覚醒を抑制する遺伝子でもあるのかもしれません。そして、代を経るごとに魔術師の血が薄まり、一般人と何ら変わりのない神経構造に戻ってしまった、と。故に、魔術師ではないんです」
「なるほど、ね。元魔術師の家系に生まれただけの一般人、か」
魔術師との関係はこのくらいか。後朱雀という家系はともかく、後朱雀沙夢濡個人は、ほとんど関係ないと言ってしまってもいいだろう。
「で、他には?」
「魔力への耐性ですが、見ての通り、魔術師並みにありますね。魔力許容量はかなりあると見て間違いなさそうです。また、治療小隊の診療の結果、精神侵蝕術の使用された痕跡は見当たらなかったとのことです」
魔導機械と呼ばれる魔力を動力とする機器が置かれ、使われている医務室で正常な意識を保っていられるなら、魔力の耐性が高いことはわかる。
精神侵蝕術というのは精神や感覚器に直接作用する魔術のこと。それが使われていないとなると、他の手段で意識を奪われて連れて行かれたか、もしくは自分の意思で向かったのか。しかし、後朱雀沙夢濡の家は静鈴町からはかなりの距離がある。しかも彼女の持ち物の中に財布や定期券の類はなく、自分で行ったとなると不可解だ。お抱えの運転士くらいはいるかもしれないが、だとしても携帯すら持たずに外出するということは考えにくい。しかも、午前7時という早朝に。
時間は既に午前9時を回っている。そろそろ奈都海も起きてくる頃だろうか。同じ生徒会に所属する奈都海がいたほうが、色々とやりやすいのだけど。
「えぇと……あの、西園寺さん? その、さっきの話はいったい……?」
不安げに、また、隠してはいるけれど明らかな疑いを目に宿して、後朱雀沙夢濡は訊いてきた。
さすがに、いつまでも無視し続けるわけにはいかないか。
いくら魔術師に関係ないことがわかったとはいえ、DMFBの群れの中にいて生き延びたというだけで、私の中では危険人物の一人だ。今後のことも考えて、まずはこちらの世界のことを知ってもらって、こちらで保護できる状況を作りだしておかないと。例え嘘の理由を作ってでも。
「これから説明することは、すべて事実よ。虚言でも妄言でもない、厳然たる事実。まずはこの状況を理解する上で必要な情報を与える」
「え? あの……」
「質問は最後に纏めて。途中で口を挟むのは許さない」
ここは学校じゃない。ADEOIAの中国支部だ。
今だけは、そう割り切ることにする。
◇◇◇ ◇◇◇
奈都海が医務室に入ってくるのと、私が後朱雀沙夢濡への説明を終えるのとは、ほぼ同時だった。
その姿を見た後朱雀沙夢濡は、何度目かもわからない驚愕に目を見開いた。
「ナツ……! なんでここに……」
「彼も私たちと同じ、疵術師よ。ここにいる以上は、全員がそうだと思ってもらっていい」
奈都海の代わりに私が答える。
しかし、彼女の目は見開かれたまま、変わらなかった。
「ナツが……じゃあ、まさか、唯利亜ちゃんも……!?」
「ええ、その通り。幣原奈都海、唯利亜のきょうだいは、ともに疵術師としてADEOIAに所属しているわ」
「そんな……」
いったい何に絶望したのかわからなかった私だが、考えてやっとわかった。自分と決定的なところで違うことに、何か大事な繋がりを失った気分にでもなったのだろう。これが疵術師自身ならすぐに回復できるが、そうでないなら致命的かもしれない。繋がりを絶たれたという実感が残り続け、それまでのように接することが難しくなる。
まあ、今の私には関係がないことだけど。
「奈都海、どう? 気分は」
『あまり良くはないが、別に悪くもない。2時間も寝させてもらったおかげだ』
「そう、よかった。あまり無茶しないでね? 心配になるから」
疲労回復のための仮眠から起きたばかりの奈都海をここに呼んだのは、後朱雀沙夢濡の警戒心を解くため。今のところは逆効果になっているけど、時間が経ってショックが収まれば安定するだろう。
『それで、会長は?』
「特に問題はないわ。ただ、万が一もあるし、しばらくは護衛を付けることになるかもしれない」
『万が一……というと?』
そういえば、奈都海にもまだ説明していないこともあったか。全部説明するのは骨が折れるし、さて、どうしよう。
「簡単に言えば、ファントムに狙われている可能性もあるってこと」
『……』
奈都海の顔色が変わった。一度でもファントムの力を目にしたことがあれば、その反応は正しい。
「ファントムは私たちにも理解できない行動原理を持っていることもあるの。女性を攫おうなんて、もしかしたら考えているファントムがいるかもしれない」
「ファントムって……DMFBの、最強格、の?」
「ええ。まだあなたが狙われていると確定したわけではないけど、一応の警戒として」
実際、ファントムの出現率なんて万が一という文字通りに、万分の一もない程度だ。仮に後朱雀沙夢濡が私の危惧する存在だったとしても、そのファントムがいない限りは無害な存在でしかない。
「そういうわけだから、咲。人事部のほうに任務シフトの変更を言っておいてくれる? 奈都海と唯利亜のシフトね。それ以外はそのままでけっこう」
「了解しました。では、失礼します」
『え、俺、もしかして護衛すんの?』
奈都海は無視する。気付かない振りをしておけば、何も言わなくなるし。
しかし問題は唯利亜だ。どう説明すれば、唯利亜は冷静なままで説明を聞いてくれるだろうか。後朱雀沙夢濡が巻き込まれたと聞いただけで錯乱しそうなのに。
唯利亜を立ち直らせたということには感謝してもしきれないけれど、そのおかげで唯利亜が彼女に依存するようになったのは困りものだ。
奈都海に任せてしまおうか。……さすがにそこまですると可愛そうだし、私が説明しておくとする。
「今日のところは、あなたは私たちが護衛しましょう。ここにいる限りは安全よ」
「え、その……ありがとう……?」
「知りたいことがあったら、奈都海をつけておくから訊いて。ここは出てもいいけど、無暗に歩き回らないように」
頷いたのを見て、奈都海と未来小に後を任せる。
「それじゃ、頼んだわよ。私は他の仕事があるから」
私は医務室を出た。
◇◇◇ ◇◇◇
九能が部屋を出ると、医務室には沙夢濡、奈都海、未来小だけが残された。
沈黙が降りる。
沙夢濡は未だに呑み込めていない状況に困惑し、会話をするということが行動の範疇になかった。未来小はそもそも話すことなどないし、沙夢濡とは顔見知りというだけで親しいわけではない。奈都海は言わずもがな。
未来小は、ついに耐えられなくなった。
「ってわけで、私も、えーと……そう、報告書を書かなきゃいけないので! じゃ、奈都海くん、よろしくっ」
いったいどういうわけだ、と奈都海に言われる前に、頑張れっ、という意味も込めた軽い敬礼を残して、未来小は去っていった。
残ったのは、沙夢濡と奈都海。
再びの沈黙。
とはいっても、奈都海は沈黙を嫌うタイプではない。備え付けのイスに座って、沙夢濡と視線を合わせた。
普段と違って、今は奈都海のほうが知っていることは多い状況だ。奈都海とて知らないことは多いが、それでも何も知らなかった沙夢濡よりは戸惑いも少ない。
「あ、あの……訊いても、いい?」
控えめに発せられた声は、奈都海の知る沙夢濡という人物像からはあまりにもかけ離れていた。故に反応は少しだけ遅れた。
沙夢濡に対しては筆談で対応する。
『どうぞ。何なりと』
「ありがとう……、その」
沙夢濡は僅かに言い淀んで、それでも意を決したような厳しい表情で言う。
「ナツは、なぜ戦っているの?」
『……』
今度は奈都海が答えに詰まった。奈都海は、沙夢濡の質問に即座に答えられるほど、戦いの経験を積んでいるわけではない。それどころか、未だに答えを持っていない。
訊かれてはじめて、奈都海は戦う意味について考えた。
「ナツが戦う意味があるの? 唯利亜ちゃんだって……」
『戦う力があるのに、戦わない理由があるんですか?』
「っ、そ、そんなの……! あなたたちがする必要なんてないじゃない!」
奈都海の返答は、おそらく疵術師のほとんどが同じ質問をされれば答えるだろう答えだった。特に、幼いころから戦いに触れてきた疵術師ならば、心の底からこう思っている。
だが、奈都海の本心は違った。戦う力は、戦わなければならない力ではない。あくまで戦える力であり、その力は必ずしも振るう必要のあるものではない。望んで手に入れたのならともかく、奈都海や唯利亜は生まれつき持っていただけで、戦いもそのための力も、望んだことは一度もない。
だから、沙夢濡の言葉は少しばかりではあるが、救いになった。だが――
『聞きましたよね、九能から。DMFBというのは人を喰うんです。それを倒すのが俺たちの役目。俺たちみたいな戦える人間が戦わないと、その分だけ人が死ぬ。戦えば、その分だけ助かる。簡単な原理ですよ』
「そんな、だって……戦えば、その分だけあなたたちが危険に晒されるわ。他人は救って、自分たちのことは顧みないの?」
『それが、疵術師です』
「……ッ」
顧みないわけではない。疵術師とて、自分の命は惜しい。危険だと思えば撤退も許可されるし、強力なDMFBに戦闘経験のない疵術師を当てることもあり得ない。
だがこれは、ADEOIAにとっては、疵術師という戦力の保護が最大の目的である。もし、疵術師が豊富に存在し、戦力不足などに悩まされる心配がないのであれば、自爆特攻も戦略の一つとして採用されていただろう。特に疵術師は、源破顕現という奥の手を使って暴れまわることができる。たとえその結果に死ぬことになるとしても、顕現の濫用が命令されることもあっただろう。
だが、そうでないのは、疵術師という戦力が必要以下しかいないためである。制御の難しい源破顕現が制限されているのも、また同じ理由だ。
「……戦うのが好きなの?」
『好きではないですね。好き嫌いで測れるものでもないと思いますけど』
「できるとしても厭ならしなくても……」
『個人の意向でどうこうできることでもないので』
奈都海はにべもない。
沙夢濡の言っていることは、奈都海も同様に望んでいることだ。できるのなら、既にしている。しなくていいのなら、こんなところにはいない。
それでもここにいるのは、しなければならないから、だ。同時に、彼自身が選んだからだ。それを、たとえ奈都海自身の望みでもある逃避という行為を提案されることで否定されるのは、自分勝手とわかっていながらも、腹立たしかった。
「……もう一つ、いいかしら」
自分との繋がりを取り戻すことは諦めたのか、沙夢濡は質問を変えた。
「ナツと、唯利亜ちゃんは……その、ここに来て、どれくらいになるの?」
戦いに身を投じてからの期間。それを訊いてどうするのかという疑問はあったが、奈都海は答えた。先の腹立たしさを引きずったりはしない。
『今年の3月からなので、半年ほどになります』
「……そう」
安堵した様子の沙夢濡に、その理由がわからずに、奈都海は内心で首を傾げる。本格的な付き合いが始まったのはそのほとんど直後だったというのに、何を安堵する要素があるのか。
訪ねようかどうか、奈都海が悩んでいたちょうどその時、唐突な爆音ととともに、医務室に新たな進入者があった。
「ノクターン! 待ちなさい!」
「待つのはお前だ! 落ち着け、シャトー!」
◇◇◇ ◇◇◇
医務室の扉を粉砕するという荒々しいことこの上ない登場方法をしてのけたのは、2体のある生命体だった。
「何が落ち着け、よ! 怒らせたのはあんたじゃない! 責任取れ!」
1体は、身長が50cmにも満たない三頭身の妖精。背に生えた半透明の羽といい、着ている新緑の葉を思わせる服装といい、まさに妖精そのものである。
「俺が何をした? まずは説明をしてくれ!」
そして、もう1体は、同様に50cm未満の身長で三頭身の、しかしその容姿は悪魔そのもの。背の羽は蝙蝠のそれで、手には三叉の矛を持っている。一つ目の描かれたアイマスクをしているが、前方の視界はあるようだ。
妖精が追い、悪魔が逃げるという構図だった。奈都海と沙夢濡は呆気に取られ、それを眼で追うことしかできない。特に、沙夢濡の顔には驚愕以外のなにもかもが消え失せていた。
扉が破壊されたことで支部中に警報がけたたましく鳴らされていたが、誰もここに駆けつけてくる気配がない。
「な……なに、これ」
ようやく絞り出した言葉が、それだった。警報に掻き消されるほど小さな声だったが、チェイスをしていた妖精と悪魔は、耳聡くそれを聞き取った。
その時にはじめて存在に気付いたかのように、奈都海と沙夢濡を見る。
「なんだ、いたの」
「いたのか、気付かなかったぞ」
どうやら、本当についさっきまで気付いていなかったらしい。
だが、存在を見とめられたせいで、矛先が自分に向けられるのでは、という恐怖が沙夢濡の中に湧いた。何の矛先かは彼女にもわかっていない。
「な、なに、これ、ねえ、ナツ……!?」
奈都海に助けを求める沙夢濡は困惑の極みにあったが、奈都海は割と冷静だった。それを見た沙夢濡は狼狽を押さえて再び奈都海に問いを投げかけた。
「これも……まさか、魔術の?」
そうではない。
この2体は、ファントム――つまり、DMFBの中でも最高ランクのSランクとして、ADEOIAでは最大級の危険性を持つものとして認識されているDMFBのことだ。場合によっては一個大隊を動員しても討伐できないことさえあり得る。
その出現は神出鬼没。出現数自体すくないものの、一度でも現れれば、その被害は大規模な自然災害に匹敵する。事実、過去の自然災害による被害と言われているものの中には、ファントムによる被害も少なからずあるという。
そんな、凶悪かつ強大な存在が、ここにいる。しかも、2体。たとえユーモラスな外見をしていたとしても、ファントムであることに変わりはない。
――ということを、奈都海はメモ帳2枚を使って説明したところ、
「なっ……そんな、嘘でしょ!? なんで!?」
九能に説明されたことを思い出したのか、この2体を、自分を攫いに来たファントムだと思っているらしい。沙夢濡は怯えて、布団で首まで隠した。
「なにこいつ? 新人……って雰囲気でもなさそうだし。ただの人間?」
「ふむ……ただの、ではなさそうだが。どうなんだ、異邦者?」
しかし、ファントムの中には、実は人間に友好的なものもいくらか存在する。人間並みの知能も持ち合わせているためである。そして、そのうちの2体が、このシャトーとノクターンと呼ばれるファントムである。妖精型がシャトーで、悪魔型のほうがノクターンと呼ばれている。彼らは、いつからかこの中国支部に入り浸るようになり、今やほぼ暮らしていると言ってもいい。
それを知っている“異邦者”こと奈都海は、とにかく怯えている沙夢濡を宥めて、なるべくわかりやすく、警戒心を煽らない表現で説明した。もちろん、筆談で。
「え、あ、大丈夫、なの? 食べたりしない?」
「だーれが、あんたなんか食べてやるもんですか。あたしが食べるのはもっと小さい幼女の死体よ!」
「あ……ごめんなさい……」
死体を食べる、というのは、つまるところ死んだ幼女の純性魔力を食べるという意味なのだが、おそらく沙夢濡には伝わっていない。それでも沙夢濡に気にする様子がないのは、単に怒られたという事実だけが残って、セリフの内容が右耳から左耳へ抜けているからである。
と、ノクターンが何かに気付いたように、顔を上げた。顔の向いている先は、沙夢濡。
「え、なに……?」
「……シャトー、この人間……」
「ええ、気付いた? まさかこんなとこで女王にお目にかかれるなんて思いもしなかったわ。幸運ね」
シャトーとノクターンの会話に、奈都海と沙夢濡、二人仲良く首を傾げる。
その時、
「ちょ……! これ、どういうことよ!?」
やってきたのは九能。警報を聞き付け、しかもその警報の出所が沙夢濡のいる医務室だと知り、慌てて駆け付けたという次第である。
九能の姿を見ると、シャトーとノクターンは二人揃って、沙夢濡を興味の対象から外した。
「あらやだ、魔女に見つかっちゃったわ。早く逃げないと、捕まって売られてしまうわ」
「それは困るな。さっさと退散するとしよう。ではな、異邦者、魔女よ。それに――」
わざとらしい棒読みな茶番に辟易としながらも、この2体にさっさと出て行ってほしかった九能は溜息を吐きながら、しっしっ、というジェスチャーで2体を追い払おうとする。――が、次に発したノクターンのセリフに、九能はその格好のまま固まった。
「ではな、女王……いや、まだ王女、か」
数秒後に我に返った九能は2体を追おうとしたが、既に彼らの姿は見当たらなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
――午後5時半
沙夢濡がそろそろ家に帰らねばならないと訴えたため、その要望に答えるべく、帰すことにした。
もちろん、その際は護衛をつける必要があるのだが、その護衛が少々、問題となっていた。
「……どうしたい?」
『どうしたいもこうしたいもあるか。いくら護衛だからって、家まで押し掛ける必要はないだろ』
「私も少し……遠慮してほしいんだけど」
つまり、護衛である奈都海に、どう対象を護衛させるか、という問題である。
奈都海を沙夢濡の実家でともに護衛させるのが最善の策なのだが、当の二人がそれを拒絶している。さすがに年頃の女子の実家に男が泊まるというのは問題がある。
しかし、その次善策が――
「となると、奈都海は家の外で見張ってもらうことになるけど」
『野宿?』
「うん」
こちらもまた、渋る。奈都海は単純に野宿に抵抗があり、沙夢濡は奈都海に野宿させることに罪悪感があるのだろう。
だが、九能にとって護衛というか沙夢濡を監視する存在は必要だった。危惧している通りにことが進んだ時、なるべく早く変化を知っておきたいからだ。
戦力の限られているこの中国支部で、いつでも九能が自由に動かせるのは、特殊遊隊の隊員に限られる。その中でも、沙夢濡という護衛対象の傍にいて違和感のないのは、奈都海と唯利亜しかいない。そして、唯利亜は今のところ風邪のせいで護衛どころではない。九能自身が就くという選択肢もないではないが、実質的な戦闘指揮官が支部を離れるのは少々以上に危険である。故に、護衛に付けるのは奈都海だけなのだ。
その当の奈都海が未だに渋る中、沙夢濡がついに折れた。
「……わかったわ。家に連絡させてもらえる? 泊めてもいいか、まずは訊いてみるわ」
『え、マジすか』
「家出した後輩を泊めたい、とでも言えば大丈夫でしょうから」
どう見ても乗り気ではないが、決心してくれたというのなら、九能はそれに水を差す気はない。携帯を持ってきていない沙夢濡に、九能は自分の私用の携帯を貸した。
電話をかける沙夢濡の横で、奈都海は何かに打ちひしがれたような顔をしていた。
恋人としての九能は、そんな奈都海が心配で堪らない。
「ねえ、奈都海」
『はい?』
「下手なことはしないようにね? 特に、男として恥ずかしいことなんかしないように」
『……はい』
なので、脅しておくことにした。




