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7 姉、苛めっ子少女を苛めっ子退治少女にする。

 姉が苛められなくなった大きな原因は、姉が小学校六年生のとき、姉と姉を苛めていた主犯格の女の子との間にある事件があったからである。


 当時私は小学校一年生で、遠くから姉を見守り、理不尽な目に遭っている姉のもとに駆け寄って助けていた。姉と苛めっ子の間に立ち、理由をつけて姉を引っ張って行き、苛めっ子から離していた。なので、主犯格の苛めっ子少女とは顔見知りであった。女の子たちを率い、威張って見下ろしてくる表情をよく覚えている。ことあるごとに邪魔してくるちっこい森園妹をいまいましく思っていたに違いない。

 事件が起きたとき、風の噂を聞いた私はランドセルを背負ってすっ飛んで行った。放課後、姉が自分の傘を振り回して空き教室の窓硝子を割り、苛めっ子少女に怪我をさせたというのである。


 再三言うが、姉は無害で良心的、大人しく、可愛らしい性格の持ち主である。間違ってもお気に入りの花柄の傘を振り回すような勇猛果敢ぶりは、ない。


 姉のもとに参上すると、案の定、姉は途方に暮れていた。窓硝子が割れた現場には姉と苛めっ子少女しかいなかったようで、担任の教師がその仲裁に入っていた。姉は例の口下手で右往左往するしかなく、苛めっ子少女は一方的に姉が悪いと話を作って担任にまくしたてていた。

 まあ、確かに苛めっ子少女は怪我をしていたが、いつも姉に言いがかりをつけて苛めているような人間である。そして、対するは人畜無害極まりない姉である。窓硝子なんて割ったら、申し訳なさに落ち込んで、すぐに自分がやったと申し出ることであろう。しかしながら、姉は苛めっ子少女の主張に否と首を振ることはしても、上手く説明出来ず、苛めっ子少女に強く言いがかりをつけられ黙るしかなく、困り果てていた。

 状況は火を見るよりも明らかである。


 私が飛び付くと、姉は多少安心したらしく、笑顔を見せた。苛めっ子少女は嫌な顔をした。毎回間に割って入ってくる森園妹が、ちっこいが厄介だということを認識していたのである。

 担任は若い女性の先生であった。先生もまた困っていた。苛めっ子少女側の主張が一方的であることは解かるし、姉は首を振って否としている。しかし説明を求めると姉はしどろもどろ、単語を繰り返すだけ、言いたいことがよく解からない。コツを掴んで根気強く単語を拾い上げれば姉の言いたいことは解かったと思うのだが、先生というものは姉一人に掛かりっきりでいるわけにはいかない。またそんな極端に寡黙な子供とどう接すれば良いのか解からなかったのである。


 その姉に加勢しに来たのは小学一年生の妹で、姉は普段から優しいし大人しいから傘なんて振り回すわけがない、あっちのお姉ちゃんはいつも姉に言いがかりをつける云々と主張して来る。苛めっ子少女はそれを聞いていまいましげに姉妹を睨みつつ、一年の子供の言うことなど信用出来ない当てにならない、私は怪我をしている、怪我人の話を一番に聞くべきだと主張する。

 果ては、一年生の森園妹と六年生の苛めっ子少女が言い争いを始める。窓硝子のことから話が反れてくる。学校にまだ残っている生徒たちが何だ何だと集ってくる。

 若い担任教師は、苛めっ子少女がただ一方通行に自分の正当性を主張しているだけだと解かるし、当事者といわれる森園姉が普段から大人しく気が優しいことはよく解かるので傘を振り回す姿をどうしても想像出来ない、しかし彼女はただ首を横に振って否とするばかりで事情の説明は無理、森園妹は姉の弁護をしてどうやらクラスに苛めがあるらしいことを匂わす、しかし苛めっ子少女は真実腕を少し切って怪我をしている、事件を不明瞭なままにしておくと新たな争いを呼ぶので二人のためクラスのためにすっかり明らかにした方が良い、そして学校の窓硝子をどちらかが割ったからには弁償して貰わなければならない・・・と、すっかり困り果ててしまった。


 そこで、先生は森園姉妹と苛めっ子少女を無人の会議室に移し、また話を整理することにして、第三者の目を借りるべく電話をした。しかし先生は第三者の目の借りどころを間違えたものと思われる。いずれにしろ連絡しなければならない対象であるとはいえ、親が子供について第三者として公平に判断出来るわけがないのである。

 親というものは、大抵まず自分の子供を信用し、味方するものである。中には盲目的に子供を信用する親もいる。苛めっ子少女の母親がそれであった。

 苛めっ子少女の母親は参上すると、自分の娘が怪我をしていることに怒り狂い、ちくちくと担任教師に物を言い、姉をなじった。


「うちの娘がそう言っているじゃありませんか。なんて乱暴な子がクラスにいるんでしょう。ほら、こんなに包帯を巻いて可哀想に」


と、娘の腕に大袈裟に巻かれた包帯を憐憫を以って眺め、姉を睨む。苛めっ子少女は自分に強い味方が現れ得意満面余裕綽々で「まだ痛いの」などと、その包帯の下ではもう傷が塞がりかけているくせに、嘯く。

 頑なに否定するも何も言えない姉を良いことに、母親は決め付けて慰謝料だ学校の責任だと勝手なことを言い始めた。公平な目線を借りたかった筈が、このままだと苛めっ子少女の主張を押し付けられかねない。好きで黙っているのではなく、一番言いたいことが言えなくてもどかしい思いをしているのは姉なのである。姉は顔を青くし口をぱくぱくさせ、先生は顔を引きつらせ、私は姉の様子を心配しつつ悔しくて歯軋りした。事態は悪い方向に向かいつつあった。


 しかしながら先生は両者の家に電話したのである。先にあちらの母親が来ただけのこと。うちの母も仕事を一段落させたら来てくれるに違いない。あの理路整然とした物言いの母のことだ、公平な視点でずばずばと苛めっ子母娘に指摘し言葉を差し挟み、もつれた糸をするすると解くように事件の真相と姉の無罪を証明してくれるに違いない。

 親を呼んだ先生の魂胆も、森園姉妹の母にあったのではと思われる。姉の担任だったから、保護者会で適確かつ鋭い指摘をする私たちの母を知っていたのだろう。森園姉妹の母が来たら、姉の言いたいことが解かるかもしれないし、自分が見落としていることも指摘してくれるかも知れない。我らが母が事態を好転させてくれる可能性に期待していたのだ。

 しかしながら森園姉妹母の登場は、予想外な展開を引き起こす。

 母が会議室に登場すると、一同は一瞬静かになった。母は、いつものにやにや笑いは何処へやら、真剣で鋭い表情である。まず姉に近寄りじっと見て無事なことを確かめる。先生から詳しい事情を聞くと鼻で笑い、姉に「()(かん)ちゃんはしていないんだよね?」と訊いた。苛めっ子母娘に散々やっただろやっただろやったと言え言えとなじられていた姉はすっかり落ち込んで涙目であったが、しっかりと頷いた。

 母は再び鼻で笑う。

 私はなんとなく嫌な予感がした。

 母は苛めっ子母娘を見下すように睨むと、こう言い放った。


「貴女のお子さん嘘吐いてますよ。うちの深閑はすっかり落ち込んでます。どうしてくれるんですか」


 いきなり喧嘩腰である。


「まあ、さっきから黙り込んでいるのはお宅のお子さんでしょー?後ろめたいんじゃありませんー?」


 苛めっ子母も負けじ。


「うちの子はもとから慎み深い子なんです。深くて閑静と書いて深閑ですから。後ろめたいことなんてない、傘を振り回すような野蛮な気性はこれっぽっちもありません」

「うちの子は落ち着いている子なので傘を振り回すなんて子供っぽいことしませんわ」

「深閑は自分はやっていないと言ってます。この子が違うと言うなら違うに決まってます。意外と頑固だし嘘吐いて保身するような器用さを持ち合わせていないので」

「小学六年生の子供が保身なんて器用な真似しますかぁ?」

「ご自分の小学生の頃を覚えてませんか。自分の失敗や悪戯を全て隠さず話して謝りましたか。決して 嘘を吐いてなかった、公明正大清廉潔白に生きてきましたか?」


 苛めっ子母、少し黙る。心当たりがあるようである。

 段々、母親同士の言動の雲行きが怪しくなってきた。


「そんな生きてきたかなんて、大袈裟なことは言いませんけど、まあ嘘くらいは吐きますよね」

「仰る通り。解かってるじゃあないですか。なるほど、ということは娘さんと一緒になって嘘を突き通す所存ですか」

「何言ってるんですか。訊いてましたか?うちの娘は嘘を吐いてません。うちの娘が言っていることが真実なんです」

「娘の言動を逐一見張っているような口振りですね」

「さっきから極端なことばっかり言ってますけど、そんなわけないでしょ?!アナタ、何様なんですか!」

「では何を根拠に貴女の娘さんが嘘を吐いてないと?」

「当たり前じゃない。うちの子は大人っぽいし女の子らしい子です。女の子らしい子が人の傘を振り回して硝子割ったりするわけがないでしょ?普段から優しくて素直な子なので嘘なんて吐きません」


 「いやぁ」


 母は苦笑禁じえないといった表情で、苛めっ子娘をちらと見た。


 「お宅のお子さんは嘘を吐く顔をしている。」


 「・・・っなんですってー!!!」


 母の暴言に一同、唖然となった。苛めっ子少女母は一瞬何を言われたのか解からなかったようだったが、顔を真っ赤にして金切り声を上げた。「そーゆーあんたの娘だって根暗よ根暗―!!」などと喚き出す始末。母は相手を見下すような態度を変えず、冷静に応戦する。会議室は母親同士の罵詈雑言が飛び交った。

 当事者の筈なのに、蚊帳の外になった姉と苛めっ子少女、それから私と先生は口を開けて罵詈雑言の応酬を暫く眺め、やがて脱力した。これはもう一度自分たちで話し合って解決していくほかなさそうである。


「お姉ちゃんもうちょっと何かない?そうだ、書いて説明してみたら?これじゃらちがあかないし、もうちょっと頑張って」


 私の提案に姉は悲しそうに眉根を下げて頷き、紙と筆箱を取り出して文章による説明を試みようとし始めた。

 我らが母に「嘘を吐く顔をしている」と暴言を吐かれた苛めっ子少女は、青い顔をして暫く母親同士の熾烈な悪口合戦を眺めていたが、やがてうんざりしたような表情をした。暫く考えている様子で俯き、 文章を考えて紙と鉛筆を手にしていた姉の方にやって来ると、「ごめん、私が悪かった」と謝罪した。姉と私と先生は目を丸くして顔を見合わせた。


「なんかうちのママが馬鹿っぽくて、嫌になってきた。見てて酷いんだけど」


 冷笑して静かに悪口を切り返す我らが母に対して、苛めっ子少女母は金切り声を上げて罵詈雑言を吐き続け、感情をさらけ出した顔をしている。そんな母親を見て、苛めっ子少女は何か思うところがあったらしかった。

 彼女は先の主張と違った経緯を語った。彼女は姉の傘を奪って、からかった。小さな花の模様がついた傘を姉が大事そうに抱えていたので、からかう良い材料だと思ったのだ。取り返そうと追い駆けて来た姉を誰もいない空き教室に誘導した。二人きりのほうが邪魔が入らない。希望通りとなり、取り返そうと手を伸ばす姉から傘を遠ざけた。その拍子に、傘が窓にぶつかって、窓硝子が割れたのである。飛んで来た硝子で、苛めっ子少女の腕に切り傷が出来た。

 苛めっ子少女は打って変わって、全面的に弱い者苛めをしていたことと、硝子を割った旨、自分の非を認めたのである。姉はうなだれていたが、今度はその通りだと首肯した。姉は少しずつ単語を話し、その単語が苛めっ子少女が話した内容のものとところどころ一致した。両者の主張の一致とみて、真相は裏付けられた。


 「人のせいにすることは、結局人のためにも自分のためにもならない。森園さんは信用されなくなっちゃうし、貴女は全員を騙して信頼を裏切ることになるのよ。そんなこと、しちゃいけない。

 意地悪をしたことも、苛めることも、必ず誰かを悲しくさせることだし、貴女は恨まれたり憎まれたりする理由を作ることになる。森園さんに、妹さんやお母さんがいるのは解かるでしょ?

 森園さんのことが大事だから、森園さんのお母さんも妹さんも来たのよ。貴女のお母さんも来たように。

 人を苛めたら、その人を大切に思っている人たちにも傷を付けるのと同じなのよ。

 それが良いことじゃないって、解かるでしょ?」


 正義感溢れる先生はここぞとばかりにこんなことを言った。ばつの悪い表情をしつつも苛めっ子少女は何も言わずに聞いていた。

 誰にも大切に思われない人なら苛めて良いのかとか突っ込めそうだが、まあそんな突っ込みをするとすれば、馬鹿の一言である。人に悲しい思いをさせ、傷付ければ、傷付けられた本人が加害者に抱く感情が好ましいものであるわけがない。それが自分にとって有益かそうでないか、想像に難くない筈だ。


 苛めっ子少女母は事件の新真相を聞くなり、うちの娘が相手をかばっているんだと喚いた。あんなに取り乱して相手の母と合戦した挙句、実は娘が嘘を吐いていたということでは体裁も何もない、みっともなさ過ぎる。しかし、驚いたことに苛めっ子少女は自分が嘘を吐いていたと怒鳴って母親を黙らせた。母親は全員のいる前で顔を真っ赤にし、苛めっ子少女の顔を引っ叩いた。窓硝子の弁償については後日と言って、二人はそそくさと帰って行った。


 かくして姉の名誉は守られたわけだ。しかし姉の寡黙が事態を長引かせた面もある。先生は「森園さんはもう少し上手に喋れたら良いね」と言って、姉は申し訳無さそうに頷いた。一番それを望んでいるのは姉なのである。

 しかし、そのやりとりを見た母はじろりと先生を睨んだ。


 「先生、うちの娘が寡黙なことを責めるつもりでしょうか」

 「いいいいいえそんなつもりではっ!」

 「そう。なら結構」


 うちの母も盲目的に子供を信用し味方する親であった。


 「娘の性質をよく解かっていないあんな親になってはいけないよ、二人とも。子供を信用する意味がなくなるからね」


 すっかり暗くなった帰り道をぶらぶら歩きながら、母が言ったことだ。

 まあ、そういうことなのだろう。


 母が登場したから事態の落着が見えたのは確かだが、何か違う気がする。


 窓硝子の弁償は勿論苛めっ子少女側がした。事件の翌日、窓硝子が割れたことやクラスの目立つ少女が怪我をして喚いていたことで、姉のいるクラスでは様々な好奇心と物見高さによる憶測が飛び交った。姉は根掘り葉掘り真相を訊かれ、ときに意地悪く追及され、クラスメイトに囲まれた。

 説明が上手く出来ず、小さくなっていた姉を助けたのは、意外や苛めっ子少女であった。


 「みかんは関係ないわよ。あたしが割ったんだもの。みかんはただの目撃者よ。なんか文句あんの?」


 姉に罪をなすりつけようとしたことはちゃっかり伏せられている。

 しかし、彼女は元来クラスで目立っており、気の強い女の子である。影響力のある彼女がそう言ったからには、誰も何も言えなくなった。

 苛めっ子少女は以降、心を入れ換えたのか姉を苛めなくなった。それどころか偶に姉を誘って一緒に下校とかしていたらしい。主に親の愚痴を聞かされたという。


 中心になっていた人物が苛めなくなり、寧ろ姉と和解したような感じなので、他の子もわざわざ苛めをしなくなった。もし心無い人間がいたとしても、私が姉のもとにすっ飛んで行ったし、苛めっ子少女が苛めっ子成敗側に回ってしょっちゅう助けていたことを私は知っている。呼び出しをして、凄んで苛めんなよと彼女が言い含めている場面を見たことがある。

 あの事件の母親同士の醜い悪口合戦が彼女の胸に悪しきものとして刻まれたのだろう。

 苛めっ子少女ならぬ苛めっ子退治少女になったわけだ。

 めでたしめでたし。


   *


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