8 私的、変人考。
さて、再び夏休み中の山盛高校、窓から野球部員が水飲み場で水をかけあって騒いでいるのが見える、二階の東端にひっそり佇む委員会室。
絶賛、食券に判子捺し中である。
私は姉の騎士たる者であるために、小学生の時分から努めて来た。愛する寡黙な姉を助けるべく、私は幾度となく上級生に立ち向かい、歯向かって来たのだ。人間性をよく見て痛いところをずばずば刺せば、ちっこいのが言うギャップ相まって、多少相手を怯ませることが出来ることを学んで、磨いてきたのである。幾度か中学生の背中に飛び蹴りを入れたことさえある。姉をからかい嘲笑した報いだ。
そのような経緯あって、私は年上の人間に対して物怖じしないところがある。
動じないところがあることは、認めよう。
「ていうか、やっぱりお母さんとよく似てると思ったんですけど」
ぽん、ガショ、ぽん、ガショとテンポ良く食券に判を捺していく。その判が少しずれた。
俊也の感想に釈然としない。
「何故そこに繋がる」
「いや、強い態度なところとか、思ってるところずばっと言うところとか。案外それが適確な意見だったりとか」
「今、私は母の話をしたわけじゃないんだけどね」
「俺は森園さんのお母さんが『お宅のお子さんは嘘を吐く顔をしている』って言ったことの方が衝撃的だよ。普通、相手の親を目の前にして言うかな」
多分言わない。
「頓着しないで、失礼だろうが言いたいことは言うね、あの人は」
「あ、お母さんとの違いが解かった。ありますよ」
「何?」
判を捺す音が止む。俊也の方を向く。
俊也は発見をした喜色でキラキラして言った。
「お母さんより森園さんの方がもうちょっと常識的なんだよ!」
「・・・へっ」
苦笑のような嘲笑のような微妙な笑いが出た。
「何?!なになになに!いやだっ今軽蔑したでしょ!」
「別にぃ」
ぽん、と判を捺す。確かに私は稀に見る常識人だ。
しかし、その言い方は暗に私が常識から外れた人間に育てられたことを語っている。
私が判子捺しを再開し始めたのを見て、俊也は渋々自分も食券にナンバーを捺していく。俯いてぶつぶつ言う言葉が少し聞こえた。
「森園さんは騎士・・・くのいちじゃないのか・・・いやでも・・・」
私はまた、危うく判子の正確な位置を外しそうになった。
まだそれにこだわっていたのか。
*
私と俊也のいる高校は私服校である。制服がない。
お洒落を楽しむ少女たちは思い思いの服装をする。少年たちもしかり。私服校なのに、好んで制服を着る者たちもいる。
私服校は個人の服装の甲斐性が解かる。美的センス、好み、こだわっている、だらしない、無頓着。自分の見た目に対しての力の入れ方は、その人が自分をどう見せたいのか、どう思われたいのかが表れる。
入学前は特に考えなかったが、私服校に入って面白いと思った。学校は必ず誰かがいる場所なので、必ず誰かに自分の姿を見られる。制服校は同じ服装をしていることが前提なので、極端または奇抜でなければ力の入れ方の濃淡が解かり難い。しかし、私服校は自分の格好のプロデュースをするのは全て自分である。その違いの傾向は顕著だ。
俊也は明るい茶髪で眼鏡。細い体躯で、今日は紺色地にオレンジ色で英語の文章がプリントされているTシャツを着て、細身のデニムのパンツを履き、ごつい金具の付いた太いベルトで留めている。ほどほどにお洒落、丈が合ってて小綺麗にする、流行も意識するが無難、自分に似合うかどうかが一番、目立つことは狙ってない、というような服装である。
私が俊也がお祭り野郎に巻き込まれて表舞台で青春してそうだと思ったのは、見た目と振る舞いと、ちょっと軽薄っぽいお洒落が好きな人間たちと集っているからだ。一般的に見て華やいでいるタイプなのである。
委員会室の面々というのは、お洒落に気を使ってないわけではないが、ごく普通で奇抜さも華やかさも気にしていない者が多い。誠実っぽく清潔でお兄さんっぽかったりお姉さんぽかったりする。ひとつ共通しているのは動き易い服装であることで、これはいつでも働けるぜという意気込みが表れている。
私といえば。三六五日オーバーオール着用である。
小学生からオーバーオール主義を貫いている。中学校のときは制服があったが、帰ったら絶対オーバーオールであった。高校生になって、オール・オーバーオールである。三六五日オーバーオールを着るのだから、オーバーオールは色違い素材違い夏用冬用合わせてバリエーション豊か何着も持っている。
入学式もオーバーオールを着て行った。
周りは正装をしていて、私は浮いた。
制服やスーツを着用している人間の中、オーバーオールに「入学おめでとう」の花を付けている私を見て、思わず母はけけけと笑ったらしい。私の中学校の制服のお下がりを近所の新中学生にさっさとあげてしまった張本人である。
何故、三六五日オーバーオールなのか。上下が繋がっており一息に着ることが出来るので楽である、その上私に似合う、飛び蹴りがし易い。まあ、理由は色々ある。特に理由がないのと同義である。気が付いたらクローゼットにオーバーオールしかなかった。
髪の毛は真っ黒、一年に一回美容院に行くかどうかなので、伸びて来たら自分で切っている。寝癖は一度立ったら頑固で梳かしても直らないので基本放任主義である。というかそれが寝癖かどうか判断できないくらいの癖毛なので木は森の中に隠せの状態である。
化粧はしない。朝、化粧をする時間より朝食を沢山食べる時間を優先させているゆえである。
学校環境において、それはある種の個性に入るらしい。
私は個性的、もしくは変わり者の部類に数えられている可能性があると、最近思い至った。
しかし、本当に変わっている人間とは、服装とは裏腹だったり関係がなかったりする。
まず委員会室の面々はごく普通の高校生のお兄さんお姉さん風だと先程述べたが、そのお兄さんお姉さん風の中に「アーチの寸法」一年男子委員の天野豊隆はいるのである。
坊ちゃん的な見た目でのほほんとしており、変わっているというか彼は抜けているのだが、それにしても常識人とは言い難い面があるには違いないのである。
二年委員の片山咲先輩は「角材の鬼」とあだ名され、体育祭または文化祭の会場や小道具作りに使用するダンボールや木材を切断したり釘で打ちつけたりするのが大好きであり、のこぎりや金槌やドリルやカッターなどを持つと目の色を変えて一心に作業をする。いつもは朗らかなのに、木工となると鬼のように他委員を指示、女だてらに金槌を振るい棟梁として采配を振るう。角材を左肩に乗せ、右手にのこぎりを持ち笑うその姿、勇ましき。
そして、意外と俊也が変わり者であることを、私は知っている。私はその辺が気になって、俊也にいたく興味を抱いているのだ。
おそらく。彼の脳内はファンタジックおよびメルヘンチックに花咲いているのだ。